完全防寒対策
このまま立ち話をするにもそろそろ彼女たちが慣れない寒さに限界が近づいているようだった。心なし背中が丸まっているようにも見える。相も変わらず学院の制服がスカートを採用しているのだから足は無防備な状態で冷気に晒されているわけだ。
切り上げるべく、アルスは話を一旦区切ってリンネに目配せをする。
「いずれにせよ、何事もないにこしたことはない」
時間を確認したリンネは「では、そろそろ」と魔導車のドアを開ける。内装は高級宿のように広々とした空間が広がっていた。豪華というわけでもないが、完全に至れり尽くせりな装備が完備されているのは間違いないだろう。見るからにクッション性の高い対面式の椅子やボトルクーラーまでもある。少し頭を屈めなければならないが、後部座席を移動するにも数歩は歩かなければならないだろう。
何より魔法による攻撃を警戒してか、かなり頑丈な作りになっているようだった。
――走って向かった方がよかったか?
などと以前言った「シングルの扱い」について、今更ながら発言を撤回してしまいたくなる。
するとアルスのそんな一瞬の停滞を勘違いしたのか、ロキは後ろ手に回していた手を解いて前に持ってきた。その両手の上に乗っているものを見て、少し戸惑う。
「アル、そろそろ季節的にも寒くなりますので……そのよかったら使ってください」
「あ、あぁ……ありがとう」
彼女が手に持っていたのは手編みのマフラーであった。綺麗に畳まれているが、首に巻くには少々ボリュームがある。
「ロキちゃんできたんだ。間に合ってよかったねぇ」
「…………」
「へ? 私知らないんだけど……」
「テスフィアさんには特に訊くこともないので……仕上げのところはリンネさんに教えていただきました」
すげなくテスフィアをあしらったものの、照れ隠しなのかロキの視線はずっと手元のマフラーから動くことはなかった。
マフラーは現代ではほとんど使う機会のないものだ。外界での防寒対策として軍の制服にも首元を覆う、もっと防寒性に優れた物もある。
今でこそ、衣類に防寒性や通気性といった機能を重視するようになってきてはいるのだが。
だからこそ、外界を知るロキが手編みという耐久性も対魔性すらないマフラーを作ったことの意味はたった一つなのだろう。
それは顕著に行動に表れていた。
アルスが心遣いにありがたく受け取ろうと手を伸ばしたところで、スゥッとマフラーが引かれてしまった。
使ってくれ、というのに渡さないように抱え込んでしまったロキ。
結局、アルスのみならず彼女以外の全員が首を傾げた。
「そ、そのアル……少ししゃがんでもらっていいですか?」
一言に全てが集約されており、ロキの意図はすぐさまテスフィアやアリス、リンネの間で共有される。
軽く屈んだアルスにロキは丁寧にマフラーを巻いていった。きつく締めすぎないように……軽く乗っかる程度に優しく首に回されていく。
そして――。
声には出さないが、見ていた三人は悩ましげな表情を作る。
立ち上がったアルスの首にはマフラーが巻かれているのだが、だいぶ長く作ってしまったらしく視界を塞ぐほどグルグル巻にされていた。
「あ、あれ? ま、待ってください、アル。もう一回巻き直しますから……」
「わふぁふぁった」
くぐもった声で発するアルスはかなり息苦しい状況だった――が、ここが男としての見せ所だと黙って堪える。
しかし、程なくしてテスフィアとアリスが混乱したロキの助っ人に入り、最後にはリンネの提案を受け入れる形でマフラーを巻き終えた。
結局長さがだいぶ余ってしまい、最終形は首を二・三周させて落ち着いた。辛うじて地面に付かないのが幸いである。
一仕事を終えた雰囲気になっているのはそれだけ試行錯誤がこの場で行われた証だ。
ともあれ……。
「ありがとうロキ。大事に使わせてもらうよ」
「いえ、これぐらいは……」
ポンッといつもの如くロキの頭の上に手が乗っかった。本来ならば周囲の目を気にするロキだが、今回は別の意図もあった。
「これぐらいは女性としてできて当たり前ですから」と背後の少女達へと分かり易い視線を向ける。
「私だってその気になれば作れるわよ」
「張り合わんでいい。お前が不器用なのは知ってるからな」
いつかの学園祭で見た射的の景品を思い浮かべたのはアルスだけである。
「もぉ馬鹿にして!! 私だってやれば出来る子なんだから」
「フィア、自分で言っちゃう子はやれないことがほとんどだと思うなぁ~」
長い付き合いの中でアリスが彼女の欠点を最も理解しているといえた。アルスよりもよっぽど説得力がある。
「そういうわけだ。変な気を遣うな。どうせ今更だ……それよりも……」
「しっかり強くなれってことでしょ」
「当たらずとも遠からずだな」
ニヤリと口角を持ち上げたアルスにテスフィアはプイッと顔を背けてしまった。
だが、やはり心の奥底ではやるべきことをやるだけで、感謝を表したことにならないことをテスフィアもアリスも理解しているのだ――ロキに触発されたわけではないが。
「でも、休憩とか少しの時間を使った間でならいいでしょ?」
落ち度のない完璧な善意をアリスは提案する。是非もない、プライベートな時間までアルスが踏み込めるとは思ってもいないことだ。だから、彼女達が訓練以外の時間をどのように使おうとアルスには干渉する資格がない。
いらない、と言っても結局は何かを作りたいらしい。
なんせテスフィアとアリスは、彼から返そうにも返し切れないほど多くのものを学ばせてもらっている。尚且つ、二人でもそうそう手に入れることができないほど高性能なAWRまで……。物でお返しをすることが一番だとは思わないが、それでもそれしか方法が思い浮かばないのも確かである。
「いや、まぁそれは構わないが……」
あっさり折れてしまったことにアリスは返事を聞くまでもなく柔和な表情をすでに向けていた。
「ロキちゃんのマフラーも凄く上手にできてるから、何か別のを考えるねぇ」
「私も…………あっ、でも時間があったら、だからね」
アリスが提示したプレゼントを送る提案にテスフィアも同調してみせるが、何故か素直に乗っからず“時間”を強調するように言い直す。
ここで長引いた会話を終わらせるべく、リンネは申し訳なく思いながらも口を挟んだ。
「えーっと、せっかくマフラーを巻いていただいたところ、ロキさんには申し訳ないのですが、魔導車の中は暖房完備なのでマフラーをしたままだと暑いかもしれません」
静寂が少しの間だけ辺りを満たし、徐にロキがアルスのマフラーを取った。
「じゃ、行ってくる」
後部座席に乗り込んだのはアルスとロキであり――当然かは別にして――運転はリンネのようだ。あの長いスカートのまま運転するには不安もあるが、これが初めてというわけではあるまい。
聞こえるかわからない小さな駆動音から地面を滑るように魔導車は走り出した。
余り慣れないのか、ロキは外の景色を眺めるアルスの隣で緊張した面持ちで背筋を伸ばして座っている。誰が見ているということもないのだが――というより寧ろ、その方が疲れるだろうに。
「リンネさん、その格好で良く運転できますね。ないとは思いますが事故は勘弁してくださいよ」
気を紛らせるために振った話題だったが、あろうことかリンネは運転席から振り返ってニッコリ笑みを向けてくる。そのまま数秒間前方を見ないまま、更に速度を上げた。
「今の私に死角はありませんよ、アルス様」
「いや、言ってることはわかるんですが、正直言って怖いです」
プロビレベンスの眼を駆使すれば目視するより遥かに事故の危険性は減るのだろうが、同乗している身としては恐怖を感じざるを得ない。
「それは良いことを聞きました」とリンネは悪ふざけをやめて前方へと身体の向きを戻す。
ロキの緊張を解すどころか追い打ちをかけることになってしまった。これ以上余計なことはしない方が良さそうだと、アルスは自重する。
「で、リンネさん。先程テスフィアとアリスに言ったように今回の会合、どう見てます?」
「そうですね。概ね私も先程申し上げた通りかと思います。アルス様が参加された時のようなことは起こって欲しくはありませんね。ですが……」
リンネの表情が見えずとも、彼女の憂慮が後ろまで漂ってきたような気配。
「ですが、そうトントン拍子には進まないでしょうね。こちらで仕入れた情報によるとやはり今回シングルになられる方々はアルファも含めて一筋縄ではいかないようですし……だからといってアルス様が関わる必要はございませんからね」
「む……」
「そこは私に任せてください」
余計な忠告を挟ませたリンネに対して、すかさずロキが了承の言葉を返した。
すると先程の緊迫気味の空気を変えるように運転席から穏やかな安心が伝わり「よろしくお願いします、ロキさん」と肩の荷が一つ下りたといったニュアンスの返事がくる。
バルメスの前科があるため、シングル魔法師はそれ相応の実力がなければならない。順位に見合った力、魔物に屈する力ではなく、無比なる強者、一騎当千でなければならないのだ。
そうしたことを考えると会合という直接対面できる場で力量を推し量ろうと試みることは容易に予想できる。
溜息を流れる景色に向かって吐くアルスは多少なりとも興味を抱いている自分と目が合う。窓ガラスに薄った自分の顔は陰鬱とはまた違った好奇心のような物が見て取れた。
原則としてAWRは持ち込めないため、持っていったところで回収されてしまうのは目に見えている。だが、会合のことを考えると一先ず持ってくるべきだったかと、若干の後悔が脳裏を過ぎった。
そんな車内でロキが懸念の流れを引き継ぐ形で質問の声を上げる。
「リンネさん。会合にはこの格好のままでもいいのでしょうか。特に着替えを持ってきたりはしていないのですが」
真っ先に反応を示したのはアルスだった。今回初めて会合に参加するロキに伝え忘れていたのだ。
「はい、そのことでしたらこちらで準備させていただいております。一応最低限のドレスコードは設けておりますので、アルス様の分もこちらでご用意させていただいております。一応会合の会場となる場所には数百種類の衣服を取り揃えておりますので、ご安心ください。もちろんアルス様も着替えていただきます」
「…………ですが」
とロキの懸念は解消されることはなかった。というのも彼女の体形からして服のサイズがあるとは思えないからだった。急遽参加することになったわけではないが、おそらく前もって準備するものなのだろう、とロキは思う。
そもそも会合や式典関係はこれまで軍服だったため、ドレスのような仕立ての良い服は持ってすらいないのだ。
そんな悩める少女にリンネはバックミラー越しに笑みを浮かべ「ご安心を」と続ける。
「ロキさんの服もこちら……いえ、ご用意されておりますので」
嬉々とした含み笑いが何を意味しているのか、ロキにはわからない。だが、アルスのパートナーとして彼に恥を掻かせてしまう心配は回避できるようだった。
一緒に参加できることはこの上なく嬉しいことだ。これまで留守番続きだったことを考えれば認められていることも実感できる。
だが、同時に同伴するだけではダメなことも理解しなければならない。アルスが礼儀作法に疎くとも、傍にいるロキも同じというのでは彼の評価に響く。連れられるからこそ、ロキは最低限以上の振る舞いが要求されるのだ。
会合では、アルスは魔法師1位としての威厳を維持しなければならない。そんな彼の連れが不作法では落胆させてしまうだろう。
グッと膝の上に置いた手がスカートを握り「絶対にミスをしない」と己に言い聞かせる。




