親の心
一年近くなるだろうか、アルスとロキがまたこうして生存圏内に踏み入れるのは……。
最低限の変装をして……とはいってもフード付きローブを羽織っているだけなので、二人に変装するつもりがあるのかといえばないのだろう。
疑いが晴れた今、堂々と闊歩できるのだ。いや、ロキが変装を許さないというのもある。彼女が溜め込んだ溜飲を下げるには些細なことだ。
それでも内側の状況は聞き及んでいるため、騒がれないための、最低限の変装。
少々遠回りしてアルファ側から入国する。歩哨はすんなりと通してくれたのだが、防護壁を潜ると圧巻の光景が広がっていた。
誰にも告げずに赴いたはずだが、アルスとロキを見るなり敬礼、もしくはAWRを掲げて出迎えられる。
それはさしずめ津波のように波及していった。
歓喜の坩堝と化した騒々しい空間を居心地悪くアルスは歩いた。ただし、一歩後ろで揚々と歩くロキの姿はどこか羽のように軽く、誇らしげな優しい微笑みを湛えている。
軽く伏せられた目は耳を澄ましているのか、それともアルスの足音を噛みしめるように心に留めているのだろうか。
どちらにせよ、妙な圧迫感のある視線の中であろうとロキはただ黙して彼が残す軌跡を追うだけなのだ。
こうして不条理を覆した男とそのパートナーの凱旋は僅か数分足らずで終わった。しかし、その数分の中にはこの国の最高位として最大級の敬仰が注がれたのはいうまでもない。
いくつかの転移門を潜り抜けた先で待ち構えていたのは明らかな伝令役であろう老齢の男が妙な呼吸の荒さを演じている。
「確か、フーリバさんでしたよね」
「ゼェ~ハアァ、ハァハァ……あ、おぉこれはアルス殿、丁度良い」
まるで音頭でも取るような調子でポンと手を叩く。小芝居がかったフーリバだが、アルスもなんなく彼の口上に合わせる必要性を感じていた。
そもそもアルファの重鎮がこんなところで小芝居を打たなければならない理由などそうない。
「どうかご一緒に探してはいただけませんか……」
フーリバは軽く手招きし、アルスの耳元で口に手を沿え、声を潜めた。
「それがシセルニア様が行方不明なのです。他言はしないようお願いします」
――なんとも回りくどい。
アルスは頭痛を覚える。そして背後で聞き耳を立てていたロキはというと特段感情の揺らぎが見て取れないいつも通りの顔でチラリと視線をあらぬ方向に向ける。
というのも明らかに熟達した魔法師の気配がいたるところにあるからだ。敵意というよりもただの護衛として距離を取らされているといった気の抜けた気配ではある。
「アル……」
「そうだな。じゃ例の場所に指定の時間で」
「了解しました。少し時間を潰して参りますので」
「…………」
人払いといえば悪質なように捉えられるが、事前にこうなる予感をロキにもしっかりとアルスは伝えていた。もちろん、フーリバの望む状況だからか、口を挟むことはせず、老人は申し訳なさそうにロキに目を伏せる。
実際のところ一国の元首が行方不明になろうものならば捜索に人手を惜しむはずはないだろう。ましてやリンネというアルファの眼があれば行方不明という事態には陥るはずがない。
だからこそ、何故こんな茶番をするのか、アルスには今ひとつ意図がわからない。
無論、アルスも彼女には用があるため、こんな回りくどいやり方をせずとも話し合いの場は設けられたはずだ。
「で、肝心のお姫様はどこに?」
手間を考え、若干ぞんざいな言葉遣いになったが、フーリバは眉一つ動かすことなく、困った顔で。
「それがフォールンにいることだけはわかっているのですが……」
「……ちょっと待って下さい。リンネさんはいるのでしょ?」
「彼女は別件で宮殿での執務に専念してもらっています。姫様は今日何も手に付かないとおっしゃりまして」
アルスは額に手を当てて、ため息を吐き出しながら首を左右に振る。
「つまり居場所がわからないと?」
「まぁ、言葉は悪いですが世間知らずではありますので、いろいろと興味を掻き立てられているのでしょう。メインストリートにはいるはずですが」
「脇道に入られたら、一発で見失いますよ」
「さすがにそれは大丈夫かと、姫様はあぁ見えてしっかりしておられますので」
「…………そういうことにしておきましょう。こちらもあまり時間を掛けるわけにもいきませんので、もう向かいますよ」
「アルス殿」
「何か?」
「どうかよろしくお願いいたします」
引き止められたアルスはこちらに向けられる神妙な顔つきをやり過ごすことができない。フーリバはシセルニアが生まれてから今日まで、その成長をもっとも身近で見てきた。
だから彼女が元首という席に就くのは早すぎたと思っているし、それによって全てを捧げてきたのを誰よりも知っている。
気丈に振る舞っても、その実、酷く脆いことも。
苦悩の一端さえ彼女は一人で解決策を考え出す。それが元首の責務だと思っているのだ。国のシンボルとしての重責を背負うのは彼女には早すぎた。国を動かす知識や経験はあってもアルス同様に知らないことのほうが遥かに多い。
それはきっと知らなくていいということではないのだろう。
そんな深くを覗かせる瞳にアルスは向き直り「わかっていますよ。いえ、今は、わかりましたというべきでしょうね」と自然な苦笑が漏れた。
フーリバは背を向けたアルスに深々と腰を曲げる。
――姫様もお人が悪い。いや、それに乗せられてしまうワシも大概馬鹿なのやもしれない。
事前に彼女はどこにもいかず、ちゃんと見つかりやすい場所でじっと待っている。そのことは警備の者からも逐次連絡は受けている。
だが、シセルニアは悪い顔をして――いや、年相応の自然な笑みを浮かべて「アルスにはこれぐらいの仕打ちが丁度いいのよ」と言われてしまえば、フーリバに言い返すだけの言葉も、説得させるだけの理屈さえもどうでもよく思えてしまう。
何故ならばあれほど自然な笑みをフーリバは幼きシセルニアにしか見たことがないからだ。
ただ、やはり彼女はあの頃とは違う。成長し、大人になった。だからそこに宿る哀愁の覚悟を察せられないほどフーリバは呆けていない。
シセルニア・イル・アールゼイト、彼女は元首として生きていく決断をしてから国政に無関係な物一切を断ってきた。いや、遠ざけたといえば良いのだろう。
そう遠ざけただけで本当に良かった。またあの頃を思い出せる日が来たのだから。
老人はどこか肩の荷が降りたように硬くなった身体に鞭を打って撤収の号令を出した。いつもならば護衛もなしではフーリバの脆くなった心臓では耐えられないが、今日ばかりはそれが余計なお節介だと思わせる。
今日ばかりは……。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
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(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)




