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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第7章 「英雄譚」
258/549

一人のための英雄Ⅱ



 § § §――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 二人は小さなポケットに収まってしまうほどの僅かな収穫を得て暗い裏の闇へと帰る。国の裏の部分と揶揄される仄暗い脇道、子供が辛うじて通れるかという路地に入った直後。


「やっと掴まえたぞ糞ガキ!!」


 兄妹の後ろから聞こえた店主だろう大人の声。その物々しさは殺伐と耳朶を刺激してきた。市場の興味をかっさらい、一拍もすれば不気味な静けさと嘲笑紛いの弛緩する空気が、その矛先に該当する少年の筋肉を強張らせた。

 ビクッと肩を反応させて、少年は恐る恐る振り返る。


 見えるのは上等な、汚れのない服の背中。それはこちらに気付いていないことを意味していた。

 視線を飛ばし、路地の狭さに絞られた視野、その先で重なるように人々が足を止めている。更に首の間にできた照明のようにスポットライトを当てられた日光の中で何かが振り上げられた。隙間から銀色に輝く刃物の光が眩しく反射し、少年の目を掠めていく。


 目を細めるのと同時に少年は即座に腰を落とし、前にいる妹の耳を左右から挟むようにそっと塞いだ。

 僅かな隙間も作らせまいと少年は妹の耳を塞ぐ手に神経を注ぐ。何も聞かせてはいけない。


 そしてラティファも自分の手を持ち上げて兄の震える手に重ねた。そうして見たくないものから目を逸らすように二人はグッと目を閉じた――全てが終わるまで。


 これが末路。だから少年は絶対に盗みだけには手を出さなかった。自分が死ねば妹はどうやって生きていけばいい。こんな世界で目も見えずどうやって生きていけばいい。

 少年は日常と化した大通りを振り返りもせず、細い路地を抜けていく――妹の手をしっかりと握って。



 ただ露店のように広げた真っ赤な風呂敷を避ける往来は、成敗した悪者を一瞥するだけで足を止めることはない。まるでショーが終わった後のような無関心だけがそこに蟠っている。


 同族である人間がこれほど減り、逃げ延びてきた人々に取ってこの地は最後の防衛線であり……無法地帯なのだ。多くの人間が混じり、自分以外に感心を寄せない。いや、そんな暇すらない。

 少年には理解できなかったが、その日を生きるのに人々は疑問を抱いていた。今日と明日は必ず違うと現実ばかりを見た結果。

 この世に救いはなくなっていった。誰もが自分が一番大切で、他人のことを気にかける余裕などなかっただけで、それを誰も責めることができない。


 もしかするとあの店主もまた、生活に困窮していたのだろうか。

 もしかすると、商売をしているということは最後には金すら意味もないと知りながら、売っていたのだろうか。

 無償の奉仕ではなく、せめてもの対価として金銭を要求していたに過ぎないのかもしれない。

 だから、この世界は正しく壊れている。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ◇ ◇ ◇



 卑しく歪むクロケルの口元。

 そのまま指の隙間から怪しい光を浮かべた碧眼を覗かせ、彼は髪を掻き上げた。


「――!!」


 一瞬にして切迫したアルスの一太刀をクロケルは表情を変えずに受け止める。無論、何の策もないわけではなかった。そもそも【ヘクアトラの碧眼】は魔法に対して圧倒的な力を持っている。

 これまでの魔法を全て発現させても即座に書き換えられたことからも物理戦がもっとも効果が高いのだ。


 鍔迫り合いの状態で拮抗し、アルスは冷徹に射殺さんばかりの視線をぶつけ。


「何を知っている!!」

「そうくるよね。君にとっては自分が何なのかわからないからね」

「それさえ吐けばすぐにでも殺してやるよ」

「ハハッ、気づくのが早いね」


 まるで子供に見せる微笑みを浮かべ「でも」とクロケルは足を振り上げた。

 その後を追って地面がアルス目掛けて迫り上がる。


「チッ!!」


 大した魔法ではないが、それをアルスは後退せざるを得なかった。

 これは魔法ではなく、魔法の影響によって地面が変動した結果に過ぎない。つまりは完全な物質としての攻撃でそれ単体には魔力が通っていなかった。

 だからこそ【暴食なる捕食者(グラ・イーター)】では対処することができなかったのだ。ましてクロケルを目の前に【暴食なる捕食者(グラ・イーター)】が通用するかも定かではない。

 対処の選択が狭められたことに舌を打つアルス。そうまだクロケルを殺すわけにはいかなかった。


 仕切り直しとばかりに距離を取ったアルスに対してクロケルは【ヘクアトラの碧眼】の弱点でもある物理攻撃をアルスが早々に見抜いたことが、どこか嬉しくもある。


 これらの攻撃は互いに魔法が通用しないことを理解し、両者を殺しうる手段を取ったに過ぎない。つまり魔眼の性質上【ヘクアトラの碧眼】は魔法にのみ干渉することができる。逆を言えば魔法でないもの、魔力を使用した力以外に対しては干渉することができないのだ。


 それはアルスの【暴食なる捕食者(グラ・イーター)】にも言えることだった。


 だから、軽く振った刀身から放たれる斬撃によって遠くの巨木が二本倒れる。が、その倒木は一定の角度を保ち風が持ち上げる。すると巨木の周囲を乱回転する爆風が枝を落とし、幹の表面を削った。


 あっという間に巨大な杭が成形されると、クロケルは号令でもかけるように軽く腕をスナップさせる。弓のように射出される二本の杭は標的たるアルスへと一直線に飛ぶ。


 

 だが、そこまで丁寧に放たれればアルスに対処する時間は十分に残されている。いや、それがわかっているからこそ、あえてクロケルはそうしたのだろう。

 相手を倒すためには高度な魔法戦ではなく、もっともシンプルで原始的な戦いしか残されていないのだから。



 幾度と繰り返されたであろうその動作は、無駄を排除した動きでアルスはAWRを鞘に収め、両腕を突き出す。

 前面に展開された対物多重障壁。半透明の壁に杭が激突し、先端が僅かに潰れ、幹に亀裂が入ろうかという刹那。


「それはさせないよ」


 光り輝く碧眼に浮く文字列が入れ替わり、構成された式を読み解き、崩壊させていく。


「…………」


 アルスが予想していたように障壁は構成を保てなくなり、半透明の壁が消えていく。先端を潰された杭はその勢いを弱らせながらも阻む物がなくなったことによって交差するように地面に突き刺さった。


 が、アルスはその場から一歩も動くことはない。無論、彼に致命的なダメージどころか擦り傷一つ負った様子はなかった。ただ少しばかり埃っぽくはあるのだが。

 これは互いが互いの能力に対する対処とこれから行われるであろう、殺し合いの実践に近い。


 先端を潰されたただの木材は地面を激しく叩き、速度を殺されてゆっくりと直立するように立つ。逆さになった状態が時間を緩慢にし、直角を越えた辺りで二本の杭は同時に倒れだした。

 地面を揺るがす轟きが幕引きのようにそれを機に水を打った静寂が訪れる。



「言ったよね、君のことはだいたい知っているし、感謝しているんだから。なんせ君を外界に捨てにいったのは僕なんだからね」

「……どういうことだ」


 鋭く見返すアルスはまるで身に覚えのない言葉に脳内で予想することすら適わない。

 そのアルスの反応を意外に思ったのはクロケルのほうだ。


「君は何も聞かされていないのかい?」

「…………」

「アルス、君は僕が外界に廃棄した失敗作の内の一体に過ぎない。だから君を見た時は後悔したものだよ。どうやら僕が廃棄した後にアルファが保護したということなんだろうね」


 ――クソ、ベリックめ隠してやがったな!


 そんな悪態を胸の内に吐き出すが、彼の立場を考えれば誰にも言えなかったのだろう――アルス自身にも。

 しかし、それがアルスの異能を解明する手掛かりになりえたかもしれない。そうアルスは思っても、実際に何がどう変わったか、はたまた結局何も変わらなかったかもしれないものだ。


 それでもベリックがこの事実をアルスに伝えなかったのは、彼が魔法師としての意義、もっと突き詰めれば彼が何のために戦うかを見出だせなかったからに他ならない。いや、そうしてしまったのはベリック本人だ。だからこそ余計口を重くした。そういう意味でもベリックはアルスを学院に入れたのだ。異能をコントロールし、心を殺すことを成し遂げてしまったアルスに伝えるべきかの判断をベリックは親心から見誤ったのかもしれない。



 安堵する表情の中、まるで哀れな者でも見るような蔑む目。クロケルは次第に豹変したように言葉を重ねた。この期に及んで実力行使しか道は残されていないというのに、胸の奥で湧き上がる得体の知れない焦燥が口を開かせた。


「今の体制は実に脆い土台の上に成り立っていると思っているんだ。もうすぐバベルは崩壊する」

「……!! だから邪魔者を排除しようってか」

「それは違う。間引きだ。バベルとは……一から説明するのは馬鹿らしいから君の知らないことだけを教えてあげるよ。バベルとはただの装置のことだ。もちろんそれを動かすには膨大な魔力がいる」

「その供給が途絶えると?」

「近いうちにそうなるね。だからその前に替えが必要なんだ。本当はもっと早く代えを作らなければならなかったんだけど……でも今の君なら十分な魔力量が確保できる。向こう数百年は安泰だ。もちろん、そのために防護壁に負荷を与えないように内部に居住できる人間を選別する必要はある。もう我慢できないんだよ、防護壁の中でのうのうと生きている屑がいることに」


 クロケルの軽く持ち上がった頬が一気に下がり、怒りを堪えるような鋭いモノへと代わる。しかし、次には不気味に口元が綻ぶ。


「それが貴様が掲げる大義か」

「大義ねぇ。僕はね誰かに理解されたいわけじゃない。誰かに許された、い……だけ?」


 自分で消え入りそうな言葉を口にして疑問符を浮かべるクロケルは首を捻った。しかし、また忘れたように話を戻し言い直す。


「きっと全てが終わっても誰も気づかないかもしれない。でも失敗してからでは遅いんだ」


 一貫しているとは言い難い不気味な主張をアルスはどこか自分と似た雰囲気を感じた。到底看過することはできないが、何かがアルスに既視感を抱かせる。




 § § §――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 少年はラティファの顔を拭っていた。顔立ちは良く、目さえ見えていれば兄妹協力して生きていくことだってできたかもしれない。

 いや、それは理想論だと少年は随分前に諦めた可能性を唾棄する。

 違う、違うのだ、そんな夢ではなく、そう…………目さえ見えればラティファはきっと養子として誰かが拾ってくれる可能性が高い。そんな子供たちがいるのをしっかりと少年は見ていたのだから、間違いない。


 離れ離れになったとしても妹は生きていける、そこに自分がいることを望むのは我儘でしかないのだろう。少年は込み上げてくる搾りかすのような涙を拭って、また妹の手を引く。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




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