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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第6章 「導きの果て」
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諦めの悪い意地

 ハザンの発した魔法名は、同時に大気を震わせた。圧倒的質量が危機感だけを全身に伝えてくる…………イリイスは弾かれたように頭上を仰ぎ見た。


 大地が反転した。そうイリイスに思わせる。

 あれほど晴れていた空を巨大な影が覆い、雲を散らすようにそれは一帯の大気を割って先端を現した。


 岩を削り出したような岩峰。岩肌を露出させ、塔のような山が逆さに降ってきたのだ。

 臓腑に響くようなずしりとした音。音を握り潰したような籠もった重低音はそれこそ周囲の雑音を全て飲み込む。


 鼓膜を震わせるのは色を伴わない振動だけだ。


 考えるよりも早くイリイスの口元が何かを紡ぐ。

 あれに対抗できる魔法は限られているが……しかし、落下に間に合うものではない。魔法の起動式だけを終えてイリイスは【黒楼芒波の四尾(タルタロス)】のみで迎撃に打って出た。


 魔眼がその力を存分に発揮できないと知りつつも、背後を見るまでもなく回避の選択肢はない。そうしてしまえばイリイスがここに来た意味を無くす。おそらくハザンはそれを知っているからこそ二人を巻き込む魔法を放ったのだろう。



 だからこそ、彼女はこの切り立った山を前に真っ向から迎え撃たなければならない。いつかのアルスのように、その心は迷いすら見せなかった。


 込められた魔力の波が尾に伝わり、肥大化させる。



 視界の端に映るハザンは魔力の限界を迎えたのだろう。見たこともないほど憔悴しきった顔で膝を屈し、見守ることにしたようだ。

 これに全てを賭けたはず……それに見合うだけの魔法だ。誰が思い付くというのか。おそらくは元を辿れば土系統に相当する初位級魔法である。

 それを山のように膨大な魔力と構成を与え、その座標を遥か上空に出現させるなど、馬鹿のような発想もあったものだ。無論、それを叶えることができるのは彼の魔力量と得た経験故なのだろう。


 この魔法には複雑な構成は何一つない。至ってシンプルなものだ。故にハザンの魔力量をそのまま転換しているといえた。


 

 イリイスは己の傷口を感覚で確認する。先程よりも随分と和らいだような気さえする。痛みは遠く、鈍く麻痺したようだった。


「こんな程度しか、構成できない、か」


 そっと己の尾に触れる。それは乗れるほど巨大化した内の一つ。しかし、内包された水は魔力を反映したように清らかとは言えない濁りがある。


 それでも。


「それでも、やらねばならないだろうが!!」


 全神経を尾に集中させて、一気に天へと駆けて伸びていく。突いては叩く。その度にボロボロと山が削られていく。


「クッ……」


 歯が砕けるほど奥歯を噛み。岩峰の頂きが崩落し、クレーターのように削られていく。だが、数百と繰り出してもいっこうに勢いは衰えない。次第に距離は縮まり、広大な平野をすっぽり覆うほどの影が一帯を埋め尽くした。


 それでもイリイスは最後まで諦めなかった。一時も視線を外さず、ただ砕けた先へ、先へと尾を突き出す。

 一点を貫くように四尾が螺旋状に捻れ、一本へと形を変えた。


「抜けろおおおおぉぉ!!!」


 強固な岩盤を砕き、突き進む尾はその気勢を反映したように速度を増して奥へと突き進む。

 尾が頭上に伸び、山が空中で停止した。その遥か先で、ピシッと底に罅が走り――。


 強大な山は重量さえ感じないものへとなる。まるで重さを感じない。

 底が崩れ、尾の先端が僅かに抜けた直後、徐々にキラキラとした魔力残滓が陽を浴びて空中に溶けていく。山が崩壊していく。


 ゆっくりと――緩慢に魔力の固まりが結合を断裂され、役目を終えたように残り滓となって山を消失させていった。


「ハアハアハア、ハア……クッ……」


 鉄の味のする唾液を呑みこみ、呼吸を整える。

 守れた、自分にも何かを守れた。そう思って掠れゆく視界で振り返ったが、その視線はロキではなく最後まで首が回されることはなく、その途中で飛び込んできた光景に固まる。


「これは魔法戦じゃない。殺し合いなんだよーー!!」


 咆哮のような威圧、ハザンの腕に握られたAWRから長大な刀身が構築されていた。


 いや、もっと早く気づくべきだった。ハザンは回避された場合を想定していない。自分の放った魔法の余波は当然彼をも死に至らしめるのだから。それでもこの距離を取ったのは動けなくなることを覚悟の上で必要最低限の魔力を残していたのだ。

 そう、刀身を構築する分のみを。



 即座にイリイスは尾を引き戻そうとするが、深くまで貫いた尾は戻すのに数秒はかかる。魔法を解除し、途中まで辿っていた魔法プロセスを呼び起こし、引き継ぎ、口を動かすが。


「レッ――!!」


 イリイスの目が大気を裂く透明の刃を捉える。それは自分の首に向かってすぐ傍まできていた。意識だけが首の飛ぶ光景を予期し、迫り来る刃を見つめることしかできず、見つめることしか許さない1/100秒。瞬きすら許されなかった。



 横から半円を描いて最短距離を薙ぐ刃は、防ぐことすらイリイスにさせてはくれない――その手立ても時間が足りず。




 勝利を確信したハザンは腕の角度が後、数度曲がるだけで細い首を飛ばせる。それは手首をひねるだけでも十分足りるものだ。

 自然に勝利の微笑が口元を湛えようかという刹那。


「――ッ!! なっ!?」


 身体内部で何かが瞬いた。いや、駆け巡ったといったほうが正しい。

 右腕の中で何かが目を覚ましたのだ。


 瞬刻の間にハザンは手首を捻ろうとするが――イリイスの先で伏せった少女を見。


「ガキィィィ!!! ガアアアアァァァ……」


 内部から電撃が腕を焼きながら裂く。

 堪らずハザンは手の中からAWRを取りこぼした。身体を駆け巡る電撃が身体の自由さえ奪う。


 そう、体内に潜んでいたのだ。【伏雷フシイカズチ】は隠れる雷竜であり、それは魔力を経路にしている。であるのならば、魔力を多く宿したハザンの体内に一撃目で入り込み、伏していたのだ。


 腕から伝わり、一瞬の内に全身を電撃が駆け抜けた。一撃目とは違い、何の対処もしていないハザンはもろに肉を焼かれた。

 褐色の肌は罅割れたようにプスプスと全身から立ち昇る異臭を放っている。


 至るところに浮き上がるのは筋肉や血管のような筋ではなく、それは蚯蚓みみず腫れのように爛れた皮膚の小丘、その痛ましい傷が全身を巡っていた。




 九死に一生を得たとはまさにこのことだ。何時以来であろうか。イリイスは過去大災厄のおりにも似た経験を得ている。だからこそ、今回はその一瞬を見誤らなかった。


 途中で中断してしまった構成を改めて引き継ぎ。


「レヴィアタン!!」


 魔眼の回復状況を鑑みず、イリイスは後先考えずに叫んだ。


 しかし、そんなことを意に介さず、ハザンは煙を上げて血走った目がギョロリと二人を視界に収める。


「…………あ?」


 喉の奥から煙と一緒に掠れた疑問が口を吐く。ハザンは誘導されるように疑問に従って顔を真横に向けた。


 それは今、まさに最悪の召喚獣である【レヴィアタン】が強大なアギトを広げ口腔内で彼の視界を覆い尽くしてる瞬間であった。

 一分の隙間もなく埋め尽くされた鋭利な歯。一つ一つがハザンの巨体と同様に大きい。その奥に広がるのはねっとりと深い闇色。


 どれほど大きいのかすらハザンには想像できない。刹那の映像は彼の見る世界を敗北一色という色に染めていたのだから。



 今のイリイスには召喚するためのゲートを構築するだけでも精一杯。荒れ狂うレヴィアタンはゲートを瞬時に破り、突き出てきた。

 鎌のような腕が空気を掻き、身体を蠕動運動させ獲物に向かって泳ぎ、口を開けた。


 ハザンが顔を向けたのと地面を抉るように飲み込まれるのに誤差はない。一瞬で姿が消え、飲み込まれる瞬間、彼の口元が弱々しく持ち上がったのをイリイスは見ていただけだ。

 後は通過する【レヴィアタン】の暴力的なまでの蠕動の余波。


 掬い上げるように飲み込んだ巨体は地面を抉り取り、そのまま暴風だけを撒き散らし、平野の端に林立する木々をドミノ倒しに薙ぎ倒した。そのまま天へと昇り詰めようかという時。


 イリイスは全神経を魔眼に集中させて、進行上に水面に似た巨大なゲートを構築する。一角から差し込まれ、すぐに全身を収めるためにゲートの円が歪み、強引に広げられていく。


「グググッ…………さっさと還れ!!」


 魔眼の発光と魔法式が無数に眼球の上に浮き、目まぐるしくその式を変えていった。

 稼働限界を越えたように瞳からは血の涙が垂れる。


 ゲートの構成は破壊されずに、強引に広げられる輪の構成を維持し続けなければならない――構成を破壊されれば【レヴィアタン】は野に放たれるのだ。召喚魔法とはいえ、その大部分は魔眼による生命創造。

 これほどの悪魔を召喚することなどできず、ある意味でそれは【セーラムの隻眼】の悪魔とでも言えるのかもしれない。



 どこに繋がっているのか、深淵のような海底なのだろう。尾の先までがゲートに飲み込まれ、無事に輪が消失していく。


「ハアハアハアハア…………終わったあああぁぁ」


 一仕事を終えたようにイリイスは仰向けに清々しく倒れた。その際に傷口が僅かに傷んでも、すでに彼女には何をする力も残されてはない。


 だというのにまだ眠りに付くのは先のことなのだろう。彼女は視線だけを上にずらす。仰向けの状態では全ての雲が去っていった後の青空しか映さないのだが。


 そして呆れたように嘆息しながら。


「驚いた、とんだ小娘だ。まさか意識を失ってなかったなんてな」


 震える腕で上体を起こしたロキは、腹部の苦痛に顔を歪める。彼女が意識を失っていなかったのはただの意地でしかなかったのだ。自分の役割というよりも譲りたくなかった。敗北は彼女にとって死を意味し、アルスに負担をかけるものだ。


 だからこそ、不覚にも深手を負わされ、逃げるという手段が使えなくなったことで寧ろ、覚悟ができた。

 しかし、それも死を代償にしても勝てるものではなかったことがわかってしまった今、それが愚かな決断だったというほかない。結局は彼女――イリイスに助けられたのだから。



「【伏雷】とはまた古い魔法を……しかし、助かった」

「あなたがここに来たということをアルは……」

「さぁな、そう思いたくはないが、私はここにいる。未来でも予知していたのか、まったく奴のせいで釈然とせん。それにしても娘、その身体で行くのか?」

「わかったような顔で答えを聞きますか?」

「プハハハッ、問うまでもない、か。だが、せっかく助けてやった命を無駄にされては敵わん。お前も気付いているだろうが。いや、よく動けるものだ。私がしたのは気休め程度で、肝心な部分は治っていない」

「えぇ、残念ながらアルの元まで行けるかもわかりません」

「なら……」


 純粋な疑問は合理的な思考でないが故にイリイスの口を軽く開かせた。

 だが、それこそ聞くべきことではなかったのかもしれない。耳に届く少女の声音は清々しいまでに純粋な気持ちを乗せていたのだから。


「彼の傍に私がいたいのです。足手まといなのは知っています。それでも何かの役に立てるのであればこの身がどうなろうといいんです。でも肝心な時に傍にすらいれないことだけは……まだ動けるのであれば」


 朗らかに微笑むロキの表情をイリイスは見ることができなかったが、それでも漂う雰囲気が意外な感情を呼び起こした。


 ――狂おしいほどに羨ましい感情だ。その感情には確か名前があったな。


 誰かのために一途な気持ちが痛みすら軽く凌駕し、四肢を動かしているのだから不思議なもので、神秘的なものだ。



「愛の力です!!」

「ククッ、それを自分で言うか、イッツ~!! そうかい、それはよかった」


 小気味よい言葉に突発的な笑いが傷口を刺激した。

 そうロキが心の内を吐露してしまうのは、それこそアルス以外では初めてのことだった。


「私はまだあなたを信用していません。ですが……治していただきありがとうございます」

「勘違いするな、したいようにしただけだ。それに……いや、知ったようなことをいうが、お前さんの想い人はきっと自己犠牲など望んでいないぞ。おそらく幻滅させるだけだ……あっ、わ、忘れてくれ! 老婆心だ」



 こんなことを口走ってしまう自分にイリイスは疲労をさしおいて心が軽くなった気がしていた。いい歳の取り方をするとこんなことも言いたくなってしまうのだろうか、自分がそれに該当するとは思えないが。

 だからこそ、顰める眉頭は最終的に溜息とともに諦念が解していく。


 だというのに。


「はい!! 私もそう思います」

「……?」


 噛み合わない解答。

 それが彼女の決意と想いの差なのであろう、とイリイスは思う。今の世の中に純粋な想いを抱くことはつまり混迷を期した世の中に反する行為なのかもしれない。

 そうした板挟みもまた彼女がまだ幼く、若く、優れている証なのだろう。苦難も困難も理不尽も、全てが上手く運ぶものではない。回避できないこともまた多く、一人では対処できないこともある。


 そうした道を歩く、力強い足腰をイリイスは彼女に見た。これもまたイリイスには不足していたものと自覚しながら。


 そうした中で彼女が選び取る道は老婆心などで邪魔をしてはいけないのかもしれない。それだけに少し遠い過去を想起するように背中を押したくなってしまう。

 眩しすぎる光にはしっかりと新世代の予兆を感じさせる希望があるのだ。それは暗闇を照らし、暴き出す光にあらず、先の闇を照らし、歩いて行くための灯りなのであろう。


「どこへでも行きな」


 追い払うように吐き捨てるイリイスにロキは逡巡し。


「現状では助けは来ません」


 お腹に手を沿えて必死に痛みに堪える姿はイリイスを気遣ったのだろうか。それとも助けられたことへの不安を解消させるものだったのか。

 どちらにしてもロキは先を急がなければならない。それは自分が此処に残っても何もできないことを意味している。助けを呼ぶことも自分の状態を考えれば絶望的だろう。


 そんな焦燥感と死の淵から一命を取り留めたロキの顔色を察して、イリイスは弱々しく腕を持ち上げ、しっしと手首を振る。


「いっただろう。したいようにしただけだ。余計なことはしなくていい」

「わかりました」


 ロキは振り返りざまに軽く目を伏せて、足を引きずるように歩き始める。一歩踏み出す度に内臓に違和感がある。

 正常に機能していないことだけがわかり、チクチクした痛みが次第に強くなっていた。それでもできるだけ考えないように一方向を向いて歩く、その足取りは到底辿り着けるほどしっかりとしたものではなかった。それでも彼女はひたすら足を動かし続けるのだろう。





 もはや気配すら感じ取れない。

 銀髪の少女はどこまで行けただろうか。そんな思考しか浮かばないイリイスは青だけを視界に映して天を見る。

 おそらく即効性の薬液を体内に入れられたのだろう。徐々に魔眼が回復していることだけがわかっていた。だが、後幾ばくかの命は何も感じないほど磨り減っている。



 しかし……。


 ――悪くない。


「悪くない、な」


 首に力が入らない。一度顔を傾けてしまえば、景色をこの広大な蒼穹に戻すことは叶わないのかもしれない。

 何がそうさせているのか、目が霞む。

 まだまだ無為な景色を眺め続けることはできるし、そうしたいと思える心に反して視界は暗転していく。


 やっと気づくことができたのに。

 これから罪を贖おうと決めたのに。

 後戻りできないことの悔しさが唇を乾かしていく。


 それでも気づくことができてよかったのだろう。きっとこれからも俗世に関われないだろう。闇に染まった彼女には闇の中でしか生きる術を持たない。

 でなければ彼女の闇は光に掻き消されてしまう。


 騒乱の罪を死して償うこともまた一つの選択なのかもしれない。それすら今のイリイスに選択の余地はなく、またしても天命に任せるしかないのだ。


 だが……だが、もしも……もしも、生き永らえることができたとしたならば。


 ――私に何ができるのだろうな。


 迷える思考は迷えるだけの回路を持たず。

 すでに彷徨うだけの電気信号を脳は発しなくなっているかのようだった。


 それでも想像するだけで随分と忙しくなることだけがわかる。

 だから。


 だから、今はもう……。



「す……こし、つか……れ、た」


 スゥッと地面を撫でる風とともにその息を溶け込ませる。

 ただ髪だけが……薄い金を持つ稲穂のような髪、毛先に向かって赤く染まるその髪は子守唄のような音調に合わせてふわりと地面の上で踊った。


 微かに開いた琥珀の瞳ともう片方の魔眼は、空の色を投射したように鮮やかな天色。

 ごく自然と……生あるものが眠りにつく時と同じように、自然と、ゆっくりと閉ざされていった。






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― 新着の感想 ―
[一言]  初めて読んだときハザンが思ったより強くて驚いた。
[一言] え?ちんじゃヤダ!((( o≧ロ≦)
[気になる点] この場合は、主人公一向に加えるのがベストだよ。いりいす
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