不慮の解明
ベリックはこの場に一切の資料、情報源となる物を持ち込んでいなかった。これは彼なりの些細な抵抗の表れだったのだろう。無論、ここまでの話しの流れからしても全てに完璧な回答ができる自信もあるし、包み隠すこともできない。
何よりもベリック自身、アルスに関する詳細な情報を記録しないようにしていた。
全員の視線を一身に浴びながら初老は滔々と語り出す。アルスにおける全ての情報の公開。
無論、ベリックのみが知り得ることも全てだ。当然、レティですら初耳だろう。もしかすると【悪食】討伐のおり、多少なりとも勘ぐりはあるのかもしれないが。
だが、これで折れてやるほど総督の名は安くない。元首らの思惑に乗っかりつつも彼は彼でこの後の結論を先読みし、何ができるかと考察していた。
問題はそれだ。何をするかまで決まっていない、という状況より、今後何かする時に何もできないのでは話にならないいうこと。あくまでも犯罪者を出した国として下手に出なくてはならない。
立ち上がり語るベリックのすぐ隣ではシセルニアが何かしらの収穫を得たように気持ちの和らぎを口元に見た。もちろん、シセルニアの収穫は彼女だからこそ得られることだと補足しておく。
幾つかのキーワードに分けて語るベリックの内容は主に異能【暴食なる捕食者/グラ・イーター】、それによってアルスが無系統に分類されること、功績の数々。
これはシセルニアの筋書きを汲んだためのだったが、実際アルスの功績は過大評価などではないので事実をそのまま述べただけなのだが。
全てを語り尽くすには時間が足らない。要点だけを纏めた報告はそれでも驚愕に足るものだ。
「俄には信じられんな。異能というよりも」
「まるで生きていると聞き取れますね」
ここに来て元首らは専門外だ。ベリックの開示する情報に真っ先に反応したヴェジェットに続き、ジャンがある種得心顔で再度ベリックへと投げる。
「正しくは自我を持っているという認識で良いでしょう。そのためアルス自身過去に暴走の経験がある。アルスの研究はこれの解明でもあり、その進捗状況として未だ目処が立っていないようでした」
そしてこの暴走や自我という単語だけを切り取ったようにハイドランジ元首、ラフセナルが身体ごと身を乗り出した。
「よもやアルファは魔物を飼っていたのではないだろうな。そうであるならばこれはシングル個人の謀反では済まされんぞ。わかっているのかッ!!」
しかし、これに対してベリックは拳を一瞬だけ作り、すぐに手を広げて机の上を叩く。乾いた音程度ではシングル魔法師は反応を示さない。
「失礼。ならばアルスに関する全ての身体的情報、検査結果を提出しましょう。血中に含まれる遺伝子から全てが魔物との関連を否定しております。魔法に関する情報体は欠損しておりますが、これについては異能故であり、無系統に繋がる要因です」
「もうよかろう。ベリック総督がそこまで言っておるのだ。すでにアルファにその意思はない。ならば最初からこの場に姿など現さんだろう」
ハオルグの切り返しに渋々といった具合でラフセナルは納得する。この程度は理由にすらならないが、すでにシセルニアらが到着する段階で決着しているようにも思えた。
だが、この中で唯一健かな元首が見逃すはずもない。穏やかな表情を貼り付けたクローフが何食わぬ顔で告げた。
「でしたら【悪食】の一件は少々腑に落ちませんね」
内心で舌打ちをするベリック。
当然、これは予想していたことだ。だが、上手く回避するための言葉を見つけることができなかった問題。
「そこまでの功績があり、異能という稀有な能力を持っている。話を聞くだけでも容易にその戦闘力が桁外れなのは想像できますが、あの時の報告書では部隊での討伐ということになっていたはず……いえいえ、あの報告書は完璧なまでにパーフェクトでした。ケチなど付けるつもりは毛頭ないんです。結果として討伐できたのですから……私は魔法師について、当然この場の誰よりも無知でいると恥ずかしながら思っています。だから大した問題ではないのですよ。要は彼は今、どの程度の魔力量を有しているのかということだけなんです」
ベリックは穏やかに見返す、冷ややかな視線を注がせるクローフへと。
【悪食】討伐の報告書は少なくとも改竄しており、アルスの秘密を明かした今、細部まで事細かに調べられれば不可解な点に気付くものがでるだろう。
その点で言えば元首とは魔法師に関することには比較的疎い、ハオルグは現役時代の性格から仮定より結果を重んじるタイプなのだが、目の前のクレビディート元首、クローフは狡猾なまでに敏い、そんな甘い考えが招いた結果だった。
幸い彼は報告書の偽造よりもその結果によってアルスの内包魔力に着目したようだ。そのために報告書の偽造という嫌疑を仄めかしたのだろう。
だが、当然そんなことを言えば見過ごすことのできない人物がここにいる。
無論、シセルニアは既知としているが、できればベリックの独断とすべきだろう。
「なるほどな、それでネクソリスはおかしなことを言っておったのか」
何かを思い出すように治癒魔法師として名を馳せた聖女の名前が浮上したことにベリックは推測しなければならない事態に陥った。アルスを治癒したのは聖女ネクソリスである。
彼女は軍をとうに退いているが、ベリックは何点か情報を与えてしまっている。どこまでハオルグが知っているのかという……いや、今の口ぶりからすれば多くは知らないはず。
ハオルグは「まさに【悪食】めいた異能。無粋な奴も出てくるだろう」と言外にラフセナルを揶揄する。
しかし――。
「シングルとは威光を放つ英雄だ。どの国も潔白では済まんだろ。叩けば出てくる埃だ。だが、今回ばかりは威光も陰った。陰るだけで済めば良いのだがな」
ハオルグはここが誠意を見せるか叛意と取られるかの境目だと告げる。
ベリックはこの場だけならばいかようにも凌ぐ話術を捻り出すことに注力していたが。
「ベリック」
その可憐な声に思考が途切れる。目の前のシセルニアは偽造を認めた上で全てを明かすべきだと判断したのだ。
ならばベリックは語らなねばならない。
「【悪食】、【背反の忌み子】は推定SSレートと判断される。少なくともSレート級を遥かに凌ぐだろう」
「なっ――!!」
「…………」
ガルギニスは喉を鳴らし、聞こえないように気息を打ったファノンは内心で「どうりで」と漏らしていた。彼女がいくらSレートを討伐しようと彼は単体で撃滅させるだけの実力があったということだ。その功績はSレートを討伐するよりも遥かに大きな意味を持つ。短期間での区域の奪還。
誇張でもなんでもないということだったのだ。
ベリックの視線を受けて当事者であるレティが引き継ぐ。瞳に含められている「漏らし過ぎるな」という警告もしっかりと見る。
「実際の討伐はアル君一人っすね。決定打は【黒雷】で間違いないっす。少なくともアル君以外での討伐は困難だったはずっす。もっと言えばあの自爆を被害も出さずに対処できたのはアル君の異能だと見てるっす」
「それは不手際が招いた結果では? クルトゥンカ嬢」
やっと重い腰を上げたようにフウロンの言及。彼はここでの仕切りを買って出たためか正確に脅威度を図ろうとする。
が、レティは多分に私情が含まれているとはいえ、肩を竦めて答えた。
「それは無理っすよ。報告書に目を通していればわかると思うんすけどね。要は内包魔力量の問題っすよ」
「短期間での膨大な魔力を置換できずに混ざり合った魔力は行き場をなくす」
「そういうことっすね」
ジャンの補足を苦々しく肯定するレティ。
「留めておける肉体があるうちはまだいいが、倒すというのは必然魔力爆発を引き起こす要因になるのか。ならば誰にも防ぐ手段は持っていないでしょうね。推測の域をでないが、距離的に見てもバルメスはただじゃ済まなかった」
「…………っすね」
訝しみながら睨みつけるレティとは裏腹に涼しくジャンが爆弾を投下した。いや、結果を先んじて提示したといったほうが正しい。
「ならばアルスの保有魔力とはどれほどのものか……少なくとも魔力爆発を吸収したと考えるのが妥当だろう」
意図せず敵に塩を送る形となったレティは威嚇の如き眼光をジャンに向ける。居心地悪そうに居住まいを正すジャンは一瞬間を置いた。
だが、レティの視線をベリックの手が遮った。これ以上は任せろという合図に一歩退く。
総括してベリックが勝負に出た。
「すでに正確な数値は測れない域に達している。だが、ここにいる誰よりも魔力保有量は多いだろう。いや、ここの全員を合わせたとて……」
最後まで紡がないベリックは事実を事実として述べ、そこには一分の独断と偏見を取り除く。
熟考する元首らを視界に収めてシセルニアは内心でほくそ笑んだ。あえて【悪食】での戦闘を正したのは正解だった。アルスという絶大な魔法師に為す術を探す光景は元首らが描いた道筋を途中で意図的に逸らせたからだ。
そんなシセルニアが作り出した術中に嵌った元首らでは妙案など出てこないだろう。何せ自分を含めて魔法師というもののあり方について議論を交わしても根源的な部分で知識を有していないのだから。
魔物に関する知識などもってのほかだ。それになりに詰め込んできたようだが、決定権のある元首が付け焼刃の知識を武器に肝心の部分で一歩踏み込んだ問題提起をできずにいた。
だからなのか、この場で最も造詣が深いシングル魔法師が主体となって一問一答形式で進行し始める。
「無系統とは言いましたが、具体的には全系統への優劣が存在しないということでいいのですか?」
ジャンにとっては異能という解明がなされ、腑に落ちると同時にもう一つの疑問が湧いてくる。アルスは全系統を問題なく使いこなしていたが、それは無系統という系統の確立を示唆しない。
どのみち、ジャンがアルスに対して思うことと、結局のところこれで秘密という壁に身を隠していた友人が本当の意味で理解できるようになった、ということだった。
所詮、ジャンにとっては些細なことでしかない。無論、ルサールカとかシングル魔法師という立場から来る詮索はあるが、個人としては垣根が無くなったような気分だったのだ。
だから、この疑問も直感的に湧き上がったものでしかない。
「これについてはアルスしか研究を進めている者がおらず、学院の研究室にある資料の一切を押収しても全て破棄されたか、持ちだされた後のことだった。だが、無いと断言するにはアルスの研究成果は著しく、現に無系統と目される魔法を考案している。アルス自身はその魔法を空間干渉魔法、これは転移門などでも馴染み深くなった名称だが、アルスは空間への干渉度合いによって分類し、その上に空間掌握魔法という分類もしている」
「空間掌握魔法っすか。たぶん私、それ見てるっすね」
そう【背反の忌み子】討伐前にアルスが行った空間そのものが座標位置を変更させるもの。透明な壁が瞬間的に圧縮をかける。
おそらく手や腕の動きとリンクさせていると推測していた。あの時はまったく見当もつかなかったが、今となっては、その魔法の脅威を嫌というほど挙げられる。
それをここで言ってしまうのは本当は躊躇われる。だが、先ほどのシセルニアの反応を見るからにレティはアルスに対して脅威と捉えられるならば話すべきだろうとレティは判断した。




