6
「もしかして……美幸は、俺のこと、好き?」
そう尋ねられて、私は、固まった。
ソファの上で抱きしめられて、真雪は私の首元に顔をうずめていて表情が読めない。
「コーヒー豆も、揃えられた箸や茶碗も、俺のために用意してくれたの?」
「……」
「答えてよ」
「な、なんで……こ、答えたくない」
私は固まったまま言い返した。
真雪は少し黙り、そしてまた口を開いた。
「じゃ、質問を変える。」
「な、なに…」
身構えた私を、真雪の腕がぎゅっと抱きしめなおした。まるで逃がさないとでもいうような力強さに私は緊張する。
そんな私に気付いたのか気付いていないのか、真雪はまるで私を捕えるようにたずねたきた。
「冗談でキスしないなら……さっきの、俺とのキスは…本気?」
「真雪……違う、違うよっ!」
私は首を振り、ぎゅっと目をつぶった。
さっき真雪の胸板を叩きながら叫んだことは、まるで私が真雪を好きだって暴露したようなものだったっていうことに、今さら気付く。
どうしよう……。
「何が違うの」
真雪は私の首元から顔をあげた。
黒い瞳が真剣に見つめてきた。ピンで差し止められるみたいに、目線すら動かせなくなる。身体は真雪の腕に、視線は真雪の瞳に捕られて、完全につかまってしまった。
「美幸……」
名を呼ばれ、私は首をふる。
「美幸が答えてくれないなら、俺はもう美幸に訊ねないけど、いいの?」
「!」
『訊ねない』という言葉が、まるで私を拒むみたいに聞こえて、胸が突き刺すようで。
でも、ここで私は真雪への気持ちを肯定するのが……怖くなった。
肯定したら、もう止められなくなる気がする。
もし真雪がふつうの義姉弟の関係をのぞんでも、私は穏やかにいられない。これから先、真雪がいつか誰かと結婚するとか……幸せな家庭を築くとか、そんな姿を祝ってあげられない。
今なら、まだ。
唇は交わしてしまったけど、真雪と私の中の秘密として……私の中では大事な思い出として、取っておける。離れて暮らして、そして、実家の節目の時には顔を出して、短い時間くらいなら真雪と穏やかな姉弟を演じられる気がする。
気持ちをつたえてしまったら……きっと、真雪からの答えを欲しがってしまうから、私は。
つっぱねられたら、こちらを向いてくれるように頑張ってしまうに違いないから……スタートを切りたくない。
複雑な気持ちで、真雪の瞳を見返すと、彼の瞳がすっと細まった。
「答えるつもり、ないんだ?わかった…じゃあ」
私はぎゅっと目をつぶって真雪の最終通告を聞いた。
これで真雪の中で、私という存在は「弟を唇でからかうような馬鹿な姉」として、いろんな誤解をあいまいな形にしたまま抱えていくんだろう。
それは、真雪に対して申し訳ない気がした。どうしようもないけれど。
そう思ったときに、ふいに私の顎がつかまれた。
「んっ」
突然、噛まれるように奪われる唇。
思いもかけない真雪の行動に硬直していると、唇を離した瞬間に、
「もう、美幸が俺のことを大人の男として見てなくっても、かまわない」
「なっ」
「からかって耳なめて煽れば、我慢もきかずに反応してくるような馬鹿な弟と思ってもらっても……もう、いい」
「ま、ゆき」
「それでも、美幸を手に入れたい。一時のあやまちと思われたって……もういい」
艶っぽさすら感じる掠れ声の言葉の次に降り注いできたキスは……甘さよりも激しさが勝っていた。
翻弄するように、こじあけるように舌が私の中に侵入してきた。すべてを奪い尽くすように吸いあげてきたと思ったら、注ぎこむように息と唾液を絡ませてくる。
「ん、ぃやっ」
私が身をよじっても、抱きかかえなおされ固定される。
真雪の手が私の背中をさするように上下し、もう片方の手が腰から身体のラインをたしかめるようになぞりはじめた。
私の中にも熱が生まれ、真雪が一方的に始めたような口づけからだんだんと私の舌も応えてゆくように交わってゆく。
突然のキスに戸惑うのに、受け入れる自分。
脳内でリフレインされるのは……
『美幸を手に入れたい』
と、いう真雪の言葉。
――……手に入れたい?
――……美幸が俺のことを大人の男として見てなくっても、かまわない?
口腔内で交わる唾液の音と、私と真雪の密着していく身体から生まれる熱で頭の中がぼうっとしてくる。
でも、ちゃんと捉えないといけない言葉が……真雪と私の間に横たわっているようで。
――……真雪の言葉は、私への気持ちが隠されてるんじゃないの?
――……はっきりさせないで、このまま流されていいの?
――……駄目だ、私が今、流されてしまったら、きっと真雪まで苦しむことになるっ!
私は、この溶け込んで流されていきたい熱の奔流を、拒むように、腕に力をいれて、ドンと真雪の状態を押し返した。
私の力ではびくともしない真雪も、私が真雪を拒もうとしていることは勘づき、一瞬舌の動きを止める。そのすきに、私は唇をはなした。
「ま、待って!」
「いやだ」
「ちがう……の」
「違わない」
「もう、真雪!聞きなさいったらっ!」
私が息も絶え絶えに叫ぶと、真雪は黙った。
私は自分と真雪の唾液で濡れ合った唇を指先でかるくこすって、息をつく。
そして、一度呼吸を調えた。
私と真雪の間にあった熱はまだ覚めずに、熱気としてまとわりついている。これに流されて、抱き合って眠れたら……なんて思う。
――…後先考えずに。
でも、それでは駄目だと思う自分がいる。
熱情、欲情だけで流してしまっていいの?
真雪の気持ちも私の気持ちも……まだ、何も互いにわかりあえてないような、今のままでいいの?
はっきりさせないといけないものがあるんじゃないの……。
私は呼吸をととのえた後、口を開いた。
「真雪……。ちゃんと、言う」
「何を」
真雪の目が剣呑に光った。
私の言葉に身構えているんだろう。
そんな険しい目をした表情すら、真正面から受け取られることを嬉しく思う。顔をあわせないように逃げ回ったり、ツンツンしてきたんだもの。
でも、逃げていても、あいまいにしても……その場しのぎなだけなんだ。
それは後回しになって、結局こうやって真雪と私の間が混乱していくだけ。
私はぎゅっと手を握って、あらんかぎりの勇気を振り絞って。
――…今まで押し殺してきた、気持ちの扉の鍵を開いた。
「私は、真雪を好き」
「!」
真雪の瞳が見開いた。
私は心をこめて微笑む。
一生に一度になるかもしれない。
だからこそ、ちゃんと、告げたい。
流されるような、欲だけでわけがわからないままに押し流して消えてしまうような関係にして、互いに後悔に落ち込んでしまうのはイヤだ。
本当に本当に、抱き合うなら……正々堂々と。
「私、斎藤美幸は、斎藤真雪を男として……一人の男性として、愛しています」
上手に笑えたかどうかわからない。
でも、出来うる限りの私の中に存在する綺麗な気持ちを込めて、真雪に告げた。
わたしと真雪の関係は祝福されるものでなかったとしても、真雪の存在が……祝福されたものでありますように。
そう願いをこめて。
そんな私の言葉をどう受け止めたのか、真雪は目を見開いたまま固まってしまった。
真雪の反応に苦笑しながら……私は目の前で硬直している愛しい人を見つめた。
「真雪の気持ち、ちゃんと聞かせてほしい。欲しいのは……身体だけ?」
黒い瞳が揺れた。
「どんな形でも、怒らないから。受け入れるから……聞かせて欲しいの」
真雪の揺れる目を見つめた。
さっきの濃厚な口づけの残り香をまとわせているのに、私の言葉に驚いている表情の真雪。
先ほどまで絡ませていたせいで、紅く色気を帯びている形のよい唇がゆっくり動いたのが見えて、私は覚悟するように息をのみこむ。
「……俺が欲しいのは…」
真雪の私にまわされた手が、ぎゅっと握りしめられるのを、背中で感じた。
「俺が欲しいのは、美幸の心も身体も、全部、だ」
見つめていると、真雪はせつなげに眉を寄せた。
私はそれにこたえるように、彼の胸のシャツを軽くつかむ。
真雪の言葉が私の中に、少しずつ沁み込んでくる。
「わかってるんだ……たくさんの障害があるって。俺の中にある気持ちは父さん、母さんを悲しませる気持ちなんだって、ずっと考えてきた。でも」
「……うん」
「でも、駄目なんだ。他じゃ、駄目なんだ」
「……」
「こんな、こんなキスまで交わしてしまって。もう思い出にできない。今も未来も全部、美幸のそばは俺のものじゃないと、いやだ」
真雪の言葉と、私の気持ちが重なった。
――……俺の中にある気持ちは、父さん、母さんを悲しませる気持ち
――……他じゃ、駄目。
――……今も未来も全部……
それは、私も感じてることだよ、真雪。
「美幸が……好きなんだ」
真雪がまるで、今まで背負ってきた大罪を告白するかのように、そう言った。
大好きな真雪。
素直な真雪。
私は、真雪の肩に両腕をのばした。
私ははじめて自分から、真雪を抱きしめた。ソファがギシリと音がなる。
いつもは私を見下ろす真雪を、自分の胸に抱きしめると、真雪の髪が首元をくすぐる。思ったより柔らかい髪質だったんだと気付く。
真雪は私の腕のなかで寄りそうようにしながら、そっと背中に腕をまわす。
それはまるで、私に縋りつくような一途さで。私は胸がきゅうっと締めつけられるように切なくなった。
「真雪……」
私が呼びかけると、真雪はすりつけるよに私の胸元に顔を押し付けた。
だきあっていると、私の鼓動と真雪の鼓動の早さは違うはずのに、不思議とうまく重なり合っていくような気がした。
それは、重なりあいそうであっていなかった私と真雪の道筋がどんどん近付いてくることを想像させる。
――……ツンツンして逃げ回っていればよかったころと違うんだ。
私と真雪は、今、共に在るんだ。
そう自覚した途端、その重みに心が軋んだ。
しばらしくて、真雪が私の腕の中で、小さく話しだした。
「美幸は……友達とか職場の人の結婚式って行ったことある?」
「結婚式?うん、何度かあるけど」
「俺は、この前、初めて友達の結婚式に招かれたんだ。そのとき、新郎新婦のそれぞれの両親が並んで挨拶してたんだけど……。そのとき、痛烈に思った」
真雪が私の身体に回す腕にぎゅっと力を込めた。
「俺が美幸をいくら好きになっても、もし奪う様に結婚しようとしても、こうやって公の場に並んだ時……両家の親って、父さん、母さんの一組だけなんだなって」
「真雪」
「世間の目とか……友達とか、職場の人間とか、そういう人の前で、義姉と結婚しましたって」
「ま、ゆき」
「俺は、いいんだ、何言われても。でも……美幸は?父さん、母さんは?どんな目にさらされるんだって」
私は真雪の髪に顔をうずめた。
私も何度も考えてきたことを、真雪も考えていたっていうことの……嬉しさと苦しさ。
「だから、今日はケリをつけにきたんだ」
「ケリ?」
「嫌われてるだろうって、すくなくとも頼りない弟としか見られてないだろうって思ってたから……玉砕しようって」
真雪はぎゅっと私を抱きしめた。
密着する身体の熱がからみあうのに、どこか切なくて。
「俺、ずるいな。負けて逃げようとした」
「……私だって逃げてたよ」
真雪はしばらく黙っていた。
そして、小さく言った。
「でも、もう、俺は逃げない。……始めたいんだ」
「なにを?」
「二人の新しい関係」
真雪の言葉に、私は目を閉じた。
「もう、はじまってるよ」
静かにこたえると、腕の中で、真雪は「ん」と軽く返事してから、すこし間をおいた。
そして、小さな小さな声で真雪はたずねてきた。
「……美幸は、本当に俺のこと……」
けれど、言い終わる前に語尾が、消えた。
私はそんな真雪を愛しく思う。
だから、その先をすくいとるように言葉をつなげてあげた。
「――本当に、好きだよ。真雪のことを、男として、ね」
私が言い切ったとき、真雪が息をついたのを密着した体温から感じた。
しばらく黙っていた真雪が、また、
「後悔してる?」
と、聞いてきた。
さっきより、しっかりした声色だった。私は真雪に回す腕の力を少しゆるめた。
「ううん。真雪の気持ちが聞けて嬉しい。……でも、軽いものじゃないから……、怖さはある」
私が素直にそう答えると、真雪が頷いた。
「俺も。美幸と通じあえて、嬉しいのに。緊張してる」
「うん」
「さっきの続きで、美幸のこと、もっと抱いて感じたいけど……」
真雪が胸のふくらみにまるで顔をすりよせるような仕草をしたので、私は身をよじる。吐息が熱くて、恥ずかしい。
「今、したら……歯止めきかなくなりそ」
「なぁに、それ」
私が苦笑すると、真雪はかるく息をついた。
真雪のあたたかい息が服越しとはいえ私の胸元にかかってドキドキする。
私は真雪の次の出方を待った。
真雪は私の胸のふくらみに服越しで、軽くキスをしただけで、また持たれるように顔をよせる。
「ずっと……好きだったんだ」
くぐもった声が、胸で響いた。
「子どもの頃は、『綺麗な優しい姉さんで、どうだいいだろう!』って自慢したい気持ちだったけど、だんだん誰にも見せたくなくなって。独占したいけど…でも同時に自分との歳の差も立場も気になり始めた」
「うん」
「どんどん異性として意識して、普通の兄弟姉妹という感じじゃない危うい気持ちがしていて……。でも、父さんと母さんも新しい家族として絆をつくること、すごく大切にしてたから。あの二人が、世間からのいろいろな陰口とか批判もあったのを乗り越えようとしてるのに、俺は足引っ張るような気持ちを持ってどうしするんだって自己嫌悪もすごくあって」
「……。それに、そもそも姉の私がツンツンそっけなかったしね?」
冗談めかして言ってみると、真雪は微かに笑った。髪がゆれて、くすぐったい。
「そうそう、当の想う相手は実家に寄りつかなくなるし……あれは、まいった」
「だって、真雪がどんどん男らしくなっていくんだもの」
「……男として見てた?……欲情した?」
「な、なに言ってんの!男としてはみてたけどっ。欲情ってなによ。もう、男って短絡的なんだからっ!」
私があわてて言うと、真雪は胸元から顔をあげた。
いつもは見下ろしてくる視線が、今はぐっと見上げてくる。
一心にこちらを見つめてくるその黒い瞳に、私の胸が高鳴ってしまう。
「俺は、欲情したよ。姉としてみてなかったから」
その言葉に、息がつまる。
目をそらすと、ふふっと真雪は笑った。
その笑いはすごく自嘲的なものだった。
「でも……こうやっていざ抱きあえるようになると……、これ以上進むのが、正直いって、今、すごく怖いんだ」
「真雪」
「軟弱、へたれなんだけど。抱きたいけど、抱いてしまったら壊すものが大きい気がしてしまう。あんなに、求めてきたのに、変だな」
真雪が私の頬に手をのばし、ラインをなぞるように撫でた。
大きな男らしい手が私の頬をつつみこむ。
私は、真雪の頬をつつんくれている手に、自分の手を重ねた。
「……急がなくて、いいんじゃない?いろんなこと解決してから、最後まで抱きあおうよ」
私は、そう言った。
「解決すべきいろんなこと……ありすぎ、だな」
真雪は苦笑する。
「ありすぎだね」
「逆に、俺、欲求不満になったりして」
「じゃあ、今、する?」
私が言うと、真雪は一瞬綺麗な眉を寄せてから、苦笑して首を横に振った。そして肩をすくめて言う。
「……とっておくよ。乗り越えたときまでの、ご褒美に」
「長いね」
「あぁ、でも、美幸も俺も子供じゃないから。未来を真面目に考えるなら、簡単にはいかないってこと、父さんたち見てて世間の荒波は多少知ってるからな」
「――うん、そうだね」
――……私たちが体を合わせることが、お互いの「ご褒美」になる日がくる。
それは、欲情や熱情に流されない、私たちの関係を一時のものにしないための……足かせ。
だって、私は弱いから。ただ素直に心を開くだけで、こんなに時間がかかったくらいに。
義姉弟が恋人として歩む道のりのその未来を考えたら……横たわる問題はたくさんある。だから、そこから一度目を伏せてしまったら、その場しのぎで抱きあっていちゃいちゃする方が絶対ラクになってしまうだろう。
でも、それに溺れたら、堂々と未来を一緒に歩むことができなくなる、秘密の関係のまま。
私は、真雪の手にかるく口づけた。
この手を、大事にしたいなら――……一時的なものじゃなくて、未来もずっと共にあれる形を築いていくなら、きっと今は、まだ「そのとき」じゃない。
それから、いいことを思いついて、私は真雪に寄りそって座っていたソファから立ち上がった。
名残惜しそうな表情で私を追う真雪の瞳に、ちょっと心をときめかせてしまいながら、私は「ちょっと待ってて」と言い、私の部屋へと足を向けた。
電灯をつけて、私は部屋のアクセサリーケースの引き出しをそっと開ける。
目的のものを手のひらに握り、私は真雪のいるソファに戻った。
真雪は足を投げ出すようにして座っている。
私は真雪の胸元の横にすわった。
私は今取って来たものを、真雪の目の前にかざした。
「あげる」
真雪はじっと掲げているものを見つめた。
しばらくして、ぽつっと言った。
「なんだか、蛇の生殺しみたいだな」
「な、なんなのよっ、その感想!いいわよ、もうあげないっ」
私は、真雪に渡そうとしたそれを、握りこもうとした。瞬間、真雪は私の手首を握りしめた。
「やっ」
「俺が、もらう」
握りこんだ私の指を、真雪は空いた方の手で一本一本じわじわとはがし、中のものを摘まんだ。
リビングのライトを跳ね返す――……スペア・キー。
真雪は、つまんだ鍵をじっと見つめていた。
私は照れ隠しもあって叫んだ。
「あ、合鍵なんて渡すの、は、初めてなんだからねっ!大事にしてよねっ!」
「……母さんが言ってたスペア、あったんだ?」
「うん」
私がちょっと後ろめたくて、おずおずと頷くと、真雪は私の方に目を向けた。
こちらを見る真雪の瞳は、ちょっと嬉しそうに明るい光を宿していた。
それは、初めて会った時の12年前の少年の真雪のことを思い出させた。綺麗な眼差しをこちらにむけて、でもちょっと照れたように自己紹介してくれた、まだ声変わりしていない……真雪のことを。
あの頃と同じように真雪はくすりと綺麗に笑って、今は声変わりした深く響く男の声で言った。
「鍵、ありがとう」
「ん……。無いって嘘ついて、ごめんなさい」
「この美幸の合鍵を誰かが持ってるって嫉妬して……俺は、押し殺そうとしてた気持ちをこじ開けられたんだから、嘘も感謝すべきことかも」
そう言って軽く笑ってくれた。
私はそんな真雪に笑みを返す。
そっと真雪は顔を寄せてきた。
私は目を伏せる。近づく体温に心をときめかせていると、柔らかな唇がそっと私のそれに重なった。
それ以上の侵食はなく、真雪は唇を少しはなした。
吐息を感じる距離で。私たちは止まる。
「さっき……濃いキスしたから、なんだかもの足りなく感じるな」
真雪の言葉に、私は黒い瞳を見つめ返す。
至近距離で、真雪の長いまつ毛が綺麗に並ぶのがわかる。
私が真雪のシャツをそっと握ると、真雪が私の背にやさしく手を添えた。
「欲深いね」
「あぁ……姉弟とか家族とかだけじゃ、我慢できなかったんだからな」
真雪がそう言ったから、私は「それは私もだよ」と微笑んだ。
真雪はきっと……まだ苦しいんだろう。父さん母さんをとても大切にする子だから。
「そんなとこ二人して似た者同士じゃなくていいのにな。血もつながらないのに」
真雪が自嘲的に言ったので、
私がそっと、
「似た者だったから、こうやって熱をわけあえるんだよ」
と声をかけて、トンと真雪の肩口に額を置いた。
「私が最初に貸した方の鍵、持ってる?」
「あぁ」
真雪がジーンズの後ろポケットからキーホルダー付の私が貸した鍵を取りだす。
私はさっき真雪にあげたキーも受け取り、重ねてみる。
「昔みたいな、デコボコ鍵じゃないから、ぴったり合わさったっていう感動がないね」
私が言うと、真雪はくすっと笑った。
手元の鍵は、オートロック用のドアキーで、キーの表面の小さなくぼみで違いがあるようになっていて、昔のドア鍵のような鍵の輪郭がデコボコしているタイプではない。
「ねぇ、真雪」
「ん?」
真雪の胸にもたれかかりながら、私は二つの鍵をルームライトに照らしながら言った。
「これからも……お互いに、同じように重なる鍵、持っていようね」
「ん」
ずっと使っていて細かな傷がついた鍵と、引き出しにしまわれて、今、持ち主が決まったスペアキー。
どうかこれからも、同じ扉をわかちあえますように。
そう願いながら、私は真雪の胸元に寄りそいながら、そっと憩うように目を閉じた――……。
fin.




