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心ひらく鍵のありか  作者: 朝野とき
零れ落ちる時のありか
21/23

Friday 4

 


 話し終えた私たち四人は、しばらくリビングで黙っていた。放心状態に近かったのかもしれない。

 そんな中、最初に言葉を発したのは、母だった。


「お腹、すいたよなぁ。みんなでラーメン食べよっか」

「ラーメン?」

 

 怪訝な顔して母の顔をみると、泣きはらした目をした母は、立ちあがって自分の旅行鞄のジッパーを開け始めた。中から取り出したのは、簡易の保冷バッグ。


「飛行機に乗る直前に、売店で買ってん。北海道の生ラーメンセット」


 ごそごそと保冷バックから箱を取り出して、私に中を見せた。


「ほら、スープ付き、五食入りや。美幸、湯を沸かして」

「う、うん」

「コーン缶とかある? バターは?」

「あるけど……」

「それのせたら、立派な味噌バターコーンになるやろ。ほら、はやく作ろう」


 母に急かされて、私は台所にたった。真雪が一緒に立とうとしたけど、目で制する。なんとなく泣きはらした母の横に立つのは今は私だけの方がいい気がした。

 湯を沸かし、母に渡された生ラーメンを茹でる。何もいわなくても、後ろで母はどんぶりや箸を出してくれていた。丼の器は3つしかないので、私の分は取っ手のはずれる鍋を丼代わりにしていいよと伝える。ほとんど言葉を交わさないのに、母と私は台所に立って自然に役割分担ができている。

 スープを湯で溶き、茹でたての器に盛ったラーメンに注ぐ。ほわっとあったかい湯気とともに、味噌風味のスープの匂いが上がってくる。私の鼻と胃を刺激した。

 青ネギをトッピングすると、母がバターとコーンを盛りつけてくれる。そういえば煮卵を作っていたのを思い出し、冷蔵庫に二つだけ残っていた煮卵を半分にしてコーンの横に添えて、二人でリビングに運んだ。


「いただきます」


 四人の声が揃った後、また部屋は静まり返った。めいめい沈黙のままラーメンをすすり始める。

 母がラーメンと言いだしたときは驚いたけれど、こうして口にしてみると、とてもお腹がすいていたんだってわかる。

 味噌の香りにほっとしながら熱々の麺を口に運ぶ。からむバターの濃厚な味とコーンの甘味が口内に広がる。飲みこむと身体の内からあたたまってきて、思わず「おいし……」と呟いた。

 すると、


「……あぁ、美味い」


と、向かいから相槌か独り言かわからないような言葉が小さく響いた。

 顔をあげたものの、私は頷くしかできなかった。

 向かいで眼鏡を湯気で曇らせたまま呟きを落とした人を、もう「父さん」と呼んではいけない気がしたから、言葉がでなかったのだ。


 哀しくても辛くてもお腹がすく。

 ズルズルとラーメンをすすれるっていうことが、嬉しくもあり情けない気もする。ラーメンのスープを飲むふりをして、鼻をすすった。

 そんな私に、斜め前に座る母が「涙味になるで。鼻水入るまえに、ちゃんと拭き」と言いながら、ティッシュをわたしてきた。白くふわふわしたティッシュペーパーを受け取ると、ふわりとした軽さと柔らかな感触に、思わずまた涙が滲んだ。

 涙ぐむ理由なんて、ティッシュにはない。ただ、こういう日常の一つ一つ、家族の何気ないないやりとりの一つ一つが、身にしみる。

 慌てて目元もぬぐった。

 

 

 ラーメンを一番最初に食べ終えた真雪は、私たちに水のグラスを配ってくれた。

 ひといきついた後、真雪は言った。


「父さん。……今月中には荷物まとめて、家を出る。大学院の方、あと一年分の授業料もなんとか貯金でなんとかできると思う」


 母たちがハッとしたように顔をあげた。私も思わず真雪の横顔を見つめる。

 そんな私たちに、真雪はちょっとだけ笑顔を向けた。


「そんな顔しなくても、大丈夫。俺も、けじめつけたいって思ったんだ。それに、父さん達にここまで言わせて、泣かせて、それでも脛かじり続けるのはなんか自分でも情けないって思うから。……修論もあるし、いろいろあがくことになるとは思うけど、美幸の前で恥ずかしいのも、いやだから……一度、自分で立ってみようと思う」


 きっぱりと言い切った横顔に、真雪なりに母達の涙を受け止めようとする心を感じた。

 私が見つめるその前で、真雪は母達をじっと見つめて言った。


「もちろん、もしこの東京でうまく就職先決まっても、来年、即座にこの部屋に転がりこむようなことはしない。安心して欲しい」

「当たり前や」


 間髪いれず母が突っ込んだ。

 ほんの数日前には、「真雪が東京で就職したら一緒に住んだらえぇやん」と気軽に言っていた母が、即座に同居を否定した。母の中での真雪の立ち位置が変わったんだと、はっきりと感じた。

 自分たちが引き起こしたことなのに、胸にツンとくる。

 バラバラになるというのは、こういうことなんだ。

 それでも、救いなのは。


「……美幸さんに好きになってもらえるよう、頑張れよ」


と、ぼそっとした呟きが聞こえてきたことだ。

 

 私は涙をこらえてラーメンのスープを飲んだ。塩辛い中のバターコーンの甘さが、妙に今の私たちと母達みたいで、また泣きそうになった。 




 ***




 マンション前で、母達が乗ったタクシーが夜の風景に消えてゆくのを見送る。

 ラーメンを食べ終えた後、二人はあっけないほどにそそくさと帰り仕度をはじめ、駅にむかうためにタクシーを呼んでしまった。

 

 部屋に戻る途中、隣を歩く真雪が


「……もう遅いし、泊まっていくと思ったけど」


と言った。

 私は、「それは無いよ」と首を横に振る。


「死んだパパとの思い出が詰まってる部屋だから……。私と二人暮らしならともかく、父さん……真雪のお父さんを連れて一緒に泊まるのは、複雑というか気が引けるんだと思う」


 真雪は私の言葉に頷いた。それ以上、私が「真雪のお父さん」と言い直したことについて何も問わなかった。

 部屋に戻ると、リビングにはまだ微かに味噌ラーメンのスープの香りが残っている。それが妙に生活感があって、また涙腺がゆるんできた。

 気をとりなおすようにして、私は一度サッシ窓を開けた。冷たい空気が部屋に流れ込んでくる。

 ぼんやりと夜空の下に幾つも煌めく街明かりを見ていると、隣に真雪が立った。


「寒くない?」

「うん、寒い。でも、寒さが気持ちいいから。真雪は寒い?」

「いや……。俺もなんか、ちょっと冷やしたい気分」

「冷やしたい?」

「……なんかさ。昨日の結城さんに引き続き、今日も、俺ってまだまだ未熟なんだなって思い知らされたなって」


 真雪が自嘲的に言った。

 隣を見上げると、真雪は前をみて夜の風景に目を向けたままだった。


「父さんの言う通り、俺、すごく焦ってるんだろうな」

「そう自分で想うの?」

「あぁ、自覚ある。美幸の出社姿を見送ってから、特に」

「え?」

 

 隣を見上げると、ベランダからの風に前髪をゆらす真雪の横顔があった。


「今までは、美幸に気持ちを伝えられない立場なことに悩んでたはずなのに、美幸と気持ち交わせたらさ、次は、自分が年下でまだ働きはじめてるわけじゃないってことに、焦りが出て来て。……”弟”でしかない自分って言ったらいいのかな。脛かじりの自分が突きつけられるみたいで。すげぇ美幸の前でリクルートスーツを着るのがイヤで。就活の話しするのも、恥ずかしくて」

「そんなこと思ってたなんて、知らなかった」

「今はじめて言ったよ。だって、情けないだろ、こんなガキっぽいの」

「でも聞きたいよ。気持ち分けあいたい」


 私が言うと、真雪が私の方を向いた。室内の明かりと外の夜空、光と影の中にある真雪が、私を見た。


「美幸が、父さん達の前で泣いて、俺と一緒にいたいと言ってくれた時さ……すごく嬉しくて……やっと信じられた気がした」

「今まで気持ち疑ってたの?」

「疑ってないけど……でも、どうして美幸が俺を好きでいてくれるのかわからなかったから。叫ぶみたいにして、俺と一緒にいたいと言ってもらえて、嬉しかったんだ」

「うん」


 いつのまにか笑って頷いていた。

 手を伸ばして、真雪の手を取ってみた。大きな手。私を片手で包みこめる手だ。今は少し冷えている。両手で静かに真雪の手を持ち上げてみる。

 頬に当ててみる。


「美幸?」


 不思議そうに呼ばれて、私はくすぐったい気持ちになる。真雪の手に頬ずりするみたいにしながら、口をひらく。


「……私も、焦ってたよ。私の場合は時間が経っていくことに焦ってた。砂時計の砂がさらさら落ちていくみたいに、時間だけ経っていって、真雪が帰って離れてしまうのに、私たちの関係が何も変わってない気がしたの。お互い好きってわかって、でも、どうしたらいいのかわからなくて」


 真雪の手に、私の頬の熱がうつっていく。

 互いの肌がじんわりとぬくもっていく。

 開けたサッシ窓からは冷たい風がふきこんでいるけれど、私たちが寄りそい触れあうところには小さなぬくもりがある。


「こうやって焦るしね、私、やきもちもけっこう妬くと思うし、真雪の気持ち聞きたがると思うし……仕事だって、弱音吐いちゃうこともあるよ。ふつうの女だもの」

「うん」 

「”お姉さん”的な女じゃないし、物わかりがいい大人な女でもないよ」

「うん。俺も可愛いがられる弟分じゃないし」

  

 ちょっと真雪が笑って言ったので、私もつられて笑う。

 真雪の笑みが嬉しい。

 私の笑顔が、真雪にとって喜びになればいいと思う。 


「ただの真雪とただの美幸で……恋をしようね」


 真雪が頷きながら、空いていた方の手で私の頬を撫でた。両頬を真雪の手で挟まれる。


「好き」

「好きだ」


 二人の声が重なった。

 今つないだこの手を離さずに、もっとしっかりと結びあえたら……泣かせてしまったあの人達に、もういちど顔をあげて会えるだろうか。


 想いを告げあった私たちは、こつんと互いのおでこを軽くくっつけあった。

 今はキスなんてできなかった。

 ただおでこをくっつけあって、重ねた手のぬくもりをぎゅっと感じあった。 


 ぜんぶぜんぶ焦らずに。

 ゆっくりと――恋をしよう。


 お互いに無言だったけれど、額から、重ねた手からじんわりと熱をわけあって、私たちはきっと同じことを約束し、願っていたのだと思う。


 ――恋をしようね。

 そして、いつか、家族を築きなおせますように。



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