キリスト教導入後のリトアニア
「いやあ、クリスマスとかいうのも良いものだなあ。
こういう祭りも楽しい」
ミンダウガスが幼い子供たちと戯れている。
昔はキリスト教の祭日に、嫌がらせのように攻め込んだミンダウガスだが、キリスト教に改宗した今はそれを楽しんでいた。
ただし、リトアニア風に、である。
元々リトアニア人は、冬至を祝っていた。
冬至の後にクリスマスが来る為、自分たちはお祝いをした後で、他人の邪魔をしに行っていたのだ。
キリスト教に改宗後は
「日にちが近いし、一緒の祭りにしようか」
と、バルト信仰・キリスト教ごちゃ混ぜの祭日になったのだ。
まあ、この件はキリスト教側もミンダウガスを本来批難出来ない筈だ。
元々古代ローマの冬至の祭典や、ミスラ教の太陽神復活の日を取り込んでクリスマスを成立させたのだから、冬至祭と一緒にするのは先祖と同じ事をしているに過ぎない。
もっとも、そんな歴史を知らない狂信者の騎士団からしたら噴飯ものであろう。
……面倒だから黙っているので、バレてないが。
「俺は一応キリスト教徒だからワインを飲む事になるのだが……、
やはりリトアニアで生産出来ない酒は性に合わんな」
リトアニアは寒冷地で、葡萄栽培と醸造が可能になるまで7世紀程待たねばならない。
「ルシュカイチャイ家に任せたビールの方を、もっと振興させたいものだな」
ビールの製造は、現在は細々としたものだが、地道に拡大していっている。
キリスト教修道会も、ワインは無理だがビールは製造していた。
「だからといって、蜂蜜酒とビールを混ぜて飲むのは下品です!
やめて下さいませんか、あなた!」
モルタは、ミンダウガスの謎酒に苦言を呈した。
このビールと蜂蜜酒のチャンポン……もといカクテルは、後世はともかくこの時代は流行しなさそうだ。
「うむ、蜂蜜酒で酔って来たぞ。
モルタ、今夜も蜂蜜月夜といこうか!」
「子供たちが見てます!
それは後にしましょう!」
蜂蜜酒はハネムーンの語源とも言われ、蜂蜜の強壮効果で子作りしやすいようだ。
「母上、ハネムーンってなぁに?」
「レプリスよ、それは大人になったら分かるぞ」
「父上には聞いてなーい」
「はっはっはっ、父が答えても良いじゃないか」
ミンダウガスとモルタの高齢結婚夫婦には、とりあえず4人の子供が確認されている。
リトアニアのキリスト教及び欧州文明の導入は、このように折衷型で行われていた。
ミンダウガスは、兄の遺言を忘れていない。
「リトアニアらしさ」を消してはならないと心に決めている。
戴冠式を行ったヴィリニュスは、キリスト教様式にしているが、ここはまだ重要な城ではない。
ミンダウガスはヴォルタ城に留まらず、各地に居城を作った。
ヴォルタ城は、部族連合時の公爵の城としては良いが、統一国家となり、かつ領外に属国を持つようになったリトアニアの首都としては手狭になったからだ。
その中でも、ケルナヴェが現在は主な居住地となっている。
後に巨大国家リトアニアの首都となるケルナヴェは、今はまだこじんまりとした街並みだが、ミンダウガスはキリスト教様式になっていないこの地を好んだ。
補佐官たるクリスティアヌスは、常にヴィリニュスに住む事を奨めたが、ミンダウガスは気分で居場所を変えたかったりする。
このケルナヴェならヴィリニュスからそう遠くない為、キリスト教徒としての顔を見せる場合は、ヴィリニュスに移動すれば良いだけだ。
ドイツ騎士団は、元々イスラム教徒と戦う正規の十字軍を支援する、病院建設を目的とした騎士修道会であった。
よって、ミンダウガスから病院を作って欲しいと要望されれば、喜んで応じる。
治療と共に、キリスト教のありがたい教えを説いて来るのは余計だが、リトアニアには当時最新の医療がやって来た。
最新の医療とは、実は十字軍がイスラム教徒と戦って得た、アラビアの優れた科学技術によるものだが、キリスト教徒たちはリトアニア人にそれを伝える気は無い。
その騎士団から得たのが、「封建」という家臣の統治法である。
これまでは親族の意思で分割相続が出来た。
しかし今は違う。
ルシュカイチャイ家のヴェルジースが、父の遺領を相続する際、そこの支配権をミンダウガス王から授与され、領土を保証する代わりに忠誠を誓わされる手続きを踏まされた。
「随分と面倒になったものだ。
昔のやり方で良かったのに」
ミンダウガス派のルシュカイチャイ家ですら文句を言っているが、それでもこの方法は続き、リトアニアは君主の下に貴族が連なる、当時としては標準的な国家に成っていった。
「陛下、失礼します」
前妻ルアーナの父であるヴェンブタスは、この時代としては相当の老齢になっているが、老執事として引き続きミンダウガスに仕えてくれていた。
流石に財務とか、税務とか、事実上の宰相のような仕事は引退し、専らミンダウガス家の仕事のみを取り仕切っている。
「どうした?」
「ローマ教皇庁より書状が届きました。
それも2通」
「2通?
何だろう?
通訳を呼んでくれ」
文字の変更も、キリスト教改宗の影響と言えよう。
これまでリトアニアは、古代から続くルーン文字を使用していた。
これは読める者は公爵級しかおらず、一般には全く普及していないし、記録もほぼ残さない。
だが、立地的にルーシ各国と付き合う必要があり、彼等のキリル文字は入って来ていた。
だがカトリックへの改宗により、公文書は全てローマ字、ラテン語に変わった。
これでリトアニアは、欧州各国と共通の言葉を使って交渉が出来るようになる。
ただし、リトアニア語ならではの独特な発音に対応すべく、ローマ字は更に改造される事になる。
ミンダウガス自身はラテン語を読めない。
だから分かる人に読ませて、意味を理解する。
大体それは補佐官のクリスティアヌスなのだが。
王に伝える前に一読したクリスティアヌスは顔を青くした。
何事か問うミンダウガス。
届いた書状には、意外な事が書かれていた。
1通目は
『ハリチ・ヴォルィエ公国との和平が成り、安心している。
汝ら共に神の恩寵ありますように』
というのが仰々しい賛辞で書かれたものだった。
和平成立から時が経っているので、今頃届いたのか? と思ったりする。
だが2通目は衝撃的な内容であった。
『去る12月7日、教皇は天に召されたり。
12月12日、新たにアレクサンデル4世が教皇となられた。
引き続き教皇の為、神の為に働かれる事を願う』
「ローマ教皇が死んだのか……」
会った事が無い宗教指導者の死に、ミンダウガスは特に悲しみ等は覚えていない。
ただ、教皇インノケンティウス4世がミンダウガスを「王」にした事はありがたいと思っていた。
ルーシの「大公国」や「公国」の使者の態度が露骨に変わったのだ。
それで漸く、リトアニアという地域が軽く扱われていたのだと理解出来た。
自分は「王」で、周辺諸国は互角か格下。
もうこの扱いを知った以上、今までのような無礼は許さない。
それが政治というものである。
「リトアニア全土に、王はこれから服喪に入ると通達せよ」
「はっ」
クリスティアヌスは満足そうに頷き、拝命する。
彼が出ていった後、ミンダウガスは舅を近づけると
「服喪の件、ジェマイティアは、エルドヴィラス公とトレニオタにだけ伝えれば良い。
あっちにはキリスト教は関係無い。
服喪とかどうでも良い話だからな」
と伝えた。
「分かりました。
ところで、国民にはどなたの為の服喪と伝えますか?
キリスト教の教皇と聞けば、不満を持つ者も多いでしょう」
「そうだな……。
俺の『恩人』という事にしておこう。
更に言えば、『王位をくれた者』で良い。
察しが良い者なら、それで理解するし、表立って教皇の為と言わない意味も察するだろう。
まあ、四十万のリトアニア国民の中で、そこまで賢いのは少ないだろうがな。
ほとんどは『恩人』だけで納得しよう」
「では、そのように差配します」
キリスト教を根っこの部分では否定する国民と、キリスト教を受け容れるメリットを計算する王。
微妙な政治が行われていた。
国勢調査でもしたのかどうか、詳細は不明だが、1253年のミンダウガスが支配する人民は、30万から40万人だと分かっている。
動員可能兵力は、4千人前後になる。
それに周辺民族からの傭兵を合わせれば、大体1万前後の兵力になる。
これはシャウレイの戦いの際の数字であり、今はもう少し増えたかもしれない。
兵力1~2万というのは、ユーラシア大陸の反対側を見れば、非常に少ないように感じるが、例えば第3回十字軍におけるフランス国王の遠征兵力が7千人強、ハンガリー王の兵力が2千人程度なので、決して多くは無いが、侮られる程少なくもない。
軍隊は兵士さえ揃えれば良い、そんな簡単なものでない。
装備も重要である。
リトアニアは馬を飼う者を優遇し、軽騎兵の比率を増している。
また、周辺国から流れて来た者は、クロスボウ部隊に配属した。
そういった装備を行きわたらせる程の経済力も持つようになっていた。
リトアニアがキリスト教に改宗した事で、今まで直接交易が難しかったリヴォニア騎士団領の他、ポーランド、デンマークとも取引が出来るようになった。
木材なんかの輸出は、一回ノヴゴルドを通すよりも、直接相手と取引して、そのまま輸送する方が手っ取り早い。
一方でルーシ各国との交易も盛んになる。
宗派が違うと言っても、やはりキリスト教を受け容れたのは効果があった。
この取引に使う貨幣は、リトアニアはカトリック圏のものを使っていない。
カトリック圏は金貨、銀貨を使っているが、リトアニアは分銅で重さを図り、等量の銀を装飾品だろうが、過去にバイキングが入手した銀貨だろうが、ただの銀塊だろうが、それで支払った。
ミンダウガスは、リトアニアも文明国であるというアピールの為か、独特の長い形の銀貨を鋳造したものの、基本的に記念貨幣であって流通は余りしていない。
リトアニアはこういうミンダウガスによる、キリスト教世界の技術とリトアニアの伝統との微妙なすり合わせによって、独特の文化を持ち始めた。
そしてドイツ化していく北のリヴォニアとは、異なる歴史を歩んでいく事になる。
おまけネタ:
ミンダウガスからクリスティアヌスへの通達:
「馬車も、大金も、住居費も給与で支給するから、足りなかったら申し出るように。
足りないと言って、決して王の個人資金から勝手に引き出さないように。
あとキリスト教の敬虔な信者だから無いとは思うけど、博打で金を溶かさないように。
博打している時だけが人生に希望を見出せた、とかならないように」
(いつこの回の下書きを書いたかバレバレな時事ネタ)




