戦時中ではあるけれど
ミンダウガスの舅で、執事的な存在でもあるビクシュイスは、副将であるヴェンブタス公と語り合った事がある。
「ミンダウガス殿は、再婚された方が良いと思わんか?」
「うむ。
家族として見て来たが、確かに気を許せる女性が傍近くに居た方が良いだろう」
ビクシュイスは娘から、二人きりになるとミンダウガスはかなり饒舌というか、愚痴っぽいというか、そういう話を聞いている。
彼は親しい女性には、自分の弱さを曝け出せたのだ。
それが無くなった後、ミンダウガスは自分の弱さを誰にも見せないようにし、強い自分を装い続けた結果歪みを生じさせてしまう。
その相手は誰でも良いわけではないし、妙に律儀なせいで所謂一夜妻とかも持たなかった。
そこまで詳しい心情を彼等も分かってはいないが、それでも「ミンダウガス公には妻が居た方が良い」と考えていた。
ヴェンブタス公が軽騎兵を率いて出撃する前、ビクシュイスが彼を呼んで声を掛ける。
「この出撃は、単にシャウレイの連中を倒すだけではないな?」
ヴェンブタスは頷く。
「モルタという女性を連れて来る」
ミンダウガスは英主である共に、ダメ人間な部分があった。
ルアーナの生前、妻について話をする時は
「難しい話を彼女にしても無駄だから、張り合いが無い」
とネガティブな事を言っていても、顔は結構嬉しそうだった。
明らかに政務時とは違う。
だから、ルアーナ死後は常に顔色が悪かったし、醸し出す雰囲気も辛気臭かった。
それが、先日のモルタに救われた話をしている時、以前のような空気に戻っている。
もう、分かる人には分かってしまう、バレバレなオーラだった。
ギャンブラーに言わせれば、ポーカーフェイスをしていても、雰囲気で分かってしまう、と言ったところだろう。
更に彼等は、モルタという女性について既に知っていたのだ。
これはミンダウガスが喋った訳でない。
彼は、自分が助けられてから初めて話した、それで周囲は知ったものだと思っている。
彼は妻を大事にしていたから、初恋の女性について語らなかった。
ちょっと地雷なルアーナは、夫の口からそんな話を聞くと、激しく病んでしまうのだし。
ミンダウガスもあえて瘡蓋を剥がして古傷に触れたくはない。
こんな筆頭公爵の失恋を酒の肴、ネタにしていたのは、亡きプリキエネであった。
彼女は、若き日の未熟なミンダウガスの事を、昔はこうだったと笑い話にする事がある。
これは何か意図あってのもの無く、単にサディスティックな癖からであった。
まあ時と場合、言う相手はちゃんと考えているのだが、側近中の側近であるビクシュイスやヴェンブタスくらいは事情を知っている。
「後添えとなるべき女性を連れて来る。
その為に、今の夫を殺す。
それが目的と言えば反対されるから、敵の各個撃破が目的だと言った」
「素晴らしい。
ついでで殺されるヴィスマンタス公には気の毒だが……」
「いやいや、我々に牙を剥いた以上、きっちり殺して来るのが習い。
この先の戦場がジェマイティアになる以上、入り口に当たるシャウレイは抑えておかないと」
穏健派とは言ってもヴェンブタスは軍の指揮官、この辺は冷徹である。
「まあ、それも確かにそうだ。
では『ついで』ではない。
正当な理由でブリオニス家は滅亡させて来られたし」
「了解した。
任されよ!」
かくしてヴェンブタスは軽騎兵千騎を率いて西に向かう。
「ミンダウガスはジェマイティアに居なかと?」
「しまった、奴に気づかれたと?」
「酒席では気づいていた感じは無かったばい」
「いっその事、酒席で殺してしまった方が良かったのではなかか?」
「だが、暗殺ではなく戦って倒したいというのが思いじゃった」
「そげな事を今更言っていても始まらんと。
我等は急ぎ、居城に戻らんとな」
「大丈夫だろう。
ヴォルタ城はダウスプルンガスの息子どもが攻撃をしよっと。
ミンダウガスは守るのがやっとばい」
「ミンダウガスを甘く見ない方が良か。
奴の部隊は中々強か」
「強かろうが、沼地に引き摺り込めば勝てるさ」
「そうだな、我々にはヴィーキンタス公がついている。
あの人が居城に戻り、兵を率いて出て来ればミンダウガスなんて大した事はなか」
ヴィスマンタス、ゲドヴィラス、スプルデイキスというシャウレイのブリオニス家三兄弟は、誘き出したミンダウガスを、ジェマイティア公エルドヴィラスと挟み撃ちにしようとして、失敗した。
空振りを知った彼等は、ここに留まっていても意味が無いと帰城の途に着いている。
そんな彼等は、シャウレイに辿り着く直前でヴェンブタスに発見されてしまった。
「ここを通ると思っていた。
問題は、いつ通るかだったが、そう長く待たなくて済んだな」
ヴェンブタスはそう独り言を吐くと、全軍に攻撃を下令。
旧来の投槍・投斧で武装したリトアニア騎兵だったが、新型の合成弓で武装した軽騎兵には、射程距離の差で手も足も出ない。
「あの森に逃げ込め!
森の中なら、弓の差はそれ程大きな問題じゃなかと!」
射程距離の不利を封じるには、交戦距離が短くなる森の中。
それは正しい。
それ故にヴェンブタスがそれを許す筈もない。
彼等は森に辿り着く前に矢の雨を降らせられ、更に槍を使っての突撃に壊滅させられた。
機動力重視の軽騎兵にあっては、逃走も叶わなかったのだ。
「よし、彼等の城に攻め込むぞ」
城攻めは即ち略奪タイムでもある。
兵たちは喜んで城に殺到する。
「お姉様、恐ろしいです」
モルタの妹・リリヤが恐れている。
彼女はモルタがリヴォニアから逃げ出した時に抱き抱えていた13歳年下の赤子だった。
この妹をきちんと世話してやる、それがヴィスマンタスが遥か年下のモルタを妻にした際に言った言葉であり、産まれたばかりの妹をある意味人質に取るような文句であった。
その妹も、もう26歳。
彼女はブリオニス家の縁者に嫁がされていたが、実はこの度の戦闘で夫は戦死している。
その残酷な事実を、彼女はまだ知らない。
「大丈夫ですよ。
貴女は私が守りますから」
モルタが妹を安心させた。
彼女は何となく、死んだり酷い目に遭わされる事は無いように感じていた。
敵はミンダウガスである。
自分たち姉妹を助けてくれた彼ならば、そう残酷な事はしないだろう。
その時乳児だったから、最近の評判しか知らないリリヤは恐れているが、姉の方はそうではない。
(あの人は、根っこの部分には優しさがある)
そう思っている。
それは理性的な判断ではなく、直感的なものであったが。
そしてそれは正しかった。
「ヴィスマンタス公夫人、モルタ様とその妹御・リリヤ様ですね?」
「そうです。
貴女はルシュカイチャイ家のヴェンブタス公ですね?
お会いした事もあります。
ミンダウガス公の副将軍を勤めていると聞いています」
「ご存知いただき光栄です。
まず残念なお知らせです。
貴女の夫君ヴィスマンタス公は、私が殺しました。
冥福をお祈りする時間を与えたいと思います」
「そう……ですか。
まだ少女だった時に、半分無理矢理妻にされたのですが、これだけ長い間連れ沿っていれば情も湧きます。
悲しむ時間を……下さい」
彼女は声を殺してひとしきり泣いた。
「まだ泣きたいかもしれませんが、余り時間が無いので、さっさと用件を伝えます。
貴女にはミンダウガス公の後添えになっていただきます」
「…………」
「どうしました?
亡き夫の仇に奪われるのは悔しいでしょうが、これも世の習いです」
「いえ。
私は夫には悪いのですが、過去の恩を返すべく、ミンダウガス様に反乱の情報を漏らしました。
その結果、このような目に遭うのも、浅はかな私のせいでしょう。
それは私の運命だから仕方ないのですが、それでも質問があります」
「何でしょうか?」
「夫を殺し、私を奪う……そんな恐ろしい事を考えたのはミンダウガス様ですか?」
ヴェンブタスは一瞬考える。
だがすぐに覚悟を決めた表情で
「私です。
私の策です。
貴女の夫君を殺す事を考えたのも、貴女をミンダウガス公の後添えにするのも、私の策略です。
どうぞ、私を軽蔑して下さい」
「軽蔑はしません。
ですが、どうしてですか?
ミンダウガス様は、大層亡くなった奥様を大事にされていたと聞きます。
ミンダウガス様が後添えを求めているなら分かりますが、そうではないのでは?
そこが分からないなら、私はむざむざ戦利品になる気はありません。
貴方の公への忠義は認めますが、私がその道具になる義理は無い。
もちろん、妹も同じです」
気丈なモルタにヴェンブタスは苦笑する。
(亡きルアーナ様のような穏やかな方ではなく、どちらかというとプリキエネ様寄りだな。
ミンダウガス公もどう思われるだろう)
新妻の尻に敷かれる筆頭公爵を想像し、笑いが込み上げて来たが、それを押し殺して続ける。
「貴女様も筆頭公爵の愛妻家ぶりはご存知だったのですね。
理由はそれですよ。
奥様の死後、公の心は凍てついています。
この度の内戦も、そんな公の心の闇が引き起こしてしまった事。
公が穏やかな心になれば、リトアニアも治まります。
だから、貴女との再婚はリトアニアの為に必要なのです」
そう言うと、勝利した将軍が敗軍の未亡人に跪く。
「どうか、筆頭公爵を支えてあげて下さい。
愛妻家だっただけに、失った後のあの方は見ていて辛いものがありました。
おそらく、貴女だけがそれを救う事が出来る」
モルタは少し考えると
「私は、恐らくミンダウガス様が思っているような、穏やかな女ではありませんよ。
支えるというより、かえって傷つけてしまうかもしれません」
と返す。
ヴェンブタスは気にも留めず
「大丈夫です。
公も気の強い、辛口な女性には慣れていますから」
と返した為、それはそれでモルタの機嫌が悪くなっていた。
かくして凱旋将軍は手土産で女性を持参。
ひと悶着があったものの、この件では敬意を全く表さない元舅と副将が揃って
「内戦鎮圧する為にも、再婚が必要なんですよ!」
「婿殿は、言わないでおこうと思ったけど、はっきり言って側で甘えられる女性が居ないと、暴君かダメ人間かになってますぞ。
再婚するのが国の為と、覚悟を決めなさい!」
と圧力を掛けた為、渋々といって態で従った。
「二人がそうまで言うなら、仕方ないなあ。
分かった、これもリトアニアの為だ」
漂うワクワクした雰囲気から、絶対に渋々ではないと、2人の腹心は理解していたが。
そしてミンダウガスはモルタと再婚。
ミンダウガスは46歳、モルタもまた39歳になっていた。
そして26年ぶりにあった少女は、既に少女ではなく猛女の方になっていたのだが……。
こうして勝気な女性と、国のトップでありながら時に圧倒される夫。
これでも結構仲が良かった為、2人の腹心は肩の荷が下りたとばかり、後にそれを肴に酒を酌み交わすのだった。
おまけ:
中年カップル爆誕ですが、
・ミンダウガスは1203年生まれと推定
・モルタは1210年生まれと推定
・ヴィスマンタス公は内戦でミンダウガスに殺され、妻を奪われた
・それは1249年の事
なので、こうなってしまいました。
今の日本の39歳の女性は、まだまだ美しいと思いますけど、当時はどうなんだろ?
(寿命50年くらいの時代なんだし)
そしてモルタには妹がいます。
この後の事調べると、娘でも良かった(記録間違い)かもしれませんが、娘だと娘で困った事になるので、記録通り妹って事にしておきました。
妹さん(名前不詳、生年不明)、この時26歳の設定。
作者だったら妹の方狙いますが、姉の方と結婚したって事で、第5話で出会いエピソードを入れたわけです。
若い方をスルーして、姉をわざわざ選ぶってのは、幼馴染とか元許婚とか、初恋の人とかそんなんじゃないかな?
30話以来女性の活躍が絶えてましたが、再度書けそうです。




