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part 22


 赤竜の絶命が確定すると、ざらめさんは手早く火竜の首と胸の間辺りにナイフを突き立てた。

薄く細い二本のナイフが、皮の薄い所を狙って刺さり、内部へと刃を潜らせる。そして時々力任せに、それでいて竜の体構造を理解しているかのような迷いなき動きで肉を捌く。

ブロック片のように肉をナイフで切り出し、内部器官へと到達すると、そこに両手を突っ込んだ。

ぐちぐち、めきめきと肉を割って筋を断って、両腕を血でびしょびしょに濡らして、その末に引きずり出したのは大きな袋状の内臓だった。


「……それは……?」

「あぁ、これ?」


 真っ赤に濡れ、錆鉄と獣の匂いと共に出てきた袋。

旅道具を一式入れて少し余裕がある程度の大きさで、洗って匂いもとれば、頑丈な袋として使えそうである。だがざらめさんの目的はそこではないらしく、その袋にナイフで小さな切れ目を入れた。透明な液体がとろとろ溢れる。


「これは単なる商売道具だよ」


 中身を使って空になった瓶をざらめさんは取り出す。そして一本一本丁寧に、その透明な液体を詰め始めた。


「商売道具……って、それ可燃液ですか?」

「そだよ」

「そんな風に扱って大丈夫なんですよね……? 袋から出すのに失敗して、引火して大爆発なんて、そんな事ありませんよね?」


 思わず後退しつつ言うと、片手を振って朗らかに返される。


「よほど強い衝撃じゃないと爆発なんてしないよ。それか、火でも点けなきゃね。危険物指定だけど、慣れてりゃ大丈夫。初めてやった時の一回しか爆発させた事ないよ」

「なら良いんですけど……」


 そして私は竜の全身を眺める。

強靭な筋肉と、厚い脂肪。そして様々な怪物を食べる事で大量の栄養を蓄えているであろう、内臓。

どれをとっても、私の興味を惹いて止まない。


「ざらめさん……。この辺りに水辺はありましったけ……。それと、竜の体に詳しそうでしたけど、捌き方って知ってます?」

「んえー? なんのはなしー?」


 私の前に横たわるのは、竜である。少し前まで恐怖の対象だったのだが、今は死んでしまっている。それに、ざらめさんが戦っている途中から既に別の対象として私は認識していた。

すなわち、これはそう。大きな、まだ食べた事のない、怪物でしかない。


「あとはアルコさんがいれば……」


 そこで私ははっと気づく。


「そうです! アルコさんはどうしたんでしょう! まさか方向的に考えて、今頃はこの竜のお腹の中にいるなんて事はありませんよね……?」


 未だ姿が見えないのは、約束を反故にしたからではなく、竜に食べられてしまったのではないだろうか。

私は想像して、動揺する。


「アルコさんがいなかったら私……私、どうしたら……」

「……そんなに仲良しさんだっけ? あんたたち」

「何を言ってるんですか! お野菜も調味料も何もかも、全部あの人が持ってるんですよ!」


 私が心配のあまり大声を出すと、丁度良いタイミングで遠くにアルコさんの馬車が見えた。

どれだけ遠くにいたのか、豆粒ほどの大きさにしか見えない距離から馬車がこちらに駆けてくる。

草の海を滑るようにやってくるその様子を見て、私は慌ててざらめさんに目をやった。可燃液の補充は完全ではないが、今三つめの瓶が終わった所である。


「ざらめさん! お願いです!」

「はえ? なに?」

「ここ、この部位を捌いて下さいお願いします!」

「えぇ……そこ? なんで?」

「アルコさんが来たら絶対に止められます。その前に取り出してしまいたいんです」

「取り出すって……。本気? さすがにあたしも、それを食べるのはなぁ……」

「嫌なら食べなくても結構ですから。お願いしますよ。私が食べたいんです」


 私が頼み込むと、ざらめさんは瓶を鞄にしまって平らな場所に置く。そして重そうに腰を上げた。

辺りは血の海なので、置いた鞄の底が血を吸い上げている。しかし気にする様子もなくざらめさんは私のお願いした部位を手際よく捌き始めた。

私は血液が飛び散るのも、足元が血でぬめるのも気にせず、それが出てくるのを待ちわびる。


「はい。これ、何に使うの? 多分もう意味ないよ? っていうか、よくこいつが雌だってわかったね」

「見ればわかりますよぅ。だってこの竜、鳴き声の感じが雌っぽいじゃないですか。まぁとりあえず、これはアルコさんには隠しておきましょう。何を言われるかわかったものじゃありません」


 そんなやり取りがあり、私は目当ての食材を手に入れると一度血の海から離れる。

乾いた草と土の上にそれを安置し、丁寧に血液を拭いて、それからアルコさんに見られないように私の鞄に閉まってしまう。


 アルコさんの馬車が到着したのは、それからもう間もなくの事。お馴染みの馬車に乗って現れ、何故か荷台の品物が保存の効く食材中心になっていた事以外は何も変わらず、辺りの様子に目を配りながらゆっくりと私たちの前に。


「あぁ! やっと来てくれましたか! さては竜が見えたからって、遠くに逃げて隠れていましたね?」

「あー……。いやまぁ、そうなんだけどさ。竜の声が聞こえなくなったから来たんだけど……これは?」

「これですか? 火竜です! 鱗が赤いので、赤竜ですね。血抜きはまだしてませんが、大きくて大変ですし、アルコさんにも是非手伝って欲しい所です。メニューはそうですねぇ……」

「うん。違う。そうじゃない。いや、こいつは火竜で間違いないけど、そうじゃないから。まずメニューとかじゃなくて、竜は食べられないから。それとどうしてこうなってるのか、みたいな所が聞きたいのであって、シオンちゃんの主観よりも是非ここは客観的な状況説明を……」

「むっ。竜は食べられます」

「いやいやいや。これは毒とか宗教とかじゃなくて、食用の肉じゃないからだよ。竜の肉が出回らないのは、それが食用の肉じゃないからさ」


 首を振るアルコさん。私はため息と一緒に肩を下ろし、それから息絶えた竜に目をやりながら説明する。

ざらめさんがやっつけちゃいました。

その一言で説明は事足りたのだ。


「えぇ……」


 信じられない。そういった表情のまま絶句するアルコさん。おそらく語るべき言葉が見当たらないのだろう。

商人ならこんな時にも言葉が出てくるものと思っていたが、さすがにこの巨竜をたった一人で返り討ちにしたなどと、そんな非現実的な事は想定外だったらしい。


 と、その時。馬車の荷台、品物に埋もれるようにして、ひょっこりと誰かが頭を突き出してこちらを見た。


「え、あ、ネ、ネーテ! どうしてここに?」

「………」


 何やら不機嫌そうな表情で、ネーテはアルコさんの荷台で多数の調味料やワイン樽と一緒に収まっている。


「ここにどうしているか。それは今はいいの。それより、そこの商人」

「なんでしょう?」

「竜が食べられないというのはどういう意味?」


 私を無視するようにネーテは言う。アルコさんはわざとらしく頭を下げてみたりしながら答える。


「それはもちろん、食用に適さないからですね。やれ角が生えたとか、やれ口から火が出たとか、鱗が、尻尾が生えたとか。どころか狂い死にするなんて話も聞きますね。残念ですが俺は遠慮させてもらいますよ」

「シオン!」

「え、はい。なんでしょう?」

「竜を食べさせてくれる話はどうなったの! 食べられないなら最初にそう言いなさいよ!」

「えぇ……。いえいえ、竜は食べれますよ。ちゃんと調理すれば大丈夫です」


 じと、と湿った視線を私とアルコさんに交互に向けると、血に沈む竜にも視線を向けてから溜息をひとつ。


「せめて、おいしそうな見た目に料理しなさい……」

「えぇ、それはもちろん!」


 私は力強く頷いた。




どうやら、ネーテは抱えられて逃げた後、アルコさんと偶然に出会ったらしい。

アルコさんはそこで竜が現れた事を知り、薄情な事にも私とざらめさんを捨てて即座に逃げ出そうとしたらしいのだが、ネーテに止められたという。

ネーテは世話係を無理やり追い払うと、アルコさんの馬車に居座ったらしい。アルコさんは逃げるに逃げられず、かと言って進む事もできず、立ち往生している内に竜の咆哮が止まったため様子を見に来た。そういう経緯があったそうだ。


 そんな話を聞きながら、ネーテと私はアルコさんが竜から肉を切り出しているのを眺めていた。

竜の近くは血の匂いが濃いので、眺めるとは言っても距離をとった上で風上からだ。

ざらめさんは近くの小川で血を流している。


「商人から聞いたけれど。あなた、あの人を連れて逃げ出そうとしてたんでしょう?」

「えぇ! なんで喋っちゃったんですかアルコさん!」

「ほら……やっぱりそうだった」

「あ、しまっ……」


 簡単にカマをかけられて引っかかった私は口元に手を当てて困惑。どうしたら良いのだろうか。


「別に良いの。最初から薄々はわかってたし。別にシオンは私を嫌いだとは思っていないでしょうけど、私のために側にいてくれる程じゃない。むしろ、旅に必要な仲間の方が大事だった。それだけの事でしょう?」

「そんなつもりじゃ……」

「私を騙してた……なんて言ったら人が悪いかしらね。シオンにそんなつもりはなかったんでしょうし。全部が全部嘘だったなんて、私だって思いたくないし」


 ネーテは乾いた草の海にためらいなく腰を下ろし、私と並んで座っていた。しかし、私には横顔しか見せない。


「ダメね……。私、わかってなかったみたい」

「そんな、そんな事は……」

「きっと、あなたに無理強いしていたんでしょう? だからわざわざ私にも秘密で逃げ出そうとした。実はね、領内の税に関して、あなたに言われて調べなおしたりもしたの。確かに良好な状態とは言い難いようだったし、ほんと私って……」

「ダメじゃありません」


 確かにネーテの政策は上手く行かなかったのかも知れない。私は勝手に出て行く事でネーテの気持ちを裏切ったのかも知れない。

でも、だからと言ってネーテがダメなんて事はないのだ。彼女は何事も全力で当たっている事を私は知っているし、それに私はまだ彼女の友達でいるつもりである。

ざらめさんを助ける事とネーテを裏切る事は、決して同一ではないはずだ。


「ネーテ。確かあの氷結石を持ってきてましたよね? 氷結石の入った宝石箱が馬車にあるのを見ました」

「あぁ……あれね」

「ネーテがここに来てくれたのは、きっと私を心配してくれたんですよね? ありがとうございます。なので、私はネーテにお礼をしましょう」

「お礼?」

「あの石は友情の証だったはずです。あれを使って、とっておきの怪物料理をご馳走します!」


 やはり私には料理を作る事しかできないのだ。ならせめて、この一品は絶対に失敗できない。一度しか作れないのだ。


「アルコさん! お砂糖とミルクをお借りします!」


 果たして私の言葉が届いたか否か。どんな返答があったかも確かめずに、私はアルコさんの馬車からミルクと砂糖を引っ張り出した。

保存食が中心のラインナップに切り替わっていたが、ミルクがあって良かった。


「シオン? それは? その……鞄のそれはもしかして、それって竜の……」

「あらら。隠していたんですが、見つけてしまいましたか。ま、出来上がってのお楽しみですね。絶対に美味しい事は保証します。シオンは氷結石を馬車から持ってきてくれますか?」


 そしてネーテと共に、私も調理の準備を開始した。小川から水を汲み、鍋と炎を用意。

それから香り付け用に香草から抽出した液を用意。


「では。おいしい怪物料理を始めます」


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