3-26 しあわせなゴブリン
マントをかぶせられたリパッグの亡骸に向かい、泣きながら何度も謝っていたジャーパスは、ミラージュに助け起こされると、衛兵に連れられて展示室を出て行った。連行途中にジャーパスは、クリフにも謝罪の言葉を向けた。しかし、クリフは泣き続けるばかりで、ジャーパスに対しては何の反応も見せなかった。そのクリフをはじめ、スカージ、トレイブの三人も、調書を作成するための証言をもらうため、ジャーパスのあとから衛兵と一緒に展示室をあとにしていった。
静まりかえった部屋に残っているのは、ホームズとミラージュ、そして、
「何だ、お前、いたのか」
「いたのか、はひどいな」
ホームズの言葉に、そう返したワトソンも、壁際の暗がりから歩いてきて二人の隣に立った。
「ところで、ひとつ気になることがあるんだが」
ミラージュに訊かれたホームズが、何だ? と返すと、
「お前はジャーパスが犯人だと指摘して、実際それは正しかったわけだが、犯人の条件を満たしているのはスカージも同じだろ?」
ミラージュの言葉に、今度はワトソンが「どうしてですか?」と訊くと、
「だって、考えてみてくれ。犯人は、クリフさんの色の見え方が普通の人とは違うことを利用することで“透明人間”となって現場を脱出したわけだ。クリフさんの目のことを知っているという意味ではスカージも同様だ。それに、彼がワトソンくんたちと顔を合わせたのは、午後十二時の鐘が鳴り終えたあとのことだったそうじゃないか。だったら、屋根の上で鎧のパーツを落とすというトリックを終えてから、急いでハシゴを下りて食堂に行き、さも今、自室から出てきたように装うことは不可能ではないと思うのだが」
「なるほど」
頷いたワトソンは、ミラージュと一緒にホームズの顔を見る。
「それはな」とホームズは、「スカージさんには、そのトリックを行うことは不可能だと判断したからだ」
「どうして?」
「ジャーパスさんの話にもあっただろ、スカージさんは、極度の高所恐怖症なんだ」
それを聞くとワトソンは、あっ、と声を上げた。
「そうなんだ。スカージさんの高所恐怖症はかなりのもので、二階に住むことも出来ないほどだそうじゃないか。そんな人が、ハシゴを伝って屋根に上がるなんて芸当、いくら殺人後で神経が昂ぶっていたからといっても、出来っこないと思ったからだよ。それに、スカージさんが犯人なら、スワイプスの一斉捜索が入るという情報は、俺たちと一緒に朝の段階で得ていたんだから、もっと早く宝石の回収に動いていたはずだ。俺とワトソンが街に出るために、クリフさんから馬を借りているとき、中庭には誰の目のなかったんだからな。わざわざクリフさんが中庭で読書を始めてから動く道理がない」
「さすが」
ワトソンは笑顔になって、ホームズの背中をぽんぽんと叩く。「馴れ馴れしいな」とホームズはその手を振り払った。スカージが高所恐怖症だということを知らなかったミラージュは、そういうことだったのか、と頷いていた。
「あっ、馬と言えば」ワトソンは思い出したように、「ミラージュさん、ホームズに乗馬を教えてやってくれませんか?」
「おい!」
ホームズは、そのやり取りを阻止しようとしたが、それには構わずミラージュが、
「なに? お前、馬に乗れないのか?」
さも面白そうな顔を向けた。
「だから、俺のいた世界ではな――」
「そうか、そうか」ミラージュはホームズの言葉を無視し、「いいぞ、いくらでも稽古を付けてやるからな。いつでも詰所に来てくれ。衛兵流の乗馬術は厳しいからな、覚悟をしておけよ」
「誰がお前なんかに教わるか! ……やめろ!」
肩を叩いてくるミラージュの手を、ホームズは荒々しく振り払った。
後の聴取により、ジャーパスが宝石横領を行った動機は、やはり不倫先の母子を養うためだったことが分かった。母親が働く酒場に出入りしているうちに関係を持つことになったという。子供は二人ともがジャーパスとは無関係で、母親の連れ子だった。母親は子供を養うために、酒場の他に夜の商売もしており、それを知ったジャーパスは工房の宝石を横領、換金して渡していた。母親を夜の仕事から足を洗わせるためだったという。しかし、母親はジャーパスから受け取った現金にはほとんど手を付けておらず、事情を知らされると涙ながらに詫びて、現金の返却を申し出た。母子には、無償で子供に食事付きで教育を施してくれる教会施設をミラージュが紹介し、母親は酒場の仕事ひとつでも何とか子供を養っていけるようになったという。
スカージがギルド時代に犯していた依頼斡旋の犯罪は、冤罪であったことが詳しい調査で判明した。実際にくじの操作を行っていたのは、当時のスカージの同僚であり、スカージ自身も誘われたが、彼はそれにはきっぱりと断りを入れていたという。しかし、同じ職場で働くよしみから、その同僚の犯罪を告発まですることはなかったため、ある冒険者パーティが犯罪の証拠を掴んだところで、犯人と同僚だったスカージにも疑いの目を向けたというだけのことだった。しかし、その冒険者パーティのメンバーの中には、スカージへの疑惑を払拭しきれないものも何名かいて、そのメンバーが証拠を掴もうとスカージの周囲を嗅ぎ回っていたのだった。ギルド職員時代の話を聞き出そうと、実際に酒場などでスカージに接触を図ったメンバーもいたという。
トレイブは今回の事件をきっかけとして、ギャンブルからはきっぱりと足を洗うことを宣言した。結構な額の借金が残りはしたが、そのほとんどが違法な賭博ギルドにおいて、胴元の仕掛けたイカサマが元で背負ったものであり、そこに内偵を重ねている強攻騎士団が突入してギルドを壊滅させた折には、その借金のほとんどが消滅するものと見られている。これでトレイブは、肩の荷を下ろしてアンハイド武具工房次期職長の座に着く(半ば強制的に着けられる)ことになるだろうという。
衛兵からの聴取が終わり、クリフがホームズとワトソンを見送るために正門前に立ったのは、夕暮れも押し迫ってきた時刻になってからだった。スカージは、今後の工房の運営についてを急遽話し合うため、各作業場長を集めて緊急会議を開いており、見送りには来られないという。作業場長のひとりであるトレイブも同じことだった。
「お世話になりました、ホームズ様、ワトソン様」
二人を前にして、クリフは深々と頭を下げた。
「クリフさん……」
対するホームズは、どう言葉をかけたらいいのか、口を開きあぐねていた。そうしているうちに、頭を上げたクリフは、
「私は、これからはもっと工房の経営に積極的に関わっていこうと思っています。今までは正直、職人の仕事についての未練やわだかまりがあって、スカージに任せきりになって、甘えていたところがありましたけれど……もう、すっきりしましたから」
そう言ってクリフは微笑んだ。その目には、まだ若干の赤みを残してはいたが、本人の言葉どおり、すっきりとした笑顔だった。
「そうですか……」
それを見たホームズも、僅かながらも笑みを返すことが出来た。リパッグのこと、ジャーパスのこと、色々と気がかりなことはあったが、それらはすべて、クリフが自分自身で解決する、しなければならないことなのだと思い、事件について訊くことはしなかった。
「俺がもっと有名になったら、アンハイド武具工房に事務所の看板の製作を依頼しますよ。とびきり手の込んだ豪華なものをね」
「ありがとうございます。そのときは、特別にお安くしておきますからね」
クリフはもう一度笑顔を見せた。
馬車の客車に揺られ、夕暮れ空を見上げながら、ホームズは事件のことを思い返していた。その対面では、ワトソンも無言で流れゆく景色を眺めている。
「なあ」
ホームズは、視線を車窓の向こうにやったまま声をかけた。
「なに?」
ワトソンも、夕日が差す窓外を見つめたまま応じた。ホームズも、すぐに景色に視線を戻して、
「ちょっと思ったんだが」
「うん」
「クリフさんがリパッグのことを、あんなに慕っていたというのも、彼自身の視覚のことが影響していたのかもしれないな」
「どういうこと?」
ここでワトソンに目を向けられたホームズは、自分も正面を見て、
「クリフさんの親父――アンハイドさんにも、トレイブさんと同じようにドワーフの血が流れていたって言ってたよな」
「そうだったね。トレイブさんほど濃くはなかったそうだけれど」
「ああ、でも、アンハイドさんは、ドワーフの身体的特徴をひとつ、強く受け継いでいたそうじゃないか」
「それも聞いたね。確か……肌の色だっけ、ドワーフ特有の赤銅色の肌をしていて、そのことが原因で、からかわれたこともあったとか……あ」
「お前も気付いたか。そうだ、クリフさんの色覚異常は、恐らく先天的なものだろう。ということは、物心ついたときから、クリフさんは赤と緑を区別できていなかったということになる。つまり……」
「クリフさんの目には、リパッグの緑色の肌も……」
「そうだ、父親の肌と同じ色に見えていた、ってことになる。だったら、何もリパッグのことを異質に感じるだとか、存在に恐怖を憶えるっていうこともなかっただろうな。まあ、リパッグ自身の性格と努力も当然あってのことだったろうけれど」
「そうだね……」
と返事をすると、ワトソンは再び景色を眺め始めた。ホームズも視線を窓の外に向けて、
「リパッグ……。思えば、リパッグも、かわいそうなやつだったな」
そう言うと、少しだけ間を置いてワトソンは、
「……僕は、そうは思わないな」
「え?」
「リパッグは、幸せな死に方をしたって、僕は思う」
「どうして?」
思わずホームズは顔を向ける。その褐色の頬に夕日の色を重ねているワトソンは、外を見やったまま、
「ジャーパスさんがリパッグを殺した動機、憶えてる?」
「当たり前だろ。ジャーパスさんは、リパッグに自分の横領行為を知られたうえ、盗み出した宝石を横取りされたと思い込んで、殺してしまったんだ。あまりに咄嗟のことで気が動転していたというのもあったんだろうけどな」
「そうだね」
「おい、そのことと、リパッグが幸せだったってのと、何の関係があるっていうんだよ」
「もし……もしもさ、宝石を回収しようとしていたジャーパスさんのところに現れたのが、リパッグ以外の誰かだったら、どうなっていたと思う?」
「そりゃ……結局、同じ事になっていただろうなと俺は思う。相手が誰だろうと関係ないだろ。例え、それがクリフさんだったとしてもな」
「僕も、そう思う」
「そうか……で、それがどうしたっていうんだよ」
「つまりさ……リパッグが殺された原因には、彼が“ゴブリンだから”というのは全然関係ないってことになるよね」
「……それは」
そうだろう、とホームズは思った。すると、ワトソンは窓に向けていた視線を、まっすぐとホームズにさして、
「だから、リパッグは“ゴブリンだから”という理由以外で人間に殺された、人類史上初めてのゴブリンってことにならない?」
「……お前、何を言ってるんだ?」
「なるよね」が、ワトソンはホームズの疑問を無視するように、「しかも、死んでしまったことでクリフさんに泣かれて、犯人のジャーパスさんも、リパッグを殺してしまったことを深く後悔していたくらい。だから、リパッグは幸せだったんだと、僕はそう解釈している」
「……」
ホームズは背もたれに背中を預け、虚空を見つめてワトソンの言ったことを考えていたが、
「……それでも、やっぱり俺には、リパッグが幸せだったと言い切る自信はない」
「……そう」ワトソンは、少しだけ寂しげな笑みを夕日に晒してから、「でも、ホームズにも分かって欲しいし、きっと、分かってもらえる日が来ると思うな」
そう言うと、再び視線を窓に戻した。無言のままワトソンの横顔を見つめていたホームズも窓外に視線を戻す。夕日が、山々の緑を紅く染め上げていた。
「紅騎士の檻」――了




