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3-25 鐘声

「そ、それは分かったが……」トレイブがさらに、「だが実際、デモリスの――真っ赤な鎧は、あのとおり現場に散乱している」と、その場所を指さして、「ジャーパスが、あの鎧を着てここを脱出したってのに、どうして最終的に、ああいう状態になったっていうんだ?」


 ホームズも、鎧のパーツが散らばった現場に一度目をやってから、


「それは、ジャーパスさんのアリバイ工作の結果です」

「アリバイ工作?」

「そう」ホームズは全員に視線を巡らせてから、「首尾よくクリフさんの目をすり抜けて現場を出たジャーパスさんでしたが、これで終わりというわけにはいきません。着ている鎧を何とかしなければならない。といって、そのまま鎧を外に放置しておくことは避けたかった。というのも、ジャーパスさんはクリフさんの特別な視覚を利用することで現場を脱出したわけですが、それに利用した鎧が、現場から消えたまま外で発見されたとなると、疑いの目が自分に向くことになってしまうからです。なぜかと言いますと、クリフさんの視覚の秘密を知っているのは、ジャーパスさんだけではないからです」

「スカージ」


 トレイブが工房長の顔を見る。そのスカージは、トレイブを、そしてジャーパスの顔を見てから、視線をホームズに戻した。


「はい」とホームズは、「アンハイドさんから知らされていた、クリフさんの視覚の秘密、それを知っているスカージさんであれば、展示室から赤い鎧が消えていて、外で発見された場合、自分が使ったトリックを見破られてしまうのではないか、という恐れをジャーパスさんは抱いていました。それを防ぐためには、何としても鎧を展示室に戻す必要がありました。そこでジャーパスさんは現場を脱出する際、天窓のひとつを開けておくことにしたのです。その天窓は、ここの屋根にリパッグが設えた“鐘楼(しょうろう)”に近い、真ん中の窓が選ばれました。ちなみに、リパッグの死体もその天窓の真下に横たわっていたわけですが、これは偶然そうなったのか、それとも少しでも捜査を混乱させる目的で、死体をそこまで引っ張ってきたのかのどちらかでしょう。

 ともかく、真ん中の天窓を開けて、リパッグの死体をその真下に位置させる準備をしたうえで展示室を脱出したジャーパスさんは、その足ですぐに建物裏手に回ると、ハシゴを伝って鐘楼まで上がり、着込んでいた鎧を脱ぎ、鐘楼の中に置いてたうえで時間を待ちます。午後十二時、教会の鐘が鳴る時間をです。そして、遠く教会の鐘声(しょうせい)が聞こえてくるとジャーパスさんは、リパッグがいつもそうしていたように、片手で木槌を握って鐘楼に吊り下げられた鐘を鳴らし、同時に、もう一方の手で、鎧のパーツを天窓から放り込んだのです」

「なに?」


 この日何度目かの驚愕の表情と声を、トレイブを始め、集まったものたちは表した。ホームズは、その声がやむのを待ってから、


「リパッグ手製の鐘は、教会のそれとは違い、まさしく騒音と評して違いない、けたたましい金属音を立てていました、その音に、天窓から金属製の鎧を投げ落とした際に発生する落下音を紛らわせたのです。結果、デモリスの鎧はバラバラになって死体の周囲――開いていた天窓の直下――に散乱することとなり、そのうちのいくつかは落下の衝撃によって傷がつき、リパッグの血も付着することとなりました。天窓は外からは閉めることの出来ない構造でしたが、このまま開けっ放しにしていたとて、何も問題になることはないでしょう。かえって、ここを犯人の侵入、脱出経路だと誤解させて捜査をさらに混乱に導くことが出来るかもしれません。

 とはいえ、これはジャーパスさんにとっては、苦渋の決断の末に遂行されたトリックだったはずです。なにせ、展示品の中で唯一の先代工房長の作品を傷めてしまうことになるのですから。そもそもの話、宝石を入手したいだけなのであれば、作業場でのすり替えではなく、ここにある展示品に使われている宝石に手を付けてしまったほうがずっとリスクは低くなります。しかし、ジャーパスさんがそれをしなかったのいうことは、工房の歴史、財産とも言うべき、これら展示品を汚してしまうことに、さすがに抵抗を憶えたためでしょう。

 とにかく、そうして鎧のパーツをすべて投げ込み終え、同時に鐘も鳴らし終えたジャーパスさんは、ハシゴを降りて作業場に戻ると、職長室から自分の昼食を持ってきて、トレイブさんを誘って私たちの前に姿を見せたというわけです。これによって、定時に鐘を鳴らすことが日課となっていたリパッグが、その時間――午後十二時、まで生きていたのだと誤認させ、その直後にトレイブさんと合流したジャーパスさんにアリバイが成立しました。リパッグの死後に鎧が散乱させられている以上、その工作を行う時間はジャーパスさんには取れないと、我々は判断することになったわけですから」


 長い話を終えたホームズは、深く、大きな息を吐きだした。再三部屋を包んだ沈黙を、今度破ったのはミラージュだった。


「ということは、この工房で起きていた宝石すり替え事件の犯人も、このジャーパスということになるな」

「ああ」


 ホームズが短い返事を返すと、さらにミラージュは、


「おい、これはどういうことなんだ」


 矛先を第二部隊長スワイプスに向けた。そのスワイプスは、苦い顔をしたまま、


「あいつ」とホームズにあごをしゃくって、「がそう言うのなら、そうなんだろうな」

「おい! そんないい加減な言葉で誤魔化すな!」当然、ミラージュはそれで引き下がることなく、「お前が()()()()という、あの書面は、いったい何なんだ?」

「それは……おおかた、誰かが書いたものを私が勘違いしてしまったというだけだろう。どこのどいつか知らんが、まったく、紛らわしいことをしてくれた」

「なに?」


 ミラージュが声を荒げた、そこに、


「あの書面は」とホームズが言葉をかぶせ、「スワイプスがでっち上げた捏造のニセ証拠だよ」

「お前な……」とスワイプスはホームズを睨み、「どこにそんな証拠がある? 見せてみろよ」


 挑発するような口調のスワイプスに対して、ホームズは黙って、ゆっくりと自分の右手を上げると、


「俺は、まだ()()()を発動させたままだぜ」


 右手中指で光を放ったままの指輪を見せつけた。あっ! とスワイプスの口から声が漏れる。


「もう一度言ってやろうか」ホームズは、なおも指輪の輝きを見せながら、「あの書面はな、リパッグに罪を被せるために、あいつの筆跡を真似てお前が用意した捏造品だよ。とんだ衛兵騎士もいたものだな」

「ぐっ……」


 スワイプスは唇を噛む。そこに、


「スワイプス、これはどういうことだ」


 衛兵騎士団大隊長スプリームの重い声が、スワイプスの背中を打った。頬を伝う汗が飛び散るほどの勢いで振り向いたスワイプスは、


「大隊長……こ、これは……」

「お前の処分については追って沙汰がある」スプリームはその弱々しい声を一切受け付けないまま、「連れていけ」


 自分の配下の衛兵に、スワイプスを連行させた。


「ミラージュ、私はひと足先に戻る」

「はっ」


 ミラージュが敬礼を返すと、スプリームはホームズを向いて、


「〈たんてい〉殿、見事だった」


 顔に笑みを浮かべた。


「恐縮です」


 ホームズも、ミラージュの見よう見まねで敬礼のポーズを取った。


 工房の関係者と、衛兵ではミラージュひとりが残った展示室で、


「ジャーパス、お前……」とスカージが職長の名を呼び、「すべて本当のことなのか?」

「ああ」ジャーパスは、悲しそうな笑みを浮かべた顔で、「ホームズ殿が、ああして生きて立っている以上、私の口から今さら言うことなど、何もないだろう」

「ジャーパスさん」


 次に名を呼んだのは、クリフだった、その潤んだ目を見て、ジャーパスはすぐに視線を逸らしてしまった。が、クリフは長年一緒に働いてきた職長の目を、まっすぐに見つめたまま、


「まだ、ホームズ様の口からはっきりと語られていないことがあります。あなたがリパッグを殺害した動機です。やはり、宝石の回収現場を見られたからですか? だから、リパッグを……」

「クリフ」ジャーパスは、ようやく青年の目を見返して、「私が、ここの展示品のガラス玉と入れ替えることで宝石を隠していたことは、ホームズ殿の言ったとおりだ。が、これもホームズ殿の言葉どおり、中には入れ替えが不可能な宝石も当然あった。私は、そういった余ってしまった宝石まで、最初からここに隠していたわけではなかった。危険を冒すことにはなるが、それらだけは自宅に持ち帰って保管していたんだ。

 だが、それも危うくなってしまった。私の部屋を妻が掃除した際に、宝石を見つけられてしまったんだよ。そのときは咄嗟に、仕事で使うものだ、と言って誤魔化したのだが、いかな私が職長職にあるとはいえ、こんなに高価なものを自宅に持ち帰っていることを妻は不審に感じたようだった。ガラス玉との入れ替えが出来なかった宝石も一緒に、この展示室に隠しておくことにしたのには、そういったことが起きたからだ。当然、棚の奥など、容易には見つけられないであろう所を隠し場所に選んだことは言うまでもないがな。

 今日の昼、スワイプスの一斉捜索が入ることを知った私は、今まで隠していた宝石を回収するため、お前が中庭を離れた隙にここに入り込み、宝石の回収作業に取り掛かった。まず、真っ先に手をつけなければならないのは、単独で隠していた宝石だ。展示品のガラス玉と入れ替えたものならば、まあ、最悪そのままにしておいても問題はないと私は判断した。トレイブほどの鑑定眼を持った衛兵などいるとは思えなかったからな。だが、棚の奥などに隠されるように――実際、隠していたものなわけだが――しまわれている宝石が見つかったとなると、話は別だろう。クリフやスカージは、知らない、と言うだろうし、私もそう言わざるを得ないからな。その宝石がトレイブの目に触れでもしたら、すり替えられたものだと一発で分かってしまうだろう。それだけは避けなければならない。私は隠し場所である棚の奥を覗いて見た、しかし……そこにあるはずの宝石がなかった――いや、正確には足りなかった。数個あった宝石のうち、エメラルドがひとつ消えていた。何事が起きたのかと焦った私の背後から、声がかけられた。リパッグだった」


 そこでジャーパスは、一度大きく息を吸い込んでから、話を再開した。


「宝石の回収を急ぎたいと焦るあまり、私はここに入ったときに、扉に施錠をする時間も惜しんでいた。だからリパッグも入ってこられたんだ。あいつは、これもホームズ殿の言葉どおり、私のことを疑って――いや、犯人と確信していて、展示室棟の裏にでも潜んで待っていたんだろうな。スカージから一斉捜索が入ると知ったら、私が必ず宝石の回収に来るだろうと思って。あいつは、私が棚の奥を必死に探っているところを目撃したに違いない。呆気に取られている私に向かって、こう言ったんだ。『エメラルドなら、あっしがいただきやした』と。リパッグは、すべてを知っているに違いない……。私は頭が真っ白になった。同時に、ここままにしてはおけないとも思った。どういう経緯でリパッグが私の犯行を知ったのかは分からないが、とにかく、このままにはしておけない……リパッグを、このまま帰すわけにはいかない、と……」


 ジャーパスは、つばを飲み込んで大きく喉を鳴らしてから、


「……そこから先は、すべてホームズ殿が言ったとおりだ。リパッグが中庭の様子を気にして振り返り、背中を見せた隙に彼を殺めてしまった私は、逃げ出そうとして扉を細く開けて中庭を窺い……お前がすでに戻ってきていることを知った。このまま何食わぬ顔で外に出る勇気はなかった。お前に声を掛けられることは避けられず、そうなったら、展示室で何をしていたのか、必ず訊かれるだろう。そして、どう答えようが、お前は展示室を覗くだろうと思った。それを避けるためには、お前に気づかれないままここを抜け出すしかない。そのとき、あの“紅騎士(スカーレット・ナイト)”デモリスの真っ赤な鎧が目に入った。お前の視覚のことを知っていた私は、これでお前の目を誤魔化してここを抜け出せると思った。同時に、これもホームズ殿の指摘どおり、スカージのことが気がかりにもなった。私と同じく、クリフの視覚のことをアンハイドから聞かされていたあいつならば、ここから紅騎士の鎧がなくなっていることが分かれば、私のことを疑ってくるかもしれない。赤と緑の区別が出来ないクリフの目の見え方を利用して、ここを抜け出したのだなと看破されるかもしれない。そう思った私は、鎧をここに戻すため、天窓から鎧を投げ入れるトリックを思いついた。同時に、その時点までリパッグが生きていたと思わせることで、自分自身のアリバイも担保できると画策したことも、すべてが、ホームズ殿の推理どおりだ」


 ジャーパスは、涙を拭うと同時に、深く長い、魂をも吐き出してしまうのではないかという嘆息を漏らした。まるで、自分の罪が暴かれて安心した、とでも言いたげな。

 その様子が落ち着いたのを見るとホームズは、懐から大粒のエメラルドを取りだして皆に見せた。それを見ると、ジャーパスは、あっ! と声を上げ、トレイブは、「そいつは……」と目を見張った。彼の眼力は、そのエメラルドがガラス玉などではないことを看破したのだろう。


「ジャーパスさん、あなたが探していたというエメラルドは、これではないですか?」


 ジャーパスは、目を丸くしたまま、二、三度頷いて、


「そ、それを、どこから……?」

「俺が今朝、リパッグから預かったのです」


 どういうことなのか? と問われたが、まずホームズは、このエメラルドをリパッグがどうやって入手したのかという、自分の考えから話すことにした。


「以前からリパッグは、ジャーパスさんが展示室に出入りしているところを目撃しており、その様子にただならぬものがあることを感じ取ったのかもしれません。そんなことが何度かあった折、トレイブさんの眼力によって、製品に使われていた宝石のいくつかが、ガラス玉とすり替えられていたことが発覚しました。リパッグの頭の中で、ジャーパスさんの行動とその事件とが結びついたのではないかと思います。

 この展示室棟の鍵を持っているのは、クリフさん、スカージさん、ジャーパスさんの三人だけですが、一週間ほど前、忙しくしていたクリフさんに代わって、リパッグが鍵を借りてここの掃除をしたことがあったそうです。恐らく、この宝石は、そのときにリパッグが入手したのでしょう。いくら上手く隠してあるものとはいえ、最初から宝石がどこかに隠されているのだと疑ってかかれば、見つけてしまうのはそう難しいことではないはずですから。リパッグも、ジャーパスさんが展示品のガラス玉との入れ替えによって宝石を隠しているのでは、と考えたのかもしれませんが、彼は宝石の鑑定眼など持ち合わせていなかったでしょうから、どれが盗品だと見極めることは不可能だったでしょう。そのため、他に単独で隠されている宝石がないかを探ったのだろうと思われます。そして実際、リパッグはそれを発見してしまった。彼は、その宝石の中から、このエメラルドだけを拝借したというわけです。それで、どうしてこれを私が持っているのかということですが……」


 ホームズは、今朝の出来事を話して聞かせた。リパッグに密かに部屋に呼ばれ、このエメラルドを“証拠”として見せられ、自分が宝石横領犯だと打ち明けられたこと、ホームズは当然それを信じなかったが、宝石の鑑定だけはやっておこうと思い、街の宝石商まで出掛けたこと。リパッグ自身も、この宝石が本物かどうかを鑑定してもらいに、昨晩にこっそりと工房を抜け出しており、スワイプスが上げていた宝石商の証言は、このときのものであることも補足した。


「リパッグが……宝石すり替えの罪を被ろうとしていた……?」


 ホームズの話を聞いたジャーパスは、声を震わせた。


「はい」とホームズは、ジャーパスの潤み始めた瞳を見ながら、「ですから恐らく、リパッグは、あなたに対しても同じことを言いたかったのだろうと思います。あいつは、『エメラルドなら、あっしがいただきやした』と言ったそうですね。つまり、今回の宝石横領はすべて自分がやったことにする、その相談を持ちかけるためリパッグは、ジャーパスさん、あなたに声をかけたのではないかと、そう俺は思うのですが」


 ジャーパスは膝を折り、床に両手を突く。その腕、肩が震えていた。彼の顔から落ちた滴が床を塗らす。その隣では、クリフも声を上げて泣いていた。


「……Q.E.D」


 ホームズが呟くと〈真実か死かザ・トゥルース・オア・ダイ〉は、ゆっくりとその光を消していった。

 かすかに、鐘の音が聞こえる。遠く教会が鳴らした、午後四時を知らせる鐘声だった。

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