3-21 疑わしきは
しばし部屋に沈黙が流れたが、ジャーパスがそれを破って、
「もし、スワイプスがここの敷地に忍び込んでいたというなら、誰かに目撃されていた可能性もあるのでは?」
「そうだな」とスカージも、「特に、最終的に犯行現場が展示室棟になったのだから、その周辺で……」そこで甥に目をやり、「クリフ、お前は昼食までの間、あの中庭で本を読んでいたんだよな。どうだ、スワイプスらしい人物を目撃はしなかったか?」
訊かれたクリフは、うつむかせていた顔をゆっくりと上げて、
「……私は、本に集中していたので、特に注意して周りを見ていたわけではありませんが、それでも、怪しい人物を見かけたりはしませんでした」
呟くように答えた。
「ずっと、中庭にいたのですか?」
今度はホームズが訊くと、
「はい、ホームズ様とワトソン様を街に送り出してから、ずっと……ああ、いえ」ここでクリフは、うつろだった視線をまっすぐホームズに向けて、「一度だけ、保管室に行きました」
「保管室。宝石をしまってある――あっ、トレイブさんが」
「そうです。トレイブとカイレが宝石を受け取りに来て、少しだけ中庭を離れました」
ホームズも思い出していた。リパッグから預かったエメラルドの真贋を確かめに街の宝石商に行って帰ってきた直後、トレイブが他の職人と一緒に宝石を取りに行くところに鉢合ったことを。クリフが口にしたカイレとは、そのときトレイブと一緒だった職人の名前だろう。クリフは続けて、
「その間のことは分かりませんが、少なくとも私が中庭にいる間、怪しい人物を見かけなかったことは断言できます。誰かしらが中庭に入ってきたのであれば、本を読んでいても視界の端に入って分かったはずです。トレイブとカイレも、私に声をかけてきたわけではありませんが、近づいてきたらすぐに分かりましたから」
クリフの話が終わると、スカージが、
「となるとスワイプスは、午後十二時なるまで、どこかに身を潜めていたのかもしれませんね。仕事中は敷地内を職人らがひっきりなしに移動していますが、昼休みになれば皆休憩所に入ってしまうため、俄然動きやすくなります。スワイプスは、そのことも計算に入れていたのでは」
「決まりだな」とトレイブが、自分の両膝を叩いて、「スワイプスの野郎の仕業に違いねえ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
待ったをかけたホームズは、他の全員の視線を浴びながら、
「さっきも言いましたが、現場に残された謎が放置されたままです」
「そんなもんはよぉ」とトレイブが、「あいつをふん捕まえてから吐かせりゃいいんだよ」
「それでは、我々もスワイプスと同じになってしまいます」
ホームズのこの言葉に、トレイブは息を呑んで黙った。全員の顔を見回しながら、ホームズは続けて、
「自分の気に入らない人物を心証から犯人と見て、後付けで犯行の様子を想像することはいくらでも可能です。まして、“魔法”なんていう凄い力が存在するこの世界では。ですが、それでは、リパッグ――ゴブリン――憎しで最初から彼を宝石すり替え犯と決めつけて捜査にかかったスワイプスと、何も変わらないじゃないですか」
「……〈たんてい〉さんの言うことはもっともだ」とトレイブは、膝から手を上げ腕組みをして、「だがよ、そうなると、犯人に値する人物がいなくなっちまうぜ。まさか、俺たちの中に犯人がいるって疑ってるわけじゃあねえよな」
ぎろりと睨みつけられたが、ホームズは臆することなく、
「その可能性は、決して排除できるものではないと考えています」
真正面から言い切ると、トレイブはホームズから視線を外し、他の三人は大きくため息をついた。
「疑いついでに、と言っては何ですが」とホームズは出来るだけ柔和な口調を心掛けながら、「俺とワトソンが街へ行っている間、皆さんが何をしていたか、教えていただけますか」
四人は、互いを窺うように顔を見合わせたのち、仕方がないというような表情を見せてホームズに向き直った。口火を切ったのはスカージだった。
「私は、スワイプスがいったん帰ったあと、自室に籠もって書類仕事をしていました。十一時頃になって、ジャーパスが工房に来たことが分かったので、スワイプスの一斉捜索が入るかも知れないと彼に知らせ、そのあとはまた自室に戻って、お昼にホームズさんたちと食堂で顔を合わせました」
話し終えたスカージはジャーパスを見る。次に話せと促しているのだろう。それに応じてジャーパスは、
「私は、朝早くから取引先との打ち合わせがあったので、そちらに寄ってから工房に向かいました。到着したのは十一時少し前です。そこで、スカージから一斉捜索の話を聞いたのは、彼が話したとおりです。そのあとは職長室で、私も書類仕事を片付けて、昼になったら、トレイブを誘ってこの事務所棟に来ました。一斉捜索の対応をみんなで考えるためにです」
ジャーパスの次には、トレイブが、
「俺は、七時前に工房に来て、ずっと作業場で仕事をしていたぜ。便所の他に作業場を出たのは、さっき、ぼっちゃんの話にもあった、作業に使う宝石を受け取りに来たときだけだ。で、昼になったんで飯を食おうと休憩所に向いかけていたところに、ジャーパスから声をかけられ、事情を聞かされて、一緒にここへ来たってわけよ」
話を終えた三人の目が、一斉にクリフに向いた。そのクリフは、自分の番であることに気付いたように、
「私は、さっきの話の繰り返しになってしまいますが、ホームズ様とワトソン様を見送ってから、中庭で本を読んでいました。その場を離れたのは、これも先ほど言ったように、トレイブたちが来て宝石を受け渡しに保管室に行き来した、ほんの僅かな時間だけです」
「そうですか、ありがとうございました」ホームズは四人に向かって頭を下げると、「では、俺は、もう一度現場を見てきます。皆さんは、スワイプスのことが気になるでしょうが、そちらのほうにはミラージュたちがついていますので、下手に刺激をしないようお願いします」
ホームズの提案に対しては、スカージが、「分かりました」と代表して同意を示した。工房長という職責上、いかな横暴な捜査とはいえ、衛兵騎士と争うことは極力避けたいという気持ちが彼にはあるのだろうと、ホームズは察した。
「クリフさん」ホームズは青年に向き、「申し訳ありませんが、リパッグの遺体は、まだ現場にそのままにしておいてもらえないでしょうか」
「はい、それが、ホームズ様とワトソン様の捜査のお役に立つのであれば……」
クリフは伏せ目がちのまま答えた。
「では、私とワトソンは……」
ホームズがソファから腰を浮かせかけた、そのとき、廊下を駆けてくる足音が近づいてきて、
「〈たんてい〉殿!」
荒々しくドアを開けたのは、ひとりの衛兵だった。その衛兵に向かってホームズは、
「どちらの所属です?」
「第一です」と衛兵は答えてから、「来ていただけませんか?」
「何があったのです?」
「スワイプス第二隊長が、証拠を発見して――」
「ついに来たか!」
「はい、それで、ミラージュ隊長と口論になっているのです、一緒に来ていただけませんか?」
「もちろん」
ホームズは――腰を浮かせたトレイブを制してから――ワトソンとともに応接室を走り出た。
衛兵は、四棟ある作業場のうちのひとつに向かって走り、ホームズとワトソンはその背中を追う。
「あそこは、第二作業場だね」
ワトソンの声にホームズは、ああ、と返してから、「やっぱりな」と呟いた。
作業場の中に踏み込んだホームズは、衛兵たちをかき分け、言い合いの声がしている方向を目指す。聞き覚えのあるその声の主は、やはりミラージュとスワイプスの二人だった。
「ミラージュ!」
「ホームズ!」
声をかけられたミラージュは顔を向け、一瞬だけ安堵の表情を見せたが、その鋭い眼差しを再び、二メートル程の距離を空けて対峙した第二部隊長に戻した。ホームズもミラージュの隣に立ち、並んでスワイプスを見据える。
「おやおや、援軍のご到着というわけか」
スワイプスは、ふん、と鼻を鳴らし、ホームズを見た。その目には勝ち誇ったかのような余裕が見られる。スワイプスは、右手に持った紙に目をやって、
「ほら、このとおり、動かぬ証拠を見つけたぞ」
その紙をひらひらと振る。この距離ではよく視認できないが、何かが書かれている書面のようだ。
「何だそれは?」
ホームズが問い質すと、
「だから、証拠だよ。あのゴブリンが宝石すり替え犯であるというな」
「何を根拠に」
「ほら、その目でよく見てみろ」
スワイプスは右腕を伸ばし、ホームズの眼前で手にした紙を振る。引ったくるようにそれを奪ったホームズは、紙に目を通す。
「……これは」
ルビー、ダイヤモンド、エメラルドといった宝石の名前と、その横には数字が書かれている。
「すり替えた宝石を換金した記録だ」
「なに?」
スワイプスの言葉に、ホームズはもう一度書面に目を落とした。ワトソンも、横から紙を覗き込んで、
「……結構な金額だね」
「そうなのか?」とホームズは、「俺は、まだこの世界の金銭感覚に疎いから、よく分からんが」
「本当にこの金額で換金できたというなら、宝石はどれもこれも相当な逸品だよ。さすがアンハイド武具工房、装飾に使うのも一流品だ」
「変なところで感心してる場合か」ホームズはスワイプスに視線を戻して、「おい、これは、どこから?」
「そこだ」スワイプスは、作業場の奥、木箱が雑多に積み上げられている一角を指さして、「その箱のひとつから見つかった。あのゴブリンめ、自分の部屋にしまっておくと、私に真っ先に発見されると思って、こんなところに隠していたんだな。宝石なんて代物、簡単に大量に換金など出来ないからな。少しずつ処分して、その都度、手にした金額を忘れないように記録を付けていたのだろう。見たところ、この作業場は他の三つと比較しても、特に散らかっているようだからな。隠しものをするにはもってこいと思ったのだろうが、私の目からは逃れられなかったというわけだ――」
「捏造だ!」
遮るように言葉を挟んだのはミラージュだった。スワイプスは、その侮蔑するような目を第一部隊長に向けると、はあ、と大げさにため息をつき、
「お前、さっきからそればっかりだな」
「潔く認めたらどうだ」
「おい」とホームズが声を挟んでミラージュに、「お前が、そこまで自信満々に言うってことは……」
「そうだ」ミラージュはホームズの顔を見返して、「お前の作戦が功を奏した。あの木箱は、スワイプスらが捜索する前に、俺の部下たちによって先に検められていたんだ」
「やはりな」
ホームズは僅かに口角を上げた。
展示室にて、“ミラージュが連れてきた衛兵の人数では、とてもスワイプスの捜索班すべてを監視できない”と結論づけたとき、ホームズはミラージュに作戦を伝授していた。それは、“スワイプスらに先駆けて、作業場の中でいかにも何かが隠されていそうな場所を先に検めておく”というものだった。そこでホームズが選んだのが、この第二作業場だった。昼にリパッグをかくまう作戦を立てていたとき、トレイブの口から“第二作業場がことのほか散らかっている”という意味のことを聞いていたため、もしスワイプスが証拠の発見を捏造するのであれば、その第二作業場を選ぶであろうことに賭けたのだった。
「つまりだ」ミラージュはスワイプスに視線を戻し、「先に私の衛兵たちが捜索した段階では、あの木箱の中にこんな書面はなかったんだ。しかし、そんなことは露ほども知らないやつらは、後手であそこを捜索したくせに、その紙が見つかったと臆面もなく言い放っているというわけだ」
スワイプスは苦い表情を見せたが、すぐに余裕のある不敵な笑みをとりもどしていた。このスワイプスという男、相当なタマだなとホームズは内心舌を巻いた。
「何の証拠がある?」
スワイプスの冷静さと侮蔑がないまぜになったような声が、ミラージュに向けられる。
「だから、何度も言っているだろう。あそこは私の部下が先に検めていたと」
「証人がいるのか?」
「……それは」
ミラージュの声のトーンが落ちた。そういうことかとホームズは、スワイプスの言いたいことを察した。リパッグが死体で発見されたことで、現在作業場の仕事はすべて中断されており、職人たちは全員が休憩所に集められている。そのため、今はどの作業場にも職人の姿はない。つまり、そこは先に第一部隊の衛兵が検めていたのだということを証明する、第三者的な目撃者はひとりもいないということだ。だが、同じことはスワイプスの側にも言える。
「お前がそれを、そこで発見したという証言も、同時に取れないわけだよな」
ホームズが突くと、スワイプスは、
「確かにな。だが、私のほうには、れっきとした物証がある」
ホームズが手にしたままの書面を見やった。ホームズもスワイプスを睨み返し、
「これが証拠になるのか?」
「なるさ、そこに書かれている字を調べてみるといい」
「なに?」
「あのゴブリンの書いた字と完全に一致するはずだ」
「……筆跡」
ホームズは唇を噛んだ。
指紋や血液型を判別する方法や概念はこの世界には存在しない。しかし、筆跡となれば話は別だ。ホームズのいた世界では、古代ローマ時代からすでに「筆跡鑑定」が行われていたという記録がある。血液に成分の違いによる種別があるだとか、指先の紋様に二つと同じものがないといったことは、ある程度の科学技術が確立されたうえでなければ知り得ない事柄であるが、書かれる文字に個人差が存在するというのは、気付くものが気付けば誰の目にも一目瞭然だ。
「それも含めての捏造だと言っている!」が、ミラージュの舌鋒は止まらない。「お前は、リパッグの部屋を捜索した際に、彼が書いた書面を盗み出し、それを参考に似た文字を書き連ねただけだ」
「その証拠こそ、見せてもらいたいものだな」
そう来られては、こちらも言い返す言葉を持たない。ミラージュは、ぐっ、と声を詰まらせた。
「つまりだ」対してスワイプスは、その表情と声にも余裕の色をいっさい消さないまま、「どちらも目撃証言を確立できない以上、物証のある私のほうが有利というわけだ、返せ」
スワイプスは歩み寄って、ホームズの手から書面を取り上げると、
「これだけじゃないぞ」
「なに?」
「街の宝石商から、ゴブリンから宝石の鑑定を依頼されたという証言も取ってある」
「何だと――あっ!」
ホームズは思い至った。その宝石商の証言に嘘はないだろう。恐らくリパッグは、自分に預けたエメラルド――恐らく、真の宝石すり替え犯が隠し持っていたものを入手したのだろう――を念のため鑑定しに宝石商のもとに出掛けていたのだ。
「それも」と、ホームズが思案している間にもスワイプスの話は続き、「この証言は、今朝取れたものだ。そのゴブリンが店を訪れたのは、昨夜のことだったそうだ」
ホームズは思い出した。昨夜の夕食後、リパッグは早くに食事を済ませて、早々と自室に戻っていた。スワイプスに疑われている心労からのものとホームズは思っていたが、あの夜リパッグは、本当に自室に戻って休んでいたわけではなく、こっそりと宝石商のもとに向かっていたのだ。
「だが」ホームズはスワイプスを見据えながら、「そのリパッグは、もう死んでいる」
「ああ、じつに残念だよ」スワイプスは、芝居がかった口調になって、「せっかく、この私の手で強欲で悪辣なゴブリンを捕縛してやろうと思っていたのだが」
「なに?」
「おおかた、正式に裁かれる度胸がなく、逃げるように自死したのだろう。所詮、ゴブリンなどその程度の矮小な存在だ」
「お前――」
「ホームズ!」
飛びかかろうとしたホームズの腰に両腕を回して、ワトソンが止めた。
「離せ、ワトソン」
「駄目だって、こんな下手な挑発に乗って、どうするの……あっ」
ワトソンの手が緩んだ。が、ホームズはスワイプスに跳びかかろうとはせず、ワトソンと同じ方向に目をやった。そこには、
「……クリフさん」
衛兵たちに紛れて、クリフが立っていた。クリフは、その目から大粒の涙をこぼすと、踵を返して作業場を走り出た。
「クリフさん!」
ホームズはクリフを追い、ワトソンもそれに続いた。




