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3-18 他殺の根拠

「クリフ!」

「ぼっちゃん!」


 リパッグの亡骸にすがりつくクリフを、ジャーパスとトレイブが二人がかりで引き剥がしたが、なおも抵抗するクリフを押さえつけるために、スカージとホームズも手を貸さなければならなかった。そこに、


「ホームズ!」


 呼ぶ声が上から聞こえた。ホームズが見上げると、天窓からワトソンの顔が覗いていた。


「何があったの?」

「ワトソン!」ホームズは応じて、「屋根の上には誰もいないか?」

「いない」

「おかしなところは?」


 いったんワトソンの顔は引っ込んだが、すぐに戻ってきて、


「見たところ、ないけど……ねえ、何があったの? そこに倒れてるの、リパッグだよね?」

「……とりあえず、下りてこい」

「うん……」ワトソンの顔は再び見えなくなったが、またすぐに天窓から顔を見せて、「ねえ! 衛兵が来た!」

「なに?」

「門に向かってくるよ。馬車が、五、六台くらい連なってる!」

「思っていたよりも早かったな。こんなときに……」


 ホームズはクリフの肩から手を離した。クリフはすでに抵抗をやめており、ジャーパスの胸に顔を埋めてしゃくり上げているばかりだった。



 馬車に乗っていたのは、スワイプス率いる衛兵騎士団第二部隊の衛兵たちだった。令状を手に工房内の一斉捜索を開始しようとしたスワイプスだったが、ホームズからリパッグが死亡したことを告げられると、拍子抜けしたように令状を丸めてしまい込んだ。

 死体発見現場となった展示室は、採光のために三枚の天窓すべてが開けられ、中にはホームズとワトソンに加えて、スワイプスと数名の衛兵も検分のために立ち会った。とは言っても、実際に検分をしているのはホームズとワトソンだけで、スワイプスは衛兵たちを背後に従え、リパッグの亡骸から少し距離を置いて仁王立ちしているだけだった。クリフをはじめ、死体発見に立ち会った関係者たちは、衛兵が見張りについて事務所棟の応接室に集められている。作業場での仕事もいったん中止となり、職人たちは、こちらも衛兵の見張り付きで休憩所に集められていた。


「無様な最期だな」

「なに?」


 スワイプスが冷たい口調で言い放った言葉に、リパッグの死体を調べていたホームズは顔を上げ、


「どういう意味だ?」


 立ち上がってスワイプスに詰め寄ろうとしたが、ワトソンに服を引かれたことで留まった。対するスワイプスは、腕組みをしてリパッグの死体を一瞥してから、


「一斉捜索が入ることになり、もう逃げ切れないと観念して自害したのだろう」

「なんだと?」


 ワトソンを振り切って、スワイプスの眼前まで迫ろうとしたホームズだったが、今度は衛兵たちに割って入られたことで、その足を止められた。数名の衛兵を挟んで、ホームズとスワイプスが睨み合っているところに、


「隊長」と駆け込んできた衛兵が、「第一部隊のミラージュ隊長が到着しました」

「そうか」


 それを聞くとスワイプスは、(きびす)を返して出入り口に向かう。


「ホームズ!」ミラージュが展示室に駆け込んできて、「話は聞いたぞ……」


 そこまで言ったところで、退出しようとしていたスワイプスと鉢合わせた。ミラージュの後ろには第一部隊所属の衛兵らも続いている。


「お前の仕事だ」


 スワイプスは自分の肩越しに死体発見場所をあごでしゃくった。ミラージュが何も言わずすれ違おうとすると、


「もっとも、宝石すり替えの横領事件については、こちらで処理するがな」

「なに?」


 立ち止まったミラージュは振り返り、ホームズもスワイプスの背中に目をやった。


「処理とは、どういうことだ?」


 ミラージュは問い質す。


「決まっている。被疑者死亡のまま事件終了、ということだ」

「被疑者死亡……」ミラージュは、リパッグの亡骸を一度見てから、「彼が、リパッグが犯人だという証拠は?」

「目下捜索中だ」

「なに?」


 それを聞いたホームズは、「しまった!」と叫び、


「お前、すでに工房内に捜索の手を入れているんだな! このどさくさに紛れて……」

「どさくさに紛れてとは、人聞きの悪い」スワイプスは、ゆっくりと振り向くと、「今日の一斉捜索は、正式に許可を受けてのものだ」


 懐から令状を取り出し、ホームズとミラージュに見せつけて、


「我が第二部隊所属の衛兵たちは皆、優秀だ。今日の一斉捜索で、()()()()()()()()()()()()()。そのゴブリンが宝石すり替えの横領犯だという証拠をな」

「汚い真似を!」


 跳びかかろうとしたホームズだったが、ミラージュとワトソンに押さえつけられた。


「ミラージュ」スワイプスは令状をしまうと、「自殺の捜査じゃあ、やりがいもないとは思うが、せいぜい頑張ってくれ、じゃあな」


 自分の衛兵たちを引き連れて、展示室を出て行った。


「すまん」スワイプスの姿が見えなくなると、ミラージュはホームズに頭を下げて、「私の力では無理だった。ちょうど今、私たち騎士団を束ねる大隊長が不在でな、スワイプスのやつ、それをいいことに係員をうまく丸め込んで、あっさりと捜索許可を下ろさせてしまった」

「いいって。お前のせいじゃない」ホームズは、ミラージュが頭を上げるのを待ってから、「それよりも、随分と到着が早かったな」

「私もこっちに向かっている途中だったんだ。手の空いている衛兵を数名連れてな。で、工房の門をくぐったところで、第二部隊の衛兵から事件のことを聞かされたというわけだ」

「そうだったのか。衛兵を連れてきたってことは、もしかして?」

「そうだ。私は、あいつが捜索にかこつけて自分で用意したニセの証拠をでっち上げるんじゃないかと懸念していた。それを監視するためには、ある程度人数が必要だろうと思ったんだが……」


 それを聞くと、ワトソンはホームズの脇腹を小突いて、


「考えることは一緒だね」

「うるせえ」

「何がだ?」


 ホームズはワトソンの腕を振り払い、ミラージュは怪訝な顔をした。


「しかし、まさか……」ミラージュは、部屋の奥側に向き直り、「こんなことになるとは……」


 リパッグの亡骸を見つめた。ホームズもそちらを向き、


「リパッグが死体で見つかった直後、タイミングの悪いことにスワイプスのやつがここに到着したんだ。で、クリフさんたちも、作業場で仕事中だった職人たちも、全員が衛兵の監視下に置かれることになってしまった。これで誰にも邪魔されることなく、好き勝手に工房の一斉捜索が出来るようになったってわけだ。あとは適当に時間を稼いで捜索の真似事だけしておいて、いい頃合いを見計らって()()を発見したことにすればいいわけだ……くそっ」


 ホームズが拳で手の平を叩いたのを見ると、ミラージュは、


「ホームズ、ここには衛兵ひとりだけを残して、あとのものは当初の予定どおり、スワイプスの監視につかせようと思うのだが」

「いいのか?」


 ホームズが訊くと、


「構わんさ。その代わり、お前にも働いてもらうがな」

「それはいいが……」

「何だ? 何か不服か?」

「いや」ホームズは、ミラージュが連れてきた衛兵たちに目をやって、「……スワイプスのやつは、多分いくつかに班を分けて捜索――の振りに当たるだろう。この人数じゃあ、そのすべての班の監視をするのは無理かもな」

「そうだな、だが、仕方ない。スワイプス自身が入った班を監視するのは当然として、あとは……」

「なあ、俺に考えがあるんだが」

「何だ?」

「捜索班につきっきりで監視をするのはやめよう」

「なに?」

「それよりも……」


 ホームズは自分の考えをミラージュに聞かせた。


「どう思う?」


 ホームズが感想を訊くと、


「……なるほど、そのほうが効果的かもな」ミラージュは納得したような表情で頷き、「聞いていたな?」と衛兵たちに確認を取ると、「かかってくれ」


 号令をかけた。ひとりを残し、衛兵たちが展示室を出ていくと、ミラージュは、


「まずは、死体発見に至った詳しい経緯を聞かせてもらおうか」

「ああ……」


 ミラージュの要請に応じて、ホームズは午前中の出来事を話して聞かせた。


「……ということは」話を聞き終えたミラージュは、「リパッグが死んだのは、午後十二時の鐘を鳴らした直後から、死体を発見した午後一時過ぎまでの一時間の間に絞られるというわけだな」

「普通に考えれば、そういうことになる」


 発見直後に死体を調べた際には死後硬直が起きていなかったことと、体表の冷たさから判断して、死亡してから二時間は経過していないだろうとホームズも判断した。人間と同じ判断基準がゴブリンにも通用するのか疑問ではあるため、あくまで参考程度にしかならないが。


「スワイプスは自殺だと言っていたが、それは本当なのか?」

「……分からん。分からんが、完全に否定は出来ないな」

「どうして?」

「見てくれ」


 ホームズは天井を見上げた。リパッグの死体が横たわった直上には、ちょうど天窓が位置している。


「あそこから転落したと?」


 天窓から視線を戻したミラージュが訊くと、ホームズは、


「リパッグの死因は、後頭部を強く打ったことによる脳挫傷だと見ていい。血溜まりの状況から、床に後頭部を打ち付けたものと考えてもおかしくはないだろう」

「なるほどな」

「だが、疑問はある」

「何だ?」

「まず、どうして天窓が開いていたのかということだ。この展示室は普段は遣われていなくて、天窓もすべて、その上に被さる鎧窓ごと閉じられている状態にあるんだ。それが、どうして開いていたのか。しかも、この一枚だけが」


 再びホームズは頭上に開いた天窓を見上げたが、すぐに視線を戻し、


「それと、この鎧だ」

「これは、紅騎士(スカーレット・ナイト)デモリスの鎧を模したものだな」

「知っているんだな」

「一次大戦の有名人だからな。この鎧が、どうかしたのか?」

「バラバラになっている」

「そうだな」とミラージュも床に散乱した鎧のパーツ群を見回して、「ものの見事にな」

「この鎧は、人が着たのと同じ状態に組み上げられ、支柱で支える形で展示されていたんだ」

「単純な話なんじゃないか? リパッグが天窓から落下し、まさにその落下点に鎧があって、リパッグがぶつかったことで鎧はバラバラになった」

「俺も最初はそう思った。だが、変なんだ」

「どうしてだ?」

「昨日、俺がここを見せてもらったとき、デモリスの鎧は、もっと出入り口側、水平面的に見れば、ちょうど天窓と天窓の間に展示されていたんだ。だから、天窓から落ちたリパッグの体がぶつかるということは、ありえない」

「なに?」

「そら、そこだ」


 ホームズが指さした先には、鎧が等間隔に並べて展示されたスペースがあるが、その中に、ぽっかりと穴が空いたように鎧同士の間隔が開いた空間が存在し、そこには鎧を支えておく支柱だけが立っていた。


「確かに、あの間隔の空きかたは不自然だな。しかも、支柱だけが立っている」

「ああ。俺の記憶によれば、このデモリスの鎧は本来あそこに置かれていたはずなんだ」

「それが、どうして天窓の真下に? しかも、支柱は残っているのだから、()()()()()()()()ということになるな」

「リパッグの死と何の関係があるのか……しかも」ホームズは屈み込み、「見てくれ、この鎧は、所々へこんだり傷が付いたりしている」

「……確かに」


 ミラージュも膝立ちになり、ホームズが示している、鎧に付いた傷やへこみを見た。


「昨日見た限りでは、この鎧は綺麗なもので、こんなに目立つ傷やへこみはなかったはずなんだ」

「そうなのか?」

「ああ。現場状況から考えて、もしリパッグの死が事故だとしたら、こういうことになる」ホームズは立ち上がって、「リパッグは、この展示室に入ると、デモリスの鎧を本来の位置から天窓の真下にバラバラの状態で置いておき、その直上の天窓を開けた。そして屋根に上って、午後十二時の鐘を叩く。それから、俺たちが死体を発見する午後一時過ぎまでの間に、開いた天窓からここに転落したということになる」

「鐘を鳴らしてから、一時間も屋根の上にいたとは考えがたいから、転落したのは鐘を鳴らし終えた直後と見るのが自然だろうな」


 ミラージュも立ち上がって言った。


「だが」とホームズは、「俺は、リパッグの死は事故じゃないと思っている」

「どうしてだ?」


 ミラージュに訊かれると、ホームズは


「まず、俺たちがここに入る際、扉には施錠がされていた。今、調べたところ、リパッグは鍵を身につけていない」

「なに? ということは……」

「そうなんだ。リパッグがここに入る(すべ)がない以上、鎧を散乱させることも、天窓を開けることも出来なかったはずなんだ。この天窓は屋内からしか開けられない構造になっているからな」

「ここの鍵を持っているのは、誰だ?」

「まず、クリフさんは所持しているが」

「そうか……おい、確認を取ってくれ」


 ミラージュが声をかけると、衛兵が展示室を出て行った。


「さらにだ」とホームズは屈み込み、リパッグの死体の緑色の血で染まった後頭部を指さして、「見てくれ、この傷を」

「これは……」

「そうだ、この傷口、転落して床に打ち付けたにしては、明らかに変だろ」

「ああ……」ミラージュも中腰になり傷口を凝視しながら、「この傷の具合は、まるで、何かで殴られたかのような……」


 彼の言ったとおり、リパッグの後頭部の傷口は、平坦な床に激突したにしては深い形を作っていた。


「だろう。恐らく、何か鈍器で……」


 ホームズは展示室内を見回した。ミラージュは無言で立つと、様々な武器が架けられた壁に近づいていき、その中のひとつを手に取った。ホームズも近づいていき、


「何だそれは?」


 ミラージュが手にしている、長さ五十センチ強の金属製の棒を覗き込んだ。


鎚矛(メイス)だ」

「めいす?」


 棒の先端に、三角形に近い形をした小さな板が放射状に取り付けられている、鎚矛(メイス)と呼ばれるその武器を、ホームズは興味深く見た。ミラージュは鎚矛を片手で持ち、天井に掲げるようにして、


聖職者(クレリック)が戦闘に際して使用する武器だ。彼らは、戒律によって刃物で戦うことが禁じられているため、こういった打撃武器を使うんだ。だが、これは実戦用ではなく、儀式や祭礼などに用いられるもの、あるいは、その複製品(レプリカ)だろうが」


 確かにその鎚矛は、細かなレリーフが刻まれ、塗装も成されており、さらには所々宝石で飾られた、見るからに荘厳さを感じる一品だった。


「見てくれ」とミラージュは、鎚矛の先端――敵に打ち付ける部分を指さして、「このフランジ――放射状に取り付けられた板のことだ――の形が、リパッグの傷の形と一致しているとは思わんか?」

「どれ」


 ホームズも鎚矛の先端を凝視して、


「確かに……。あ、これ、リパッグの血じゃないか?」


 放射状に配置された板同士の間に、緑色の物質が付着しているのを見つけた。明らかに塗装ではない。ミラージュもそれを確認し、鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、


「間違いないな。これは血だ。まだ新しい。加えて、色が緑となると……」

「凶器は、これか」

「ということは、これはやはり他殺……」

「そういうことになるな」


 ミラージュは、証拠品である鎚矛を壁に戻すと、もう一度、死体の周辺に散乱した鎧を見回して、


「しかし、皮肉なものだな」

「何が?」

「伝説では、デモリスは決してゴブリンは殺さなかったという」


 ホームズは、リパッグから聞いた話を思い出して頷いた。ミラージュは嘆息して、


「まるで、デモリスの鎧がひとりでに動いて、リパッグを殺したみたいに見えるじゃないか」


“紅騎士”の異名を取る原因となった深紅の鎧を見て、ホームズも深いため息を漏らした。

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