3-15 告白
玄関の前に立ち、ホームズたちはスワイプスの一団が去って行くのを見送った。「何があったんだ?」と、ようやく出て来たスカージもそこに加わる。クリフは叔父に、今日中にスワイプスが工房の一斉捜索に入ることを教えた。
「そんな、横暴な……」
スカージは苦々しげに正門の方向に目をやる。すでにスワイプスたちの姿は見えず、多数の馬車の走行音が遠ざかっていくだけだった。
「申し訳ありません」
スカージとクリフにミラージュが頭を下げた。
「ミラージュさんが謝る必要はありませんよ」
クリフは憂いた表情の中に笑みを浮かべる。申し訳ありません、ともう一度謝ってからミラージュは、
「とにかく私は衛兵事務所に戻り、あいつの捜査方針に問題があることを上に伝えます。捜索許可が下りるのをできるだけ遅らせて、場合によっては却下に持ち込めるかもしれません」
「頼む」
ホームズが応じた。「うむ」と頷いたミラージュは、
「その間、こっちのことはお前に託すぞ」
「……ああ」
ミラージュは門の向こうに走り去り、蹄鉄が地面を叩く馬の疾走音を遠ざけていった。
「ホームズ様」クリフが不安な顔で〈たんてい〉を見て、「私たちは、どうすればよいのでしょう?」
「それはもちろん、犯人を見つけ出すことですが……簡単ではないでしょう」
「ですよね……」
「ここで働いている人たちの所持品検査はしたということですが、こうなったら、各人の自宅の捜索も視野に入れる必要があるかもしれません」
クリフは悲しそうに視線を落とした。そこにスカージが、
「あのスワイプスとかいう男に、好きにやらせてやればよいのではないですか?」
「どういうことです?」
クリフが訊くと、
「あの男は、徹底してここを調べると言っていましたが、この期に及んですり替えた宝石はおろか、何か証拠が出てくるとも思えません。捜索許可まで取って家捜しをして、それで何も出てこないとなったら、あの男の立場も危うくなるでしょうし、諦めさせることも可能なのではないかと思いますが」
「……どうでしょう、ホームズ様」
クリフに意見を仰がれた〈たんてい〉は、
「私は、スワイプスは次の捜索において、何か見つけるのではないかと思っています」
「どうしてそんなことが分かるのです?」
「あいつ自身が証拠を持ち込むからですよ」
「えっ?」
クリフは目を丸くし、スカージは、ううむ、と唸った。
「それは、つまり……」
「捏造……」
クリフが言い淀んだであろう言葉を、スカージが受け取った。そうです、とホームズは、
「スカージさんのおっしゃったとおり、一斉捜索という大がかりな捜査までして何も出てこなかったとなれば、それなりの責任問題に発展するでしょう。それでもスワイプスがそれを強行するからには、何かしらの勝算があるはずです。大人数で工房中を一斉捜索するどさくさに紛れさせれば、持ち込んだ捏造証拠を、さもここで発見したように装うこともたやすいはずです。そして、その“証拠”が指し示す“犯人”は……」
「……リパッグ」
「許せない!」
スカージが、スワイプスが目の敵にしているゴブリンの名を呟くと、クリフは語気を荒げた。
「リパッグは、この工房からほとんで外に出ることはないと聞きました。そのことも、スワイプスがここの捜索にこだわっている理由でしょう。リパッグを犯人に仕立て上げようとしたら、工房の敷地内で証拠を見つけたことにするしか……」
ホームズは言葉を止めた。視線をクリフとスカージを超した向こうにさしたまま。その視線を追って振り向いたクリフは、
「リパッグ!」
玄関の前に立っていたゴブリンの名を叫んだ。
「お前、いつからそこに?」
スカージも振り返る。
「隊長の旦那は帰ったんですかい」頭にタオルを巻き、腰に白いエプロンをかけたリパッグは、ぺたぺたと足音をさせながらクリフたちのもとに近づくと、「職人連中に差し入れするパンを焼きやした。食堂に置いてありやすんで、どうぞ」
自分が出て来たドアを手で示した。
「どうだ、クリフ、ちょっと一息入れないか」
スカージが言うと、はい、とクリフは叔父の言葉に従い、二人で玄関に向かう。そのあとから、ホームズもワトソンと一緒についていこうとしたが、
「……旦那」
ぼそりと呟くようにリパッグに声をかけられ、足を止めた。その声のトーンから、先行する二人には聞かれたくないことなのだと判断したホームズは、目で、どうした? と答えた。それが通じたのだろう、リパッグはクリフとスカージの背中が玄関の奥に消えていくのを横目で見ながら、
「あとで、あっしの部屋に来てくだせえ。一階の一番奥の赤いドアでさ。詳しいことは、そこで」
言い終えると、ホームズの返事を待たずに自分も玄関に向かう。ホームズはワトソンと顔を見合わせてから、玄関をくぐった。
食堂に集まり、ホームズたちは焼きたてのパンとアーモンドミルクをいただいていた。
「そういえば」とホームズが、「ジャーパスさんは? ずっと作業場ですか?」
「いえ、今朝は打ち合わせのため、自宅から直接取引先に行ってもらっています。お昼前には工房に来ると思いますが」
クリフが答えると、
「あいつが来たら、先ほどのことは私から伝えておこう」
スカージが言った。お願いします、とクリフは頭を下げる。
「トレイブさんは作業場ですか?」
さらなるホームズの質問には、今度もクリフが、
「そうです。今朝、出勤してくるところを見かけましたから。……スカージさん」と、クリフは叔父の名を呼び、「ジャーパスさんだけでなく、トレイブさんをはじめ職人たちにも話しておくべきでしょうか?」
スカージは、ううむ、と神妙な顔をして、
「いや、下手に混乱を招くだけになる。このことはジャーパスの耳にだけ入れておくことにしよう。一斉捜索が入る可能性があるなどと知れば職人たちは、衛兵詰所に抗議しに行く、などと言いだしかねない。現在作業場は、大口受注の製品を納期に間に合わせるためにフル稼働しているんだ。仕事が滞るのはまずい」
こんなときにも仕事のことを第一に考えるとは、とホームズは呆れかけたが、経営者としては、それはもっともなことなのかなと思い直した。彼には、この工房を、引いては従業員たちの生活を預かる責任というものがある。いっときの感情で起こした行動が結局当の職人たちを苦しめる結果になるのであれば、それを止めるのは彼の責務だ。
パンとアーモンドミルクで小腹を満たすとホームズは、「少し、そのへんを散歩してきます」と、まだパンを食べ足りなさそうなワトソンを連れて廊下へ出た。リパッグの姿はすでに食堂になかった。
一階の一番奥、廊下の突き当たりに見つけた赤いドアをホームズはノックした。ぎい、と音を立てて開いたドアの隙間から、
「入ってくだせえ」
顔を覗かせたリパッグに招じ入れられ、ホームズとワトソンは中に滑り込んだ。
「そこに」と示されて、二人は並んでベッドに腰を下ろし、リパッグ自身は部屋に一脚しかない椅子に座った。
「なんだ、話って」
さっそくホームズに促されると、リパッグは椅子の上で居住まいを正し、
「……あっしがやりやした」
「えっ?」
突然の告白を聞き、ワトソンが目を丸くしたのに対し、ホームズは、じっとリパッグの顔を見つめるだけだった。
「旦那」とリパッグもホームズの目を見返して、「あっしを捕まえてくだせえ」
「……どういうつもりなんだ」
ホームズは冷静な声を突き刺す。
「どうもこうもありゃあせん。あっしが下手人ってだけでさ」
「……ははあ、読めたぞ」
「何がですかい?」
「リパッグ、お前、玄関で俺たちの話を立ち聞きしていたな」
「……」
「スワイプスの一斉捜索が入ることを知って、工房が荒らされて職人たちの仕事に迷惑がかからないようにと、そういうことだな。そのために、やってもいない罪をかぶろうというのは、さすがに――」
「工房を荒らされたくねえというのは当たっていやすが、あっしが下手人というのは本当のことでござんす」
「……」
「信じていただけねぇんで?」
「当たり前だろ」ホームズは、ため息をつくとともに腕組みをして、「何で今になって自白する気になったっていうんだ」
「そりゃ……あの隊長さんがおっかねぇのと、噂に名高い〈たんてい〉の旦那が捜査に乗り出すってんで、これはもう逃げ切れねぇ、観念するしかねぇなって思った次第でして……」
それを聞くと、ホームズはまぶたを閉じ、もう一度深く嘆息して、
「スワイプスのことなら心配するな。俺とミラージュで何とかするから――」
「出来やすかね?」
「なに?」
まぶたを開いたホームズは、真正面からリパッグと目を合わせた。彼我の身長差は、ホームズが腰を下ろしているベッドが、リパッグの座る椅子よりも低いことで一時的に消え去っており、二人の視線は水平にぶつかりあっていた。リパッグは赤みがかったその大きな目を、目の前にいるホームズではない、どこか遠くを見つめるような視線に変えて、
「あっしは、アンハイドの旦那に拾われるまで、世界中を旅してきやした。“旅”なんて言うと呑気なものに聞こえやすが、ひとつの場所に留まっていられなかったための逃亡の連続、とういうのが本当のとこでありやした」
「逃亡……」
「さいでがす。この世界は、あっしらゴブリンにとってはまことに生きずらい世界でして。無視や邪険にされるなんてのはかわいいほうで、中には、問答無用であっしのことを殺しにかかってくる人間なんてのも、どこにでもいやした。あっしらゴブリンが、この世界でどんな扱いを受けているか、異界人である旦那も、そちらのワトソンの旦那やぼっちゃんから聞き及んでいやすか?」
ホームズは黙って頷いた。
「だったら話は早えでげすな。そうなんでげす。あっしらゴブリンは存在自体が邪悪。ゴブリンだというだけで問答無用で殺したって構わない。いえ、それどころか、“闇の眷属”は殺されたほうがやつら自身のためにもなる。そんなふうに考えている人間も、まだまだおりやす。それが世界の現状でやす」
ワトソンが何も口を挟まないことが、リパッグの言葉が事実であることを物語っていた。
「旦那、昨日、展示室でデモリスの鎧を見たでしょう」
「ああ」
突然話が変わって、ホームズは面食らいながらも返事をした。
「ワトソンの旦那が話してくれたように、デモリスってのは、それはおっかねぇやつだったらしいですが、あっしらゴブリンには人気があるんですぜ」
「人気がある? それは、どういう」
「あの鎧のせいでさ」
「鎧? あの、深紅の」
「さいでがす。ワトソンの旦那の話にもあったとおり、デモリスが自分の鎧を真っ赤に塗りたくったのは、自分が殺した相手の返り血が目立たないようにするためでやす」
「そうだったな」
「これをご覧くだせえ」
リパッグは、机の引き出しから一振りのナイフを取り出すと、その先端を自分の指の腹に当てた。
「あっ! 何を――」
ホームズの声は止まった。リパッグがナイフを離し、その指先から緑色の液体が流れ落ちたのを見たためだった。
「……血?」
「さいでがす。あっしらゴブリンの血は、この肌と同じ色をしてるんでさ」リパッグは、腰に提げていた手ぬぐいで指先を拭くと、「これでお分かりになったでげしょう。つまり、デモリスは、決してあっしらゴブリンは殺さなかったんでげすよ。なぜって、あっしらゴブリンを殺したら、真っ赤な鎧に緑色の返り血を浴びることになっちまうからでさ」
「……」
「伝説ではデモリスは、ゴブリンと人間が戦っている、いえ、ゴブリンが人間から一方的に殺戮されている現場に現れると、人間だけを心臓を抉り出して殺し、ゴブリンには目もくれなかったといいやす。あっしらの中には、そのためデモリスを英雄視しているやつもいやしたよ」
「どうして、今そんな話を?」
「つまりでやすね、あっしらゴブリンと人間とでは、まったく価値観が違うってことでさ。人間にとって恐怖の対象である紅騎士デモリスも、あっしらゴブリンから見れば、人間だけを殺してくれる英雄でげす。結局、ゴブリンと人間はまったく別の種族、分かり合えねえ宿命なんでさ」
「そんなことを言うと、クリフが悲しむぞ」
そう言われてリパッグは黙った。が、すぐに、
「ぼっちゃんは特別でさ。こんなにちっちゃな頃からあっしと一緒に育ったんで、感覚が麻痺してるだけでさ」
「ジャーパスさんをはじめとした職人たちはどうなる」
「ぼっちゃんに気を遣ってくれてるだけでさ。内心では、きっとあっしのことを煙たがっているはずで――」
「もういい」
ホームズはリパッグの語り口を止めた。
「旦那、後生でげす」リパッグはすがりつくような視線をホームズに向けて、「あの隊長さんは、かつてあっしを――面白半分で――殺そうと追い回した人間どもと同じ目をしておりやす。あの人は、やるといったらやる人でげす。下手に抵抗なんてしようものなら、あっしはもとより、ぼっちゃんや旦那がたにも迷惑がかかりやす」
「だからって!」ホームズは立ち上がった。「お前が犠牲になったって、事件が解決したことにはならないだろ!」
視線に上下差が生まれたことにより、ホームズの目を見上げる格好になったリパッグは、
「旦那は、勘違いをされていやす」
「なに?」
「これで事件は解決するんですぜ。なぜって、犯人はあっしでやすから」
「お前、まだそんなことを……」
「旦那は、あっしのことをかいかぶりすぎでさ」
「とにかく、今のは聞かなかったことにする。俺とワトソンは、これから捜査を続行するからな。スワイプスの対策も考えないといけないし……」
言いながらホームズは、ワトソンの手を取って出入り口ドアに向かった、が、
「試してみやすかい?」
リパッグの言葉に足を止めた。
「……何をだ?」
ドア目前まで来て、ホームズは振り向いた。リパッグも椅子から降りると、ゆっくりと右腕を上げて、
「そいつで試してみるというのは、どうでげしょう」
リパッグの緑色の人差し指は、ホームズの右手中指にはまる指輪を示していた。
「真賢者ブラウの神聖遺物〈真実か死か〉。それを発動した状態で、あっしは無実だ、と口にしてみやすかい?」
にやり、とリパッグは笑った。ホームズは右手を胸の高さまで上げた。ワトソンの手首を掴んだままだったため、自分の手、ワトソンの浅黒い肌、指輪の銀色、そこにはまった石の青、四色のコントラストがホームズの視界を覆った。視線を動かすと、そこにリパッグの肌の緑色が加わる。
手を開き、ワトソンの手首を離したホームズは、
「……いいだろう」
五本の指をまっすぐに伸ばし、〈真実か死か〉をしっかりとリパッグに見せて、「……我、これより――」
「待った!」
リパッグの声がホームズの詠唱を止めた。
「旦那……」と、リパッグは懐に手を入れて、「その先を唱えるのは、これを見てからにしても遅くはありやせんよ」
抜いた手を甲を下側にしてホームズに向け、ゆっくりと開いた。その手の平に載るものを目にして、ホームズは、ごくりと唾を飲んだ。
「“証拠”でござんす」
リパッグの手の平に載っていたのは、緑色に輝く宝石だった。




