3-12 鐘楼
ミラージュが出て行くと程なくして、入れ替わるようにクリフが応接室に入ってきた。
「お二人とも、そろそろお昼にしましょう」
クリフが告げると同時に、遠くに鐘の音が聞こえた。ここに来てから耳にしてきた回数と、今のクリフの言葉から、午後十二時課の鐘だと分かる。と、その直後、金属音が響いた。教会が鳴らしている重みがあり荘厳な鐘声とは違い、薄い金属を木槌で叩いているような、荘厳さなど一切感じない音だった。
「これはリパッグですよ」
一定の間隔で金属音が響く中、クリフが言った。
「リパッグが?」ホームズは目を丸くして、「いったい、何事が起きたというんです?」
「教会の鐘と同じですよ。工房のみんなに時間を知らせているんです。ここは街から離れているうえ、作業場の中で工房の作業音に囲まれていると、教会の鐘なんて全然聞こえませんからね。でも、作業場から離れているここであれば、わずかにですが鐘の音は聞こえますから、それに合わせてリパッグが手製の鐘を鳴らしているというわけです」
「鐘も彼が自分で作ったのですか」
「そうなんです。作業場に出入りしているうちに、見よう見まねで自分でも鉄を叩くようになったんですね。教会の鐘と比べたら、形も不格好で、お聞きのとおり音のほうも決していい音色とは言えませんが」
「まあ、確かに」
クリフと会話をしているうちに、リパッグの鐘は鳴り終わっており、作業場から途切れなく聞こえていた作業音もぴたりと止んでいた。
「どこで鳴らしているんです?」
「先ほど見ていただいた展示室棟の屋根にある小さな鐘楼からです。それもリパッグが設えたものなんです」
「鐘楼まで作ったのですか」
「はい。とはいえ、屋根の上に付け足しで設置したものですので、そこへは屋内からは出入りできないのです。建物の外壁からハシゴを伝って屋根へ上がらなければ鐘楼へは行けません。まあ、“鐘楼”なんて大層な名前で呼ぶのがはばかられるような、東屋みたいなものですけれどね」
「ところで、リパッグの鐘は、教会の鐘が聞こえてから、ほとんど時間を置かずに鳴らされていましたね」
「はは。鐘を鳴らすのは、リパッグがもう十何年も続けている仕事ですからね。体感で教会の鐘が鳴る時間が分かっていて、それに合わせて鐘楼に上って待機してるんですよ」
「鐘は、毎日お昼に鳴らしているのですか?」
「いえ、朝の六時と、夕方の四時にも鳴らしています。始業と終業の時刻です。それと、お昼休みが終わる午後一時にも鳴らしていますので、都合一日に四回ですね」
「それを休日を除いて毎日?」
「いえ」
「ですよね。さすがにそれを毎日なんて――」
「休日もです」
「えっ?」
「一日でも鐘を鳴らさないと、感覚が鈍るんだと。なので、当工房では一年間三百六十五日、日に四度。リパッグの鐘が鳴らない日はありません」
「は、はあ……それは、また……」
ホームズは呆れるとともに、この世界も一年間は三百六十五日なのか、それじゃあ、四年に一度の閏年もあるのかな、と関係のないことを同時に考えていた。
「それはそうと、お昼にしましょう」
クリフは、ここへ来たそもそもの目的を思い出したように告げた。
二人は先導するクリフについて応接室を離れ、ホームズがリパッグとの初遭遇を果たした台所前を抜け、広い食堂に案内された。そこにはクリフの叔父であり工房長のスカージが座っていた。ホームズたちも席に着いたところで、リパッグがワゴンを押して料理の皿を並べていく。さきほど屋根に上って鐘を叩いたと思えば、もう昼食の用意である。ホームズはこの勤勉なゴブリンに親しみを憶え、初対面で恐怖したことを改めて申し訳なく思った。
「職人たちは、作業場の中心にある休憩所でお昼を食べますので、こちらはこちらでいただきましょう」
クリフのその言葉を合図に、食事は始まった。
人数が多く、食事の席ということもあり、ホームズは事件に関しての話題は避けることにした。その意図を察したのか、クリフ、スカージに、用意を終えて食事に加わったリパッグも、事件のことを口にはしなかった。ミラージュと何を話していたかを訊かれることもなかった。仮に訊かれたとしても、実は関係者皆さんの身辺調査をしてもらっています、などと答えるわけにはいかない。食事中の話題は、アンハイド武具工房のことや、最近の業界事情などに終始した。
ホームズはこういうとき、いつも疑問に思う。先に訪れたイルドライドでもそうだったが、この世界の人たちは、自分に対して何か訊いてくるということを、まずしない。言っても自分は彼らにとっての〈異界人〉だ。もっと根掘り葉掘り、向こうの(ホームズがいた)世界のことについて質問攻めになってもおかしくない――というか、そうなるべきが本来ではないだろうか? もし自分が逆の立場だったら、こうはいかないだろうなと思う。あまり(異界)人のことを詮索しない、という暗黙の了解がされているのだろうか? そもそも興味がないのだろうか? 考えても詮無いことなのでホームズは、席上で取り交わされている、門外漢の自分にはちんぷんかんぷんな、この世界における武具工房、鍛冶屋業界の話題を聞きながら、さも分かったように頷いていることにした。
食事もあらかた終える頃に、
「ぼっちゃん、あっしはお先に」
リパッグが席を立ち、クリフも頷いた。ホームズとワトソンには、「食器はそのままにしておいて下せえ」と告げ、リパッグは出入り口に向かおうとする。すると、その目的を察したのか、ワトソンが、
「待って、僕も行く」ガタリと音を立てて椅子から立ち上がり、「自慢の鐘を見せてよ」
それを聞くと、リパッグは、へへえ、と唸る。ワトソンは、隣に座るホームズに顔を向け、
「ホームズは? 来る?」
と小首を傾げる。
「い、行くに決まってるじゃねえか……」
ホームズが、ワトソンがしたよりもずっとゆっくりと立ち上がると、リパッグは、へい、と返事をして、
「ついてきて下せえ」
ホームズとワトソンが来るのを待って、ドアを開けた。
玄関を出ると、リパッグについて二人も展示室棟の裏手に回る。そこには屋根まで伸びたハシゴが立てかけられていた。
「落っこちないように気をつけて下せえ」
リパッグはハシゴに飛びつくと、細い手足を巧みに使い、小柄な体をどんどんと上昇させていく。思っていたよりも高いしハシゴも急角度だな、とホームズが屋根の上を見上げている間に、「お先」とワトソンはハシゴを掴み、そのまま数段上ってから地上を見下ろすと、
「怖いの?」
「なわけあるか!」
若干震える足をハシゴの一段目にかけて、ホームズも二人に続いた。
ワトソンの倍、リパッグの三倍の時間をかけて、ホームズはハシゴの頂上に上り着いた。緩やかな勾配の切妻屋根に、クリフの言葉どおり東屋のような鐘楼はあった。それは、午前中に屋内から見上げた天窓の間のスペースに設置されており、明らかに後付けされたものだと知れる。その鐘楼の天井からは鐘がぶら下がっていた。鐘といっても、教会などにあるような正式なものとは比べるべくもない、金属板を叩きに叩きまくって、何とかラッパ状に形成したというようないびつで不格好なものだった。鐘の内部にぶら下がっている舌も、まるで使い込みすぎた巨大なスプーンだ。鐘楼を支える四本の柱のひとつに、紐で木槌が結びつけられている。しばらく鐘楼の横に立っていたリパッグが、おもむろに木槌を手にした、その直後、遠くから鐘声が聞こえてきた。
「おお、時間ぴったり――」
感心したワトソンの声は、しかし、打ち鳴らされた鐘の音にかき消された。リパッグが鐘を一定のリズムでもって叩く。木槌の打面といびつな鐘、舌が叩き合わさって発せられたのは、“鐘声”と呼ぶにはあまりに破壊的な音だった。こうして目の前で直に聞いたことでホームズは、教会の鐘がオペラだとすれば、このリパッグの鐘はデスメタルだと思った――もっとも、彼自身はオペラを鑑賞したことなど一度もないのだが。屋根の上に四つん這いになっていたホームズは、耳をふさぐため膝立ちの格好になる。屋根の頂点に立っていたワトソンは、両手を耳にあてながらも絶妙なバランス感覚で直立の姿勢を保ち続けていた。
木槌で鐘を叩くこと十数回。ホームズの体感で三十秒ほどの時間をかけて、リパッグはお昼休みが終了したことを工房中に告げ終えた。
「ふわぁー」とワトソンは耳から手を離して、「これだけ近くで聞くと迫力が違うね」
「は、迫力というか……」とホームズも両手を下ろしつつ、「もはや騒音だぞ。これは」
もとのような四つん這いの体勢に戻った。
「へへ」二人を振り向いたリパッグは、「これくらいのがちょうどいいんでさ。教会のみたいな眠くなりそうな鐘の音じゃあ、百戦錬磨の職人連中を鼓舞するなんて出来ませんやね」
大きな口を開け、牙を見せて笑った。
「旦那がた、こっちへ来て下せえ」
鐘を叩く役割を終えたリパッグは、屋根の端まで移動していった。ワトソンは両腕を広げてバランスを取りながら歩き、ホームズは四つん這いの姿勢のまま、リパッグのあとに続いた。
「ここから、うちの工房の全体が見わたせまさあ」
彼の言葉どおり、展示室棟の屋根の一番端であるその位置までくると、若干木々に視界を遮られる形にはなるが、北西側に広がる工房の敷地を一面に見通すことができた。敷地内には、建物が全部で五棟建っている。そのうちの一棟は何の変哲もない大きな家屋といったものだが、他の四棟はすべて、屋根から煙突を伸ばしている。今、その通常の建物からは何人もの男たちが外に出てきて、四つの煙突を持つ建物の中に移動していく。
「あの建物が休憩所で、お昼休みを終えた職人たちが、それぞれの作業場に戻っていくところでさ」
説明をする間、リパッグは何度か手を振った。屋根の上に立つ彼の姿に気付いた職人が、先にこちらに手を振ってきたためだった。
「さて」とリパッグは、休憩所から出てきた職人たちが全員、それぞれの作業場に戻った頃、「旦那がたは、これからどうなさるんで?」
「いや、関係者に話は訊いたし、特にこれといって予定はないが」
四つん這いのままホームズが答えると、
「でしたら、あっしが作業場を案内しやしょうか?」
「ああ、ぜひ、お願いしたい」
「それじゃあ、戻りやしょう」
相変わらずリパッグは、そこが高所であるということも、切妻屋根の斜面であることもものともせず、軽快に歩を進めてハシゴまで戻る。上ったときと同様、ワトソンはリパッグの倍、ホームズは三倍の時間をかけて、三人は地上に降り立った。




