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3-10 工房長スカージ

 応接室から遠ざかっていくトレイブの足音が聞こえなくなった頃、


「ホームズ様」


 クリフが入室してきた。彼は傍らにリパッグを、さらに後ろに壮年の男性を一緒に連れていた。


「工房長のスカージです。たった今、戻りましたので」


 クリフに紹介された壮年の男性――スカージ――は、甥の後ろで小さく頭を下げた。ホームズとワトソンも立ち上がって返礼する。クリフとリパッグが応接室を出ていくと、スカージはホームズの対面に腰を下ろした。

 先に聴取したジャーパス、トレイブとは違い、スカージは服や指先などに汚れを付けていることはなかった。目つきは鋭く――先に見ていたトレイブのそれとは明らかに異質なものだ――神経質そうな顔つきをしており、典型的な事務職(ホワイトカラー)だなとホームズは思った。もっとも、当たり前の話だが目の前のスカージは白いワイシャツを着ているわけではないが。


「まったく、嘆かわしい限りですよ」ホームズに何か訊かれるよりも先に口を開いたスカージは、「まさか、こんなことが起こるだなんて。取引先の信用を取り戻すためにも、一刻も早く犯人を見つけてもらいたい」

「ええ、それでお話を訊かせていただきたいのですが」とホームズは、「犯人に心当たりなどは?」

「さっぱりです。疑わしいと思って見れば、全員が犯人に見えてくる」


 その言葉どおり、スカージは目に疑惑の色のような淀みを浮かべた。


「スカージさんは、クリフさんの叔父だと伺いました」


 ホームズは話題をいったん別の方向に振った。スカージは、ええ、と頷いて、


「叔父とはいっても、私は昔の仕事をしていた頃は忙しくて、クリフにはろくに会う機会もありませんでしたが。ここへ来てからですよ、クリフとゆっくりと話をするようになったのは」

「ジャーパスさんから伺いましたが、スカージさんは前はギルドで働いていらしたとか」

「そうです。冒険者ギルドで、探索(クエスト)を斡旋したり、冒険者たちの報酬の取り分の計算や、交渉ごとなどを行っていました。まったく冒険者という連中は、どいつもこいつもがめつい奴ばかりでしてね。苦労しましたよ……おっと、失礼。話が脱線しました」

「いえ。こちらに来られたのは、三年前だそうですね」

「ええ、正直な話をすると、ギルドの仕事は安定していますし、それなりに報酬も手にできていたので、冒険者らの粗暴な振る舞いにさえ我慢すれば、割の良い仕事でした。ですが、この世にたったひとりの肉親である兄の頼みですから、思い切って転職を決意した次第です。まあ、正解だったと思います。兄は、その二年後に死んでしまいましたから、私がまだギルドに務めていたら、きっと死に目には会えなかったでしょうからね」

「ギルドと武具工房とでは、扱う仕事の内容も勝手も違うでしょうし、大変だったのでは?」

「ええ、特に面食らったのは、ここに来て当初、いきなり現場に放り込まれたことですね」

「現場というと、作業場に?」

「そうです。兄の言うことには、経営者であろうとも――いえ、経営者だからこそ、現場がどんな仕事をしているのか身をもって経験しておく必要がある、だそうで」

「畑違いのお仕事をいきなりやることになったわけですか。ご苦労されたのでは?」

「ええ、まあ。といっても、仕事自体は別に苦になることもなかったのです。ものを作るというのも慣れてみれば存外楽しいもので。私が辟易したのは、職人連中の粗暴さですよ」

「粗暴さ、ですか」

「そうですよ。ギルドを辞めて、これでやっと荒くれ冒険者連中の相手から解放されたと思ったら、今度は職人ですからね。言葉遣いは知らないわ、すぐに手は出るわ……。私は、職人たちのああいった言動も何とか改革できないものかと、事あるごとに何かと口を挟んでいるのですが、なかなか改まりません。〈たんてい〉さんは、私の前にトレイブとも話をしたそうなので、私の言いたいことが分かっていただけるかと思いますが」

「はあ」


 何と答えたらよいか、ホームズが逡巡していると、


「まあ、自分でも分かってはいますよ」

「何がですか?」

「私が職人たちから嫌われているということですよ」

「それは……まあ、『(しゅう)そしらぬ従者(ずさ)』は滅多にないものだと、清少納言(せいしょうなごん)の昔から言われていたくらいですから」

「はい?」

「ああ、いえいえ、こちらの話です」


 ホームズは、ぶんぶんと両手を振りつつ、先ほどのジャーパスへの聴取でも、そういったことは聞かれていたし、「スカージを跡継に指名したのが先代唯一の失敗」というリパッグの言も思い出していた。

 その(しゅう)たるスカージは、さばさばした表情で、


「私はそれでも構わないというか、必要なことだとは思っていますから」

「どういうことでしょう?」

「私の目から見て、この工房は良くも悪くも家族的意識が強すぎます。働くもの全員が相互に親しみ合い、助け合う姿勢は当然歓迎すべきものですが、それにも限度があると私は思っています」

「と言いますと?」

「互いに助け合うということは、ミスや失敗を補い合うことです。ですが、それが度を過ぎると、世間に明るみにできないことが行われた場合、隠蔽工作に走りやすい体質になるとも言えます」

「それでは、スカージさんは――」

「いえ、そうではありません」と今度はスカージが大きく両手を振り、「今回の事件がそうだと言っているわけではありません。私は、組織に所属するもの同士は、ある程度打算的な理由で付き合う領分というものは、なくしてはいけないと思っています。私はギルド職員時代に、数多くの冒険者たち、その冒険者たちで結成されたパーティを見てきました。……少し話が脱線しますが、お付き合いいただけますか?」


 ホームズが頷くと、スカージは話を続け、


「冒険者パーティが結成される理由というのは、主に二つあります。ひとつは、互いが古くからの友人同士であるとか、旅先で運命的な出会いをして、その流れで自然とパーティが結成されたというパターンです。これを“友情型”と呼んでいます。対してもうひとつは、宝物や報酬目当てで地下迷宮(ダンジョン)に潜りたいが、ひとりではどうにもならないため、ギルドでメンバーを斡旋し、そのクエスト限りで結成されるパーティです。これを“即席型”と言います。この二つのパターンを比較して、生還率が高いのは圧倒的に“即席型”です。なぜかと言いますと、昨日今日会ったばかりの冒険者で結成されたパーティですから、メンバー同士の“情”が薄いからです」

「情に薄いほうが生き残るというのですか?」

「そうです。地下迷宮というのは非常に危険なところです。一次大戦時代の遺物である魔物、罠などで満たされています。そこにおいて戦闘中や、あるいは罠に引っかかるなどして、メンバーが重傷を負う、あるいは最悪、死亡してしまう。そんな状況に陥った場合、友情型と即席型のパーティでは、残りのメンバーの行動が見事に分かれます。戦闘中の場合、友情型パーティのメンバーは、仲間の仇を取ろうとして戦闘を続行してしまうのですね。これが理にかなった行動でないことは誰の目にも分かります。フルメンバーの状態で戦っていてさえも誰かがやられてしまうような強敵を相手に、倒れたメンバーの分明らかに戦力が低下した状態で戦い続けたとて、勝てる道理がありません。状況は悪くなっていく一方です。対して、即席型のパーティはそういった面にドライです。冷静に状況判断が出来ます。メンバーのひとりがやられた時点で、即座に戦闘から撤退するのです」

「なるほど……」

「もちろん、それまでに敵に与えていたダメージを鑑みて、こちらの戦力が落ちた状態でも勝てる確率が高いと踏んだときには、そのまま戦闘を続行する場合もあります。ですが、それでよしんば勝ったとしても、その後の判断にも二つのパーティには差が、致命的な差が出てきてしまいます」

「それは何ですか?」

「メンバーの死体を持ち帰ろうとするのですよ。きちんと葬ってやるためにね」

「……ああ」

「どちらのパーティがそんな愚行を犯すかは、もうお分かりですよね。地下迷宮を戻るも進むも、死体などというものは、文字どおり“死荷重(デッド・ウエイト)”にしかならないというのに」


 そこでスカージは僅かに口角を引き上げた。もしかしたら、これは彼の鉄板ギャグなのかもしれないが、ブラックな内容だけに笑っていいのかどうか……そうホームズが逡巡している間に、当のスカージは引き上げていた唇の端をすでに元に戻しており、


「気持ちは分かります。ですが、“仲間の仇をとる”ですとか、“仲間の遺体をきちんとした形で葬ってやりたい”という情ゆえの行動が、パーティ全体――引いては情をかけた本人自身に、どれだけの負担になるか。命を危険に晒すことになるか。……もちろん、友情型のパーティを否定するつもりはありません。いくつもの戦場を一緒にくぐり抜けてきた戦友という情緒的な側面は確かに美しいですし、メンバーを固定することで互いの戦い方を熟知した、()(うん)の呼吸による連携技など、実用的なメリットも数多くあります。友情型のパーティは戦利品をパーティ全体の財産と捉えるため、分け前をめぐっての悶着が起きにくいことも利点のひとつですね。つまり、友情型の互助関係にありながら、しかし、いざというときには即席型の冷徹な判断力を併せ持つ。それが冒険者パーティの理想だと私は考えています。これはあらゆる組織にも同じ事が言えます」

「スカージさんは、良くも悪くも仲の良すぎるアンハイド武具工房内の緊張感を高めるため、憎まれ役を買って出ているというわけですか」

「そんなにたいそうなものでもありませんよ。恐らく、兄が工房の仕事とは無縁だった私をあえて呼び、工房長に据えたのには、そういったことを期待していたのだろうなと私が勝手に推測しているだけです。私のポジションが憎まれ役というのであれば、そんなことは兄弟だからこそ遠慮なく任せられると思ったのかもしれません。結局、真意を聞くことのないまま兄は旅立ってしまいましたが。まあ、端から見れば、肉親だから工房長に取り立てたのだと思われても仕方はありませんがね」


 スカージは再び口角を上げた。そこには、僅かながら孤独の色が滲んでいるようにも見えた。


「つかぬことを伺いますが……」とホームズは話題の矛先を変えて、「先代工房長のアンハイドさんは、自分の息子であるクリフさんを後継に指名することはなかったのでしょうか?」

「……」


 それを聞くと、スカージの表情から孤独を含めてあらゆる色が消えた。が、それは僅かな間だけのことで、


「そういうつもりはなかったようです。そのために、わざわざ弟である私を呼び寄せたわけですから」

「クリフさんがまだ若いからと、そういう理由からなのでしょうか?」

「さあ、そこまでは」

「スカージさんが今後、次期工房長としてクリフさんを指名するということは、お考えでですか?」

「そんな先の話は、さすがにまだ……」語尾を濁したまま、スカージの言葉はいったん止まり、「すみません。私、今日中に片付けてしまわないといけない仕事があるものですから」

「ああ、すみません、長々と」

「いえ」スカージは腰を上げ、「私の部屋はここの一階です。何か喫緊の用事があれば遠慮なくいらして下さい。場所はクリフかリパッグに訊いて下さい」

「分かりました」


 ホームズが返事をすると、スカージは一礼して応接室をあとにした。

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