3-9 ベテラン職人トレイブ
「その、リパッグなのですが、どういった経緯でクリフの家族と一緒になったのか、ご存じですか?」
ホームズが尋ねると、ジャーパスは、
「アンハイドは、拾ったと言っていました」
「拾った?」
「詳しいことは結局何も話してくれませんでしたが、恐らく、街で行き倒れになっていたリパッグをアンハイドが助けてやった、そんなところだと私は思っています」
「アンハイドさんは、どうしてリパッグのことを助けたのでしょう?」
「あいつは、リパッグにシンパシーのようなものを感じたのかも知れません」
「どういう意味ですか?」
「アンハイドには、ドワーフの血が混じっているのです」
「ドワーフ……トレイブさんと同じですね」
「はい、ですが、彼のように両親どちらかがドワーフという直接の混血ではなく、母方の祖父がドワーフだったらしいです。その分ドワーフの血が薄められているためか、体躯は通常の人間とほとんど変わりませんでしたね」
「体躯は、というと、他に何か特徴が?」
「ええ、肌の色です」
「肌?」
「そうです。あいつ、アンハイドは、普通の人間に比べて肌の色に赤みがかかっていたのです。トレイブほど見事に赤銅色というのではありませんが、肌の弱い人が日焼けをすると、きれいに黒く焼けずに赤くなってしまうことがありますが、そんな感じでしたね。あいつは、そのことに劣等感を持っていたらしく、子供の頃もそれが理由でからかわれたりしていたそうです」
「だから、ゴブリンであるリパッグに」
ジャーパスは頷いて、
「リパッグも、この世界――ヴェルトールド世界圏――で、ゴブリンひとりで生きていくというのは、大変な苦労があったはずです。戦争が終わって随分経つというのに、まだ多種族に偏見の目を向ける人間は大勢いますから。特に、ゴブリンら“闇の眷属”と呼ばれた種族に対しては」
ホームズの頭にスワイプスの顔が浮かんだ。
「事件に関係のないことを伺ってしまって、申し訳ありませんでした」
ホームズが詫びると、
「いえ、何か事件解決の参考になればと思います」
ジャーパスも頭を下げた。
「では、最後に」とホームズは、「工房長のスカージさんのことについて、教えていただけますか?」
「ええ。スカージがクリフの叔父だということは?」
「クリフさんから伺いました」
「そうですか。スカージがここに来たのは確か、三年前でした」
「スカージさんも、それまでは、どこかで鍛冶職人をしていたのですか?」
「いえ、彼は元冒険者ギルドの職員です」
「冒険者ギルドの職員?」
「そうなんです。アンハイドは、もっと前からスカージに、この工房の経営を手伝ってくれないかと声をかけていたらしいのですね。ですが、スカージのほうではギルドの仕事が忙しく、また、実入りも良い仕事だったようで、なかなか腰を上げなかったようです。それでも、やはり唯一の肉親の頼みであり、ギルドの仕事も辞める目処がついたのでしょう。三年前になって、ようやくこちらに来ることを了承しました」
「アンハイドさんが、スカージさんを呼び寄せて次期工房長に指名したのは、やはり身内であるという理由から?」
「それはあるでしょうね。あいつは自分が身を引いた後は、金勘定の経営と、実務の長とは別のものにやらせようと決めていました。スカージは冒険者ギルドでは経理関係の仕事をしていたそうなので、肉親であることに加えて、それもスカージを工房長に指名した理由でしょう。うちの職人の中に金の勘定が出来るものなど皆無ですから」
「なるほど。人となりというか、他人からの評判なんかは、どうでしょうか?」
「正直、職人たちから好かれているとはいえませんね。何せ、三年前に急にここに来たと思ったら、いきなり工房長の椅子に座ったわけですからね。古くから働いている職人の中には、『いきなり現れて、何だこいつは』という思いを持っているものも多かったでしょうし、それは今も続いていると思います」
「職人の中では、スカージさん以外に工房長に就いてもらいたい人がいたということでしょうか?」
「そういう人材がいるとすれば、クリフでしょう」
「ああ。まあ、先代の息子さんなわけですからね」
「はい。あいつは職人みんなにかわいがられています。ですが、どういうわけだかアンハイドは、クリフを後継に指名はしませんでした」
「その理由について、何かご存じですか?」
訊かれると、ジャーパスは首を左右に振って、
「いえ、何も。この規模の工房を預かるには、クリフはまだ若いと思っていたのかもしれません」
「では、将来的にクリフさんがスカージさんの後を継ぐことは?」
「それも分かりません。アンハイドが工房長の職をスカージに引き継ぐときに、何か話していた可能性はありますが」
「なるほど」
「ですが、彼――スカージの名誉のために付け加えておきますが、職人たちは彼に対して色々と思うところはあるのかもしれませんが、ここの職人には、経営に関することもそうですが、スカージのように他人に頭を下げて仕事をもらってきたり、客との交渉ごとなんかの仕事を出来るものなどいませんよ。職人への賃金の支払いが遅れたことも一度もありません。そういった陰の努力で、スカージはこの工房に対して大きな貢献をしています。私のほうからも折を見て言い聞かせているのですが、職人というのは、どうにも頑固なものが多くて……」
「そうですか」
ホームズが言い終えたところで、ガチャリとドアが開き、
「おう、まだ終わんねえのかい」
野太い声が投げかけられた。振り向くと、職人のトレイブが立っていた。じろりと、太い眉の下で光る目で見られたホームズは、
「で、では、ジャーパスさんは、これで」
「よろしいですか?」
ジャーパスが訊くと、
「ええ、また何かあればお話を伺いに参ります」
「そうですか、では」
ジャーパスが立ち上がって応接室を出て行くと、代わりにトレイブが先ほどまで職長が座っていたソファにどっかと腰を下ろし、ホームズとワトソンを順に睨め付けた。その鋭い視線にホームズはソファの中でたじろいだが、ワトソンは平然としたまま微笑みを返した。
「どうだい〈たんてい〉さん」トレイブは、片手に持っていたグラスに口をつけてからテーブルに置き、「犯人は分かったのかい?」
「い、いえ、それはまだ……」
ホームズは首を横に振る。グラスからはアルコールの匂いが立ち上っていた。
「そうかい」と、トレイブはもう一度グラスを口に運んで、「まあ、犯人はこの工房の中にいることに間違いないわな」
カチリと音を立ててグラスを置いた。中身は半分ほどに減っていた。
「トレイブさんも、そう思われますか?」
ホームズが訊くと、
「そりゃ、宝石をすり替えるとしたら、保管室から出して製品を作ってる最中でしかあり得んからな。あの保管室の錠前は、伝説の大盗賊ピックスウィープでも開けらんねえ自信があるぜ。俺の最高傑作さ」
「ピック……なに?」
ホームズが隣のワトソンに小声で尋ねると、
「開けられない鍵、解除できない罠はないって言われた、伝説的盗賊だよ」
答えを聞いてホームズは、この世界のアルセーヌ・ルパンみたいなものかと勝手に解釈をしておくことにして、
「そういえば、宝石の納入時には、トレイブさん自らが鑑定をしているそうですね」
「ああ、向こうの寄越した鑑定士を信用してねえわけじゃねえけどな、万が一って場合もある」
トレイブはまたグラスに口をつけてテーブルに置いた。中身は空になっていた。
「製品に宝石を使うときの、詳しい仕事の流れを教えていただけますか?」
ホームズが訊くと、
「ああ、いいぜ」トレイブは腕組みをして、「工程で宝石を使用する場合、職人はその都度、ぼっちゃんに申請して、立ち会いのもと保管室から必要量の宝石を出してもらうことになっている。保管室の鍵を持っているのは、ぼっちゃんだけだからな。当然、そのときに帳簿もつけて数を管理してるぜ。で、宝石を使った製品が完成するか、作業途中で仕事が終わりになったときなんかは、製品ごとまた保管庫にしまうことにしてる。だから、加工の前後に関わらず、宝石が保管室の外に出てる時間は、工房が動いてる仕事中以外にありえねえわけだよ。ちなみに、宝石を出し入れする際は、必ず職人二人でぼっちゃんのところに行くことになってる。防犯のためにな」
「なるほど。つまり、宝石をすり替えるとしたら、保管庫から出されている作業中以外に機会がない」
「そういうわけだ」
トレイブはグラスを取ったが、中身が空になっていることを忘れていたのか、舌打ちをしてテーブルに戻した。
「ジャーパスさんから聞いたのですが、トレイブさんが監督をしている以外の三つの作業場すべてから、宝石がすり替えられた製品が出てきたそうですね」
「ああ」トレイブは忌々しそうに表情を歪めて、「どこのどいつだか知らねえが、ナメた真似してくれやがる。俺の目に触れたら、一発でガラス玉だと見破られると分かってやがったんだな」
「最終的にトレイブさんが偽物を見抜いた経緯も、詳しく教えていただけますか」
「本当に偶然だったんだよ。その日に出荷予定の製品をまとめて、梱包している最中のことだった。何の気なしに俺がそこを通りかかって、その日はよく晴れててな、太陽の光が製品を飾ってる宝石に反射したんだよ。それを見て俺は、何か変だと思って、念のためその製品に使われている宝石をじっくりと調べてみたんだ。そうしたら……」
「本物ではなく、ガラス玉だったと」
「そういうことよ。もう工房中大騒ぎになって、ちょうどジャーパスもスカージもいたんで、ぼっちゃんも呼んできて、三人の許可をもらって一斉検査よ」
「出荷予定だった製品に使われた宝石の、半分がガラス玉だったとか」
「おうよ。偉え騒ぎだったぜ」
「正直なところ……犯人と思われる人物に、心当たりはありますか?」
それを訊かれるとトレイブは、むーん、と唸って長い髭をさすり、
「正直な話をすりゃ、この工房の中に犯人がいるなんて思いたかねえわな。だが、手口を考えるに、工房の内部のやつ以外に犯行は不可能だ」
「誰でも犯人たり得ると」
「そういうことになるな。スカージ、ジャーパス、それに、この俺もな」
トレイブの豊かな口髭が、もさりと動いた。口角を上げて笑みを浮かべたのかもしれない。
「それに、クリフさんやリパッグも?」
その二人の名前を出されると、トレイブは一瞬目を丸くして、
「あ、ああ、そりゃ、そうならあな……ぼっちゃんはしょっちゅう作業場を見学に来るし、リパッグも職人に差し入れを持って来たり、ちょっとした使いなんかの仕事で作業場には頻繁に来る」
「そうですか……」
「もういいかい。昼までに片しちまいたい仕事があるんだ」
「ええ」
とホームズが答える前に、トレイブは立ち上がって応接室を出て行った。空になったグラスを持って行くのも忘れなかった。




