3-8 職長ジャーパス
クリフは、職長ジャーパスとベテラン職人トレイブの二人を事務所棟に残し、ホームズとワトソンが戻り次第、話をするようにとも言いつけてきてくれたという。その際、応接室でひとりずつ応対することも頼んできてくれた。
「当然、私とリパッグも同席はしません。私たちは作業場のほうに行ってみんなの仕事ぶりを見ていますよ。サボっていないか確認しにね」
そうクリフは笑って、リパッグと二人で事務所棟を離れ、作業音と人の声が渦巻く作業場へと歩いていった。
ホームズとワトソンが応接室に戻ると、二人の男性がソファに座って待ちかまえていた。そのうちのひとりは、衛兵騎士のスワイプスが強行捜査に乗り込んできた際、クリフに声をかけていた男だった。
「どうも、職長のジャーパスです」
見憶えのあるほうの男が立ち上がって名乗った。
対するもうひとりの男は、ソファに腰を据えたままホームズとワトソンに、じろりと睨み付けるように目をくれただけだった。男性としては背が低いほうであることが、座っていても察せられる。先ほどの騒動でこの男の姿を確認できなかったのは、その背丈ゆえ他の職人や衛兵連中に紛れてしまい、視認できなかったせいかもしれないとホームズは思った。身長こそないが、この男が異様な迫力を醸しだしている理由は、その顔にあった。男――トレイブ――の顔は日焼けしているような赤銅色に染まり、目元に深い皺を刻んでいる。皺が目元にしか確認できないのは、男の顔の下半分が丸々髭で覆われているためだ。先端が胸に届くほどの豊かな髭は黒と白が半々を占め、針金のように堅そうに見えた。
「トレイブ」
ジャーパスが促すと、不承不承といった具合に髭の男は、
「トレイブだ」
短く名を名乗った。ソファに座ったまま。そのドスの効いた低い声と改めて寄越された鋭い眼光に、思わずホームズは半歩たじろいだ。
「クリフさんから話は伺っていると思いますが……」
ホームズが切り出すと、
「ジャーパス、お前から話せ」とトレイブは初めて立ち上がり、「俺は、リパッグの部屋の整理をしてる。あの衛兵の野郎ども、引っかき回すだけ引っかき回して、結局ろくすっぽ後片付けもしねえで帰りやがった……」
ぶつぶつとスワイプスたちへの文句を口にしながら、トレイブは応接室から姿を消した。横を通る際に分かったが、やはりトレイブの身長はホームズよりも頭ひとつ以上低かった。
「申し訳ない」とジャーパスが、「無愛想な男だが、悪気があってのことじゃない。普段から誰に対してもああなんだ」
「え、ええ……それは構いません」
このジャーパスへの聴取が終わったら、今度はあのトレイブと話をするのかと思うと気が重かったが、そこは気持ちを切り替えてホームズは、
「では、失礼して」
ワトソンと並んで、ジャーパスの対面に腰を下ろした。
「ジャーパスさん」と、最初に口を開いたのはワトソンだった。「トレイブさんって、もしかして……」
「気付きましたか。そうです、彼はドワーフの血を引いています」
「やっぱり」
「どわあふ?」
聞き慣れない単語を耳にして、ホームズは二人の顔を見た。
「他種族のひとつだよ」ワトソンはそれに答え、「人間よりも背が低くて、体つきはがっしりしてる。肌は燃えるような赤銅色をしていて、髭が伸びるのがめちゃ早くて、だからドワーフはたいてい髭を生やしっぱなしにしてるんだよ」
「まさに、トレイブさんの特徴ぴったりだな」
「うん、でも、純粋なドワーフはもっと背が低くて横幅があるよ」
「あ、ジャーパスさんが言った『血を引いてる』って、そういうことか」
「そうなのです」ここでジャーパスが話を引き取り、「彼、トレイブは人間とドワーフの混血なのです」
「そうなんですね」と再びワトソンが、「ドワーフは見た目に反して――何て言うと怒られるかもしれないけど――手先が凄く器用で、鉱山住まいに種族の端を発しているっていうことも関係があるのか、宝石とか貴金属とかを扱う鍛冶屋や工芸師になる人が多いんだ」
「それでか」
ホームズは、出荷直前の製品に使われている宝石が偽物だと見破った人物がトレイブだったという、クリフの話を思い出したが、
「まあ、今はジャーパスさんのことを訊かせて下さい」
目の前に座る職長に向き直った。
「ええ、それはもちろん」
とジャーパスも了承したところで、ホームズは、
「正直な話、今回の宝石すり替え事件の、犯人と見当が付く人はいらっしゃいますか?」
ジャーパスは若干項垂れて、首を横に振ると、
「さっぱりですよ。うちの工房は規模も大きく、その分職人の数も多いのですが、皆信用の出来るものばかりです。宝石をすり替えて私腹を肥やすだなんて、そんなこと……」
もう一度ジャーパスは首を振る。ホームズは小さくため息をついてから、
「ですが、クリフさんに伺った事件の様相からして、犯人は工房の内情にかなり精通していると推察されます」
「それは私も思いました。宝石のすり替えを行う際に、うちで一番の目利きのトレイブの目に触れない製品ばかりを対象にしたことが狡猾です」
「もし、トレイブさんが製作過程で偽物の宝石――ガラス玉――を目にしていたなら……」
「間違いなく見破っていたでしょうね」
「トレイブさんがそれほどの眼力、鑑定眼を持っているというのは、工房のみなさん周知のことだったのでしょうか?」
「そうです。宝石が納入される際、業者のほうでも第三者の鑑定士を一緒に寄越してくれますが、うちでも必ずトレイブの目を通してから伝票にサインをするよう徹底しているくらいですから」
「なるほど。これもクリフさんに教えていただいたのですが、この工房には全部で四つの作業場があるとか。今回宝石がすり替えられていた製品は、どこの作業場で製作されていたものなのでしょう?」
「トレイブが担当している作業場以外の、すべてです」
「すべて?」
「はい。三つの作業場それぞれで作られた製品から宝石のすり替えが見つかりました。ひとつの作業場としては僅かな数ですが、それが三つともなれば、結構な被害額に達します」
「偶然とは思えませんね。完全にトレイブさんの目をすり抜けようとした計画に思います」
「同感です……」
ジャーパスは表情を歪めた。彼の表情が元に戻るのを待ってから、ホームズは、
「各作業場間で人の行き来はあるのでしょうか?」
「それはしょっちゅうです。作業場が四つあるといっても、別に各作業場同士が対抗意識を持っているとか、そういったことはありません。各作業場ごとに成績を出して競争を煽るような真似もしていません。私たちは全員でひとつの工房を支えている家族のようなものなのですから。人手が足りないですとか、何かしらの助言を求めるため、他の作業場に行ったり呼ばれたりということは頻繁に行われています」
「であれば、工房内で誰かしらの足を引っ張るですとか、罪をなすりつける目的で行われたということでもないようですね」
「それは保証します。実際、今回のことで誰かしら職人を処分したということもありません。スカージのやつは……」
「工房長のスカージさんが、どうかされたのですか?」
言い淀んだ口をホームズが促すと、ジャーパスは、
「宝石がすり替えられていた製品は、当然ながら納品が遅れる結果となりましたので、取引先への体裁を整えるという意味で、該当する製品に携わった職人に何かしらの処分を与えるべきなのでは、とスカージが言ってきましたが、私が突っぱねて、クリフもそれに賛同してくれました」
「そういえば、犯人に名乗り出るよう訴えたと、クリフさんから聞きました」
「そうなんです。正直に名乗り出てくれたら、今回のことは不問にすると。それに対してもスカージは反対していましたがね」
「ですが、名乗り出てくるものはいなかった」
「はい。犯人が名乗り出ることはありませんでしたし、職人たちから誰かを糾弾するというような意見や空気も、一切出てきませんでした。正直、誇ってよいことなのか、疑問ではあるのですが……」
「でも、実際取引先への説明は必要でしょう」
「ええ、私とスカージ、それにクリフも一緒に頭を下げに行きましたよ。向こうもそれで納得してくれたようでしたが」
「それはよかったですね」
「はい。ですが、危ないところだったのです。スカージのやつが、必要以上に職人のミスを強調……というか、今回のことはすべて現場の落ち度であり、経営者である自分に責任はないことを、言い訳のように捲し立てたものですから、その態度に先方が気を悪くしてしまって……。そこをクリフに助け船を出してもらい、丸く収めることが出来ました」
「そういえばクリフさん、何かの受注の交渉でも一役買ったことがあったそうですね」
「リパッグから聞きましたか」
「はい」
「だと思いました。クリフは、そんなこと自分から言いふらすような人間ではありませんからね」
「そういえば、ジャーパスさんはクリフさんとの付き合いも長いのですよね」
「ええ、元々は、クリフの父親のアンハイドを介しての付き合いでしたけれど」
「どういった経緯で、この工房で働くことに?」
「私は街の小さな鍛冶屋で働いていたのですが、そこの親方が老齢を理由に店を閉めると言い出しましてね。その頃の私はまだ自分の店を持てるような腕では全然なく、あとを継ぐことも出来ずにいたのですが、その親方とアンハイドが知り合いで、私のことを引き取る相談がすでに出来ていたのです」
「それで、こちらの工房に」
「ええ、それまでは、私と親方の二人しかいない小さな鍛冶屋でしか働いたことがなかったものですから、ここへ来て規模の違いに驚きましたよ。当時はクリフも生まれたばかりで、確か一歳でした」
「では、現在クリフさんは十八歳だということですから、十七年前のことですね」
「そうなりますね……そんなに経ちましたか」
ジャーパスの目が、昔を懐かしむような遠いものになった。
「当時はまだ」ジャーパスは遠い目をしたまま、「クリフの母親も健在で、アンハイドも若かったです」
「リパッグは?」
「ああ、あいつももう一緒でしたよ。クリフの母親が病弱だったものですから、よく代わりに子守りに奮闘していました。クリフがぐずったときなど、あの厳つい顔にほとほと困った色を浮かべて、一生懸命あやしたりもしていました」
「はは、微笑ましい話ですね」
「ええ、あいつ、リパッグは、クリフの家族も同然の男ですよ」




