3-7 紅騎士の伝説
「顧客の方に製品を見ていただくための宣伝の一環としてはもちろん、これまで手掛けてきた仕事、製品を可能な限り残して後世に伝える、工房のアーカイブとしての目的で、父の発案で設立されたものです」
クリフが鍵穴に鍵を差し込み解錠すると、リパッグが扉を開けて先に中に入った。どうやら閲覧用の準備をするらしい。バタン、という音が響くたび、暗かった室内に明りが入り込んでいく。ホームズが中に入ると、その音の正体が分かった。展示室の壁には窓が一枚もなく、屋根部分に天窓が開けられていた。リパッグは、壁際に天井から垂れ下がる紐を操作して、その天窓を覆っていた鎧窓を開けたのだ。音はその鎧窓が開くときの音だった。天窓は等間隔に全部で三枚設置されている。窓が開かれるたび、室内にはスポットライトのように陽光が降り注いだ。
「保管上の都合から、見学時以外は暗室にしていますので」クリフが説明し、「使用されている塗料などには、日光に当てると褪色していくものなどもありますし」
クリフの説明にホームズは納得した。広い室内には様々な武具が展示されているが、その半数以上は何かしらの着色がされているもので占められていた。中には、本来の金属の色がほとんど見えなくなるくらいに全面塗装が施されているものもある。高価な宝石、あるいはガラス玉で彩られているものも数多く見受けられ、「武具」と言っても、ミラージュら衛兵騎士や、イルドライドで見た王立騎士団が武装していた実用一辺倒というものとはまるでイメージの違う、色鮮やか、豪華絢爛な武具の数々がホームズとワトソンを迎えた。
「リパッグ、ついでに換気もしてくれ」
「へい」
クリフの声を受けたリパッグが、鎧窓を開けたのとはまた別の紐を引くと、今度は天窓自体が跳ね上がるように開き、展示室内に外気を流し込んだ。
「これは……凄いですね」
改めて周囲を見回して、こういったものには疎い(当たり前だが)ホームズにも、展示されている数々の武具が、かなりの技術を持って丹精に作られていることは感じ取られた。
「どうぞ、近くでご覧になって下さい」
クリフに言われ、ホームズとワトソンは思い思いの武具を間近に鑑賞した。
「手に取ってみてもいいですか?」
ワトソンに訊かれたクリフは、
「どうぞ」
と頷いた。
「うわっ」ワトソンは、綺麗に着色され宝石に飾られた剣を手に取り、「これ、第一次大戦の英雄、輝光騎士アーレイの聖剣“レイブリンガー”ですよね」
目を輝かせて、鞘から剣を抜いた。塗装や宝石で美しく装飾された鞘や柄とは対照的に、抜刀された刀身は銀色一色に輝き、天窓から差し込む陽光をギラリと反射させた。
「よくご存じですね」
「それはもう、一次大戦きっての有名人ですからね。彼と暗黒騎士ブルーディラーの因縁なんて、しょっちゅう演劇の題材にされていますもの」
「ええ、まさにそれは、演劇用の小道具として製作されたものなんですよ」
「小道具?」とホームズが反応して、「そういう仕事も手掛けられているのですか」
「はい。先ほど応接室では言いそびれましたが、個人向けの模造品、複製品の他に、そういった演劇向けの小道具の発注も承っております」
「なるほど」とワトソンは抜いた剣で数回空を斬って、「軽い。これなら本職の騎士や戦士じゃない役者でも、難なく振り回せますね」
「でも」とクリフは、「もちろん本物のレイブリンガーなんて、誰も見たことがありませんから、伝えられた文書や、当時の様子を描いた数少ない絵画から、こんな感じだったのかな、と推察して作ったものですからね。まあ、レイブリンガーほど有名な武器ですと、皆さんある程度の共通イメージを持っていますから、ああ、そうなんだなと分かっていただけるくらいで十分かと」
「いえいえ、かなりいい線いってますよ」
ワトソンは、まじまじと剣を眺めた。
「ありがとうございます」
クリフは礼を述べ、ホームズは、
「何でお前がそんなこと言えるんだよ、偉そうに」
ため息をつく。
「演劇用といえば」とクリフは、「そちらに並べて展示してある鎧も、すべて演劇用に制作したものですよ」
ずらりと並ぶ鎧の一群を指さした。支柱に支えられる格好で、数多くの色とりどりな鎧が展示されていた。
「うわっ、凄いですね」
ワトソンは興味津々といったように、そこに駆けていき、ホームズも続いた。
「通常、というか本物の鎧は」そのあとからクリフも歩いていき、「他人に手伝ってもらわないと着られないものですが、それは着用者が自分ひとりで着られるようにしてあるんです。どうせ実戦用ではありませんし、それっぽく見られればいいだけなので、剛性や耐久性なんかを完全に犠牲にして実現したんですよ」
「なるほど」
ホームズも鎧のひとつ一つを眺めていく。確かに、こうして近づいて見れば鉄も薄く、接合部も簡易で、とても実戦の攻撃に耐えられるとは思えないが、遠目には十分本物に見えるだろう。
居並ぶ鎧を順に見ていくうちにホームズは、中に一際目立つ鎧を見つけ、その前で足を止めた。
「これはまた、随分とド派手な鎧ですね」
それは、全身隈無くに真っ赤な塗装が施された、深紅の鎧と称すべきものだった。目を引くカラーリングであることもさながら、ホームズがそれに目を留めたのは、数ある鎧の中でもこの深紅の鎧が、そのデザインといい、装飾などの細やかな仕事といい、他とは一線を画した高い芸術性を兼ね備えていることを感じ取ったためだった。
「これは何ですか? 通常の三倍の速さで動ける鎧とか?」
「はい?」
クリフが首を傾げると、
「いえいえ……こちらの話ですので、お気になさらずに」
「紅騎士デモリス」
横に立つワトソンが呟いた。
「は?」
ホームズはワトソンの顔を見る。レイブリンガーを振り回していたときとは違い、その表情も、鎧を見る目にも、悲愴ともいえる真剣な色が滲み出ていた。
「そうです」と二人の横に来たクリフも、「それも演劇用に製作した、紅騎士デモリスの鎧です」
「……何者なんです、その、デモリスとかいうのは?」
ホームズは若干緊張の面持ちで質問した。というのも、ワトソンだけでなく、クリフの目にも悲愴な色が宿っていたためだった。
「紅騎士デモリスは……」ワトソンが口を開き、「二次大戦で、ある魔道士の手下だった騎士なんだ。自分が仕える魔道士が開発していた黒魔術を完成させるために、百人以上もの人間を殺戮した恐ろしいやつだよ」
「何だって?」
「その黒魔術を完成させるには、新鮮な心臓を大量に必要としたらしいんだ。だから、デモリスは戦場で出会った相手を倒すと、その体を斬り裂いて心臓をえぐり出すという蛮行を続けていた」
「恐ろしい話だな……」
「うん、でも、デモリスの恐ろしさは、まさにこの鎧にあるんだ」
ワトソンは、目の前の真っ赤な鎧を指さし、ホームズも改めてそれに目を向け、
「これがどうかしたのか?」
「デモリスはね、最初からこんな真っ赤な鎧を着ていたわけじゃないんだ。元々は普通に騎士が装備するような一般的な鎧を着ていた。でも、殺戮を続けていくうちに、魔道士に頼んでこの深紅の鎧を作ってもらったんだ」
「どうして?」
「わざわざ返り血を洗浄するのが面倒くさかったからだよ」
「……なに?」
「なにせ、デモリスはその目的上、いつも戦場で大量の返り血を浴びる。その度に鉄の銀色をした鎧は血で派手に汚れて、デモリスはそれが気になって仕方がなかった。で、あるとき気付いたんだ、鎧がそもそも真っ赤であれば、返り血による汚れを気にする必要はないな、って」
「……根本的な解決になってねえじゃねえか」
「デモリスにとっては大事なことだったらしいね。狂ってたんだよ、あいつはきっと……」
ワトソンの悲愴な目に、遠くを見るような深みが加わった。
「なるほど」ホームズは改めて深紅に染め上げられた鎧の演劇用模造品を見て、「“紅騎士”なんて華麗な渾名に聞こえるが、そんな理由で鎧を赤くしていたとはな。……で、そのデモリスは、最後はどうなったんだ?」
「魔道士が黒魔術を完成させるために必要な心臓が、あとひとつとなったところで、魔道士の本拠地に四人組の冒険者パーティが乗り込んできて、戦闘になったんだ。デモリスの強さは桁外れで、戦っていた冒険者パーティも歴戦の強者ぞろいのうえに四対一という状況だったにも関わらず、戦況はほぼ互角だった。そこでデモリスは、このまま五分五分の戦いを続けるよりは、魔道士の黒魔術を完成させて一気に冒険者たちを葬ったほうが早いと考えて、魔道士の研究室まで退却したうえで、自分で自分の胸を斬り裂いて、自らの心臓をえぐり出したんだ」
「なんと」
「で、心臓を入れる瓶に自分の心臓を投入したところで息絶えた、と言われてる。そのあと冒険者は魔道士と戦うことになったんだけども、結局、魔道士も黒魔術を完成させられないまま、冒険者パーティと交戦して死亡した」
「心臓の数がそろったのにか?」
「そもそも、デモリスが自分の心臓をえぐり出して瓶に投げ入れたなんて、そんなこと出来るわけないから、この一連の戦いの様子は完全に伝説だよ。デモリスも魔道士も、本当は普通に戦って死んだんだろうね」
「そういうことか」
「うん、でも、この伝説にも続きがあってね。実はデモリスはとうの昔に死んでいて、一種の死に損ないとして動いていたから、彼の心臓は“新鮮な心臓”という条件を満たさず、黒魔術は完成しなかったんだって」
「うまいことオチが付いたな」
「まあ、伝説だし。ねえ、ホームズが過去の大戦の話に興味があるならさ、今度一緒に図書館に行こうよ。こういう話が書かれた書物がわんさかあるからさ」
ワトソンに輝く目を向けられたが、ホームズは、「お、おう」と返事を濁して紅騎士の鎧の前を離れた。彼は本といえば生まれてからこの方、ミステリ小説以外のものを完読したことがなく、他のジャンルの本を読むことをまったくの苦手としていたのだ。さりげなくワトソンのそばを離れたホームズは、ざっと展示室内を見回した。色とりどり、豪華絢爛な武具の中にあっても――恐ろしい伝説を聞いたせいかもしれないが――紅騎士デモリスの深紅の鎧は異彩を放っていた。
「クリフさん」とホームズは、「スワイプスの捜索も、そろそろ終わる頃じゃないですか?」
「あっしが様子を見てきやしょう」
リパッグが出入り口に向いかけたが、
「待て、リパッグ」クリフがそれを止め、「お前が顔を出すと、また面倒なことになるかもしれない。私が見てくる」
と外に駆け出ていった。
「クリフさん、いい人だね」
ワトソンが声をかけると、
「へえ、あっしもそう思いやす」
リパッグは振り向いて答えた。口元に笑みを浮かべながら。
「つかぬことを伺いますが……」
と、その後からホームズが話し掛けようとしたが、
「やめてくだせえ、旦那」
「は?」
リパッグに言葉を止められた。リパッグは、緑色をした顔を渋面に変えると、
「そんなよそよそしい喋り方、やめてくだせえ。もっとざっくばらんに行きやしょうや。あっしもそうするんで」
「あ、ああ……」
「あっしのことも呼び捨てでお願えしやすぜ」
渋面を消してリパッグは、にやりと口角を上げた。
「じゃ、じゃあ、改めて……」こほん、とひとつ咳払いをして、ホームズは、「つかぬことを訊くが、いずれはクリフさんがこの工房を継ぐことになるんです――なるんだよな。であれば、職人としての仕事にも手を付けておいても良さそうに思うんだが。工房長は経営に専念するとはいえ、仕事内容をある程度肌で感じておいても損はないだろうに。自分でも『暇だ』なんて言っている状態なら、なおさら」
「へえ、実は、ぼっちゃんも昔は職人としての仕事を手伝っていた時期があるんでさ」
「そうなのか?」
「へえ、ですが、先代に禁じられて」
「禁じた? 先代ってことは、クリフの親父さんが?」
「そうなんでさ。いつものように、職人に混じって仕事を手伝っていたぼっちゃんのところに、急に先代が顔を出して言いつけたんでさ」
「もう職人の仕事は手伝わなくていい、って?」
「そんな曖昧な言い方じゃありやせんでした。『もうお前は今後職人仕事に手を付けるな』って、命令するような言い方でやした」
「……何か理由が?」
「お二人の間では何か話し合いがあったのか知れやせんが、あっしらにはさっぱりでさ」
リパッグは首を横に振った。
「それは、いつ頃のことだ?」
「そうでやすね……ざっと十年くらい前のことでしょうか。まだ先代が現役だった頃でやすから」
そこへ、クリフが戻ってきた。
「スワイプスさんたちの捜索は終わったそうです。ジャーパス職長たちに話を訊けますよ」




