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3-4 宝石すり替え事件

「この工房で何が起きたかはご存じですか?」


 応接室に入ってきたリパッグが、テーブルの上に料理を盛った皿を並べる中、クリフが訊いてきた。対するホームズは、


「横領事件が起きた、としか」

「そうなのです。横領とはいっても、少々特殊な事情でして……」一度嘆息してからクリフは、「事件のことをお聞かせする前に、我が工房で請け負っている仕事についてお話しさせて下さい。そのほうが話が早いと思いますので」


 ホームズは了承する意味で頷いた。食事の用意を終えたリパッグは一礼して下がろうとしたが、「お前も同席してくれ」とクリフに言われ、「へい」とワゴンを押しかけた手を止め、彼が座るソファの横に立った。

 先ほどの話を聞いたばかりであるため、ホームズのリパッグを見る目には若干の変化があった。こうして改めて明るい室内で見てみると、確かに――率直な感想を言えば見た目は異様だ。身長はホームズの胸程度までしかなく(「しか」という表現は、そもそも人間を基準にしたものであって、彼らゴブリンからしてみれば、人間は「背が高すぎる」ということになるのだろうが)、肌は緑色をしており、その頭部に比較して(あくまで人間と比較しての話だが)目は大きく、白目に当たる部分は若干赤みがかっている。口を開いたときに口腔内に見えるのは、犬歯と呼ぶには長く鋭すぎる、まさしく牙だ。爪はきれいに切りそろえられているが、伸ばせばその先端は釘のように鋭くなるであろうことが、その形から推察される。「醜悪」という形容を使う人がいてもおかしくはないだろう。だが、クリフという主人に付き従っている、このリパッグという名のゴブリンは、見た目を別にすれば普通の――ホームズが買い物や散歩などで街に出た際にたまに目にする――人間の使用人と何ら変わったところはない。口調が少々乱暴だという程度のものだ。


「よろしいですか? ホームズ様」


 クリフに声をかけられ、「あ、はい」とホームズは視線を戻した。それを合図にクリフは話を始める。


「当工房は、武具を専門に製作しておりますが、実戦用のものだけを扱っているわけではないのです」

「実戦用以外というと、装飾用など?」

「さすがホームズ様、そのとおりです。当工房が方針を大きく転換したのは、先代の工房長であった私の父の代からです。父は、大きな戦争がなくなり、今後しばらくは平穏な時代が続くと世の動きを見て取り、武具の需要はこれまでよりもずっと落ちるだろうと考えていました。それでも、個人で経営している小さな街工房や鍛冶屋などは、冒険者などの小口の需要をまかなってやっていけるでしょうが、うちのような大規模工房となると、そう話は単純ではありません。需要がないからといって、炉の火を消してしまうと、使っていない炉や作業場はすぐに傷んでしまいますし、いざまた火を入れて稼働させる際には大変な手間がかかります。それに、雇用している職人たちのこともあります。彼らは皆腕の良い職人ばかりで、手放してしまうのは惜しいですし、それに、仕事がなくなったからといって簡単に解雇してしまうというのも、あまりに酷だと父は考えていました。かといって、これまで武具しか作ってこなかった職人たちに『別のものを作れ』というのも難しい話です。そこで父は、工房の規模を維持し、職人たちの雇用も持続したまま、新しい製品を作る必要があると考え、目をつけたのが、武具の見た目をしているが武具ではないという、装飾品専門としての武具の開発でした」

「なるほど」


 業績が悪化したからといって、いとも簡単に社員の首を切ってしまう、自分がいた世界の無能な経営者連中に聞かせてやりたい話だと、ホームズは思った。


「そういった経緯で父は、武具の模造品(イミテーション)の開発に着手しました。それまでも主に王侯貴族が、武具を応接室や大広間などに装飾目的で飾る風習はありましたが、それらは全て実戦用の武具をそのまま使っていましたので、実戦で刻まれた傷が目立ったり、重かったり、定期的に手入れをしないとすぐ駄目になってしまったりと、装飾品としては決して扱いやすいとはいえないものでした。中には、付着していた血などが洗浄しきれず、気味悪がられるなどすることもあるそうです。そこで父は、美しく傷も付きにくく、軽く、手入れも簡単な装飾用の武具を開発したのです。用途こそ違え、これまで作ってきた武具とほぼ同じものを作るわけですから、職人たちの腕もそのまま生かせます。父の見込みは当たりました。各地の王侯貴族の方々をはじめ、店の看板代わりに使う用途で、大きな商店などからも注文が来るようになりました」

「才覚のあるお父様なのですね」

「はい。そのほかに、騎士や冒険者の家系の人たちからは、実際に使用された武具の模造品製作の依頼なども来るようになりました。自分、あるいは先祖の歴史を後世に残し、偉業を伝えるため、武具をそのまま家に飾ったり公開したいのですが、本物はもうボロボロになっていたり、一部が欠損していたりするため、見た目まったく同じものを作って、それを代わりに飾るという目的で依頼されたのです。“模造品(イミテーション)”の他、この“本物の複製品(レプリカ)”という仕事も、当工房の中で大きな割合を占めるほどになっています」

「なるほど。本当の武具職人が作る模造品や複製品ともなれば、出来も違ってくるのでしょうね」

「おっしゃるとおりです。おかげさまで当工房が製作する模造品や複製品は、『本物が持つ説得力と装飾品の扱いやすさを併せ持っている』と大変ご好評いただいております。さらに、これまでの武具というものは、職人が各々の判断や経験である意味勝手に作っていたものがほとんどで、仮に『この前と同じものを作ってくれ』と言われても、作製した職人本人でも、それを正確に再現するのは難しかったのです。そこで、当工房では、こうして……」


 クリフは、持ってきた紙をテーブルに並べた。それらには剣をはじめとした武器類、鎧や盾といった防具などが精緻な筆致で描かれている。そのほとんどは、正面や側面から見た状態であることから、美術的鑑賞目的ではなく、いわゆる“図面”として描かれたものであることが分かる。


「注文を受けた武具を、まず図面化し、それを元にして作製することにしたのです。こうすることで、誰が作っても同じものが出来上がるというわけです。まあ、職人の腕に応じて差違はどうしても出て来てしまいますが、仕事を重ねていくうちに、そのばらつきを一定の範囲内に抑えることは可能になりました」

「見事なものですね」


 ホームズは、彩色も成されている図面を見て唸った。その反応を満足そうに受け止めてクリフは、「ありがとうございます」と頭を下げた。


「で……ここからが本題なのですが」


 頭を上げたクリフの顔には、それまでの誇らしげな表情とは一転、陰鬱たる曇りが張り付いていた。


「そういった模造品の中には、これらの図面をご覧いただいて分かるとおり、見た目を豪華にするために実戦用の武具には施さないような金箔を貼ったり、彩色を施したり、宝石を嵌め込んだりするものもあります。これは製品のランクやご依頼主の要望にも寄りますが、高級な模造品にはやはり、ガラス玉などではなく、本物の宝石を使用します」

「横領、というのは……もしや?」

「はい、ご想像のとおりでしょう。当工房が出荷する模造品の、本物の宝石が使われるべきランクの商品の中に、ガラス玉が使用されたものが見つかりました。何者かによって宝石がガラス玉とすり替えられたのです」


 クリフは大きく嘆息した。


「どういった経緯で、そのことが発覚したのですか?」


 本題に入ったことで、ホームズは居住まいを正した。「横領事件など名探偵が扱う事件の範疇外」と思っていた気持ちも、気が付けば消えていた。それは、目の前に座るクリフの沈痛な表情を目にしたからだ。それまで工房のことを語っていたときの誇らしげな笑顔と、あまりに対照的だった。ホームズはこの青年――と呼ぶには見た目はほとんど少年のそれだったが――の力になってやりたいと思った。そのクリフは再び口を開き、


「製品を出荷する、まさに寸前でした。うちの職人のひとりが、出荷直前に製品を梱包しているところに通りかかったのです。その職人は、それら――装飾品の剣や盾――に嵌め込まれた宝石の輝きに、何やらおかしなものを感じ取ったそうです。その出荷品は最高級ランクの製品のため、使われているのはすべてが本物の宝石であるはずでしたが、念のためその中のひとつの宝石を取りだして調べてみると……ガラス玉でした。当然、出荷を急遽止めて、すべての製品のチェックを行うことになりました。保管されている、今後加工予定だった宝石も含めて、すべてです。結果、その日に出荷予定だった製品に嵌め込まれた宝石の約半分がガラス玉だったことが判明しました」


 言い終えるとクリフは、またひとつ大きなため息を吐いた。


「宝石は」とホームズは、「どのタイミングですり替えられたのでしょう?」

「作業場での製作途中だと思われます。宝石類などの高級材料は通常、事務所棟――この建物です――の保管室に入れられており、職人から申請があると、私が保管室に入り、その日に実際に加工する分だけを取り出して職人に渡すのです。私は手渡すだけで作業場まで同行はしませんが、宝石受け渡しの債は、必ず職人に二人以上で来てもらうようにしています。盗難と、まずあり得ないでしょうが、襲撃されることを予防するためにです。保管室には厳重に施錠がされていて、鍵は私しか持っていませんので、他人が侵入できるとは思えません。それに、念のため保管室の宝石も調べてみたのですが、すべてが本物でしたし、伝票と照らし合わせた数も合っていました。保管室に何者かが忍び込んだのであれば、すり替えなり直接盗むなりしていたはずです。それと、宝石自体は、注文を受けた宝石商が直接ここへ届けに来て、その際にチェックも行っているため、ここに持ち込まれた時点ですでにガラス玉だったとも考えられません。ですので、すり替えるとしたら、保管室から出して作業場での製作中でしかあり得ないのです」

「徹底されていますね。ちなみに、外部犯の可能性というのは?」


“横領”と事前に聞いていたため、その可能性はないと分かってはいたが、ホームズは尋ねずにいられなかった。


「作業中の工房に見ず知らずの人間が入り込んでいたら、職人たちが気付かないはずがありません。かつ、今申し上げたように、宝石のすり替えは作業場での製作中に行われていることは間違いありません。となると……犯人は、この工房の中にいる。そう考えるしかなくなってしまうのです……」


 クリフはこの日一番大きなため息を吐いた。


「なるほど……」


 ホームズは腕組みをして、ソファに深く座り込んだ。


「犯人に……心当たりは?」


 酷な質問であり、自分が呼ばれたからにはそんな目処も付いていないだろうことは分かっていたが、いちおうホームズは訊いた。その質問にクリフは、黙って首を横に振ってから、


「いちおう、事情を説明して皆に納得してもらったうえで、ここで働いているもの全員の所持品検査も行ったのですが、すり替えた本物の宝石も、犯行を示唆するようなものも、何も見つかりませんでした」

「そうでしたか」

「もっとも、事件が発覚した段階では、すり替えという犯行は終わっていたわけですから、検査をした時点では、すでに宝石を自分の荷物に隠して自宅に持ち帰っていたあとだったとも考えられますが……。それと、所持品検査後に、もしこの中に犯人がいたら、一日だけ待つので、こっそりと私のところに名乗り出てもらいたい、とも伝えたのです。ここで犯人が分かれば、何も咎めないし衛兵に連絡することもしないから、と言い合わせて」

「ですが、何も反応はなかった」

「はい。それでやむなく衛兵に被害届を出したのです」


 クリフの深い嘆息が終わると、


「何か飲み物をお持ちいたしやす」


 リパッグが食器を載せたワゴンに手をかけた。


「そうだな」とクリフは、「ホームズ様とワトソン様は何をお飲みになりますか? ワインの用意もありますが」

「いえいえ」ホームズは両手を振って、「水でお願いします。酔っていては捜査もままなりませんので」

「僕は、いただこうかな」


 そこにワトソンが口を挟んだが、


「お前も駄目! というか、このやりとり前にもあったな」


 ちぇっ、とワトソンは口を尖らせた。それを見てクリフは笑みを浮かべ、水を持ってくるようリパッグに言いつけた。「へい」と返事をしてリパッグはワゴンを押していった。

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