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raison d'etre  作者: ごまみりん
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9/11

連行


 「忘れ物はねぇか?」


 「大丈夫よ。元の荷物が少ないから」


 翌朝、宛がわれた部屋で荷物を整理しているとマークに声をかけられた。持ち込んだ荷物はリュック一つだったから、忘れるような物も無い。そうかい、と言うとマークはさっきまでわたしが寝転んでいたベッドに腰かけた。


 「ゆうべは楽しめたか?」


 「えぇ、とっても楽しかったわ。何て言ったかしら……あのお酒、バドワイザーじゃなくって……」


 「イェーガーボム?」


 「そう、それ。美味しかったわ」


 「そりゃよかった……良い飲みっぷりだったもんな」


 マークは寝癖で跳ねた髪を撫で付けながら笑った。


 「そういえばケビンは?一緒じゃないの?」


 そこでわたしはいつも一緒にいる筈のケビンの姿が無いことに気付いた。起きたばかりのわたしの頭はうまく働いていなかった。


 「あいつはあれで酒に弱いんだ……今はまだ夢の中。無理に起こすのも悪いからな。寝かせてやってる」


 「そう。意外ね」


 「俺も最初はそう思ったぜ。あんな硬派な顔してよ……」


 「そうじゃなくて」


 「……何だ?」


 「あなた、気遣い出来たのね」


 わたしの言葉にマークは腹を抱えて大笑いした。部屋に笑い声が響き、目覚めきって無いわたしの頭を揺らす。


 「そんなに面白かった?」


 「いや、昔付き合ってた女に同じ事を言われたことがあってな……まぁ軽薄なだけじゃ女にはモテねぇんだよ。ちょっとした気配りが大事なんだ。まぁ俺の持論だけどよ」


 「そう……もう時間だから行かなきゃ」


 時計の針は輸送機の離陸15分前を指していた。


 「おう、またどっかで会った時はよろしくな」


 「えぇ……その時はよろしく」




 早朝の滑走路に響くのはわたしを乗せる輸送機のエンジン音。奇妙な形をした輸送機のカーゴベイにはわたしと一緒に運ばれる貨物がたっぷり積まれている。人影は疎らだった。


 夕べは酷かった。座席の背もたれに体を沈めながら、そう思った。


 少佐と話した後、パーティーに戻ったわたしはマークに連れられ名前も知らない隊員たちと飲めや食えやの大騒ぎに加わった。いつの間にか飲む酒の度数は強くなっていき、気付けばイェーガーマイスターをストレートで飲んでいた。それを見たマークに飲み比べを挑まれて、テキーラも浴びるように飲んだ。勝敗が着く頃にはまともに立っている隊員は殆どいなく、少佐の「お開きだな」という言葉でわたしとマークは部屋に戻っていった。


 輸送機は滑走路を離陸していく。行きの輸送機と比べて体にかかる圧も少なく揺れも小さな、心地よい乗り心地。何故、最初からこれに乗せてくれなかったのか。どうせ何処かの誰かが適当に選んだのだろうから、当て付けることも出来ない。


 ARを輸送機の外部モニターにリンクさせると基地が豆粒ほどの大きさに見えた。あの基地で眠る820連隊の隊員たちは──マークたちは次は何処に行くのだろう。彼らはあのような戦場を転々として、家に戻ることもなく一年を過ごす。まるで渡り鳥のよう。そんな彼らが少しだけ羨ましかった。


 感傷に浸っているとARに着信を知らせるウィンドウが表示された。見たことの無い番号からだった。


 「もしもし……」


 <やぁ、アシュリー。退屈してないかい?>


 着信の相手はウィリアムだった。


 「ものすごく退屈よ。あくびが出ちゃう」


 <ハハハ……よっぽど空の旅が合わないようだね。ライブラリにアクセスして映画とか見れば良いじゃないか>


 「気分じゃないのよ。何か面白い話してよ」


 <あぁ……話か……してあげたいのはやまやまなんだけど、今ちょっと手が離せないんだ。> 


 「忙しいの?」


 <ちょっとね。複数のタスクを平行してこなしてるんだ。もう一踏ん張りで区切りが付くかな……君が帰ってくる頃には終わっていると思うよ>


 「そう、じゃあ帰ったらお話してね?」


 <あぁ、いいよ。紅茶もお菓子も用意して待ってる。ゆっくりしよう。>


 「うん、お仕事がんばってね……じゃあ……」


 通話を切ると再び小さな揺れとエンジン音がわたしを包んだ。


 渡り鳥には憧れるけど、わたしは飛び立てない。いや、飛び立たなくていい。ウィリアムの声を聞いて、そう思った。耳に残る彼の声と、揺れがわたしの意識を深い眠りへと誘っていく。まだ夕べの酒が抜けきってないのだろう。頭も体も重くなっていく。色んな物が溶け合って微睡みの中へ消えていく。マークたちへの憧れも、戦場で感じた疑問も懐かしさも。




 目を覚ますと、基地への到着を知らせるわたしへのアナウンスがうっすらと聞こえた。既に輸送機は滑走路を走っていて、ルーマニアに行く前に見た景色がひろがっていた。


 寝すぎたせいか背中と腰が鈍く痛んだ。体を大きく伸ばし、不味い──それでも施設の物よりはマシ──コーヒーを一杯飲んで、迎えが待っている滑走路へと降りる。予定では行きと同じように黒服が二人、SUVと一緒に待っている筈だった。


 しかし、滑走路にいたのは黒服だけでは無かった。黒塗りのバン、Tシャツの上にボディーアーマーを着てM4を構えた男と黒服。滑走路は物々しい雰囲気に包まれていた。


 「第6開発分室所属、アシュリー·スノー少尉ですね?」


 黒服の質問に首を縦に振った。


 「あなたには統合参謀本部及び国防総省より出頭命令が出ています。ご同行願います」


 黒服が言い終えると、武装した男たちに囲まれ訳も分からないままバンに乗せられた。バンの窓から滑走路が遠ざかって行くのが分かった。黒服が何処かに通信している。会話の中のパッケージというのはわたしのことだろう。


 滑走路から離れれば離れるほど、あらゆる物が遠くなっていく気がした。安息も、退屈も、不味いコーヒーも、歯が浮きそうな甘さのジェルも、ウィリアムも。

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