離陸
わたしを呼びつけるやつは限られている。まず、わたしの担当研究員。2人目はわたしを新装備の実験に使おうとする研究員。3人目は、ここの責任者。この3人だ。
わたしは気分が悪かった。彼との時間を邪魔されたから。今回わたしを呼び出したやつはここの責任者、室長と呼ばれる男だ。この気分の悪さをどうしてくれようか。室長のメガネを叩き壊せば晴れるのだろうか。
どこまでも真っ白な空間を目的地に向かって進む。
自室から室長室まで行くのに15分。[教会]から向かえば30分。ここの無駄に広い面積や構造が心の底から恨めしい。きっとこの施設を設計したやつの脳は赤ん坊のままなのだろう。大きいものが大好き。デカけりゃ何でもいい。この施設で使用されてない空間は全体の47%。無駄が多すぎる。その47%のデッドスペースを省けば、効率的に移動出来る。
室長室の前で所属認証し、これまた無駄に厚い隔壁並みのドアを潜ると、この時間からワインを飲んでいる男がいた。
「ノックぐらいしたまえ」
「どうせ返事が無いなら、ノックなんていらないわ」
わたしを呼び出した張本人――室長は昼間からワインを飲んでいた。
「いい御身分ね……室長さまとなると、昼間からワインを飲んでいても文句なんて言われないものね」
「不機嫌だな。セラピーの受診希望なら受け取っておく」
「いらないわ。それで何の用よ?」
「君はニュースを見るか?」
ニュース。ここで言うニュースは世間一般の報道では無い。世界中で戦闘しているアメリカ軍の状況。国防省からの情報。戦況報道。
「いえ、見ないわ。知ってるでしょ?わたしがニュース見ないこと」
室長は顔色一つ崩さずに、知ってた、と言ってわたしのARにファイルを送ってきた。
衛星写真。軌道上から冷徹に地上を見下ろす、神の目。
廃墟と瓦礫。かつては美しかったであろう、石の街並みは無残にも破壊され、ぷすぷすと黒焦げになった物から煙が出ている。
AKと機関銃をくっつけたピックアップトラック。戦場におけるジーンズとTシャツ。普遍、不変。タイムプルーフされてノーマライズされた、反体制派のグローバルスタンダード。そしてそこには不釣り合いなロシア製のECN。それだけが最新。
画像を拡大すると、まだ14ぐらいの子供がタバコを片手にAKを抱えている。だが、あれはタバコじゃなくて麻薬なのだろう。薬漬けにして突撃させたり囮にする。
「東欧だ」
室長は言った。さぞ、どうでもよさげに。
「ルーマニアでクーデターが起きた。国軍は鎮圧しようとしたが、国軍内部からも反乱分子が出たようだ。おそらくロシアが裏から支援している……ロシア製のECNがある。体制派は親米政権だからな……瓦解させようと企んでるんだろう。後は地下資源狙いとかな」
「地下資源?」
「ルーマニアには天然ガスや鉱物資源が豊富に埋まっている。利権を握る気だろう」
どうでも良かった。誰が何の利権を握っても同じことのように思えたから。
「体制派からの要請を受けて、お偉方は鎮圧部隊を派遣した。海兵隊と特殊作戦軍第820特殊機甲歩兵連隊とUECN(無人ECN)ユニットだ。部隊は56時間前に現地での状況を開始した」
「それで?」
「上は早々に状況を終了させたがっている。裏にロシアがいるから、さっさと終わらせたいらしい。うってつけの状況だ」
訊くのも嫌だが、このイカれた男は訊かないと話を進めない。
「何の?」
「勿論、君の有用性を証明するチャンスという意味だ。君は間違いなく我々の最高傑作の1つだ。初陣でそれを証明してこい」
つまりはわたしにクーデター鎮圧――殺戮してこいということ。それなら、こんな遠回しな言い方じゃなくて一言で済んだ筈だ。殺してこい、で。
「どうやって?」
「ECNでだ。もう、空の上だろう」
手際がいいこと。
「分かったわ。日時決まったら教えて頂戴」
「今夜だ。今夜、輸送機で現地に飛んでもらう」
この男は何と言った。今夜だって?ふざけるな。冗談じゃない。今夜現地に向かったらウィリアムに、いってきますも言えない。
「不満があるようだが、上からの命令だ。私にはどうすることも出来ない」
悔しかった。ただただ悔しかった。今にも涙が溢れそうだったが、わたしの視界は揺らがず、表情筋は硬くロックされていた。
感情適正コントロールプログラム。
わたしの脳に内蔵されたプログラムが働き、わたしの感情を勝手にコントロールする。泣きたくても泣けない。叫びたくても叫べない。少なくともこの場では。
「部屋に荷物と着替えが置いてある。確認しておけ。30分後には基地に向かってもらう……」
室長室から自室まで15分。部屋で諸々するのに15分。わたしは走った。雑念を払い除けるように全力で走った。
走ったお蔭か10分で部屋に着くことが出来た。
テーブルの上には小物類と大きなリュック。その隣には黒のタンクトップと迷彩服。
リュックの中には替えのタンクトップや、生活に必要な物が入っていた。だが、向こうの基地にもある程度の物は揃ってあるだろう。
いやらしいボディスーツから迷彩服に着替える。あの体にぴっちり吸い付くようなスーツより、タンクトップや迷彩服の方が格段に良い。あんなのは、ごめんだ。
持ってく物も無いので、着替えれば準備は終わった。
暫く待っていると、黒のスーツを着た男が2人、部屋に入ってきた。
「アシュリー少尉。お時間です」
どうやらわたしの便宜上の階級は少尉らしい。いろいろすっ飛ばして士官とは、現地で死に物狂いで戦っている者たちに申し訳ない。
地下にある施設を出ると、一瞬だけ目が眩んだ。ECNの演習以外で地上に出たことが無いからなのか、日光には強くない。毎回このザマだ。
黒服に支えられながら、シボレーのSUVに乗り、空軍基地へ向かった。
30分もしない内にSUVは基地のゲートを潜り、停車した。
基地内で手続きを終えて、輸送機へ乗り込んだのは室長室でルーマニア行きを宣告されてから80分後のことだった。
輸送機の内部はグレー一色だった。真っ白よりはマシだし、何よりも肌寒さを感じなかった。
《お嬢ちゃん、出発するぜ》
パイロットの声と同時に輸送機が動き出した。機体は滑走路へと移動し、徐々にスピードを上げていく。
腹にかかる圧と、ふわっとした感覚。それがわたしに輸送機が離陸したことを教えてくれた。
離陸したことを知ると、頬に温かい物が伝った。
感情適正コントロールプログラムが解けたようだ。
そこでわたしはやっと泣いて、八つ当たりすることが出来た。




