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18/19

18日目 ゴネる女


 7月も終盤。

 これから暑くなっていく時期だが、反対に日の出は少しずつ遅くなっていく。


 俺はアパートの戸締りをもう一度確認すると、明け始めた陽の光の中に身体を晒す。

 

 今月の初め頃には死すら選ぼうとしていたのに、少しのきっかけでここまで変わるのだから、世の中何が起こるか分からない。


 数えきれないほど通った駅への道の途中、いつもの空き地に見慣れた姿。

 例の女がしゃがみ込んで石をひっくり返している。


 久々のダンゴムシ狩り。

 ようやく満足できるレベルに生息数が回復したらしい。


「おはよう。今日の成果はどうだい?」


 小さな背中に声をかけると、女は嬉しそうに瓶を差し出してくる。


「おはよう、社畜さん。上々よ。禁猟と公園からの移住が功を奏したわ」

「へえ、それは良かった」

「……でも一つ懸念が生じたの」


 憂いを込めた表情で、瓶を俺の眼前にかざす。


「社畜さん、見て頂戴。ちょっと小さめのダンゴムシがいるでしょ」

「ホントだ。子供なの?」

「成体よ。これは在来種のコシビロダンゴムシね。ここいらでは初めて見たわ」

「ん? ということはいつも見てる奴は」

「外来種のオカダンゴムシよ。私達が日頃見ているダンゴムシは実は外来種がほとんどなの。コシビロダンゴムシは山や森にいるから」

「そうなんだ。でも、こんな住宅地の真ん中にもいるんだね」

「この辺にいるということは。土ごと運ばれてきたか……飼育下から逃げ出してきたか、よ」

「へえ……」

「つまりこれは、この界隈にダンゴムシ愛好家がいるという証左に他ならないわ」


 ……なんだこいつ。

 ダンゴムシが絡むとIQが20くらい上がるのか。


「それはそうと社畜さん。約束の物を持ってきたよ」

「約束?」


 女はパンパンと手を払うと、ポケットから何かを取り出した。


「これ、約束通りクッキー焼いてきたよ」


 透明な袋とリボンでラッピングしていて、中々に見栄えがする。

 問題はダンゴムシ狩りをしていた手で掴んでいることくらいだ。


「へえ、凄いな。まるで店で売ってるやつみたいだ」

「でしょ? 一時期、おやつ不足解消のために自分で焼いて食べまくってたの」


 女はふと、遠い目をする。


「……そのせいで、食材の棚に鍵をつけられたんだけど。今回も大変だったわ」

「君、家族と上手くいってる?」


 受け取ったクッキーは西洋のおばあちゃんが作っていそうな、本格的なチョコチップクッキーだ。


「……チョコチップ………」


 ……まさか。俺の頬を汗が伝う。


「このチョコチップ……まさか……ダン……ゴ……?」

「はいっ?! まさかそんなことする訳ないでしょ!」


 言いながら、女は手元の瓶に目を落とす。


「……え? 食べれるの? こいつらチョコなの?」

「チョコ違うし、食べない方がいいと思う」


 俺は割れないように慎重にカバンに入れる。


「ありがとう。大事に食べるよ」


 素直なお礼の言葉に照れたのか。女はソワソワと髪を撫で付ける。


「ま、まあ、このくらいならいつでもどうぞ。社畜さん今日も早いね。忙しいの?」

「んー、どうだろ。昨日で大体、引継ぎも終わったし」

「ひきつぎ?」


 女はきょとんと眼を丸くする。


「なにそれ」

「えーと、会社を辞めるから仕事を他の人に引き渡す準備だよ。今の会社行くの今日が最後なんだ」

「……辞める?」


 くるくると目を回しながら、女は不思議そうにつぶやく。


「つまり、社畜さんが……畜になる……?」

「え、俺って辞めても畜は残るんだ」

「生活は大丈夫? ご飯とか私のこっそり分けたげようか?」

「大丈夫。うちの会社を辞めた先輩が、誘ってくれて。転職することにしたんだ」

「おう……またすぐに働くんだ」


 ドン引き顔の女。


「次の所は週末ちゃんと休めるし、朝は始業時間までに行けばいいんだ。有休もあるらしいし。だけど―――」

「なんかおかしなことでもあるの?」

「……なのになぜか今より給料が上がるんだ。なんでだろう」

「……? なんでだろね……?」


 IQの戻った女はぽかんと口を半開き。

 ふと、我に返ったように、零れかけた涎をぬぐう。


「とにかく良かったね。じゃあ、出勤がもっと遅い時間になるの? 私、何時頃ここに―――」


 俺は思わず目を逸らす。

 ……犬のキラキラした瞳から視線を逸らすように。


「次の会社、千葉の方だからさ。ここからは通えないんだ」

「……ごめん、良く分からない」

「引っ越すんだ。会社の寮があってね、これからは通勤も徒歩で行けるんだ」


 しばらく黙っていた女は不貞腐れたように口を尖らせる。


「……通えるよ」

「え」

「だって、今みたいに夜明けと同時に出ればいいじゃん」

「そうもいかないよ。次の会社はちゃんとついていければスキルも身に付くし、この先にも繋がるし―――」

「じゃあ、テレワークとかで家で仕事すればいいじゃん。千葉なんか落花生しかないし、あんなとこ行かなくても―――」


 言葉は途切れて、女は萎れるようにうな垂れた。


「……ごめん。無理言って」

「ううん、確かにあそこ落花生しかないし」


 予想外に凹む女の姿に、俺は大きく深呼吸。思い切って胸ポケットの中身を取り出す。


「あの……これ……」

「……え? これ、名刺?」


 女は食い入るように名刺を見つめる。


「おお……ここが……噂のブラック企業か……」

「え? そこ?」

「あ、うん、社畜さんこんな名前だったんだね」


 ……なんか温度が低い。

 やっぱこんなのを渡したのはまずかったか。

 名刺に書いた俺の携帯番号にも無反応だし―――


 しばらく名刺を眺めていた女は、そっと俺にそれを突き出す。


「……ごめん、ちょっとまずかったよね。」

「……メールアドレスも書いて」

「え?」

「私、携帯電話持ってないし」


 俺は慌ててボールペンを取り出すと、裏にメールアドレスを書き込む。


「家に電話無いの?」

「だって家の電話から携帯にかけると、高額請求が来るんでしょ? ダイヤルQ2とか聞いたことあるし」

「……大丈夫だから。ワンコール入れてくれれば、こっちからかけ直すよ」


 もう一度名刺を渡すと、女はにやける顔を隠そうとでもするのか、軽く唇をかむ。


「……絶対連絡するね。だから」


 女はボールペンを奪うと、俺の掌に03から始まる電話番号とメールアドレスを書き込んだ。


「社畜さんも絶対連絡して。今度は紅茶クッキー焼いて待ってるから」

「じゃ、代わりにタピオカミルクティー買ってくるよ」


 女は明るい笑顔を見せると、名刺を瓶の中に放り込む。

 そこに仕舞うのか。


「……じゃ、俺そろそろ行くね」


 女は胸の前で手を振る。


「じゃあ、いってらっしゃい、社畜さん!」



「ああ、行ってきます」


社畜さん、ついに決断&男を見せました。

次回、最終回。二人の後日談です。

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― 新着の感想 ―
[一言] おお、アラサーさんには、この決断力がなかったのか… しかし、ひどい会社だったんですねえ。 後一話、読み始めると早いものでした。少し寂しい。
[良い点] お、なんかイイ話でおわりそう? 本人全くそんな気無いだろうけど1人の命救ったんだよなあ。 [気になる点] 畜さんは変った、さて彼女はどうだろう。
[良い点] 名刺を瓶の中に放 [一言] ブレないな。                    好き!
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