16日目 沁みる女
もうすっかり夏だ。
今日は朝からやたらと暑い。
早起きの蝉が鳴き始めている。
今日もきっと、女は椅子に腰かけて麦茶でも飲んでいるのだろう。
そう思いながら空き地に差し掛かると、女は空っぽの空き地にポツリと立っている。
「おはよう。椅子はどうしたの?」
「おはよう……椅子は夢の島に旅立った」
女は悲し気に俯くと、昨日椅子のあった場所をじっと見つめる。
「無くなったの?」
「よく見たら、普通にゴミ処理券貼ってあった」
「不法投棄じゃなかったんだ」
「うん。間違えてこの空き地に置いてたみたい。近所のおっちゃんにメッチャ怒られた。間違えたの私じゃないのに」
「大変だったね」
「回収場所まで持っていくのも大変だった。おっちゃんもメッチャ怖かった……」
女はいつになくションボリしている。
猫背の女は空き地の隅の石をひっくり返す。
「もうダンゴムシ狩りは解禁なの?」
「……週明けまで寝かせとこうかと思ったけど、早めに収穫する」
これはかなりのションボリ具合だ。
やむを得ない。俺はカバンから今日の朝食を取り出す。
「良ければだけど。これ食べる?」
「……?」
ぼんやりと俺の手元を見た女は、途端に目を輝かせる。
「ガリガリ君!」
喜びの声を上げ、手を伸ばした女はぴたりと動きを止める。
「……私お金持ってないけど。いいの? ガリガリ君だよ?」
「いいよ。電車の待ち時間に2本一気食いしようと思ってたやつだから。一本あげる」
「ほんと? ありがと!」
こんなに喜んでくれるんならピノでも買って来ればよかった。ハーゲンダッツなら一人で食うが。
「じゃあソーダ味と梨味、どっちにする?」
「っ?!」
再び女の動きが止まる。
「私に……選べと……? 盆と正月を選べというの?」
「普通に食べたいの選べばいいから」
「でも私。梨味、食べたこと無いし」
「そうなんだ。梨味、控えめに言っても神だよ」
「だってコンビニでガリガリ君を買うときは……ガリガリ君ソーダ味が食べたくて仕方ない時なの」
女はギュッと手を握り締める。
「……だからコンビニで味を迷うなんて余地は無い。直前で心変わりしたガリガリ君ナポリタン味の悲劇は二度と繰り返さないわ」
ガリガリ君ナポリタン味……奴が一人の少女の心に大きな傷を残したのだ。
悲劇から数年、ダンゴムシも拾おうというものだ。
「同情するよ。じゃあ、こんな時こそ梨味を食べるべきじゃないかな?」
「なるほど。人のお金だからこそ、いつもは選ばない味に挑戦できる……真理ね」
ようやく覚悟を決めたのか。
女は手を伸ばし、ガリガリ君を手にした―――ガリガリ君ソーダ味に。
「ソーダ味でいいの?」
「だって……こんな話をしてたら、身体がガリガリ君ソーダ味モードに入っちゃったの」
「……二つ食べてもいいんだよ」
「そんなことしたら、社畜さんの無くなっちゃうじゃん。それに二つも食べたらお腹痛くなっちゃうし」
並んでガリガリ君をボリボリ齧る。
「……梨味、美味しい?」
「美味しいよ。夏にはついこればっかり食べちゃうな」
「冷たい物ばっかり食べると、おなか痛くなっちゃうよ」
「確かにそうかも。夕飯が牛丼ばっかりで飽きた時には、これを一気に3本くらい食べるんだ」
「夕飯それだけで足りる?」
「胃がビックリして食欲無くなるから丁度いいんだ。忙しい時ってご飯食べるのめんどくさいし」
「Oh……」
女は外人みたいに肩を竦める。
「社畜さん、ご飯はあったかい物食べた方がいいよ。水とか沸かすとお湯になるし」
「……せめてカロリー欲しいな」
「黒砂糖とか溶かすと美味しいよ」
カブトムシでももうちょい良いものを食べてないだろうか。
そんなことを思いながらアイスを齧っていると、女が低い声で呟いた。
「……当たった」
「ホント? 凄い久しぶりに見た気がするよ」
「え? これ、当たったらどうしたらいい? 返したらいい?」
「あげるって。近くのファミマで買ったから交換してもらって」
「交換……新しいの貰えるの!?」
女はアイスの残りを一気に平らげる。
「前歯で食べたらめっちゃ沁みる……一気に食べたら頭痛いし……」
言って頭を抱える女。
……色々と賑やかな女だ。面倒な奴とも言う。
「大丈夫? 俺、そろそろ電車の時間だけど」
「……大丈夫。アイスの当たりがもらえるんなら、かき氷の一気食いだってやって見せるわ」
「そうか。じゃあ俺が脅されて一気食いさせられそうなときは代わりに頼むよ」
「その時はスーパーカップで手を打つわ」
女は当たり棒を持った手を嬉しそうに振って見せる。
「それじゃ、行ってらっしゃい社畜さん」
「それじゃ、行ってきます。」




