13日目 事案の女
「昨日、会社に社長の娘さんが来てね」
「社長の?」
タピオカミルクティーに太いストローを刺しながら、女は驚いた顔で俺を見る。
「……愚痴を私に? 社会に出たことも無い、共感力皆無なこの私に? いいよ。社畜さんの愚痴、聞いてあげるよ! どんな話?」
俺は約束通りタピオカを差し入れ、こうして愚痴を聞かせようとしている。
我ながら中々に悪い男である。
俺はアイスコーヒーを一口飲む。
「その社長の娘というのが……絵に描いたようなメスガキなんだ」
「メスガキ……?」
女はさりげなく左手をポケットに突っ込んだ。
おそらく、その中には防犯ブザーがあるのだろう。
「……いま、事案が発生しつつある? 事案発生中?」
「聞いてくれ。メスガキというのはネットミームの一種で、決して事案とは関係ない」
「良く分かんないけど、ネットとかの用語ってこと?」
理解があって大変助かる。
「ああ。メスガキとは生意気な小娘のことで―――」
「まんまじゃん」
「まあ待て。調子に乗った小娘が成人男性をニヤニヤ顔で罵倒する……それとセットで初めて成立する概念なんだ」
「へえ……」
音を立ててタピオカを飲みながらも、女の左手はポケットから出てこない。
「……良く分からないけど、私が事案の真っただ中にいることだけは良く分かった。防犯ブザー、鳴らした方がいいかな?」
「鳴らさないで? いいか、社長の娘というのが小学生高学年くらいの絵に描いた様なメスガキなんだ」
「……罵倒されたの? そして嬉しかったの?」
女はズリズリと俺から遠ざかる。
だから話は最後まで聞いてくれ。このままでは町内に風評被害が蔓延するばかりである。
「罵倒はされたが決して喜んだわけじゃない。まあ、会社の皆に手作りクッキーの差し入れがあったんだけど」
「普通のいい子じゃん」
「……そこだけ切り取ればそうなるだろう。だけどメスガキは一方的に成人男性を見下し、雑魚扱いをするんだ。男は決して逆転することはできないし、逆らうことも考えられなくなる」
「……相手、小学生の女の子だよね? 私、何を聞かされてるの?」
「俺達が逆らえないことを知っている社長の娘。そんなおしゃれで生意気な小娘が俺達を罵倒しながらも、気まぐれとばかりに手作りのクッキーを皆にふるまう―――」
目を瞑り、その時の光景を思い出す。
「……同僚の内、3人ほどはクッキーを食べながら泣き崩れた。そしていまでは奴らのスマホの待ち受け画面は社長の娘だ」
「……その会社、大丈夫?」
大丈夫じゃないかもしれない。
俺はアイスコーヒーを飲み干すと、腕時計をチラリと見る。
「じゃ、俺そろそろ行くよ。愚痴聞いてくれてありがとう」
「いまの本当に愚痴だったの……? こっちこそタピオカありがと」
手を振りかけた女は、何かを思い付いた様に目をパチパチとしばたかせる。
「どうかした?」
「手作りクッキー食べたいんなら、焼いてきてあげようか?」
思いがけない言葉。
「え、でもいいの? 名前も知らない相手に手作りクッキーなんて」
「ちゃんとお金は貰うよ。正味原価200円くらいのを300円で売ろうと思ってるの。いわば社畜さんは金蔓ね」
……正直だな。
しかも利益が百円って……もう少し儲けてもいいんだぞ。
「じゃ、是非お願いするよ」
「分かった。それじゃ、行ってらっしゃい社畜さん」
手を振る女。
俺はそれに振り返す。
「それじゃ行ってきます」




