26 あなたの側が私の居場所
テオドール様がベイリー公爵家に行ってしまった、この一週間。私は本当につらかったです。
寝ても覚めても「テオドール様、大丈夫かな?」と不安になるばかり。
でも、本当は分かっていました。
優秀なテオドール様が大丈夫だと言えば、大丈夫なことを。
それでも心配してしまうのは、これはもう愛ゆえですね。こんな気持ちを知ってしまったら、今度から私は過保護なお父様に嫌な顔をできません。
私もしっかりしなければと思い、ロザリンド様に『バルゴアに帰ります』とお手紙を書きました。
すぐに『会いたい』とお返事をいただきましたが、ロザリンド様の都合で会える日がテオドール様を迎えに行く日だけだったのです。仕方がないので、涙を呑んでご遠慮させていただきました。
そうして過ごしているうちに、待ちに待ったお迎えの日。
叔父様と叔母様が心配そうな顔で私を見ています。
「テオドールくんから聞いていたけど、本当にこのままバルゴアに帰るのかい?」と叔父様。
「もっとゆっくりしていけばいいのに」と叔母様。
テオドール様と相談したうえで、お二人には、私がクルト様に危害を加えられそうになったことは話していません。
心配させてはいけませんから。
それに、もし叔母様から私のお父様に話がいってしまったら、大問題になってしまいます。
テオドール様が言うには「いっそのこと、大問題にしてしまいたい気分です」とのことでしたが、クルト様の言う通り、この件が社交界に広まれば私もただではすまないそうです。
それを阻止すべく、テオドール様はベイリー公爵家へと向かいました。何をどうするか分かりませんが、きっとテオドール様は上手くやってくれているはず。
だから、私はテオドール様を信じて約束を守りお迎えに行くだけです。
私は叔父様と叔母様に微笑みかけました。
「大変お世話になりました。あの、よければ、1年後に挙げる予定の私たちの結婚式に参列していただけますか?」
本当なら帰ってすぐにでも式を挙げたいのですが、私のお父様から婚約期間を1年は持つようにと言われているので仕方ありません。
叔母様がそっと私の手を握りました。
「行くに決まっているでしょう? 呼ばれなくても押しかけるわよ」
「そんなっ! 絶対にご招待します」
「ふふっありがとう。あなたの花嫁姿が楽しみだわ」
優しい笑みを浮かべる叔父様と叔母様を残して、私は来たときと同じ馬車に乗り込みました。
ぞろぞろとバルゴアの騎士たちが移動を開始します。まだ朝早いので、街中には人がほとんどいません。
ベイリー公爵家に着くと、なぜか花束を持ったクルト様に出迎えられました。
「お会いしたかったです! シンシア様」
そんなことを言いながら花束を渡そうとしてきます。
あんなことをしたのに、よく平気な顔で私に話しかけられますね、この人……。
バルゴアの騎士が、サッと間に入ってくれたので、私は無視して通り過ぎました。クルト様が何か喚いていますが、騎士たちが対処してくれるでしょう。
ベイリー公爵邸から出てきたテオドール様に、私は抱きつきました。
「テオドール様、会いたかったです!」
「私もです」
テオドール様は、私をしっかりと受け止めてくれます。
「大丈夫ですか? ひどい目に遭いませんでしたか⁉」
「大丈夫ですよ」
私がその優しい微笑みに見惚れていると、テオドール様の護衛をしていたバルゴアの騎士が「お嬢……。昨日から飯を抜かれて、腹減って死にそうです」と訴えてました。
「ええっ⁉ もしかして、テオドール様も食べていないんですか?」
「まぁ、そうですね」
「そんな⁉ じゃあ、王都から出る前にどこかお店に入りましょう!」
「この大所帯では無理かと……」
「では、テオドール様たちだけでも!」
テオドール様の手を引いて歩き出した私は、「待って!」と声をかけられました。
振り返ると、銀髪の貴婦人が深刻な表情を浮かべています。
「どうして……? どうしてテオドールなの?」
「え?」
困ってテオドール様を見ると、小声で「残念ながら私の母です」と教えてくれました。
あー……この方が実の母にもかかわらず、テオドール様を毛嫌いして、クルト様だけを溺愛したベイリー公爵夫人ですか。
夫人は今にも私に縋りついてきそうな雰囲気です。
「テオドールより、美しいクルトのほうがいいでしょう?」
私はその言葉に首をかしげました。
「テオドール様は、私が今まで見た男性の中で一番美しいですよ?」
「そんなはずないわ! こんなに醜い姿なのよ⁉」
テオドール様を侮辱する言葉に私はムッとしました。
「テオドール様は美しいです! だって一目ぼれでしたから!」
「ウソよ!」
「ウソなんかついていません! テオドール様は、美しいだけじゃなくて、とってもカッコいいですし、色気もすごいんですからね⁉ もう、側にいるだけで私はときめきすぎて心臓がもちませんよ! それに、すっごくお優しいんです! 私が知らないこともバカにせず教えてくださるし、気が利くし、お仕事も完璧だし、本当にどうして私を好きになってくださったのか今でも分からないくらい素敵な方なんです!」
私の肩に手を置いたテオドール様が「シンシア様。そのへんで」と言うので私はようやく早口で語るのをやめました。
テオドール様の顔が真っ赤に染まっているのを見た私はハッとなります。慌てて周囲を見ると、案の定、周りにいたバルゴアの騎士たちが、皆ニヤニヤしていました。
お願いだから、そのにやけ顔やめて!
そんな中、夫人だけが険しい顔をして「クルトがテオドールより劣っているとでも言うの⁉」と叫びました。
なんと説明したらいいのやら。
「あのですね……。ベイリー公爵夫人が、テオドール様を嫌っていてクルト様しか愛せないように、逆もあるんですよ。
私はクルト様を嫌悪していて、テオドール様しか愛せません。テオドール様を愛している私がクルト様を愛することはないのです」
私の言葉は、夫人だけではなく、バルゴアの騎士に押さえつけられているクルト様にも届いたようです。
「ウソだ……。僕より兄さんがいいなんて……」
「そうよ、そんなのウソよ……」
同じようなことをブツブツと言っている二人は、似た者親子ですね。
言いたいことも言いましたし、早くお店に行きましょう!
再び歩き出した私の前に、豪華な馬車が止まりました。
真っ白なその馬車は、金縁の飾りが施されています。描かれている紋章は、王家のもの。
私が驚いている間に、御者が馬車の扉を開きました。
「中で王女殿下がお待ちです」
「え? ロザリンド様が?」
テオドール様を見ると、静かに頷き馬車に乗るためにエスコートしてくれます。
馬車の窓にはカーテンがかけられていて、外からは見えません。扉が閉められ、私はロザリンド様と二人きりになりました。
「シンシア……」
「ローザ様、どうしたのですか?」
私を見つめるロザリンド様は、なんだか気落ちしているように見えます。
「あなたが今日、バルゴアに帰ると聞いて、私……」
「あっ、見送りに来てくださったのですか?」
ロザリンド様は小さく首を左右に振りました。
「私は自分が外交に強いと思っていたわ。交渉術にも長けていると思っていた。でも、今は何も思いつかないの」
少し俯いたローザ様の瞳に、うっすらと涙が浮かびます。
「あなたが王都から去ると知ってから、今日までずっと考えていたわ。でも、バルゴア領は冨も権力も軍隊も持っていて、しかも、あなたには国一番の優秀な婚約者がいる。そんな、あなたを引き留めるための手段が、私には思いつかなかった」
ローザ様の瞳から、大粒の涙がこぼれます。
「だからこれは私の正直な気持ちよ。シンシア、行かないで……私、不安なの。女王になる覚悟は決めたつもりだけど、それでも震えて眠れない夜があるわ」
私の袖を掴んだロザリンド様の手は微かに震えています。
「こんなことを話せるのは、シンシアだけなの。お願い……私が成人するまででいいから、いいえ、一年だけでもいい。私の側にいて」
「ローザ様……」
そうですよね。いくらロザリンド様が堂々とされていても、まだ14歳。急に女王にならないといけなくなって、不安で仕方ないですよね。
ロザリンド様の気持ちを思うと、ぎゅっと胸が締めつけられます。
そのとき、馬車の外が騒がしくなりました。見ると、テオドール様が見知らぬ貴族男性たちに取り囲まれています。
「ベイリー公爵家の次期当主は、テオドール様しかおりません!」
「どうか、これからのベイリー公爵家を導いてください!」
テオドール様は、そんな彼らを冷静に見渡しました。
「私がいなかった間も、あなたたちはそれぞれ自分のなすべき仕事をしていました。だから、無能な当主でも持ちこたえられたのです。現当主夫妻と弟はこちらで対処しておきますから、どうかあなたたちの中から、次期当主を選んでください。元同僚の王家の役人たちにはすでに話を通しているので、誰に決まっても新当主を支えてくれるはずです」
「そんなことおっしゃらずに!」
「テオドール様しか当主になれる方はおりません!」
どんなに引き留められても、テオドール様は「バルゴア辺境伯令嬢シンシア様がいる場所が私の居場所です。シンシア様のお側にいることが私の幸せなのです」の一点張りです。
あっちは大変そうですね、なんて思ってしまいましたが、私の前ではロザリンド様が濡れた瞳で私の返事を待っています。
う、うーん。どうせ今、バルゴア領に帰っても結婚式は1年後……。
その間、私はバルゴア領にいてもいなくても、別に問題ないですし……。
バルゴア領は優秀な人材が多いから、テオドール様も好きなだけ王都にいていいと言われたそうですし……。
馬車の外から「テオドール様、1年! ベイリー公爵家が落ち着くまでの1年だけでもいいですから、せめて王都にいてください!」と泣きつく声が聞こえてきます。
テオドール様の返事は、先ほどと変わりません。
「バルゴア辺境伯令嬢シンシア様がいる場所が私の居場所です。シンシア様のお側にいることが私の幸せなのです」
それって、私が王都に残ったら、テオドール様も王都に残るってことですよね?
私もテオドール様の側にいれたら幸せなので、結婚式まで過ごす場所がバルゴア領でも王都でも問題ありません。
悩んだ末に、私はロザリンド様にお返事しました。
「えっと、じゃあ、1年だけ……」
「!」
私に抱きついたロザリンド様は涙を流しながら「ありがとう」と言ってくれました。




