7 恋とは
女性との関わり方、すなわち恋愛について教えるのもハンナの大事な役目だ。
(といっても、私も人に教えられるほどの経験も実績もないのですが……)
上級貴族の華やかな令嬢たちは結婚前にいくつかの恋をたしなんだりするそうだが……容姿も性格も地味は自分には縁のない話だ。
なので、恋心を学ぶ参考書として、名作と謳われる恋愛小説を持参してきた。読み終えたあとで、彼と感想を語り合う。
「主人公の愛は深いんだな。自分より、相手の幸せを願った」
「えぇ。きっと、それこそが愛の本質ですよね」
王道の物語だ。主人公の町娘はとある貴族の青年と恋に落ちる。ところが、魔女が魔法で主人公に変身して青年を誘惑する。彼はまんまと騙され、魔女と結ばれてしまう。主人公は裏切った青年を殺すこともできたがその選択はせずに、自らの命を絶つ。ラストは、愛した女の死を知った青年が絶望し、あの世での再会を願って海に身を投げるシーンで締めくくられる。
「けど……」
言いながらエリオットは口をへの字にした。
「この男にはまったく共感できない。そもそも、どうして愛する女と別の女を間違ったりするんだ? 愛しているのではなかったのか」
愛しているのならば、間違うはずがない。
若い彼らしい、まっすぐな主張だ。ハンナはクスクスと笑って、物語の青年を擁護する。
「そこはほら。この悪役は、優秀な魔女ですから。そっくりそのまま主人公の姿に変身しちゃうんですよ。愛する女性にほほ笑まれたら、キスをせがまれたら、クラッとくるのが男性の性なのでしょう」
エリオットはちっとも納得できない様子だ。彼の顔をのぞき込みながら、ハンナは問う。
「殿下は、間違わない自信がおありですか?」
「うん。絶対に間違ったりしない」
きっぱりと、彼は言った。清々しく、力強い声だった。
「そうですか。エリオット殿下の奥方になられる女性は幸せですね」
今は原石の彼だけれど、きっといつか最高級のサファイアになる。ハンナの勘がそう主張していた。
だからきっと、彼の妻は王国一幸せな花嫁となるだろう。
「俺は結婚なんかしないよ……俺の妻になりたい女性など、この世にはいないから」
夜が明けたら朝になる。そのくらいの当然さで彼は言った。
悲しみや苦しさはにじんでおらず、そういうものと悟っているような表情だった。
「そんなことはありませんよ!」
ハンナはややムキになって否定する。
「殿下はいつかこの国の王になるかもしれないお方です。この先、妻になりたいという女性が殺到するはず。だからこそ、私はこうしてあなたに教育を授けているんですよ」
エリオットは幽霊でも見たかのような顔で、じっとハンナを凝視する。それから、「ははっ」と噴き出した。
「魔法も使えない無能な俺を『王になるかもしれない』なんて言うのは、あとにも先にも君だけだろうな」
「魔力の有無は王位継承に必須の要件ではなかったはず。歴史上のどんな出来事にも〝初めて〟は必ず存在しますよ」
魔力を持たない最初の王、それがエリオットになる可能性だって否定はできない。
「ハンナは変わり者だな。貴族令嬢なのに自分で料理をしたり、掃除をしたり。そもそも俺なんかの教育係を引き受ける時点でだいぶ変だ」
「私はすべてにおいて、平凡な女です。『変わり者』なんておっしゃるのは、きっとあとにも先にも殿下だけです」
視線がぶつかり、ふたりはクスクスと笑い合う。
エリオットと過ごす時は日だまりのように温かく、優しかった。
とある日。ハンナはエリオットと一緒に離宮の書庫の整理をしていた。これまで、彼はあまり読書を好まなかったようなのだが、ハンナと感想を語り合ったりするなかで書を読むことの奥深さと楽しさに目覚めたようだ。
「ここは古いですが、王家の城ですからね。蔵書はなかなかのものが揃っていますよ。殿下の趣味に合いそうなものを一緒に探しましょう!」
書庫は長らく空気換えすらされていなかったようで、棚に入りきらず床に積まれた書物たちはすっかり埃をかぶっていた。
(まぁ、これなんて希少価値が高いものですのにもったいない)
一冊の本を持ちあげ、開いてみる。すると、隙間からカサカサと蜘蛛が這い出てきてハンナを絶句させた。
「大丈夫か?」
エリオットが駆け寄ってきて、ハンナの背を支えてくれる。思っていた以上に大きな手のひらに、ハンナの心臓は小さく
跳ねた。
(華奢に見えるけど、やっぱり男の子なんですね……)
「は、はい。特別に虫が苦手なわけではないですが、不意打ちは卑怯ですよね」
「この蜘蛛からすると、いきなり部屋に侵入してきた俺たちのほうが不意打ちなんじゃないか?」
「た、たしかに」
エリオットのもっともな意見にハンナはうなずき、本の整理を再開させた。その背中にエリオットが問いかける。
「そういえば、ハンナも……魔法は使えないのか?」
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