44 なによりも大切な
「ハーディーラさま」
ハンナは彼を見つめ、それから深々と頭をさげる。
「教えてくださってありがとうございます。これ以上ない、冥土の土産になりました」
これを知らないまま人生を終えずに済んでよかった。
愛する人にこんなにも愛されていたと知り、もう思い残すことはなにもない。
エリオットに告げたとおり、ハンナは世界で一番幸せな女だ。
ハーディーラは後頭部の髪をクシャクシャとしながら、弱ったように眉尻をさげた。
「冥土の土産ではなく、これからを生きる糧にしたらどうだ? さっきも言ったが、お前の描く結末をエリオットは望んでいないと思うぞ」
彼の主張も理解はできる。ハンナの死を知ったエリオットはどれだけ怒り、そして傷つくだろうか。だが――。
「エリオットさまは、このオスワルト王国に必要な方です。私はおこぼれでその座についただけの王妃ですが、それでも自分の責務は果たしたいと思っています」
ハンナは強い眼差しで、未来を見据える。
「この国の明日のために、エリオットさまを助けてください」
ハーディーラは苦笑して、軽く目を伏せた。
「お前は……エリオットを買いかぶりすぎだ。あいつがまともな王さまなんかやっているのは、ここがお前の暮らす場所だからだろう? お前がいなくなれば、この国にも、世界にも……エリオットは一瞬で興味をなくす。どうしようもないクズ王になるのが、目に浮かぶようだがな」
「ならば」
ハンナはにっこりとほほ笑んでみせた。
「私の遺言だと伝えてください。オスワルトを守る立派な王として、生をまっとうすること。そして、どうか幸せに、笑顔で過ごしてほしいと」
自分の遺言なら、彼は必ず守ってくれるはずだ。
ハンナの揺らがない決意を聞き、ハーディーラも真剣な表情を見せた。
「しつこいようだが、魔法は一度かけてしまったら取り消せないぞ」
「後悔などいたしません。私の命と引き換えに、エリオットさまを救ってください」
それ以上の反論がないのは、承諾の意と解釈してもよいだろうか。
先手を打って、ハンナは「ありがとうございます」と告げてしまう。
ハーディーラが瞳を閉じる。
彼に呼ばれてやってきた風が、虹色の花をサワサワと揺らす。
下から押しあげられるような圧でハンナの身体は宙に浮いた。
そのまま、自分の意思ではないのにふわんと仰向けになる。
手足の力が抜け、ハーディーラみたいに、ハンナの身体も闇と同化していくような心地がした。
彼がなにか呪文めいた言葉をつぶやく。
はっきりと聞こえるわけではないが、エリオットを救う魔法だと思うと、とても耳に心地よい。
(すごく、幸せな死ですね)
自分の命が、愛する人を生かすために使われるのだから。
(無になるわけではない。私の魂はエリオットさまのなかで生きることができる。これからもずっと一緒……)
ハンナは満足し、穏やかな笑みを浮かべた。静かに眠るように、だんだんと意識がぼやけていく。
「~~ナッ」
突如、狭くなった視界の端が騒がしくなった。誰かが半狂乱で暴れている。
(誰かしら? もしかしてエリオットさま?)
最期に愛する人の顔を目に焼きつけておきたかったけれど、もう自分の身体が自分のものではなくなってしまったみたいで、自由にならなかった。
ハンナの視界に映るのは、風に揺れる虹色の花たち。この世のものとは思えぬほどに美しい景色だ。
そのうちの一輪が突如、小鳥に姿を変えた……かに見えたけれど違った。
虹色の花の向こうから、虹色の羽を持つ鳥が飛んできただけだった。
(あれはエリー?)
またすぐに会えるわ。その言葉どおり、エリーがやってきてくれたらしい。
ハンナはふっと唇の端で笑む。
(エリーの正体は死神だったのかしら? エリオットさまでなく、私のところへ来てくれてありがとう)
エリーは光を連れてきた。
辺り一帯、目がくらむほどのまぶしさに包まれる。泣き叫ぶエリオットの姿も、彼と揉めているらしいハーディーラも、そして虹色の小鳥も、ハンナにはもうなにも見えない。




