35 エリオットの異変
コロコロと、何度か寝返りを打つ。どうしたって、頭に浮かんでくるのはエリオットのことばかり。
(エリオットさまは空間移動が自在にできるし、時々は報告に戻ってきてくれると期待していたのだけど……)
それすらできないほどに逼迫した状況、ということだろうか。
魔獣に蹂躙された街の絵がハンナの脳裏をかすめる。エリオットは無事だろうか?
胸がグッと締めつけられるように痛む。なにもできずに待つだけというのは、こんなにも苦しいのか。
「……エリオットさま」
思わず彼を呼んでしまったが、返事をもらえない事実がハンナを余計にさいなんだ。
この部屋も、ベッドも、ひとりきりで使うには広すぎる。
エリオットの大きな手が、唇が、ぬくもりが恋しくて……ハンナは切ないため息を落とす。
(私、いつからこんなにも彼のことを?)
始まりは、エリオットが与えてくれるあふれんばかりの愛に報いたいという思いだった。きっと自分より、彼の気持ちのほうが重かった。おそらく、エリオットは今も、そしてこれからもそうだと信じているだろう。
だけど……ハンナの愛も驚くべきスピードで成長している。もはやエリオットに負けないくらい、大きく、重く。
「エリオットさまが帰ってきたら、お伝えしてみましょうか」
エリオットの思いと同じ。いや、ひょっとしたらそれ以上の強さで、ハンナも彼を愛しているのだと。
エリオットはどんな顔をするだろう?
きっとサファイアの瞳をキラキラと輝かせて、昔と変わらない無邪気な笑顔を見せてくれるはず。
(彼はきっと大丈夫。信じて、帰りを待とう)
エリオットの笑顔を思い浮かべたら、不安も薄れ、ハンナは自然と夢の世界に堕ちていった。
翌朝。
いつもより一時間ほど早く、ハンナは目を覚ました。外がなにやら騒がしかったからだ。
素早くベッドを抜け出すと、深緑色のガウンだけを羽織って部屋の扉を開ける。
王宮の朝はいつも慌ただしいものだが、今日はやけに顕著だ。早足で行き交う人々のなかにナーヤを見つけてハンナは声をあげる。
「ナーヤ! なにか、あったの?」
パッと顔を輝かせて、彼女が答える。
「あぁ、王妃さま。陛下が、カヤックの街に行っていた魔法使いたちが、無事に帰還しましたよ!」
「本当?」
ガウン姿で廷臣たちの前に出るのはみっともないことと理解はしているけれど、着替える手間すら惜しく感じてハンナはそのまま走り出した。
(エリオットさまが帰ってきた!)
やっと会える。まるで幼子のように、ハンナは心を弾ませた。
気がせいて、もつれそうになる足をどうにか動かす。
王宮を出て、中庭を抜ける。正門の前辺りに軍馬の群れが見えた。
「おぉ、陛下もあちらに!」
誰かの、そんな声が聞こえる。どうやら、エリオットも魔法を使わずに騎馬で帰ってきたようだ。
(魔力を使いすぎてしまったのかしら?)
魔力は体力と同じで、消耗する。短時間に使いすぎると身体は大きなダメージを負うのだ。
浮かれていた気持ちが一転して、心配に変わる。ハンナは必死に彼の姿を捜した。
(どうか、元気なお顔を……)
人だかりの中央にすっかり見慣れた銀髪の頭を見つけて、ハンナは駆け出す。
「陛下っ!」
彼はすぐに気がついて、こちらに視線を向ける。
「あぁ、ハンナ。ただいま」
変わらぬ笑顔。けれど、かなり疲弊していることは見て取れた。
髪は乱れているし、衣服はあちこち破けている。顔色も悪く、心なしか頬もこけている気がする。
「だ、大丈夫ですか?」
「……そんな顔しないで、ハンナ。私は平気だから」
彼はハンナの髪を撫で、ふふっと口元を緩めた。
「珍しいドレスを着ているね。上品な深緑色は君によく似合うな」
夜着に深緑色のガウンを羽織っただけの姿が、きちんとしたドレスに見えているのであれば大変だ。
意識が朦朧としているのかもしれない。
「私の服装など、どうでもいいですから。さぁ早くお部屋で……」
休んでほしいという懇願を聞くより前に、エリオットの身体はぐらりと傾き、ハンナの胸に倒れ込んだ。
「――エリオットさま!」
彼の名を呼ぶハンナの声は悲鳴に近い。胸に抱き止めたその身体は燃えるように熱かった。
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