32 玉座のゆくえ
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王国の西部に位置するシーレン地方は古くから鉱業の盛んな地域で、命知らずな荒れくれ者が多いことでも有名だ。
どことなく粗野な雰囲気の漂う街を、乾いた風が吹き抜ける。
「いいですか? くれぐれも、くれぐれも、正体がバレることのないよう気をつけくださいませ」
同行している近衛軍の指揮官アレクスが、ガタイのよさに似合わないささやき声でエリオットに忠告する。
「心配ない。自分が危険な場所にいることは理解している」
反乱の芽があるかもしれない土地だ。堂々と名乗って、やってきているわけではない。行商人のふりをしての、潜入調査だ。
「そもそも、陛下自らが赴く必要などありませんのに……状況を確認するくらいなら我々だけで十分」
「――国家の一大事かもしれないんだ。自分の目と耳で確かめたい」
「陛下のそういう姿勢は、とても尊敬しておりますが……心配なんです。決して、おひとりにならないようお願いいたしますよ!」
アレクスは人のいい、愚直な男だ。エリオットが耳障りのいい言葉で本音をごまかしたことには気づいていない。
自ら赴いた理由は、ただひとつ。
(ハンナ以外の人間を……完全には信用しきれない)
そう判断したからだ。もっとも、裏切者がいると決めてかかっているわけではない。
アレクスをはじめとした近衛軍の人間、そして王宮にいる重臣たち。彼らみな、信用に値する人物だと思っている。
ただ、油断は禁物だ。
(フューリー兄上はスパイを潜り込ませることがお上手のようだからな)
ハンナの最初の結婚の裏に彼がいた。
その話を聞いてすぐに、エリオットはフューリーの過去を洗った。すると、これまで知らなかった真実が浮かびあがってきたのだ。
あの古びた離宮に、ひとりだけいた護衛の男。
王宮が手配したと聞いていたが、調べ直したところ彼を王宮に紹介したのはフューリーだった。
(俺を監視し、様子を報告させていたんだろうな)
玉座にもっとも近いとされていたフューリーがなぜ、不遇王子を気にかける必要があったのか?
その理由にも心当たりがある。
かつてハンナにも説明したが、エリオットはクロの存在を隠し続けていたわけではない。
むしろ、初めは積極的に王宮に知ってもらおうとしていたのだ。自分は精霊と交流することができるのだと。
だが、ハーディーラの気まぐれな性格のおかげですべて失敗に終わった……わけでもない。
一度だけ、ハーディーラが姿を現しかけたときがあったのだ。しかし、その場にいたフューリーがさりげなく妨害した。
そして、彼はエリオットにこう言い聞かせたのだ。
『もう、やめておけ。嘘つきだと、笑われてしまう』
『わかった? もう二度と〝精霊〟などと口にしてはいけないよ』
さも、エリオットのためを思っているような顔をして――。
子どもだったエリオットは、彼の偽りの〝親切〟を信じてしまった。優秀な兄の言うことには、従っておいたほうがいいと。
以来、エリオットはハーディーラ―の話を他人にすることをやめた。
(でも、兄上はずっと不安でたまらなかったのだろうな)
無能な弟が、六大精霊を従えて自分から玉座を奪う。
その日が来るのが恐ろしくて、だからエリオットの離宮にスパイを潜り込ませた。
ハンナの影響でエリオットの力が覚醒しはじめていることを知り、ハンナを遠ざけてしまおうと画策したのだろう。
(私の世界からハンナを奪ったのは、あの男だったというわけか)
フューリーへの憎悪が、自分でも制御しきれない速度で膨れあがっていく。
だが彼もまた、長いことエリオットへの憎悪をつのらせてきたのだろう。奪われた玉座を取り戻そうと、このシーレンの地で力を蓄えていたのかもしれない。
(滑稽だな)
クスリとエリオットは唇をゆがませる。その様子に気づいたアレクスがけげんそうに首をひねる。
「なにか、面白いものでも?」
「いや、なんでもないよ」
エリオットには子がいない。あとほんの少し黙って待っていれば、玉座はフューリーのもとに転がり込んできたはずなのに――。




