28 エリオットの独白
エリオット、ヤンデレ回です。
それから数日後。
夫婦のベッドのなかで、エリオットは夜着姿の愛妻の背をギュッと強く抱き締める。
「五日もハンナに会えないなんて……気が狂いそうだ」
エリオットは明朝、シーレン地方に発つ予定になっている。
ハンナの素肌に触れ、愛をささやくことのできない日々など、エリオットには死も同然。
深いため息を落とすエリオットを軽く振り返り、ハンナはクスクスと笑う。
「たった数日じゃないですか。そんな今生の別れみたいな顔、しないでください」
「そうだな。けど、君の過ごす時間は一瞬だって逃したくないんだよ。やっと、やっと、こうして愛し合えるようになったから。この先、百年続いたって私には足りないくらいだ」
柔らかなブルネットの髪を払い、薔薇色に染まる頬に口づける。嬉しそうに口元をほころばせる彼女の表情に愛おしさがつのる。
「愛しているよ。おやすみ、ハンナ」
羽布団を引っ張ってハンナの肩を隠してやる。すると、彼女は瞳を閉じながらクスリと笑った。
「ふふ。エリオットさまは昔とちっとも変わらないですね。まっすぐで、お優しい」
ツキンと、細い針で胸を刺されたような心地がした。
あっという間に夢の世界に落ちていった彼女を残して、エリオットはそっと寝室を出る。
明日は早いのだが、妙に目が冴えていて眠れそうにない。
少し酒でも入れようかと、自身の書斎に向かった。
椅子をデスクではなく窓のほうにくるりと回して、夜空を見あげる。
今宵は新月。どこまでも闇の続く、暗い夜だった。
(まっすぐで優しい、かぁ)
先ほどのハンナの言葉を思い出し、エリオットは自嘲する。
(人間はみな……多かれ少なかれ秘密を抱えているもの。フューリー兄上もそうかもしれないし、私自身もだ)
ハンナは知らない。エリオットは彼女が思っているような優しい人間ではない。
(君にたくさんの嘘を、ついているしね)
たとえば、彼女と白い結婚をしていたジョアン・シュミット伯爵。
ハンナには急病だったと説明したが、そんなのは真っ赤な嘘だ。彼の死因は病死ではない。
もっともっと、むごたらしく苦しんだすえにあの男は死んだ。
愛人であったリリアナは本来の居場所であった娼館に逆戻り。
(いや、もとは高級娼婦だったんだっけ。ならば、今の住処は地獄かもなぁ)
といっても、このふたりに関して良心が痛むことなど一切ない。
エリオットの女神に、あのような仕打ちをしたのだから当然の報いだ。
対して、三人の兄たちには素直に申し訳ないと思っている。
正妃の産んだ、非の打ちどころのない完璧な王子たち。誰が王になっても、きっとエリオット以上の名君になったことだろう。
彼らはエリオットに親切でもなかったが、意地悪ということもなかった。別に恨みも憎しみもない。
だが、彼らが自分より上の評価を得ているかぎり、エリオットは王になれない。
自分は玉座を手に入れなければならなかった。ハンナとそう約束したから。
なので、少しばかりライバルの足を引っ張らせてもらった。
彼らの悪事を暴いてみたり、三人が疑心暗鬼になって互いを邪魔し合うようにしたり、その程度のささやかな妨害だ。
これまで完璧だった三人の評判にほんの少し傷がついたタイミングで、自身が六大精霊使いになったことを華々しく公表。
それだけで、王位は簡単に転がり込んできた。
ようするに、ハンナを手に入れるためにエリオットは彼らを蹴落としたのだ。
だが、それはこの国の王宮が望んだこと。代々、野生の獣のように兄弟で蹴落とし合い、生き残った者が玉座につく仕組みを踏襲してきた。エリオットはそのルールに従っただけとも言える。
それに、この玉座は〝少し借りている〟だけ。最初から、いつかは返す予定でいた。
ただし――。
「返還先は、フューリー兄上かと思っていたけど……どうやら様子が変わってきたね」
彼が王宮に、自分に反旗をひるがえすつもりらしいという点は別にどうでもよい。好きにすればいいことだ。
ただし、自分の世界からハンナを奪ったのが彼だというのならば……エリオットは彼に相応の罰を与えなくてはならないだろう。
青い瞳に、ほの暗い影が差す。ハンナには決して見せない顔だ。
そのとき、エリオットが見つめる闇のなかに、金色に輝くふたつの瞳が出現した。
闇色の身体を持つコウモリだ。それはエリオットの前でシュルシュルと人に形を変える。
「クロか。今夜は別に呼んでいないぞ」
「……なんとなくだ」
「そう」
ふたりの声は夜に溶けていく。しばしの沈黙のあとで、ハーディーラが口を開いた。
「ちんちくりんに……いつまで黙っておくつもりだ?」
「そうだな、できたら最期まで。でもそれは難しいかな」
エリオットがこの世で一番好きなものはハンナの笑顔で、一番嫌いなものはハンナの泣き顔。
「ハンナが泣くところは、できれば見たくないんだけどね」




