25 ハンナの変化
「ハンナ」
エリオットに呼ばれ、彼と視線を合わせる。サファイアの瞳、これだけはあの頃となにも変わっていない。
「好きだよ」
エリオットはそう言った。もう何度聞いただろう。でも、何度聞いても胸がキュンと甘く締めつけられる。
「真面目で努力家で、ほんの少し頑固。他人のために一生懸命になれる君を……心から尊敬し、愛している」
「あ、ありがとうございます」
「それに、この少しだけ癖のある絹糸のような髪も、ルビーのようにきらめく瞳も、うなじのホクロも、足の小指の爪が少し変わった形なのも……」
エリオットが口にするハンナの美点がだんだんと変態じみてきて、恥ずかしさに視線が泳ぐ。
「エリオットさま。もう、そこまでで」
ハンナが強引に話を打ち切ると、彼はにっこりと無邪気に笑んだ。
「君のすべてを、心の底から愛おしく思っている」
「エリオットさまったら」
ふたりは優しいほほ笑みを交わした。
「でも」
言って、彼はハンナの肩に手を添えた。
「がんばり屋な君が好きだが、くれぐれも無理はしないでくれよ」
「はい、大丈夫ですよ。私、頑丈さだけは誰にも負けないと思っているので。むしろ……」
ハンナは心配そうに彼の顔をのぞく。
「エリオットさまのほうが。今日は、あまり顔色が優れないですよ。持病の咳も時々出ているようですし」
「私は大丈夫さ。ちゃんと侍医から薬をもらっているからね」
エリオットは軽く流したけれど、ハンナの目には彼の頬がいつもより青白いように見えて、かすかな胸騒ぎがした。
とある日の昼下がり。
ディーン公国の大使との食事会から私室に戻ってきたハンナは、続き間になっている衣装室で重い重いドレスを脱いだ。
ウエスト周りをキュウキュウに締めつけているコルセットからも一刻も早く解放されたいところ。
しかし、これはひとりで着脱できる代物ではない。ジュエリーを片づけに行ったナーヤが戻ってくるのを待つしかなかった。
(でも、今なら……もしかしたら)
ハンナは人さし指を天に向けて、そこに意識を集中させる。
魔法の基本は、イメージを構築することにある。想像が鮮明であればあるほど、魔法の精度も高くなる。
十五年の眠りから覚めた直後はすっかり鈍っていたハンナの魔法だが――。
コルセットを脱いだ自分を想像した途端に、複雑に締めあげられていた紐が一瞬でしゅるんとほどけ、ハンナのおなかを解放した。
予想以上にうまくいったことに、自分でも驚く。
以前のハンナの生活魔法は決してレベルが高いとはいえなかった。
今のを例にすれば、自分の指がコルセットの紐にかかるシーンを想像する。続いてその指先が紐を引くところを……といった感じに、一動作ずつイメージしないと進まなかった。
正直、リアルに手を動かしたほうがずっと早い。
それが今や、コルセットを脱いだ場面を想像するだけですべてが済んだ。
魔法レベルが軽く五段階ほどアップしているような実感があった。
(やっぱり魔力があがっている……わよね?)
不思議なこともあるものねと思いながら、今度は高い位置でまとめてあった髪をほどく。
これも魔法を使ったが、やはり以前より精度が高くなっていた。
楽な着心地の簡素なドレスに着替え直して、ハンナは衣装室を出る。
王妃の執務室として使っているこの部屋は南向きに大きな出窓がついていて、ハンナはそこから中庭を眺めるのがとても好きだった。
「いいお天気ね」
半分だけ開けていた出窓からふわりと優しい風が吹き、ハンナの髪を揺らす。
「あら」
よく見れば、白い窓枠の端っこで珍しい小鳥が羽を休めていた。
身体は綿菓子のように真っ白で、大きな羽だけが赤、青、碧と極彩色に染まっている。
(かわいい。エリオットさまの花に、少し似てるかも)
小鳥の羽が彼の贈ってくれた虹色の花を思い起こさせ、ハンナは顔をほころばせた。
ソロソロと小鳥に近づいてみたが、焦らすようにパッと空へ飛び立ってしまった。
名残り惜しそうに空を見あげていたハンナの背にナーヤの声がかかる。
「王妃さま」
「あぁ、ナーヤ。後片づけをありがとう」
ハンナの視線の先を、彼女も見つめた。
「なにを見ていらしたのですか?」
「珍しい小鳥が遊びに来てくれていたの」




