12 年上になったエリオット
* * *
サファイアの瞳がハンナを見据える。このまっすぐな視線だけは、あの頃とまったく変わらない。
「ハンナ、どうか私と結婚してくれ」
「け……結婚……おっしゃる意味が……」
「というより、君はすでに私の婚約者という立場なんだ」
衝撃に口をパクパクさせるハンナに、エリオットはにっこりと笑む。
きちんと説明しよう。そう前置きして、彼は話し出した。
「君が眠りについた十五年前、私はちょうど次期国王に指名されたところだった。私は『目覚めたハンナが正妃になってくれるのなら』という条件で、次期国王の座を承諾した」
不遇王子だったはずのエリオットが条件交渉できるほどの力を得たことは素直に喜ばしい。だが、その意味のわからない条件には首をかしげざるを得なかった。
「君と白豚の婚姻を無効化したのも、このためだ。私は君が未亡人でもいっこうに構わないが……王宮はどうでもいいことにうるさくてね。王宮が手を回し君の歴史から〝ジョアンの妻〟だった事実を消した」
ハンナは言葉もなく、目を丸くするばかりだ。
中級貴族の娘、それも無効化されたとはいえワケありの自分が王妃だなんて、絶対にありえない話なのだ。
それを、彼は十五年前の時点から本気で考え、動いていたとは――。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「今は亡き私の父、前陛下もまぁ根負けいう感じではあったけれど承諾してくれたし、実はハンナの両親の許可もすでに得ているんだよ。あとは、君のイエスを待つだけだ」
エリオットはハンナの頬を大きな手を包み込み、ニヤリと悪魔めいた笑みを浮かべた。
彼のこんな表情は初めて見る。エリオットが自信に満ちあふれた大人の男性になったことを否が応でも実感させられて、心臓がざわめく。
「ハンナには悪いけど……逃がしてあげる気はないよ。――必ずイエスと言わせる」
色々なことが、あまりにも急展開に押し寄せるのでハンナの頭は爆発寸前だった。
なにせ、自身の感覚は眠りにつく十五年前のままなのだ。
ナパエイラでの生活にやっと慣れたところ。浮気夫と、我が物顔で屋敷に入り浸る愛人の存在に嫌気が差していた日々は、ハンナにとってはつい最近の記憶。
そこからいきなり、二度と帰れないと思っていた故国の王妃になるなど……想定外すぎる。
もっとも現実的な話をすれば、ハンナに選択権はない。
貴族の娘の結婚は本人ではなく家が決めること。両親が『はい』と答えているのであれば、ハンナはそれに従うのみだ。
なによりも、今のエリオットは大陸でも一、二を争う大国オスワルトの国王。彼に叶わぬ望みなどないだろう。ハンナのイエスを待つという言葉は、彼の優しさにほかならない。
だが、今は彼の優しさに甘えたい。とてもじゃないが、すぐにイエスとは答えられなかった。
「申し訳ございません。目覚めたばかりで、まだ頭が混乱しておりまして」
こう言えば、彼は同情してくれる。少しずるかったかもしれないが、ハンナの思惑どおりエリオットは優しい声を出す。
「そうだな……すまない。君が目覚めてくれたことが嬉しくて、なにもかも急ぎすぎた」
頬にあったエリオットの手が動き、ハンナの頭をそっと撫でた。
(頼りがいのありそうな、大きな手だわ)
困惑と、ほんの少しのときめきがハンナの心をかき乱す。
(この方が私の夫に……?)
輝くばかりの美貌を誇る一国の君主。
かつても片鱗を見せていた知性と才能は見事に花開いたようだし、一途でまっすぐな気性は今も変わっていないように思える。
ジョアンに比べたら、いや、比べるのが申し訳ないほどに、エリオットはよき夫となるだろう。
ジョアンとの結婚生活では得られなかった、愛と安らぎに満ちた日々。
(もう一度、望んでもいいのかしら? いえ、でも!)
エリオットが今も不遇王子のままだったら、ハンナはすぐにでもイエスと答えたかもしれない。豪華とはいえなくとも、静かな離宮で肩を寄せ合って慎ましく暮らす。彼と一緒ならきっと楽しい毎日になったはず。
けれど現在の彼は国王で、彼との結婚は大国の王妃になることを意味するのだ。子爵令嬢であるハンナが受けてきた教育ではとても足りない。重責を担う覚悟は、そう簡単にはできなかった。
翌日。身体はすっかり調子を取り戻しているものの……とくにするべきことも、できることもないハンナは手持無沙汰だった。
ぼんやりと窓の外に景色を眺めていると、エリオットが顔を出してくれた。
「ハンナ。もし体調に問題がないなら、少し外に出てみないか?」
「外ですか?」
「あぁ。久しぶりの故国だろう。案内するよ」
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