56:ありがとう
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夏菜子の代役になった六花。
混合リレーがいよいよスタートです。
午後のプログラムはとうとう最終競技の混合リレーになった。
熱戦を繰り広げた結果、ここまでの得点は三団とも全くの互角。
故に体育祭の勝敗の行く末は、各学級から俊足ばかりが選抜された混合リレーにもつれ込んだ。
この競技を制した団が優勝。
ここまでの熱戦の影響もあり、この最終種目に校内のボルテージはマックスに盛り上がっていた。
「赤団のアンカーは貴方で間違いありませんか?」
「ああ、はい」
観客を煽るような構内アナウンスが流れる中、競技を補佐する実行委員の女子生徒が英太に赤色のタスキを手渡し、頑張って下さいねと言って去っていった。
「碧、何とかお前まではリードして渡すからな。頼むぞ」
「はい。分かりました」
同じ団のサッカー部主将の三島がタスキをかけた英太の肩をポンポンと叩くと、自分の待機場所である向正面、バックストレート側にある待機列に向かっていった。
混合リレーは基本的に各自半周づつ走り、次の走者にバトンを繋いでいく。
最終走者であるアンカーのみが一周走り、1番早くゴールテープを切ったチームが勝利。今回は各団の得点がほぼ同点なので、勝ったチームがそのまま優勝となる。
俊足ばかりが顔を連ねるこの競技であるが、一人一人の走る距離は半周と短いので、バトンの受け渡しの素早さも重要になってくる。
単純に足の速さ、力技だけでは勝てないのがこの競技の奥深いところである。
着々と競技開始の準備が進む中、英太の少し後ろで何か言いたげにしている六花に気がついた。
「六花……」
「……え、英太クン」
振り向くと六花は自分の前で手を組んで下を向いていた。
「……」
「……」
2人の間に会話は無く、客席等からの声援が気まずさを打ち消していく。
走るのが苦手な六花だ、『絶対勝てよ』という普段なら心強いこの声援も今の六花には『負けたら許さない』とすら聞こえている。
もし自分が抜かれたら。もしバトンなんか落としたら。今まで頑張ってきた同じ団のみんなを裏切ってしまうんじゃないのか。
生真面目な六花だからこそそう思ってしまう。
だから不安で仕方がない。
あんな事があった後であるが、やはりこんな時も頼りたいのはいつも一緒にいた英太であった。
けれど言葉が出ない。
「……」
「……」
少しの沈黙。
勇気を出して声をかけてみたけど、結局何も言えない。
後一歩勇気が出ない。
「六花」
「……ん」
諦めて六花の待機場所である向正面に向かって踵を返した時、背中に英太の声がかけられた。
振り向くと真っ直ぐに六花を見つめていた英太と目が合う。
一点の曇りもない、澄んだ瞳に六花が映る。まるで吸い込まれそうな、ただ純粋さのみを湛えたその瞳に。
「六花、大丈夫だ」
英太はもう一度、六花の名前を呼んでそう言った。
たったそれだけ。
たった一言。
……ああ、自分はなんて単純なんだろうと六花は思った。
どんなプレッシャーも、どんな不安も、大好きな人の一言で吹き飛んでしまう。
演奏会の前の時も、受験の時も、そうやって大丈夫だと声をかけてくれた。
いつも側で支えてくれた幼馴染。
もう幼馴染としての彼に、これだけ甘えられるのは最後かも知れない。だって英太は凛子と幸せになるんだから。
あの2人にはファーストバイトの約束がある。
あんなロマンチックでドラマチックな約束が。ただの幼馴染の自分なんかが太刀打ち出来るはずがない。
……これで最後だ。
そう六花は心に誓って、それからゆっくりと英太を振り返る。
最高の笑顔で、いつも向ける笑顔で六花は言った。
「ありがとう、英太クン」
「おう。俺に任せろ」
それに対して英太も笑顔で返す。
思い残すことは山ほどある。けれど私の恋はここまで……。
気を抜くと涙が出てきてしまいそうになるのを堪えるのに必死だった。
気がつけばあんなに緊張していたのすらも忘れているくらいに。
心からの「ありがとう」を英太に伝えて、六花は背中を向けた。
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