38:バレー部エースと陸上部エース
中間テストが終わった週末の金曜日。
数日ぶりに行われた通常通りの授業日程を終えた青葉高校には西陽が降り注ぎ、校舎を赤く染め上げていた。
試験期間中に漂っていた独特の緊張感を纏った空気はいつの間にか消え去り、試験から解き放たれたかのような何処となくほっとしたような雰囲気が漂っている。
『私立青葉高等学校』と彫刻が施された正門は部活動に参加していない者同士で久しぶりに遊びに行く者や、アルバイトに向かう者などをどんどん吸い込んでは吐き出していく。
禁止されていた部活動は本日から再開が許されており、運動部の景気の良い掛け声と、吹奏楽部のパート練習が校庭にまで聴こえてきていた。
そしていつもなら陸上部が使っているトラックには、体育祭の目玉競技である混合リレーに出場する選手が集まり、本番に向けての練習が行われていた。
練習とは言っても今日のところは競技を滞りなく行う為の通し練習であり、バトンの受け渡しなどの細かい練習は各団ごとに委ねられる。
青葉高校は各学年6クラス、合計で18クラスあり、それぞれ男女で選手が選抜されているので合計で36名の出場者がいることになる。
学年の垣根を超えてAB組が赤、CD組が白、EF組が青という風に割り振られる。
そんな練習も滞りなく進み、現在は各団一名づつのタイムを計測し終わったところ。
そのタイムを参考に各団ごとで走順を組むのである。
「赤団で一番だってさ碧っ、すごいじゃないか」
「え、マジで?」
やや興奮気味の夏菜子が英太の肩を肘で小突いた。
彼女が手にしていた記録表を見てみれば、確かに赤団の中で一番タイムが良いのは英太のようだった。
「マジマジ。こりゃアンカー確定だろ」
同じ団の先輩達も夏菜子に同意だと言わんばかりに頷いている。
「アンカーって。先輩方を差し置いて一年の俺が走るなんて出来るかよ」
しかし英太は遠慮深く両手を振った。
聞けば青葉高校の体育祭は毎年かなりの盛り上がりを見せる。
特に英太らが出場する混合リレーは全種目の最後に行われる競技で、最終競技故にその熱量も計り知れない。
そんな人気の高い競技のアンカーともなれば相当注目されるはずだし、それこそ新入生の自分なんかより高校生活最後の体育祭になる三年生なり上級生に任せた方が良いのではと英太は感じていた。
英太の気持ちを知ってか知らずか、三年の男子生徒が英太に歩み寄ると、ポンと肩に触れた。
「1番タイムが良いのは碧なんだから碧が走るのが筋だよ。これは毎年そうだし、去年は2年だった俺が走らせてもらったんだ。混合リレーに先輩も後輩もないんだ」
サッカー部の主将でもある三年の男子生徒、三島がそういうと他の先輩からも同意の声が上がる。
一年の俺が……と遠慮していた英太であったが、上級生や同級生からもどうやら歓迎されているのだと分かると納得したようで、小さく頭を下げた。
「わかりました。自分に出来ることを精一杯やります」
「ははっ、そんなに固くならなくてもいいさ。勝負は勝負だけどお祭りなんだから気楽に行こうぜ」
そういうと三島は、にっと笑った。
よく日に焼けた黒い肌に白い歯が眩しかった。
◇
「おーい、英太」
走順を決める話し合いが終わり、教室に引き上げようとグラウンドを夏菜子と肩を並べて歩いていると背後から呼び止められた。
鈴の鳴るような美しい声。
英太のよく知る声、凛子の声だった。
「小清水、そっちも終わったのか?」
そっちも、というのは混合リレーの走順を決める話し合いの事である。
俊足の凛子も英太や夏菜子と同様にC組の代表に選抜されていたのだ。
手を振り、金色の短髪を弾ませて駆け寄ってきた体操服姿の凛子が機嫌良さげに話しかけてきた。
「うん、ね、聞いてよ。私、白団のアンカーになっちゃった」
「マジかよ、すごいな。小清水って足早かったんだな」
「うーん、まぁでも短距離だけよ。持久走とかは無理……って、げ。村上ぃ……」
いつもの明るい調子だった凛子が夏菜子に気がつくとあからさまに顔をしかめた。
「うわ……小清水じゃん」
「うわってなによ、失礼すぎるでしょ」
「先に『げっ』て言ったのはアンタの方でしょうが」
「だってそう思ったんだもん」
「ぐ! 腹立つな、コイツ!」
顔を合わせるなり臨戦体制に入る凛子と夏菜子。
比喩ではなくファイティングポーズをとっている二人をみて英太は肩を落として項垂れる。
「……二人ともまだ仲悪いのかよ」
「「こいつ次第よ(だ)!」」
「あー、いや、むしろ良いのか」
「「良くないわ(ぞ)!」」
「そ、そうか。よく分かったよ……」
二人同時にギロリと睨まれた英太は額に冷や汗を浮かべてそれを両手で制した。
じゃあそのシンクロは何なんだよと言う言葉は飲み込んで置くことにして、代わりにポリポリと頭をかいた。
凛子も夏菜子も瞳を半月のように尖らせれば、かなりの迫力が出るというものだ。
凛子と夏菜子は顔を合わせるたびにこの調子である。
先月行われた体力測定での出来事。
たまたま同じ順番で一緒に走ることになった100m走。
陸上部の短距離走者である夏菜子と、運動神経の塊のような凛子。
スターターの合図で駆け出した2人。
記録はコンマふた桁まで同じタイム。
しかし同時にゴールしたはずの2人が、お互いに「私の方が早かった」「いやアタシの方が早かった」だのと口論を始めたのだ。
つい先ほどまではお互い顔見知り程度で、会話もしたことがなかったはずなのに、スタートしてゴールするまでの間に一体何があったのか。
誰も知る由もないが、英太は言葉ではない何かで会話したというのか、昔の漫画やラノベみたいに拳で語り合ったんだろうな的な解釈を勝手にして自己完結させている。
「で、赤団のアンカーになんの用? アタシらもう教室行くんだけど」
腰に手を当てて妙にトゲのある言い方をする夏菜子。
それって練習も終わって暇になったってことじゃないかと英太は思ったが、どの言葉が彼女に引っかかるか分からないので黙っておくことにしたようだ。
「英太もアンカーなんだ? へぇ、楽しみ」
「ちょっと、アタシを見て話しなさいよ」
自分を無視するような話し方をされて気に食わなかったのか、夏菜子が覗き込むように凛子を睨む。
「私と視線を合わせたければまずはアンカーになってからにしな」
今となっては絶滅危惧種になったヤンキーのように下から覗き込む夏菜子に対して、逆に凛子は見下ろすように睨み返す。
身長差がある2人はお互いに一歩も引く気はないようだ。
「いや小清水それは乱暴……いやなんでもありません」
口出しをしようとした英太。しかしやはりやめとこうと押し黙る。
「どうせ今も体力測定ん時みたいにフライングしたんだろ」
「だからしてないって言ってんでしょ!」
「どうだか。録画してたわけじゃないし、もう真実は闇の中だね」
「腹立つ……!」
「なんだよ!」
「何よ!」
ぐぬぬと歯軋りする二人が睨み合い、ややあってから夏菜子が勢いよく言い放つ。
「よし分かった。じゃあ混合リレーで勝負だ。負けた方が勝った方の言うことを何でも聞く! いい!?」
「上等じゃないのよ、やってやるわ!」
「いや待てお前ら。走順が全然違うし、混合リレーはチーム戦だし……」
「「何っ!?」」
「いや……何でもありません……」
今にも噛みつかんばかりの勢いで睨まれた英太は再び黙るしかなかった。
凛子と夏菜子のいざこざに完全に巻き込まれる形になってしまった英太は深いため息をついた。




