悪夢
あの日起こったことは、何度も夢に出て来た。
夢の始まりは決まって同じ。異端審問官がエンバーラスト家に訪れる前日の夜からだ。
「アルベルト……。私に何かあった時は、お前は自分の命を最優先にして行動しろ」
父さんが俺に言った言葉。実際にはもっと長々と話をされていたと思うが、その時は、突然言われたことで、意味が分からず、話半分にしか聞いていなかった。
だから、夢に出て来る父さんの言葉も、俺が認識している言葉だけが出てきている。
それが、どれほど重要な言葉だったのか、当時の俺は全く理解をしていなかった。いや、理解できるはずがない。次の日に異端審問官がやってきて、両親を連れて行くなんて想像できるはずがない。
そして、夢の中で場面が変り、次の日の午後のエンバーラスト家の玄関になる。
異端審問官が突然やって来る場面だ。
田舎の下級貴族の屋敷の玄関で、異端審問官の男が冷たい声を上げている。父さんが魔王信奉者であるとの容疑がかかっているという内容だ。父さんは謂れのない、荒唐無稽なことだと反論している。
その声だけが聞こえてくる。どれだけ異端審問官が威圧的な言葉を投げかけても、父さんは一切退くことはしなかった。
俺はその声だけを聞いた。その姿を見てはない。なぜなら、母さんに連れられて、屋敷の裏から逃げるところだったから。
母さんは、俺を屋敷の裏口から逃がすと、そのまま屋敷に戻っていった。
俺が一緒に行こうと言っても、母さんは厳しい口調で拒否をした。優しい母が、あれほど強い言葉で俺を突き放したのは初めてのことだった。
俺はただ、母さんの威圧感に押されて、言われるがままに屋敷の裏から山の中に逃げ込んでいった。
父さんが異端審問官に必死に反論していたのも、母さんが屋敷に残ったのも、全ては俺を逃がすための時間を稼ぐためだった。
自分が処刑されると分かっていて、俺が逃げるための時間を稼いでくれた。
当時16歳だった俺は何もできなかった。父さんが魔王信奉者であるなんていう出鱈目を、俺はどうすることもできなかった。
自分では一人前の大人だと思っていた。だけど、現実に直面して思い知らされた。俺はなんて無力なんだろうと。今でずっと守れてきただけのガキだったのだと。
夢はここで終わる。いつものことだ。何度も何度もこの夢を見てきた。
そして、怒りと悔しさと悲しさで夢から覚める。
「アイク……」
目が覚めると、木漏れ日と共に、切れ長の青い瞳が俺を覗き込んでいた。大きくて綺麗な目だ。横になっている俺に覆い被さるようにして、銀髪の少女が見ている。
「ん……? どうした……?」
心配そうに俺を見ている、銀髪のドラゴニュートの少女に声をかけた。
「どうしたのか聞きたいのは私の方……。魘されてた……」
ドラゴニュートの少女、ティアリーズが、なおも心配そうに声をかけてきた。
「ああ……。大丈夫だ……。悪い夢を見てただけだ」
俺はそう言いながら、ティアの頭を撫でてやる。小さな黒角を擦ってやると、どこかくすぐったいような表情を浮かべていた。
俺は改めて夢だったことを確認する。今いる場所は、ワルター大森林を抜けた先にある高原だ。
森の妖精スプライトの案内で、広大なワルター大森林を数日かけて出てきた場所が高原だった。そこから、丸一日歩き続けて、一本だけ立っている大きな木を見つけて、そこで野宿をすることにした。
ここも田舎だが、エンバーラスト家があった田舎とは全く別の場所だ。
あの夢を見たら、毎回やっている確認。俺は逃げ切ることができているという確認。
「そう……。大したことないならいい……」
「そういうことだ。どうせ夢なんだからな。ティアの言う通り大したことじゃない」
「そうなのか……。私は夢を見たことがないから分からない……」
「夢を見たことがない……!?」
俺は思わず聞き返してしまった。300年間、孤独の中に閉じ込められたいた魔王竜。それがティアだ。その間に、誰とも話をすることもなく、誰の声も聞いたことがなかった。ただ、暗闇の中を独りで過ごしてきた。
「知恵の宝珠には、夢に関する知識は入っている。だけど、私はその“夢”というものが、どんなものなのか理解はしていない」
「夢が理解できない……」
俺は当たり前のように夢を見るから、ティアが言っていることの意味をちゃんと把握することはできなかった。だけど、見たことがないものを正確に理解するというのは、俺にだってできることじゃない。
「でも、私は別に夢を見たいと思ったことはない。悪い夢もあるのなら、余計なリスクを背負う必要はない」
「まあ、確かに、夢を見なくても問題はないかもな……」
もし、俺が夢を見ることがなくなったら。ふと、そんなことを考える。夢なんてものはいつも曖昧なものだ。意味不明な夢だってよくある。それに、あの悪夢を繰り返さなくて済むのなら……。いや、忘れていいことじゃない。父さんと母さんが、どれだけ俺を大切に思っていてくれたのか。それを認識することができる夢でもある。
「それよりも、アイク。朝食を食べよう――というか、もうすぐ昼になる」
「え……ッ!? もうすぐ昼……!?」
俺はティアの言葉に驚いて空を見上げた。良く晴れた空だ。雲はゆっくりと流れ、風は暖かく心地よい。太陽は南東よりも南に近い位置にある。
「そう。もうすぐ昼になる」
「そんなに、長い間寝ていたのか……?」
「朝になってもアイクは起きなかった……。だから、凄く心細くなった……」
ティアが俺の顔を覗き込んでいたのは、何も魘されていたからだけではなかったということか。
「大きな木の下で寝てたからな……。太陽の光を直接受けることがなかったのも、寝過ごした原因かもしれない……」
野宿している場所にある木は、樹齢1000年はあろうかという大木だ。流石にワルター大森林にあった、大樹とまではいかないにしろ、大きな傘となって、陽の光を遮っていた。
疲れていたのも原因かもしれない。『暴食の民』と戦うにのに、何度も魔力を暴発させていた。ティアの説明では、かなり非効率な魔力の使い方をしていたということだ。当然消耗も激しい。
「……なあ、ティア。やっぱり、あの魔力の暴発って、無駄が多いんだよな……?」
「無駄が多いどころじゃない。ほとんど無駄しかない」
きっぱりとティアが言ってくる。はっきり言ってほしいところではあるにしても、ここまで明確に言われると、流石に凹むな。
「そうか……。ちゃんと魔法の使い方を勉強しないとな……」
そもそも、魔法の使い方を根本的に理解していないところが問題か。俺は剣の腕前があれば、それでいいと思っていたから、魔法の勉強は蔑ろにしていた。まあ、苦手だったっていうのもあるが。
「魔法の特訓なら、私が手伝う」
なぜか自身あり気な顔でティアが言って来た。いや、お前の教え方、まるで分からなかったんだけどさ……。
「あ、ああ……。その時は頼むな……」
ティアの教え方に大きな問題があるとしても、頼れる魔法の師匠はティアだけだ。それに、ティアは理解力がある。ちゃんと教えてくれるようになるかもしれない。
「それじゃあ、朝食兼昼食を食べよう」
お腹を空かせたティアは、俺の魔法のことよりも食べ物のことが重要らしい。とはいっても、俺が寝ていたせいで、かなり待たせてしまったからな。
「遅くなってしまって、悪かったな」
俺はティアに謝りながら、果実を出して渡してやった。これはワルター大森林に生えていた木から採った果実だ。
今のワルター大森林の大半を支配しているのは、毒々しい木々ばかりだが、元々の住人である、森の民の果実なら毒性はない。普通の果実として食べることができる。
紫色の薄い皮の果実で、身はリンゴに似ている。だが、味は酸味が強く、どちらかと言えば、ブドウに近い。そんな、見たことのないような果実だ。
俺とティアは、その人里では手に入らない果実を食べながら昼前のひと時を過ごす。
ワルター大森林に近い位置にある、この高原は人の影など見ることはない。誰もいない広い高原にある大きな木。その下で甘酸っぱい果実を齧る。
そんな何もない場所で、俺の目の前を大きな影が通り過ぎていった。
「ん!?」
俺は目の前を通り過ぎて行った影の後を目で追った。
ティアもその影の存在に気が付いているようで、俺と同じく空を見上げている。
「飛竜だな。しかも、人が乗ってる」
高速で通りすぎて行く飛竜の後ろ姿を見ながら呟いた。乗っているのは女性か? 炎のように赤い髪が見えたが、その姿はあっという間に小さくなってしまった。数は一騎だけ。
「何をしてるんだろう?」
ゴマ粒ほどの大きさにまで遠ざかっている飛竜を見送りながら、ティアも呟いていた。
「さあな……。単独行動してるとこを見ると、急ぎの伝令でもあるのかもな」
飛竜は人間が使える移動手段の中では最速だ。馬など比べ物にならないほどの速さで移動できる。だから、一般人が飛竜を使うことなどまずあり得ない。貴族の道楽で飛竜に乗ることもあるが、それなら護衛が付いている。
となると、国の重要な決め事など、至急に伝達しないといけない書簡を運んでいる可能性がある。
「うん。そうかも」
ティアもそれで納得したようで、木の陰に戻って果実を頬張った。




