森の住人 Ⅸ
ワルター大森林の中を引き返すこと1日半。途中で一泊だけ野宿を挟んでの帰路だ。
行きの時に、『暴食の民』に襲われた場所を再び通る。そこは、俺とティアが、周りにいる木のモンスターごと吹き飛ばした場所だから、帰りも野宿する場所として使わせてもらった。
そうして、次の日の太陽が傾き始めた頃には、ドリアードが待つ大樹、木の上位精霊エントの所まで戻って来ることができた。
「ドリアード様ー! ただいまー!」
ドリアードを見るなり、スプライトが嬉しそうに飛んで行く。背後に立っている大樹は、前に見た時よりも生命力が強くなっているように感じるのは気のせいだろうか。
「お帰りなさい。よく、無事に戻ってこれましたね」
ドリアードの方も微笑んで迎える。まるで、遊びから帰って来た子供を見る母のような顔だ。
(母親か……)
いつの頃からか、俺が母さんと会話をしなくなったのは。優しい母だったし、嫌いではなかった。むしろ尊敬できる人だった。ただ、お節介が過ぎて鬱陶しいと思うことがしばしばあった。俺は一人前の男だからと、跳ね除けていた。それは、父さんと母さんが異端審問官に連れて行かれる前の日まで。
「お二人とも無事でなによりです」
ドリアードから声をかけられて、俺は思案を遮り、意識を前に向けた。
「ああ、何とかな……。あんな化け物だとは思ってもいなかったぞ」
俺は少しだけ悪態をついた。高々道案内をしてもらうために戦うような相手ではない。こんな安請け合い、二度とごめんだ。
「それでも、『暴食の民』の大元を倒していただけました。私の見立て通り――いえ、私の見立て以上の力を持っておられました」
「まるで見ていたかのような口ぶりだな。俺はまだ『倒した』とは言ってないぞ? 逃げ帰って来たっていう可能性は考えないのか?」
俺は悪態ついでに意地悪なことを言ってやった。割に合わないことをさせられたんだ、これくらいで憎まれる筋合いはない。
「見ていたわけではありませんが、『暴食の民』の力が急速に弱まっているのが分かります。それは、木々を通じて感じることができるのです。それが何よりの証拠。こんなに早く結果を出していただけるとは思ってもいませんでした」
ドリアードは微笑を向けくる。確かにこいつは木の精霊だからな。そこら中に生えている木を媒介にして、森の情報を得ることができるんだ。そう言えば、俺が森を破壊したことも把握していたな。
「全部お見通しってことか……。喰えない奴だ。言っておくが、もう二度とこんな面倒ごとに巻き込むなよ! こっちが貰える報酬は道案内だけなんだからな!」
俺はビシッとドリアードに言ってやる。とは言え、ワルター大森林なんかに入る機会も早々あるわけではないから、面倒ごとを頼まれることも二度とないだろうけど。
「はい。それは心得ております。この森から出ることができる安全なルートを案内させていただきます。それともう一つ」
「もう一つ?」
道案内以外に何かくれるのか? 財宝はないって言ってたけど、だったら何が貰えるんだ?
俺がそんな皮算用をしていると、ドリアードはスッと膝を付き頭を垂れた。
「これで『暴食の民』に奪われた森を立て直すことができます。それは我々森の民の務め。我々森の民は、貴方様にして頂いた恩義を決して忘れることはないでしょう」
深々と頭を下げたドリアード。翠玉色の髪がサラサラと流れて地についている。とても綺麗な所作だった。全身から相手に対する礼が溢れている。
そして、ドリアードが跪いたのを合図として、周囲の木々から一斉に妖精や精霊達が現れた。
「森の民……」
周りの木々から現れた、無数の妖精や精霊を見渡しながらティアが呟いた。
蝶のような羽を持った妖精やら、カブトムシのような妖精。半透明の水の精霊や、武骨な土の精霊。一体どこにこれだけの数の妖精や精霊が隠れていたのだろうかと、疑問に思うくらいに多くの妖精や精霊達が集まって来た。
「お前ら……」
それらの妖精や精霊達は、俺とティアを囲んで跪き、頭を垂れている。地面を埋め尽くすほどの妖精と精霊が、俺達に向けて心からの謝辞を示している。あのスプライトでさえ、地に膝を付いて頭を下げている。
「我々が、人間にとって価値のある物を所持しているわけではありません。ですが、森の民を救っていただいたことに、できる限りの礼を尽くさせていただきます。今後、貴方様が困難に直面し、力が必要となった時には、必ずや受けたご恩に報いると誓います」
ドリアードが改まった声で言った。
「わ、分かった……。お前達の誠意はよく分かった。もう、十分だ……。頭を上げてくれ」
余りに多くの妖精と精霊から頭を下げられ、俺は完全に圧倒されてしまった。誠心誠意、心を込めて頭を下げるのに、人間も妖精も精霊もない。これは本物の心が籠った謝意だ。
「はい。ありがとうございます」
俺の言葉で、ドリアードが頭を上げて立ち上がる。それと同時に、周りにいた妖精や精霊達が一斉に飛び立って行った。
キラキラと光る妖精や精霊が大地から一気に飛んで行く様は、まさに圧巻だった。例えるなら、色とりどりの花が一斉に咲いて、一斉に散っていったと言えばいいのだろうか。こんな光景、二度と見ることはできないだろうな。
「あんなに沢山の妖精やら精霊やらが居たんだな……」
俺は妖精と精霊が飛び去って行った周囲の木々を見渡しながら言った。
「ええ、普段は人間に姿を見せることはないのですが、今回ばかりは特別ということで」
ドリアードは元の口調に戻っていた。元から敬語を使っていたのだが、何と言うか、どこか人を化かすかのような口調だ。ただ、その口調に悪意がないことが分かる。スプライトと同じように、揶揄うことが好きなのだろう。
最初は信用ならいところもあったが、今ではそれが悪戯な少女の様で愛らしくもある。
「まあ、これだけ大勢の仲間がいるんなら、森を取り返すのにも心強いな」
「はい。とても頼りになる仲間達です。ただ……」
「ただ?」
ドリアードの言い方に引っかかるものがあった。何か問題でもあるんだろうか? 『暴食の民』は今後力を弱めて行くのだから、森の民が勢力を盛り返していけるんじゃないのか?
「彼らには指導者が必要なのです……。大樹の精霊エント様はもう寿命を迎えます……。エント様の後継者もまだまだ未熟……。ですから、暫くの間は私がこの森を導いていく必要があるのです……」
「そうか。でも、お前なら大丈夫だろ。俺が保証する」
このドリアード、人を試したり、交渉に脅しを使ってくるなり、何かと強かなところがある。今はまだ劣勢かもしれないが、こいつが居れば大丈夫だろうさ。
「そうなのですが……。その……、私自身の希望としては、貴方様に同行させていただきたと思っておりまして……」
ほんのりと頬を赤らめたドリアードが上目遣いで俺を見ている。綺麗な緑色の瞳が潤んでいる。
人ではないからこその美しさ。俺は思わずドリアードに見とれて――
「あなたには大事な仕事がある! 私達にもやらないといけないことがある! これはどちらも遊びじゃない!」
ティアの声が森に響いた。かなり棘のある声だ。今までに、ティアがこんな声出したことないのでは、というくらい。
まあ、ティアが言っていることは正論だな。ドリアードはこれからワルター大森林をまっとうな森にする役割がある。俺達は、ティアが安心して暮らすことができる地まで逃げないといけない。どちらも譲れない大切なことだ。
「ふふふ。本気じゃないですよ。だから、そんなに怖い目をしないでくださいな」
ドリアードがティアを見ながら微笑んだ。そこで、ふと俺は思った。こいつはスプライトと同類であり、上位交換でもあると。これはティアに勝ち目はない。
「別に怖い目はしてない。私は、やらないといけないことがあると言っただけ。それは、大切なことだから言った」
ティアはどこか早口になっていた。ああ、そうだったな。俺達は急いでるんだった。ここで油を売っているわけにはいかなかったな。
「ティアの言った通りだ。俺達には目的がある。前にも言ったが、時間の余裕があるわけじゃない。すぐにでも道案内を用意してほしい」
教会の追っ手は今どうなっているのか? ワルター大森林は広大な森だから、簡単には俺達の位置を把握することはできないだろうが、敵に時間を与えると、包囲網を拡大されてしまう。
「そうですか……。本当に名残惜しいことです……」
ドリアードは、そう言いながら近寄ってきて、そっと俺の手に触れた。
「いいから、早くしてほしい! 私達はこの森を抜けるために戦った!」
苛立ち交じりの刺々しいティアがの声が聞こえて来る。
「あら、残念ですね……」
そんなティアの声にも、ドリアードは全く動じる様子がなく、面白そうにティアの方を見ている。なんだろう。ティアって妖精やら精霊やらと相性が悪いのか? まあ、妖精や精霊は、どちらかというと、勇者に味方するもんだからな。魔王竜とは相性が悪くて当然か。
「そういうわけだ。ゆっくりしたいのは山々だが、早く森を抜けてしまいたい」
俺はティアの頭にポンと手を置いて言った。チラッとティアの方を見ると、頬を膨らませてドリアードを見ている。
「承知いたしました。それでは、スプライト。道案内をお願いするわね」
「はーい!」
ドリアードに呼ばれて出て来たのは、緊張感のない声をした森の妖精スプライト。っていうか、お前かよ!
「また、あなた……?」
ティアがスプライトを見ながら訝しげな顔をしている。
「そう、また私なのよー! 『暴食の民』を倒しに行く案内だけじゃなくて、森を抜ける道まで案内してもらえて嬉しいでしょー!」
スプライトは俺とティアの周りを飛びながら楽し気に声を上げた。もう一度こいつに道案内をしてもらうことになるとはな……。できれば他の奴が良かったが……。
「嬉しいわけがない。それより、あなたは帰ったんじゃないの?」
全く嬉しさの欠片もないティアが冷たく言った。
「帰ってないわよー。ずっと人間の後ろにいたわよ」
いたのかよ!? 声かけろよ!
「ねえ、他に道案内できる者はいないの?」
不満たっぷりなティアがドリアードに尋ねた。
「そうですね……。できないこともないですが、一番まともなのを選ばせていただいたのですが……。他の妖精に頼みま――」
「待て! こいつがいい! さっきも道案内してくれたしな。慣れてる奴の方がやりやすい」
おいおい、こいつが一番まともってどういうことだ? いや、確かに道案内だけは正確だった。迷うこともなかったし、道を間違えることもなかった。そう考えると、他の妖精に頼むのはリスクが大きい。特にティアのフラストレーションが。
「ほら、みなさいよー! 人間だって言ってるじゃないのー!」
相変わらずスプライトは、ティアを挑発するように目の前を飛んでいる。
「アイクが……。アイクが許可したから、案内させてあげてもいい……」
案外、早くにティアが折れた。だが、握られた手はプルプルと震えている。ティアも俺と同じことを察したのだろう。こいつ以上に面倒なのが来ることは避けたいと。葛藤はあるにせよ、一番合理的な選択をしている。理解力が高くて助かる。
「ふふー。よろしくねー」
スプライトは嬉しそうに俺達の周りを飛ぶ。
「それじゃあ、さっさと行くぞ……」
こいつとの付き合いもこれで最後だ。俺は手で促しながら、ワルター大森林を抜けるべく歩き出した。




