森の住人 Ⅰ
夜もどっぷりと更けてきた頃、満月が照らす森の中はどこか幻想的な風景を見せてくれていた。
深い深いワルター大森林。見上げた空は木々の葉に覆われて、僅かばかりの光しか届かない暗闇の森――なのだが、夕方に俺が魔力制御できずに大爆発を起こしたことで、辺り一帯から木々が吹き飛んだ結果、今宵は満月を楽しむことができるようになった。
ワルター大森林の中に入った時には、常に周りから見られているような気配がしていたのだが、それも今はない。おそらく、突然起こった大爆発に、動物も魔物も警戒をして近寄っては来ないのだろう。
皮肉なものだが、おかげで今日は安全に野宿ができそうだ。
ふと、俺の膝枕で寝ているティアの方を見てみた。静かに寝息を立てている。とても綺麗な寝顔だ。俺はそっとティアの頬を撫でてやった。
(俺も少しだけ寝ておくか……)
俺は座りながら目を閉じる。あくまで仮眠だ。完全に寝てしまわないようにする。
そうして、静かな夜の時間が過ぎていく。時折焚火に枝を放り込んでは、また目を閉じる。これを繰り返すうちに、だんだんと空が白み始めてきた。
朝靄が立ち込めてきて、少しばかり肌寒さを感じる。焚火の横で乾かしておいた木片を放り込んで、火の勢いを強くしておく。
「んっ……」
昇り始めた日の光がティアの顔を照らすと、眩しそうに目を覚ました。まだ眠いのだろう、目が覚めたはずのティアが俺にしがみ付いて顔を埋めている。
俺はそんなティアに、炙った干し肉を近づけてみた。
「んっ……」
匂いに反応したティアは、顔を上げてパクっと一口干し肉を齧った。そして、また俺の体に顔を埋める。モグモグと肉を咀嚼していると眠気も覚めてきたのか、ようやく重い体を起こしてきた。
「起きたか?」
「起きた……」
俺が水袋を渡してやると、ゴキュゴキュと水を飲んでいる。これで、ティアも完全に目を覚ますだろう。
「ティア、この後のことなんだけどな」
「うん」
「数日間はこのままワルター大森林の中を進むことになる」
「どこまで行くの?」
「それは正直分からない。俺もワルター大森林に入るのは初めてだし、そもそも、国外へ出る正規のルートじゃない。西に進んでは行くが、どこに出るかは、行ってみないと分からない」
バルマスクから街道を西に進んで行けば、いずれファリス王国から出ることができる。ただ、距離はあるし、いくつか街を越えて行かないといけない。しかも、教会が大規模に包囲網を広げている中、簡単に関所を通してくれるとも思えない。
となると、今いるワルター大森林を通り抜けるというルートになるのだが、こんな森の中、誰もルートとして使わないから、どこに出るのかも地図を見るだけでは判別できない。当然、国外に逃げるルートとしては遠回りになる。
「追われている以上は覚悟のうえ……」
朝食の干し肉を齧りながらティアが言う。何とも勇ましいことか。
「だな。でも、追ってる方らしてみたら、ワルター大森林に入られるのは痛いだろうな。こんな広い森林の中にまで追ってくるようなことはできないから、しばらくは追っ手を気にする必要もない」
「うん、そう思う。私達が行く場所に当たりを付けて、待ち伏せしておいた方が楽」
「同感だ。どちらかと言えば、森を出た後の方を警戒すべきだろう――さてと、干し肉喰ったら出発するぞ」
「大丈夫、もう行ける」
ティアは干し肉を飲み込むと、立ち上がり、パンパンと外套に付いた土を払った。
そこから、再び俺とティアはワルター大森林の中を歩きだした。昨日、俺が爆発を起こした地点から離れていくにつれて、ワルター大森林が本来の顔を取り戻していく。
無数の生き物たちが姿を隠しながらこちらを見ている。そんな気配をひしひしと感じるのだ。敵として警戒しているのだろうか、はたまた、獲物として狙っているのだろうか。
ここには数えきれないほどの生があると同時に、膨大な量の死が蔓延している。今日を生きるとか言うレベルではない、この瞬間に生きていられるかどうか。そんな空気が漂っている。
途中休憩を挟みながらも西へ西へと向かって進んで行く。遠巻きに生き物たちが見ている気配にも慣れてくる。
まだ凶悪なモンスターと遭遇していないのは幸運と言ったところか。それとも、襲うタイミグを見計らっているだけなのだろうか。
ワルター大森林に入る人が少ないせいで、出現するモンスターの情報が少ない。昆虫系のモンスターや植物系のモンスターが出るというのは聞いたことがあるが、来る予定のなかった場所だから、詳しくは調べていない。
そうこうしている内に、半日以上は森の中を進んだだろうか。相変わらず、陽の光が乏しいせいで、時間の感覚が鈍ってしまう。
もう少し進んだらキャンプ地を決めないといけない頃だろう。
そんなことを考えていた頃だった、目線の先が明るくなっていることに気が付いた。
「日の光か……?」
鬱蒼と生い茂る木々に囲まれたワルター大森林だ。晴れてはいるのだろうが、昼間でも薄暗い。そんな森の中にあって、光が差し込んでいる場所があるようだ。昨日、俺が爆発で吹き飛ばしたような場所でもない。
「うん、あれは太陽の光。この先は大丈夫そう」
俺の呟きにティアが答えてくれた。ティアも警戒していないのなら、行ってみても大丈夫だろう。
俺とティアはそのまま真直ぐ進んで行く。幾本もの木々を通り過ぎて行った先にあった場所は――
「うわっ……」
俺は思わず声を上げていた。まず目に入ったのは、巨大な樹木。樹齢は1000年を優に過ぎているだろう。とてつもなく大きな大樹だ。幹の太さだけでも人間の大人40~50人ほどが並ぶくらいはありそうだ。高さもそうだ。見上げたら首が居たくなるほどにまで伸びている。
そして、その大樹の周り。小さな川が流れていて、綺麗な緑の苔が生えている。鹿が水を飲に来ているが、俺達に気が付いてどこかへと逃げて行った。
他にもリスだろうか、小型の動物がチョロチョチロとしているのが見える。
少しひんやりとした空気だが、とても透き通っていて、清らかな空気がこの場を支配していた。
「アイク、この水、凄く美味しい!」
さっそく川に手を入れて水を飲んでいるティア。俺もティアに倣って小川に手を付けた。透明で綺麗な水だ。匂いもしない。冷たさを感じながら、掬った水を口に含んだ。
「ああ、これは美味いな」
臭みなどは一切ないが、少しだけ甘味を感じる水。ここまで美味い水を飲んだのは初めてだ。俺は水袋を出すと、入っていた水を捨てて、小川の水と入れ替えた。
「旅人の方ですか? 珍しいですね」
その時、女性の声が聞こえてきた。とても穏やかで淑やかな声だ。だが、俺はハッとなって、声の方へと目を向けた。
人も寄り付かない森林の中に、女性が声をかけてくるなんて、普通の状況ではない。俺は剣に手をかけながら声の主を見た。
それは、20歳くらいの女性だった。身長は俺より少し低いくらい。女性にしたら高い方だろう。エメラルドグリーンの長い髪と、優しい緑の瞳。白いローブ姿の女性だ。透き通るような白い肌と質感はどこか人間離れしているように思える。
「驚かせてしまったようですね。申し訳ありません」
翠玉色の髪をした女性は物腰柔らかい。敵意は無いように思える。
「あんたは……?」
俺は少しだけ警戒を弱めて訊ねた。
「人間の方には精霊と言った方が分かりやすいですかね? 木の精霊ドリアードです」
「ドリアード……」
木の中位精霊だ。この人間離れした感じも精霊なら納得がいく。それなら、この大樹の精霊だろうか。だとしたら見た目が若すぎるが、相手は精霊だからな、見た目では判断しない方がいいかもしれない。
「ええ、そうです。ところで、あなた方は?」
どちらかと言えば、俺達の方が不審者なのだろう。ドリアードは元からこの森の住人だ。警戒するのは向こうの方であって、俺達ではない。
「俺の名前はアイク。冒険者をやっている。訳があってこの森の中を進んでいるところだ。こっちの小さい方はティアリーズだ」
「冒険者の方ですか……。なるほど……。稀に冒険者の方を見かけることはあるのですが……。あなた方も、この森に眠っている財宝を探しているのですか?」
「エッ!? この森って、本当に財宝があるのか!? ただの噂話だと思ってたが!?」
俺はドリアードの情報に目を丸くしていた。ワルター大森林の中に財宝があるというのは、眉唾物の噂話でしかないと思っていた。
それを信じた馬鹿が森に入って、そのまま帰ってこない。財宝の欠片すら発見したという情報も耳にしない。ありもしない財宝だと思っていた。
「あなた方は、財宝を探しに来たのでは?」
「いや、違う違う。財宝があるなら、探したいけど、今はそれどころじゃない。こっちにも事情があってな、この森を抜けて、西に向かわないといけないんだ」
「あら、そうでしたか。あなた方の事情は知りませんが、財宝を探しに来たのではないのですね」
「まあ、そういうところだ。惜しいが、財宝を探している余裕はない」
「それなら良かったです。この森に財宝があるなんて噂は嘘ですから」
ドリアードは微笑みながら言って来た。
「う、嘘!? いや、さっき、財宝を探しに来たのかって……」
「ええ、そう言いましたが、本当に財宝があるとは言っていませんよ?」
ドリアードは面白がっているように見える。確かに、ドリアードは『財宝がある』とは言っていない。ありもしない『財宝を探しているのか』と聞いてきただけだ。
「なんだよ……。悪いが、茶番に付き合ってる暇はないんだ」
ただ揶揄われただけだ。だけど、ドリアードが人を揶揄うなんて聞いたことがない。そもそも、ドリアードと出くわすこと自体が少ないか。
「いいえ、茶番ではありません。財宝を探しに来る輩というのは、欲に目が眩んだ人間。そんな人間を信用することはできない。なので、あなた方を試させてもらいました」
「俺達を試す? 俺達は試される覚えはないんだけどな?」
「ええ、そうですね。ですから、取引をしませんか?」
「取引だと?」
俺は解いていた警戒を少しだけ戻した。この精霊は俺達を試して何の取引をしたいのか。
「取引です。あなた方人間は取引を重要視すると聞いております。先ほど、あなたはこの森を抜けて西に向かうと仰っていましたが、この森を抜ける道をご存じなのですか?」
「いや……、それは……」
知っているわけがない。大体、俺達はワルター大森林に入る予定すらなかったんだ。
「やはりご存じないようですね。それでしたら、私が抜け道を教えて差し上げます」
ドリアードは声のトーンを落として言って来た。ここからは真剣に話をするという意思の表れだろう。




