街道を外れて Ⅲ
俺は咄嗟に男の胸ぐらを掴むと、思いっきり突き放した。
襲ってきた男はそれで体勢を崩し、あっけなく倒れる。
「おい! いきなり何をする!」
俺は襲ってきた男に怒鳴った。ただ、手に残る感触には違和感がある。とても冷たかったのだ。雨に濡れているからとかそういうレベルではない。冷えた肉を触った感触と同じだった。
「ウゥ……グァァァ……」
襲ってきた男は、またも呻き声を上げている。ゆらりと立ち上がって、再び俺に向かって飛びかかってきた。
俺はその暴漢の手首を掴む。恐ろしい程細い腕だ。骨と皮だけという表現がそのまま当てはまるほど細い。
そして、軽く捻って関節を決める。だが、男はそんなことなど関係ないどばかりに暴れている。それを俺が力で押さえつける。
「てめえ、何の――うッ……なんだ、この臭い……!?」
襲ってきた男から発せられる臭い。それは完全に腐敗臭だった。思わず鼻を覆いたくなるが、そちらの手にはランプを持っている。
「アイク、こいつはゾンビ」
「ゾンビッ!?」
ティアの言葉に、俺は驚いて声を上げていた。
言われてみればそうだ。確かに、この腐敗臭と骨と皮しかないような手首。関節を決められても痛みを感じている様子もない。
低級アンデットのゾンビ。死者の体を操る死霊魔法だ。ただ、必ずしも術者がいるとは限らない。死んだ者の魂が、浄化されずに溜まっていると、死んだ肉体を勝手に動かすこともある。
当然、そこに意思や思考はない。生への渇望だけで動くモンスターに堕ちてしまう。
こいつはどっちだろうか? 術者がいるとすれば、何らかの目的で死者を操っているはずだから、そいつを見つけ出さないといけない。
ただ、自然発生的にゾンビになったとしても、術者が意図してゾンビを作り出していたにしても、このゾンビは倒すことに変わりはない。
俺は決めていた関節を外すと、力いっぱいゾンビの男を殴りつけた。
下から抉るようにして突き上げた俺の拳は、ゾンビの体の半分を吹き飛ばした。飛び散ったゾンビの肉片が雨に濡れる地面に、びちゃびちゃと落ちていく。そして、腐敗した肉と骨を砕く嫌な感触が俺の手に残る。
「アイク……。囲まれてる」
俺の服を引っ張りながらティアが言って来た。
「囲まれて……。くそ、そう言えば、そうだよな……。外にはかなりの人影があったからな……」
俺は歯噛みしながら言った。外で人影がウロウロしていることは分かっていたことだ。ゾンビに襲わたと分かった時点で、その人影が全てゾンビであることくらい、容易に想像がつく。
だけど、突然の出来事にそこまで頭が回らなかった。
「タニアは……無事なのか……?」
「タニアは……、あそこにいる……」
ティアがそっと指をさした。その先にいるのは、三つ編みをしたゾンビ。服はボロボロ。はだけた胸元は骨が露出している。
「タニアも……。ティア、一旦家の中に隠れるぞ!」
「うん」
俺はティアの手を引いて、もう一度タニアの家の中に入り、扉を閉めた。所々壁が崩落している建物だ。ゾンビに見つかるのも時間の問題だろう。それでも、今は考えるだけの時間が稼げればいい。
「タニア……。でも、どうして……? 俺達に親切にしてくれたのが、ゾンビだったってことか? ゾンビにそんな知能はないだろ……?」
雨に打たれて困っている俺達を、タニアが家に入れてくれた。あれは嘘だった? 俺達を騙すために親切にした? 食べさせようとした食事も、腐敗した動物と排泄物の塊だった。
いや、でもゾンビにそんな知能はない。騙すとか騙されるということが、ゾンビとの間で成立するわけがない。
ゾンビには意思も思考もないのだから。さっき襲ってきた男のゾンビのように、人がいれば襲ってくるだけの低級アンデットだ。
「たぶん、黄昏時にこの村に来たことが原因」
「黄昏時に?」
俺はティアに聞き返した。キシル村に着いたのは、陽が沈む前。たしかに黄昏時だ。
「そう。知恵の宝珠にあった知識を探した結果、それ以外に考えられない」
「どういうことだよ?」
「黄昏時とは、陽が沈む直前。つまり、昼と夜の間。光と闇の間。それは、生と死の間という意味も持つ。さらに言うと、現世と幽世の間でもある。昼間は動くことができないゾンビが、黄昏時に生前の記憶と交じり合い、一時の幻想を創り出した。そこに偶然私達が迷い込んできた」
「黄昏時が狭間の時間で、生と死の境界が曖昧に混ざっている時間だから……。タニアは、一時的に生前の記憶をもとに、幻を作っていたと……」
「厳密に言うと、幻を作っていたのはタニアじゃない。タニアを含めて幻の一部」
「だったら、術者がいるっていうことか!?」
「術者はいない。これは自然発生的な現象だと思う。知恵の宝珠の情報だけだから、ここからは推測になるけど――この幻を作って、ゾンビが活性かするだけの魔力に晒された影響だと思う」
「俺はあまり魔法には詳しくない……。もっと簡単に説明してくれ」
「要するに、この場所は元々死者が放置されていた場所。そして、生と死の間、現世と幽世の間の時間に、大きな魔力を持った存在がやって来た。その偶然が、この地に彷徨う死者の魂を活性化させて、一時期的な幻を作り、夜になったら、ゾンビとしての特性が強くなって徘徊しだしたっていうこと」
一応、魔法に詳しくない俺だが、ティアの説明である程度のことは分かった。つまり、これは自然発生的に生じた事象ということだ。
「なあ、その大きな魔力ってさ……」
「私のこと」
「だよな……」
「ただ、私の今の魔力は、まだまだ万全じゃないから、私の持つ潜在的な魔力量。つまり、私の存在自体に反応したと言った方が正しいかもしれない」
またもや難しいことを言っている。その辺りの詳しい知識は俺にはないから、そういう物だと理解しておくしかない。
「だったら、こいつらは、俺達が去ればもう出て来ることはないってことだよな?」
ティアの魔力というか、ティアの存在としての力が原因なのであれば、遠ざかればゾンビ達も消えるということになる。
「それで間違いはない。ただ、また私のように、潜在的に膨大な魔力を持つ者が現れたら、同じような現象が起こる可能性がある。それに……」
「他にもまだあるのか……?」
「このゾンビ達に意思はない。ただ、偶然の産物として現れただけ。元はこの場所に留まっているだけの魂達。葬ってやった方が良い」
「葬るってどうやって……」
「燃やす」
ティアは端的に答えてきた。アンデットは火に弱い傾向がある。火というのは邪を打ち払う力があるからだ。聖なる力とも密接な関係にある属性だ。冒険者をやっていれば、アンデットとも遭遇することがあるため、魔法に疎い俺でもこれくらいは知っている。
「タニア達に罪はないけど……。そうしてやるのが、せめてもの慰めか……」
俺は複雑な思いがあった。タニアは生前、親切な女性だったのだろう。だから、一時的な幻であっても、生前の姿を取り戻したタニアは親切で優しかった。そのタニアに対してしてやれることは、燃やすことだけ。
「そう。この場所でいつまでも彷徨い続けることは、死者にとって苦痛でしかない。一思いに焼き尽してあげた方が楽になる」
ティアとしても何か思うところがあるのだろう。冷静な言葉の奥には、憐憫のようなものが伺えた。
「ティア……。頼めるか?」
「うん……。元より、そのつもりだった」
ティアは静かに頷いた。本人が言っていた通り、万全の状態ではないにしろ、以前、エンダル湖の湖畔を焦土に変えたことがある。そのことを考えれば、ここにいるゾンビ達を焼き尽すことくらいは造作もないのだろう。
「準備はいいか?」
「いつでも」
「よし、開けるぞ」
俺はティアからの返事を聞いて、家の扉を開けた。ゾンビ達はさっきよりも集まってきてるように思える。基本的にウロウロしているだけだが、生者に気が付いたら襲ってくるだろう。
「いくよ」
「ああ、やってくれ……」
俺が声をかけると、ティアは数歩前に出た。一部のゾンビはそれに気が付き、ティアの方を向いている。
「私にできることはこれくらいしかないから……。行き先を失った、哀れな死者たちよ……。せめて、私の炎で一瞬で終わらせてあげるから……。静かな眠りが訪れるように……」
ティアはゾンビ達に声をかけると両手を大きく広げた。
そして、空間が歪んだように見えたと思った次の瞬間――
天をも突き破るような、焦熱の炎が吹き荒れた。膨大な熱量が大気をかき乱し、乱気流が生まれて空に上がる。
それは、まるで巨大な火竜が暴れまわっているかのような光景だった。
村全体を飲み込むほどの大火。ティアが放った炎の魔法に飲み込まれたゾンビ達は、一瞬の内に消炭になっていく。
「もういい……」
ティアは広げた両手を閉じて、自分の体を抱きしめる。まるで、母が子を抱くような、そんな優しい姿だ。
すると、目の前を覆いつくしていた焔火は、瞬く間に終息。残ったのは、黒く焼け焦げた地面だけだった。




