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ミリオン  作者: おこき
~第三幕~
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第68章

「俺、まだ……生きてる」


 閉じた目蓋を恐る恐る開き、自身の手を見つめるリオン。

 後部座席で人が動く気配を感じた。

 セレネの意識が戻ったということだろうか。

 結局、またセレネに助けられたということだ。

 現状を認識したリオンは乾いた喉から声を絞り出そうとし……言葉を飲み込んだ。

 ケーブル塗れの女性は腕と足を組んでおり、リオンの視線を一瞥して鼻で笑ったのだ。

 

「ふん……愉しそうなことをやっておるなぁ、人間」

「月……花」


 深い蒼色を帯びたその瞳は背筋を凍りつかせ悪寒すら走らせる。涼しい口調と殺意の視線に意識が飲まれそうになる。

 無理もなかった。この機体を知り尽くした蒼き魔女が目の前に現れたのだ。


「月花……どうやって出てきた! セレネは!」

「下らんことを聞くな、人間。魔女が妾とこれだけ強く結び付いているうえに……少々泥臭いが血も大量に用意されておるし、おまけに今宵は月も満ちておる。これはもう、妾が好きな時に好きにしてええという魔女からの譲歩じゃろう?」

「そんな……セレネはそんなつもりじゃ」

「そんなつもりではない、じゃと? ならば何故、こうもあっさり機会を与えた。あの魔女がそんな間抜けを――」


 月花は言いかけて唇をニタリと歪ませる。


「魔女だと警戒して黙っておったが、よもやコヤツ(・・・)記憶だけではなく……魔術も忘れておるな?」

「えっ……」


 空気が凍りついた。

 迂闊な返事をするべきではないと直感する。

 どうしてそんなことを聞く必要がある。

 セレネは魔術が使えないはずだ。 

 なぜなら、リオンはセレネと出会ってから一度も彼女が魔術を使ったところを目にしていない。

 魔女ならば本来使えるはずだろうが、記憶と共に術の情報も忘却の彼方にあるとみて間違いないのだろう。

 それを月花は知らなかった……。

 もっと思考しろ。


――魔女の召喚に応じて参上致した――

 

 初めて月花が現れた時に彼女は確かこう言ったはずだ。

 召喚に応じたと。だから、召喚魔術と思い込んでいた。

 しかし、魔術はおろか自分が誰かすら覚えていなかった彼女が召喚魔術を扱えるのか。

 答えはノーだろう。

 “セレネが魔女”という特別条件に目が行き過ぎていた。

 それはリオンだけでなく月花も同じだったということだ。

 そう、魔女は記憶を失っていても魔術の扱いには長けていると。


「……それは」


 そう考えると辻褄が合ってくる。

 魔術も記憶も忘れたセレネを月花は“魔女”ということで遠慮していた。

 セレネはどうやって月花が出てくるのかわからないと言っていた。あくまで一方的に体を奪われていると。

 どうしてセレネの言葉をもっと気に留めなかった……整理していけばわかったことだ。

 月花は召喚されていたんじゃない。


「くっくっく……ハーハハッ!! 図星かや? 図星なのかや? よ~やく妾の時代が来たということかのう! ただの記憶だけでなく、魔術に関する記憶まで消されておったのか。コヤツ、生き過ぎてそこまで腑抜けになっておったか。どこの誰か知らんが、良いように魔女を封印してくれたものよ! そして、貴様。人間のくせに妾を解き放つとは、褒めて遣わすぞ」

 

 封印されていたんだ。

 だからセレネが意図しない時に体を奪える。

 かつてのセレネ――魔女ならば月花を手なづける術を知っていたに違いない。

 魔術を知り尽くし冷酷無慈悲、殺戮を繰り返す魔女が隙を作るということは、表に出てこいという暗示。

 今のセレネが魔術を扱えないと知った月花は遠慮なく体を奪い取ってくる。

 縛りつけていたものが無いことに気付いた月花が何をするか想像できない。

 

 瞬間――機体が大きく震動した。 


 カーニン部隊の砲撃だ。このコックピットで恐ろしいことが起こっているなど想像もつかないのだろう。


「この妾相手にこの程度の砲撃とは、舐められたものよ。時間もあることじゃ、格の違いを体に刻み込んでやるとしよう」

「お前……セレネの体は、セレネはどうなるんだよ!」


 セレネの体を我が物とした月花、思考するリオンを尻目に耳元で囁くように艶めかしく可憐な言いぐさで告げる。


「ヤツは消えたよ。誓約でがんじがらめにされておったが、もはや縛るものは何もない……今宵よりこの体、妾が使う。そして、刃向う者は」


 ――全て穿つ。

 飛来する砲弾をパイルバンカーの一振りで打ち砕く。

 悪夢のような処刑宣言。

 それに呼応するように機械音が鳴り響き【月花】の装甲が開放。

 排熱口ならぬ排魔力口とも言える部分が全身に展開されることで、更に無茶な魔力量をより速く全身へと掛け巡らせる。

 純真な騎士の恰好をしていた【月花】は今や禍々しさを形にした厳つい騎士へと様変わりした。

 蒼き魔女の騎士が鎖を喰いちぎって、刺々しいフォルムを垣間見せる。


「機体出力が臨界点を超えてる! やめろ! 損傷してる状態でそんな出力を出したら――」


 機体がバラバラになる。

 いくらサウザンドの規格をしている【月花】といえど、リオンが負わせてしまった損傷は致命的。

 この暴力的なまでの出力に機体が耐えられるはずがない。


「妾は兵器。この腕、この鎧、この兜、飾りではない。この程度の負荷、むしろ心地よいわ」


 ガタガタと揺れるコックピットは被弾のせいではなく、この戦闘兵器自身が武者震いをしているとでもいうのか。

 この傷だらけの姿こそ本来の姿なのだと。

 この月花をもってすれば軍相手でも切り抜けることは可能かもしれない。だが、もし切り抜けてしまえばコイツの高揚はどこに向けられる。

 この機体が無関係の村に侵入し蹂躙している姿が頭を過る。

 無惨な死の嵐がセレネの体を使って行われるのだ。

 考えるだけでゾッとする。

 呼吸を忘れているリオンなど眼中になく、月花は蒼い眼光で再び獲物を一機、また一機と見やり笑みを零した。


「景気付けじゃ、行儀よく鳴けよ豚共」


 左腕に刺さったナイフを抜き放ち、宙へ放り投げる。

 ナイフが地上に落下したのを皮切りに、ブースターを点火。 

 月花は例えリリィもろともあの指揮官機を串刺したとしても満足しないはずだ。

 彼女はメタルフレーム。

 機械に良心というものはないのだから。


◇◇◇


 圧倒的。そう、圧倒的だった。

 数、武装、連携、機体コンディションのどれをとってもカーニン達は圧倒的有利。

 それに比べリオンが命からがら扱っていた【月花】の損傷は酷いものだ。脚部や胸部は特に損傷が激しく装甲が外れている。加えてこの機体の主武装であるパイルバンカーは右腕側が機能不全となっている。下手に動かせば損傷拡大は免れない。

 だが、操縦練度。

 この一点において月花は突出している。

 セフティーが外された【月花】を象徴する肢体のパイルバンカーが攻撃だけでなく、移動と回避にまで応用され繰り広げられる変則的な動き。

 深手を負った重量級メタルフレームの動きではない。

 盗賊を単機で撃破した時と同じ。ブースターは常時フルスロットル、相手が構える前にコックピットを抉る。

 

 一撃必殺で一撃離脱。


 機体コンディションが真っ赤に染まっているこの状況でもその戦闘スタイルは変わることはない。

 これがこの機体の【月花】の本来の戦い方。銃、ブレードの類は一切使わない、使う必要がない。

 兵士の怒涛の叫びはいつしか悲鳴に変わるが、鉄を粉砕する音に掻き消されていく。


「……まったく、話にならんな。貴様でもう終わりかのう?」


 優しい口調。

 しかし、重厚な鎧に踏み付けられているのは、人型でなくなった指揮官機・カーニン曹長が搭乗している機体だった。

 刀身に付着した血糊を払うように左腕のパイルバンカーを空へ切る月花。その背後には巨大な風穴が空いたガラクタの山……月花は左腕のパイルバンカーのみで軍の小隊を血祭りにした。

 リオンでは手も足もでなかった軍のMF部隊を全く同じ機体を使って。

 無理な動きが連続したツケが回って来たのだろう、カーニン機を踏み付けている左脚部が損傷個所から火花を散らしている。

 月花の足にすがり付くリオンの声は擦れている。

 何度も何度も同じ言葉を月花に投げかけていたからだ。


「月花ッ……!! この指揮官機には俺達の仲間が一人捕まってんだ……殺さないでくれ!!」

「そんな戯言、妾が聞くと思うか? 大将首を取らねば意味がなかろう? 妾の前にいればそれは敵じゃ。……いや、ふふん」


 何か思い至ったのか言葉を切る月花。そして、何を想像しているのかフツフツと笑いを堪えてる。

 月花に何を要求しても無駄だ。彼女は自身の欲求を満たすことしか考えない。

 取り付く島も無いと思っていた矢先、悪戯な笑みを零しながら月花が腕と足を組んで操縦座席に足を乗せた。


「やれやれ……仕方がないのう。今の妾は気分が良い。妾を解き放った人間の願い、一つぐらい叶えてやろうではないか」


 さっきと態度が明らかに違う。

 それに月花を解き放ったのはリオンではない。望んでもいないのに月花が勝手に現れただけだ。

 含みのある表情で見下ろしている月花の真意を読み取ろうと視線を外さないリオン。


「まぁ余興じゃ、人間。せいぜいそこで見物でもして楽しむがよい」

「なに……」

「不満なのか? その一人を助けてやろうといっておるのじゃ、もっと嬉しそうな声を上げんか。おい、ほれ、そこのポンコツ、聞こえんのか? さっさとコックピットを開けよ。この小僧の言う通り見逃してやろう」


 余興……。

 月花が何を考えているのか全くつかめない。

 リオンは彼女に願いを聞き入れてもらえることを一切していない。たまたま目の前にいただけだ。

 以前はセレネが自力で体を奪い返したように見えたが今回はそんな素振りもなかった。月花の口ぶりからそう易々と元に戻ろうとしないだろう。

 しばらくすると、丸々と太った中年男が血相を変えて機体から転がり落ちてきた。

 ドスンという鈍い音と共にもつれる足で前へ前へと歩を進めている。 


「こ……こんなっ! こんなこと、絶対に許さんぅう!! 絶対に、絶対にぃ!」 


 罵声を浴びせていたカーニンが遠吠えをあげながら樹海へと逃走する。

 走力はお世辞にも早いと言えない。あれで軍が務まるとは到底思えない。

 何より部下を全員殺され自分だけ尻尾を巻いて逃げるなど無様を通り越して呆れすら感じる。

 その後ろ姿を見て鼻で笑う月花。

 そして、カーニンが走り去った後、恐る恐る顔を出す銀髪の少女。 


「ん……リオン……セレネ?」


 見るのも忍びないほど服や髪が乱れた姿だが、確かにリリィは生きていた。

 縛られた両手のせいで満足に受け身も取れなかったのだろう、体中に痣が目立つ。 

 そして、エルフの特徴である長い耳。

 この件に関してはあまり触れない方がいいのかもしれない。今はリリィを休ませてやらなければ。

 

「リリィ……よかっ」

「約束通り、一人(・・)は助けた」


 “じゃのう”

 卑劣な笑い声を上げる月花が脚部のパイルバンカーを


 ――発射した――


 少年の魔獣のごとき叫び声が樹海に飲み込まれ、地表を抉る音だけが無残にも残るだけだった。

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