第4章
「胸がきついぞ? 脱いでいいか?」
「頼むから止めてくれ。 俺が捕まる。 お前が勝手に脱いだのに、だ」
出るところが出ているセレネにとって、マリアの服はサイズが合わなかった。
背丈はほぼ一致していたが、問題となったのは体の正面にある魅惑的な2つの山である。
明らかにセレネの方が質量を持っていた。
今は強引に詰め込んでいるらしいが、傍から見ていても……苦しそうに見える。家を出るときに、マリアが泣いていたのは、間違いなくこの少女の胸のせいだ。
リオンは想像する。
これから向かう神父の元で、「胸が苦しい」と言いながら倒れ込み、神父に悪霊払いをさせているこの少女の姿を。
(フツーにありそうだよな、こいつの場合)
きっと神父に悪霊払いまでさせたこの胸は、天国には行けないだろう。
マリアから貰った握り飯を、2つも口に詰め込んでいるセレネを盗み見るリオン。
大きな目をキョロキョロとさせて村を見回すセレネ。リオンから見れば彼女は挙動不審であった。この村に特に珍しいものなんて無い。ある意味、製粉用の風車は珍しいのかもしれないが、風車自体どんな村にでもある筈だ。最近の風車は、主に空気中の魔力を町や村に循環させることが役割であり、魔力の源の一つである霊山付近の土地には必ず設置されているとリオンは聞いている。
(そんな珍しい物なんてないだろうに。 っていうか……こいつ、ちゃんと咀嚼できているのか、リスかよ)
リオンは、なるべく人目に付かないよう、ひっそりと村の裏手にある教会に向かった。
マリアの勧めで、最初の挨拶は、元軍医であった神父だ。村、唯一の医者でもある神父は、眼鏡をかけた優男である。
常に優しい笑顔をしているため、神に愛されている人間を模倣したような人物だと、村人なら誰しも思うことだろう。
この神父は、カウンセリングから外科治療、内科治療など多岐にわたった医学知識を持っているため、大陸の真ん中に位置する首都・サマルカンドでも十分に重宝される人材であることは間違いない。
何故こんな村に優秀な医者が来ているのかなど、誰も追及しない。
理由は簡単だ。
村人全員が神父のことを愛しているからである。
聡明で優しいこの神父が何かの理由で首都に行ってしまえば、次にここへ派遣されてくる神父は確実に幻滅するような人物であろう。
この村のボロ教会に住んでいる神父は、とにかくパーフェクトな医者でもある。
つまり、記憶喪失であるセレネの診断を兼ねての挨拶回りなのだ。
「神父さ~ん。 重症患者を連れてきました~ もう、頭が、ぐっちゃぐっちゃで、神父さんじゃないと治せませ~ん」
リオンがボロボロの教会に向かって声を張った。
内部から、駆けてくる足音。
教会の床が軋む、軋む、軋む、破れる、神父がこける。
「患者はどこだい!? 様態は? 消毒はしてあるのだろうね? 頭部の傷は命に関わる! 早く中ぁ……え?」
法衣を纏った優男が、足を縺れさせながら出てきた。
肩で息をし、痛そうに足を引きずっている。
20代後半に見える神父の眼鏡には健康体そのものである、黒髪の少年と蒼髪の少女しか映っていない。
辺りを見回して、重傷患者を探すが神父の想像した怪我人はどこにもいない。
「あっ、怪我じゃなくて、重症、症状の方」
「また、変な奴が出てきたな」
リオンが、神父を指さすセレネの頭を押さえて、気まずそうに笑う。
ただ、一言。
神父が「魔女……」と漏らしたことに、リオンは気が付いていなかった。
◇
「どうも私では、彼女の症状はわからないな。 下手に刺激すれば、彼女の人格が壊れてしまうかもしれないからね」
リオンは、“すでに壊れていますよ”とは口が裂けても言えなかった。
神父は簡単な質問を繰り返し、「困った」と一言呟く。
「こうも綺麗さっぱり、リオンと会う以前のことを忘れているとなると、手掛かりがね。頭部外傷を負ったとも思ったんだが、彼女の頭部に傷らしいものも見当たらない。 それに、言語力にも学習力にも異常はない」
神父から投げかけるような視線が、眼鏡越しに送られてくるのに対して、リオンは何となく首を縦に振る。
「ご家族が見つかれば、慣れ親しんだ音楽を聴かせたり、身近の人物の写真を見せることで、回復が見込めるかもしれないんだが、あの遺跡の近くに、村はここぐらいだから、家族を探してこれをするとなると、気の長い話になるね」
神父は立ちあがる動作を兼ねて、セレネの肢体に視線を送る。そんなにセレネと目を合わせることが嫌なのか、神父はセレネと視線をあまり合わせようとしない。
「そうか~。 でも、俺ん家で面倒を看ようって姉ちゃんと言ってるんだよ。 こいつの記憶が戻ったら、故郷に帰せばいいかなって……あれ? 神父さん? お~いそんなに、セレネの足ばっか見てどうしたんですか」
リオンは、話の途中から目が虚ろになっている神父に手を振る。
「あ、あっ。 そうだね。 その方が彼女のためにも、記憶のためにも良いかもしれないね。 私にも協力できることがあれば、協力するよ」
神父はセレネを横目で何度か見て、リオンに笑いかける。
「ありがとう神父さん。 次は、村長か……言わなくちゃいけないよな~」
この村の最高権力者は、仙人のような長い白髭をした老人である。
今、その片腕である神父の許可を得たのだが、村長はとにかく頑固なのであった。
そして、リオンが頭を抱える最大の理由がある。
村長は、リオンの父・グレンのことをよく思っていなかった。
当然、村を裏切ったことでその溝は、修復不可能とまでになったが、死んだ人間に人間関係など関係ない。
しかし、その子ども達には関係があった。
村で、リオンとマリアを吊るし上げていた張本人は、何を隠そう村長である。
「村長には、私の方から頼んでおくよ。 ちょうど今から伺う用事が出来たからね。 そして、教会に来るものは神の子である限り誰であろうと、保護するからね。 安心して暮らしてくれていいよ、お嬢さん」
神父は入口の方へ手をやり、診断終了を告げる。
爽やかに笑顔を向ける神父は文字通り、輝いていた。神父でなければ、一体どれだけの女性が、この男の周辺に集まってくることだろうか。
笑顔が眩しい。それは神の御加護なのだろうか。それとも彼の素質なのだろうか。
これだけの笑顔を向けられても眉一つ動かさないセレネは、やはり一般的な女性ではないのかもしれない。“お前には興味がない”といった様子だ。
神父に促されて、リオンとセレネは、教会の出口へと歩き出す。
「あぁ、ところで――」
神父が少年少女に背中を向け、手にした十字架を見つめながら最後に、こう言った。
「君は、『神』を信じているかい?」
どちらに向かっての質問か戸惑い、リオンは咄嗟に答えようとする。
「えっと……」
「少なくとも、今は信じている。 記憶を失くす前は、知らん」
神父と少女の背中での会話。
意外にも、先ほどから沈黙を維持していたセレネが淡々と答えた。
「そうかい、今は信じているのか」と呟いて、神父は奥の間に消えて行く。
床の軋む音が遠ざかって行くのを確認し、セレネは歩を進めた。
リオンは、さっきの問診の仕上げだと思うことにした。神父が、あんな感情の無い声で何かを言うとは考えにくい。恐らく、そうゆう手法の治療法なのだと勝手に納得する。
しかし、セレネにとって、この会話はどこか、身に覚えのある内容であった。
記憶のピースが一つ埋まる。
それは、鉄で出来た記憶。
メタルフレームだった頃の記憶。
彼女が彼女であった断片。
彼女が彼女であった頃の記憶。




