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ミリオン  作者: おこき
~第二幕~
31/76

第29章

 リオンとハンスタは、痛んだ食堂の前で対峙していた。

 普通なら野次馬が集まるであろうこの場面であるが、誰一人立ち止まって様子を覗う者はいない。

 建物の中から隠れて盗み見ている。巻き込まれないための用人なのだ。

 故に、砂利道はハンスタとリオンは荒野の決闘場となっていた。


「さぁ、どうゆう風にいたぶって欲しい? それとも、土下座でもして命乞いするか?」


 サングラスを掛け直しハンスタが言う。先ほどの怒り狂った態度とは一変していた。

 相手が魔力に鈍感過ぎるのだから当然である。牽制として魔力を放出し威嚇してみたが、リオンはそれにすら気が付かない様子だ。魔術師なら相手の魔力が変動した瞬間、何かしらのアクションをする。魔除けを仕込んでいたとしても、ハンスタの本気の魔術を直撃すれば、ただの飾りも同然である。

 それらが理解できていない少年は一般人。戦闘初心者。ハンスタが一番好きな部類の人間だ。

 そしてもう一つ、軍人相手に十代の少年が喧嘩で勝てるはずが無い。まして、相手は大人を私刑にしている魔術師である。

 ハンスタの計算を余所にリオンは両手を前に構えた。

 その行動を見てハンスタは笑い声が漏れそうになるのを堪える。まだ、笑うには早い。相手が地に平伏し、言葉が発せ無くなってから一気に、盛大に笑うのだ。あの快感を、あの気持ちよさを味わうために今は堪える。


「くっく。 ふん、見ねぇ面だなぁ? 旅人をボコると色々面倒なんだが……軍に刃向かったらそんなものは関係ねぇよな~? 最近は、抵抗する馬鹿がいなくなったら退屈していたんだ。 楽しませてくれよ!」


 絶対有利。絶対勝利。

 それらしか頭に無いハンスタは、抵抗しようとする少年の行動が滑稽で仕方が無い。


「いいね、その目。 あぁ~ブチ殺してぇ目だ。 今朝、捕まえたウジ虫と同じ目ぇしてやがる」


 早く殴らせてくれ、早くその顔を踏みつぶさせてくれ、早く泣き声を聞かせてくれ。脈拍が上がるの を無理に抑えたため、かん高い声で挑発するハンスタ。


「ウジ虫……この店のおっさんのことか?」


「そうだ。 俺の部下を殺した許しがたい罪人だ。 お前と共犯(・・)した男だろ?」


 ハンスタがありもしない事実をたった今付け加えた。これで万が一少年が死んでも問題ない。


「俺は誰も殺してなんかいない! そうやって、ありもしない罪を被せて村の人達を苦しめて……何が楽しい」


「俺が“殺した”と言えば殺したんだよ。 お前は犯罪者だ。 目には目を歯には歯を……殺人には殺人を。 どうだ、わかりやすい教えだろ。 遺跡の石板に書かれていた、古代からのありがた~い教えだ。 お前みたいなカス野郎でも理解できるだろ?」


 ブロンドヘアーの軍人は、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ふつふつと笑う。もう我慢できない。餌が前にあるのにいつまでも焦らされ続けて、(よだれ)の洪水ができそうだ。

 チンピラのようにガニ股で、俯いたリオンの顔を覗ってみる。

 リオンとてこの状況を簡単に打破できるなどとは、考えてなどいない。

 真正面から戦えば負ける。ここでハンスタの挑発に乗って突っ込むわけにはいかない。

 そう言い聞かせてリオンは、会話を続ける。相手の隙を付くしか勝機は無い。


「あのおっさんは、確かに物騒だったけど、人を殺すような人じゃなかった」


 まして、軍人なんて殺さないだろう。残された家族のことも考えず、私利私欲で行動をするような男ではない。

 一方的に叱られただけのリオンだったが、あの大男がそんな馬鹿なことをする筈が無いと信じている。そして、ノーションから聞いた現場の状態から、人間の仕業ではないと判断できる。

 ハンスタは食堂の大男が殺したと言い張っているが、恐らく出鱈目に違いない。

 リオンですら簡単に推測できることなのに、ここの軍人は一方的に決めつけて食堂の大男を連れ去って行った。


「おっさんを返せ。 あのおっさんは、絶対にやっていない! もっとちゃんと調べろよ」


「アリバイがないだろ? アリバイがぁ? それに、軍に刃向かった罪人が指図してんじゃねぇ! お前は今から私刑なんだよ、カスが!」


「アリバイならあります! お父さんは……父は、昨日の夜、私にメニューの仕込みを教えてくれていました」


 店の中から黒髪の少女が飛び出して来た。肩で揃えられた髪を揺らし、ハンスタとリオンの間に立つ。

 せっかくリオンが標的になったというのに、ここで飛び出せばリオンの努力は無意味になってしまう。


「てめぇの意見は聞いていない。 どけ、今からお楽しみなんだよ。 私刑なんだよぉ、ショータイムなんだよぉ! 邪魔すんなよ、死ね。 後で、肉親のお前も同罪ということにしておいてやるからよ!」


 何も無かった右腕から術式が浮かび上がってくる。そして少女を指さし魔力を流し込む。ハンスタの右腕に書かれた術式が緑色に光り輝き、魔術発動の過程を一瞬でクリアして行く。


簡易魔術(ショートカット)よ! 何が出るかわからないわ! 逃げなさい!」


 思わずノーションが店内から叫んだ。

 民間人相手に魔術を行使するなんてノーションも思っていなかったらしい。

 しかし、“ショートカット”などと叫ばれても少女には意味がわからないし、どれほど危険かも理解していない。


Pressプレス


 笑いを堪え切れない軍人が叫んだ。

 指先からは何も出てこない。しかし、指先にいる少年(・・)が膝を付いていた。


「かっっは! ぐぅっ」


 血の味が喉の奥から込み上げてくるのを感じながら、向けられた指先を睨むリオン。

 リオンには何が起きたか理解できていない。咄嗟に、少女の前に飛び出たが、何も見えなかった。

 突然、鋼鉄のハンマーで殴られたような鈍い痛みが腹部を襲っただけで、ノーションが叫んだことと食い違っている。

 目視できるものは、何も出てこなかった。炎でも電撃でも光でもない。痛みだけが出て来たようだった。

 指さすだけで人の病を悪化させる呪いがあると聞いたことがあるが、リオンは健全な体だ。病状が悪化すると膝を付く程の病気など患っていない。

 ただ、これだけの痛みを女の子に味合わそうとしたと考えると、リオンはますますハンスタのことが許せなくなった。


「あ……だ、大丈夫ですか! きゃ!」


 少女がリオンの肩を掴もうとした瞬間、乱暴に振り払われ店の入り口の前に倒れた。


「は、は、離れてろ……殺さ、れる」


 それだけ吐き捨て立ち上がる。黒い瞳はずっと目の前の敵を睨んだままだ。

 痛みも少しひいてきた。


「おぉ~。 女を庇うなんて正義の味方様だな。 ところで、誰だ。 さっき簡易魔術(ショートカット)のことを叫んだ奴は……女の声だったよな~」


 手をパチパチと打って少年の勇気ある行動を賛美しながら周囲を見渡すハンスタ。魔術師がいるとなると少し警戒せねばならない。魔力の探知では見つからない。となると、知識だけ知っている一般人の可能性が高い。それならば、大した問題ではないのだが、用心するに越したことはないだろう。


「アンタの相手は俺だ。 それに俺は……正義の味方なんかじゃない。 英雄見習いだ!」


 腹部を押さえながら、地面を踏みしめ、真正面から拳を振り上げて突っ込むリオン。

 これ以上、話しても無駄だ。次に誰があの指で激痛を味あわさせられるかわからない。


「あぁそうだった、先にお前の私刑だったな。 しっかりやってやるから焦るなって! Pressプレス! Pressプレス! Pressプレス!」


 リオンの体が波打つ。しかし、接近を止めない。少年にとって理解できないこの衝撃は避けようが無かった。

 体中が軋み始め、痛みが全身に走る。痛みの稲妻だ。血液が痛みを全身に運んでいるのではないかとさえ思う。ただ、それだけだった。


「英雄なら、負け、ない。 英雄なら負けないぃイぃ! 英雄なら、負け……ちゃダメだろぉぉ!!」


 リオンは空に向かって吠える。

 もう、ハンスタの目の前に辿り着いていい頃なのに、距離が縮まらない。足の感覚が無くなり、走っているのかさえわからなかったのだ。

 少年の足は痙攣(けいれん)を起こし、指先から発射される衝撃をまともに受け続ける。

 体が波打ちながら崩れていく。倒れようとしても次々と体に直撃する衝撃で前には倒れることができない。頑なに前に進もうとするリオンの体は、後ろには倒れることはなかった。

 詠唱し続ける術者の命を受けて、目視できない弾丸は、膝を付いても尚前進する少年の体を何十と貫き続け、遂には少年の心を折った。

 間近で少年がボロボロになっていく姿を見て、リオンに付き飛ばされた少女は悲鳴を上げ、両手で口を塞ぎ、目を伏せた。

 乾いた地面から砂煙が巻きあがる。塵のカーテンの中で立っている影は見えない。

 圧倒的過ぎる力の差。それは、努力や気持ちでどうにかなるものではないと思い知らされたリオン。

 

「プレェェスゥウ! はーははー! 指一本で勝っちまったぜ? ざまーねぇなおい。 楽しいなぁおい。 立てよ! 立ち上がれよ、英雄さんよ!! 倒してみろよ、俺を! ハンスタ様をよぉ!」


 砂煙が風で流され、頭から足の先まで砂まみれのリオン。時折、節々が震えているため、まだ生きていることがわかる。

 しかし、立てる筈が無い。目は虚ろになり、悶える声すら出せないのだ。

 口の中に砂が入っているがそれを吐き出す力もない。

 今まで味わったことの無い恐怖が少年の心を襲う。今まで味わったことの無い痛みが少年の体を襲う。少年の体は小刻みに震えていた。

 ハンスタとてどれくらいの攻撃を与えれば死ぬか承知している。恐らく、後ワンセット同じ攻撃を繰り返せば、口から血と臓器を撒き散らして少年は確実に死ぬ。

 今朝、連行した大男なら耐えられた攻撃でも、この少年ではワンセットも持たない。

 ただ殺すだけでは面白くない。せっかく子どもが手に入ったのだから、それ相応の対応をしなくては。ハンスタは笑いながらリオンの頭を乱暴に持ち上げる。


「なんだぁ? もう終わりか? 情けねぇやつ。 これで終わりなわけねぇよな。 お前は英雄様だもんな! 弱った生き物にはたっぷり恐怖を味あわせてやらなきゃいけないだろ! “もう殺してくれ”と叫んでも人殺しは良くねぇし、半殺しで我慢してれよ? 殺さないのが俺の主義なんだ。 勝手に死んだらそれは寿命だ。 ってことで、続きは基地でやろうぜ。 お前の寿命が尽きるまでな!!」


「ぁっ……」


 リオンの髪を鷲掴みにして、基地の方面へ引きずって行く。

 英雄を志す男には相応しくない女の様な声が漏れた。先ほど以上の拷問が待っていると思うとリオンは、血の気が引いていく。

 拷問が怖いと思う……そんなことを考える自分が情けない。

 誰か助けてくれと思う……そんなことを願う自分が惨めだった。

 カッコつけて喧嘩を売ってこのあり様。力が無ければ何もできない。

 想いだけでは何も守れない。志が高くても何も守れない。

 自分の身さえ守れない子どもが誰かを守る。弱き人々を守るなど不可能なことだ。自分もその人々と同じ“弱い側の人間”なのだ。

 少年ができることは守ることではない。誰かの代わりに犠牲になることだ。それが彼の限界だった。

 英雄など……所詮は子どもの夢だった。


「くぅ……うぅ……」


 気が付くと少年が泣いていた。頭を掴まれ引きずられている自分が許せなかった。

 誰も助けに現れない。少年のような馬鹿なことをする人間はもう全員死んだ。

 この村に残っている者は、賢明な判断ができる者達だけだ。


「おいおい、英雄が泣いてるぞ。 ハハッ! てめぇら見てるか、英雄が助けを求めているぞぉ? 助けなくて良いのかぁ~? まぁ、軍に刃向かった罪人を助ける悪い人は、この村にはいないよなぁ!」


 上機嫌で砂利道を歩く軍人を止める者はいない。いきがっている人間をどん底に突き落とすことは、やはり気持ちいい。この少年も自分の力を過信して、軍に盾突いた馬鹿の一人だ。

 思わぬ収穫に心を躍らせ、ハンスタは早足になる。


「なんで……勝てない……なんで、俺はぁ、弱いんだ……」


「あぁ? まだ喋る元気があるなら、もうちょっと痛めつけてやろうか? なんで弱いだぁ? 生まれつきだろうが! 入る腹の中で人生は決まるんだよ! 官僚か農民か、勝ち組か負け組か! 自由に使える富! 与えられる権力! そんなもんは腹の中にいる時から全て決まっているんだよ! 努力しても無駄無駄ぁ! 勝ち組は定員が決まってんだよなぁ、今地べたで這いつくばっているお前は、一生負け組だ! 踏まれても文句が言えないクソ野郎だ。 潔く税金を納めれねぇなら死ね! 俺達を楽しませれねぇなら死ね! 死にさらせ!!」


 顔面を膝で蹴られ、踏まれ続け、リオンの口内が切れる。そのまま地面に押し付けられ口さえ開けなくなる。

 ハンスタは次に何をしようか考えながら腕を振り上げたが、ピタリと止まり、ピアスの付いた右耳に目が行く。

 無線連絡が頭に直接流れ込んできたのだ。

 そのままリオンを踏みつけ、耳の裏に片手を添えて無線に出る。

 魔科学によって作られた無線機“マキ”。固有魔術で使用できる者が数少ない放出系魔術の“テレパス”を解明し、誰でも魔力さえ流せば、テレパスが使用できる代物だ。


「あぁ? 俺だ。 兄貴か、今良い所なんだよ、話なら後で……何!? ゲハルトが来るだって? 何しに来やがるんだよ! 例のやつ? あぁ、兄貴に言われた通り高値で売りまくってるぜ! このままいけば兄貴は、少佐だろうが大佐だろうが何だって……はぁ!? 冗談じゃねぇ、俺の楽しみを奪う気かよ! ……クソチーターが! わかったよ……兄貴がそう言うならそうするよ」


 ハンスタは無線の相手と言い争い、舌打ちをした後、悔しそうに倒れているリオンを見る。

 口を閉じてテレパスを効率よく使える者は少ない。それこそ、テレパスが元々使える魔術師ぐらいである。

 テレパス魔術師と違い、他の魔術師は頭の中の事を全て相手に伝えてしまう危険性がある。自分の考えていることが相手に筒抜けになること程恐ろしいことはない。

 口に出し、相手に伝える内容を自分の中で確認しながらテレパスを送る。この手順さえ守ればプライバシーは守れる。


「白けた……私刑は明日に持ち越しだ。 てめぇの顔は覚えた、逃げても無駄だぜ。 俺が仕事を終えて消えてやがったら、凶悪犯として締め出してやるからな。 せいぜい強くなってココで待っていてくれよ“英雄さん”」


 それだけを言い残して、ハンスタは村を去って行く。

 意識が朦朧とするリオンには反応する力が残されていない。

 ただ、自然と涙が溢れ、乾いた砂利道を湿らせていくだけだった。


「ちく、しょう……ちく、しょう……ちくぅう」


 リオンは、うつ伏せになったまま身動きできずに泣いた。

 傍観している大人達が許せなかった。自分をここまで惨めにさせた軍人が許せなかった。

 そして、脅威が去って心底安心している自分の心が一番許せなかった。


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