第22章
(魔力量……良好。 心拍数……異常なし。 この辺りの霊脈は……私、好みね。 ふふふ、ちょうどいいわ、人形……舐めんじゃないわよ)
路地裏に吹き飛ばした隠密を一瞥して、ノーションは鼻で笑う。
地面を踏みしめて、霊脈の大きさを計った。
霊脈が良ければ、外界に散布されている魔力が大きく、より多くの魔力を体内加工し、魔術として使うことが可能だ。
故に、霊山など魔力の根源となる地に魔術師が立てこもると、要塞と化する。
ただ、メタルフレームのセフィロト・ドライブよろしく、分を弁えない魔力の取り込み過ぎは、魔力タンクを破裂させることになる。
体内で爆弾が爆発するようなものだ。
幸か不幸か、この地の霊脈は、霊山が近いこともあってかなり優秀である。 一般的な魔術師ならば、人間爆弾になるだろうが、ノーションにとっては、ちょうどいい大きさである。
この霊脈ならば、魔力を失敬しても、地が枯れるという事態にはならないだろう。
持久戦になったとしても自分が圧倒的に有利であると、ノーションは考えている。
この村を監視している軍人に悟られては不味いため、あまり派手な魔術は使用できない。
炎を出したり、MFを遠隔操作させたり、光を放つ魔術は論外だ。 戦争でもないのにいきなり攻撃魔術が使用されたら、住民は通報するに決まっている。そうなると住民も敵と見なすしかない。通報される前に殺せば問題ないのだが、一人が目撃すれば、二人に伝わり、三人が叫び声を上げ、四人が通報する……。
ノーション一人で、処理しきれない情報の伝達が人の社会にはある。
そして、ノーションの使用できる魔術は、大軍向きではない。
一人ずつ着実に殺すタイプだ。
無数にいる民間人を証拠隠滅のために殺すことは得意ではない。
魔術師は殺すことに躊躇いを持ってはいけない。
魔術師は犠牲を生け贄と考えなければならない。
他人が死んでも、目的を果たすために必要だった血と肉だったと考えるのだ。故に無駄死にという概念は存在しない。
ただ、自称修行中のノーションは、理想的な魔術師像から遠くても仕方がない。誤って、殺すことに躊躇いを持ったり、生け贄を助けてしまったりすることも多々ある。
彼女がいくら魔力放出を極めた魔術師でも「修行中」の身なのだから。
(やっぱり、私の十八番で仕留めるのがベスト。 音も出ないし、光もあまり出ないし、瞬殺だし―――うん?)
若い男女が舗装されていない道からこちらに歩いてくる。 男に腕を絡ませた女の方と目があった。 何故か満足そうにノーションに笑いかけている。 勝ち誇った笑みだ。
カップルだろうか、妙に密着している。
イライラする。
(……上等じゃない。 あなた、良い根性しているわ)
すれ違う瞬間、女は男の腕の隙間からノーションを横目で見ていた。
ノーションが苛立っているのは、女の方ではない。
男の方だ。
ノーションは、自分の容姿をイケていると自負している。
艶やかな金髪ポニーテール、知的な顔立ちに加えて、身の締ったボディーライン。 スラッとした体格に、服を押し上げている女らしさ。
これらの魅力が盗んだ軍服を着ているからといって見劣りするとは思えないし、思っていない。
男ならば、まずチラチラとノーションに視線を飛ばしてくる。 尻尾を振りにやってくる。
それがどうだ。
正面から歩いて来たにも関わらず、決して美しいと言えない彼女を連れたフードを被っている男は、チラッどころか全くノーションを見ていなかった。 いくら彼女に一途でも、軍服を着た人間がいれば、言い掛かりをつけられて、彼女に危険が及ぶかもしれないと少し警戒ぐらいするだろう。
ここにはまともな軍人などいないのだ。
フードの彼が興味も無く、ただノーションの側を通り抜けた理由、それは
―――彼女の正体を知っているからとしか考えられない。
ノーションは身構えた。必ず背後からの攻撃が来ると確信して。
風を斬る音がわずかに聞こえた。
(なっ!?)
空気を斬る二つの音が、村の賑わいに紛れてかき消える。
それらの切っ先は、まるで再開を喜ぶかのように、ノーションの体に向かって接近する。
右側から飛来したナイフを、体を後退させて避ける。 ノーションを目隠しするように、通過して行く銀色のナイフには、強化の魔術で黄色く輝いている自分の目が写っていた。
カッという音と共に、宿屋の壁に突き刺さるナイフ。
予想外の方向からの攻撃を間一髪で避けたのも束の間。もう一本、死の軌道に乗っているナイフが残っている。
予測していた背後からのナイフだ。
左足を軸にして半回転し、強引に避ける。すぐ反撃できるようこの回避方法を実行したが、予想外の真横からの攻撃に気を取られてしまい、背後の攻撃に対して反応が遅れている。避けるだけなら十分に間に合うが、カウンターをするには遅過ぎだ。
反撃は先送りにするしかない。
ただ、最大の予想外は、背後のナイフがノーションの避けるであろう場所へと、あらかじめ投げられていたということ。
(チッ! お見通しってやつ?)
頭一つ分横を狙って投げられていたナイフの軌道に気が付き、ノーションは、慌てて体を元居た場所に戻ろうと捻り返す。ナイフに当たりに行こうとする体を巻き戻すかのように。
柔軟があったおかげで、こめかみに直撃することは免れた。
しかし、ポニーテールを作りだしていたリボンが切断され、金の髪が溢れるように広がった。
闘牛士のマントのように、ナイフを華麗に通過させる金の髪でできたマント。
バランスを崩して、ドシャッと倒れるノーション。体を捻ったまま夜空を見上げるように地面に寝そべる。
人が倒れたと思い込んだのか周囲の視線を集めいた。
「姉ちゃ~ん、酔ってるのか~? ひくっ、ふらふらぁ~じゃねぇか」
「あの、貧血……ですか?」
「馬鹿、軍人よ、関わらない方がいい……」
等と呑気に声をかけてくる村人に囲まれる軍服を纏った金髪の女性。
「だ、大丈夫です。 ちょっと貧血でね、軍人といえど、私も……女ですから」
苦笑いして、村人から離れるノーション。
人形と言われた通り、彼女には女性としての機能はない。
寝起きは最高に機嫌が悪いが、貧血が起こる程体が悪いわけでもない。だが、村人に接近されるのは不味い。
目の前にいる彼、彼女が隠密かもしれないからだ。
正面から勝てないとわかっているため、敵はどんな姑息な手段でも使ってくる。まさか、あのフードの男がフェイクでもあり、本命でもあったとは。
立ち上がり、フードの男を探すが、どこにもいない。
恐らく、隣にいた女性は村人だ。声をかけて一緒に歩かせたのだろう。さっきの女性の目は、平和しか知らない初な目であった。
仲間達が魔力を吸われミイラ化した姿も、愛する者をバラバラに吹き飛ばされたこともないのだろう。
かつて、ノーションにあった輝きを彼女は保ったままであったのだから。
恋愛ができる体でもない。
特定の人物を思いやる意志も摩耗した。
残ったのは、人を殺すことに特化したこの器だけ。
たくさんの命を撃ちとってきた彼女が出した結論、
“人を殺すと目が死ぬ”
「死」を肯定するために「生」という概念を忘却したため、見るもの全てを「死」という真実に関連付けてしまう。
どこを撃てば死ぬか、どこを破壊すれば動かなくなるか、どれを殺せば陣形が乱れるか。脳裏にあるのはそればかり。
そんなことばかり考えていたため、彼女の目には、死が明確に見えるようになった。
「生」という偽りを「死」という真実が塗りつぶす。世界の幻想を破壊する。
魔力による補助が必要だが、ノーションに見えないモノはない。
熱源を探知できたり、建物が透けて見えたり、暗闇でも人の顔が見えたり、目の前にある偽りを無視して、彼女が求める真実という名の標的を見ることができる。
兵士としては最高の視神経と思考回路、しかし、一人の女としては異常な視神経と思考回路だ。
偽りに、平和に、溺れることができない。視覚が拒否する。脳が拒絶する。今日の味方は明日の敵、数時間後には自分が的にされていることさえある。
故に、絆を深め、共に歩める人間など存在しない。
彼女の見る世界は、ただの男では理解できない。
そのうち、人の心の内まで視えるようになるかもしれない。そうなると生きてなどいけない。
魔力を込めることで殺意や嫉妬、欲などの感情さえ視覚できるかもしれないのだ。彼女にはそれだけの才能がある。
心が壊れる。そうなった彼女の肉眼で見る世界は、残酷で、汚くて、殺してしまいたいものばかりだろう。
今は、メガネのレンズによって、「生」というフィルターを掛けている。
何の変哲もないレンズだが、今は、数ミリのレンズが彼女にとって、「生」「死」を隔てている境界線だ。
「敵もやるわね……」
野次馬をやり過ごした後に呟く。
勿論、フードの男が隠密であると視覚から理解できていた。
しかし、フードの男が、隠密の仲間と接近してこなかったことが、ノーションの判断を鈍らせたのだ。
あれが二人とも隠密ならば、すれ違った時に肋骨を粉砕する圧力で、魔力放出をかけていただろう。
しかし、ノーションはそれをしなかった。いや、できなかったと言った方が正しい。
ノーションに正体がバレて、さっきの隠密のように殺されたとしても、隣にいる一般人である女性と関係を持っておくことで、どの可能性をとっても軍を呼ばせることが可能である。
男だけ殺したとしても、隣で人が死ねば村人の彼女が生きている限り、軍に連絡するだろう。 あれだけ密着させていれば、女性に気付かれず暗殺することも不可能だ。
かといって、女性もろとも抹殺した場合、彼女の帰りを心配した身内が軍に連絡してしまうかもしれない。
ノーションとて、犯行現場を見られる可能性が高いこの場で、人との繋がりがある隠密以外を殺害することは、愚策であると考えている。
二段構えの周到さ。 そして、先の先を見越した先ほどの一手。
ノーションが軍を頼ることができない状態を巧みに利用している。
密入国している帝国軍の隠密が、こうまで敵地で巧妙に動き回るとは思ってもいなかった。
「ここでの戦闘は絶望的に不利……か」
相手の位置がわからない、自分の位置は相手から丸見え。 自分が相手の状況ならば願ってもない狩り場なのだが、逆の場合何もできない。
そして、自分の行動パターンまで読まれている。
イレギュラーな何かが起こらない限りこの場を突破することは難しそうだ。
しかし、彼女は祈ることをしない。神など信じていない。
神秘を祈る神父ではなく、神秘を解明する魔術師であり、MF研究者でもあるため、当てにならない不確定要素は信じない。
されど、彼女は「可能性」を信じる
肩まで下りた髪の毛を耳にかけて、分析しなおす。
この状況を打破する「可能性」を導くために。
(この中から隠密を探すことは、透視魔術でも不可能。 状況を読みながら、周囲360度全てを警戒することは、かなり神経を使う。 焦りと苛立ちで、心拍数に乱れも出ているわね。 霊脈のバックアップがあっても殺す相手がわからないんじゃ、何の意味もないわ!)
落ち着け、落ち着け。
何か、何か解決策を出さねばならない。
戦場を変えるのが最も勝率の高い選択だが、今この場を離れれば、宿屋にいる少年と少女は誰が守る。 戦闘素人がプロの殺し屋を相手に3秒も生きていれられる筈がない。
それに自分達と話しているところを見られているだろうし、連れ去られて拷問漬けにされるのがオチだ。
彼らを見捨てるという選択がノーションにはなかった。ノーション自身もそれができない自分をもどかしく思う。
(つくづく甘いわね……関わったから殺せない、関わらなかったから殺せるなんて、横暴な神経してるわほんと。 極力、人との接触を避けてきたのに、この様とはね。 興味本位で関わりを持つべきじゃなかったわ。 はぁ……どうしようかしらね。 ただの移住民だったら共和国軍様に助けを求めれるのだけど)
打つ手がないと頭を悩ませていたノーションに終止符を打つ存在が現れる。
ノーションは全く気が付いていない。
バン!
銃声が一つ鳴り響いた。
「オラ! オラ! さっさと家に戻りやがれ! 今から集金だ。 1人当たり1万だ。 払えない者は体で払ってもらおうか。 入隊意志のある者は路上に残れ」
道行く村人達は、悲鳴を上げて店の中に全力で逃げ込む。 入隊とは永続的に軍の雑用をさせられることを意味している。
軍に所属する奴隷になりたいものは、路上に残れという意味だ。
ノーションは、流れ来る住民に紛れ、咄嗟に先ほど始末した男が寝ている宿屋の路地裏へ身を隠した。
あれだけの人の波に紛れていたのに、隠密からの攻撃がなかったということは、彼らも状況が掴めず身を隠すので精一杯だったということだ。
軍人が民間人に牙を剥くなど、自由と平等を謳う共和国で行われていると思っていなかったのだろう。
概ね、愛国心に溢れた帝国の隠密は混乱している。
ノーションがどこの家に入ったのか、どの路地裏に入ったかなど、あちらはわかっていない。
軍もそうだが、隠密から身を隠すことができれば、こちらのものである。
いや、ほぼ勝ちと言っても差し支えない。
本当の狩りがこれから始まる。




