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ミリオン  作者: おこき
~第二幕~
23/76

第21章

 ノーションから月花の魔力供給を手助けする魔石を条件に、追手を撃退して欲しいとの依頼をされたリオン。

 この依頼を簡潔に糞帰りのセレネへ伝えたところ。


「追手退治か。リオン、頑張るんだぞ……生身でも諦めなければ、例え相手がメタルフレームでも勝機はある」


 と、親指を立てて幸運を祈られた。遠回しに死んでこいと言われた。

 当たって砕けるレベルではない。近づいて踏みつぶされるレベルだ。そう、当たる前に死ぬ。


「お前も頑張るんだよ! 月花の魔力消費を軽減するためには、あの石が必要だ」

「そ、そうなのか? あいつは魔力で動いていたのかー。なら、その石が必要だなー。それならそうと早く言ってくれー」


 サウザンドが魔力もなければ動かないことはセレネとて知っているはずだ。

 少し戸惑った後、棒読みになり、やれやれと(てのひら)を上げるセレネ。悪戯がバレた子どもの様な反応だ。

 その様子を見てリオンは、目を見開いて詰め寄った。本気で彼女のことを心配しているリオンにとって、はぐらかされてはいけない内容だ。


「真面目な話だ……しっかり聞いてくれ」


 更に一歩詰め寄る。セレネの石鹸(せっけん)みたいな匂いがする距離。


「昼間、お前を変質者と言ったことか? そう、怒らないでくれ。女は鈍い方が可愛いと言うだろう? あれが“天然”という技だ。どうだ、効いたか?」

「そんなこと聞いてねぇし、効きたくもねぇ! お前は、もう十分天然なんだよ。それ以上天然を極めたら悟りの境地だな! そんなことじゃない。俺に何か隠しているだろ。それもかなり重大なことを」


 更に一歩詰め寄る。瞳が確認できる距離だった。

 セレネはその蒼い瞳を泳がせて動揺しきっている。セレネが動揺したのは、食料を食べ過ぎたことを言及した時ぐらいだったが、今回はどこまで逃げても見逃すわけにはいかない。


「……腹が減った。何か食おう」

「はぐらかすな。お前に関わる大切なことなんだ。もう、ノーションさんから聞いたぞ。お前……魔力、後どれくらい残ってんだ?」


 肩で息をしながらリオンは我に返る。少女の両肩を捕んでいる手が肩に食い込んでいたからだ。セレネも脅えているようにみえる。ウインド村で暴行を受けてもケロッとしていた彼女が目を潤ませている。


「手が痛いぞ。ぅうん……残っている魔力がどれくらいか自分でもわからないんだ、本当……だぞ? 私は記憶が無い、魔力の扱い方も忘れている。でも、月花は悪い奴じゃない。だから、問題無いんだ。……お前は気にしなくていい。このまま旅も続ける」

「続けれるわけねぇだろ! 続けるなら、月花を売ることも考えなくちゃいけ――」

「ダメだ!! 月花は一緒じゃなきゃダメなんだ! ……それが無理なら私は一人でいい」


 言い終わる前に蒼髪の少女が怒鳴る。

 彼女がこれ程にまでリオンに怒りの表情を見せたのは初めてのことだ。

 はっと我に返り、悲しそうな眼差しを浴びせてくるセレネを見ると力が抜けた。

 セレネは月花に固着し過ぎている。MF乗りが自分の愛機に寄せる愛着を通り越し、呪いじみたものさえ感じる。

 あの蒼い機体が彼女に一体何をしてくれるというんだ。人殺しの殺戮兵器が、主の生命力を奪う殺人兵器が。

 MFに対してこんな感情が芽生えると思ってもいなかった。相棒を発掘すると生き込んでいた自分はどこに行ってしまったのか。

 リオンはセレネの目と鼻の先で口論している。

 こんなに近くに彼女の顔があると上手く思考が回らない。しかし、言葉が出てこない理由はそれだけではないのだろう。

 自分の中に理解できない感情が渦巻いている。悔しいでも、憎たらしいでもない。

 ただ怒りにも似た感情。

 こんな悲しげな顔をさせてしまった自分には確かに怒りを覚える。

 だけど、あの機体にはそれ以上の。


「……なんでだよ。アイツがお前に何をしてくれるんだ!」


 機械を信じて自分は信じてくれない。

 一度だけ姿を見せてアレっきり音沙汰ない機械をどうしてそこまで信用できるのだろうか。アレは間違いなく危険なものだ。

 だから……だから。セレネを守るためには。


「っ……痛い」


 俯く少女から弱々しい声が漏れる。その声で今自分がしていることを認識した。

 力を入れ過ぎたら折れるんじゃないかと思うセレネの華奢な肩に残った自分の手形を眺め、


「……ごめん」


 独り言のように言うのが限界だった。

 セレネは何も言わずにただ、黒髪の少年を眺めている。その相手を気遣う視線が、リオンをより不快な思いにさせているとも知らずに。

 少年の背後では、腕を組みながら忙しなく人差し指を動かす女性が、眉をイライラと動かしている。

 話が進まないことに我慢できなくなったノーションが肩をすくめて間に割って入った。


「余計なお世話だったみたいね、ごめんなさい。私がリオンにあなたと月花の異常さを話したのよ。あなた達のプライベートに首を突っ込むわけじゃないけど、あなたがいくら凄いタネを持っていたとしてもね……あの機体にそのまま乗っていれば普通、死ぬのよ」


 最後だけ先生のような口調に変えて、少女の様子を見るポニーテールの女性。

 セレネは窓の外を見て聞こえないフリをしているが、聞き耳を立てていることがうかがえる。


「そこで悪い話じゃないと思って、魔石の取り付けを提案したんだけど単刀直入に言うわ……完全に私たちの都合よ。魔石を取り付けて私たちの追手を撒いて欲しいのよ。時間稼ぎだけでいいわ。私たちの【アルテミス】じゃ、逃げることが関の山。今朝みたいに騙し打ちができるとも限らないしね。その報酬として搭載した魔石はあげる」


 逃げ失せたノーションに魔石を返却する術などないのだから、報酬を考えると破格のものになるだろう。

 リオンの肩に手を置きセレネから距離を取らせる金髪眼鏡の女性。


「あなた達の月花は敵のMF達に遅れをとっていない。見たところ、一対多数を前提に規格されているMFだし装甲も厚い。コソコソ隠れて奇襲する輩には天敵なのよ」


 セレネの周囲をゆっくり歩きながら視線を逸らさないノーション。

 彼女にとって魔石の譲渡は大きな出費に違いないが、このまま滅多に出会えない大きな戦力を利用しない手はないのだ。

 今朝、襲撃を受けたということは敵の準備が整い次第再度襲われる。追跡を振り切るか、追跡者を葬るかノーションに選択肢はない。

 機体自体に欠陥はあるが今時、あれだけ性能が高く状態の良いサウザンドを保有している民間人は交渉が困難なプライドの高い素人の金持ちか軍人ぐらいだ。

 魔石を搭載することで月花が“兵器”として利用できるのなら安いものであろう。

 髪を研ぎながら考え込んでいるセレネの蒼い瞳をジッと見つめ、決断を迫るノーション。


「セレネ……何をそんなに悩んでいるんだ? お前、魔力が無くなれば死ぬんだぞ! 俺はノーションさんに魔石を取り付けてもらうべきだと思う」


 怒りに等しいリオンの声がだんだん弱くなっていき、最後には虫の無く声より小さくなった。言っている間に少女の息絶える姿を想像したため気分は最悪だった。

 大抵のことを許容してしまいそうなセレネ。その彼女が嫌だと言うからにはそれなりの理由があるのだろう。魔女にしか理解できない何かが……。

 

「どうかしらセレネ? 急なお願いで悪いんだけど、追手退治をやってくれないかしら?」


 ノーションは窓に腰かけ足を組む。セレネの命に等しい魔石をチラつかせて。

 そして、脅迫にも等しい鋭い金色の瞳で蒼い髪の少女を捉えた。 

 ドクターMと正反対の性質を持つノーションは容赦がない。

 己の目的のためなら多少の犠牲は止む負えないと眼で訴えている。

 その彼女の視線にも動じずセレネは淡々と言った。

 

「飯の恩もある。気が進まないが、追手退治……やってもいい。でも、知っておいて欲しいことがある」

「知っておいて欲しいこと……何かしら?」


 生唾を飲み込むノーション。

 セレネはボスッとベッドに腰を降ろしそのまま寝転ぶ。そして、交渉決裂間違いなしの台詞をぼやいた。


「私たちは戦い方を知らない。恐らく時間稼ぎにもならない。戦闘なんてしたら殺されるだけだ。だから、リオンは【アルテミス】に乗せてやって欲しい」


 セレネの言葉をゆっくり噛みしめるように聞き入れ、嘘だと言いたげな表情で黒髪の少年に向けるノーション。

 笑っているが明らかに怒りを秘めた表情にこう書いてある。

 “説明しろ”と


「は、はい……俺達、戦いなんてできません」


 沈黙が流れた。

 隣の部屋のドアがバタンと閉まる音が、やけに大きく聞こえるぐらいの静けさ。嵐の前の静けさというべきだろうか。


「アッハハ! そうなの? 戦い方、知らないの? アッハハハ!」


 いきなり笑い始めるノーション。何故か涙を流しながら笑っている。頭の打ち所が悪かったのではないかと真剣に心配するリオン。

 ノーションが聞き間違をしているのではないかと思い、確認のためにもう一度言う。


「あの……俺達、戦うなんてできません。どうやって追手退治を――ぎぇゃぁぁ!」


 次の瞬間、リオンの顔が潰れた。

 何かが物凄い速さで、顔面に飛んできたのだ。

 ドシャリと落下したのは“メタルフレーム戦闘論”と書かれた分厚い辞書のような本だった。上半分がへしゃげているが、これはリオンの顔面と深々とディープキスした結果だろう。

 へしゃげたてほやほやの辞書には血痕が付いている。


「これでメタルフレームの戦い方、わかったかな? 次はこの本を……頭に! 詰め込んで! あげるわ!」

「ノーションさん? ムリです、ムリムリ……そんなの入らなっ! ぐあぁぁ!!」


 手に持った“マジョリティー理論”という名の辞典クラスの分厚い本が後ずさりする幼気な少年の顔面に突き刺さった。


「戦えないヤツが追手退治なんてできるかぁ!! じゃ、何? あのパイルバンカーも重装甲も大型ブースターもアンタの趣味? いかにもやりますみたいな顔しちゃって、もっと最初に戦闘はできないって言いなさいよ! まさか私を騙して魔石だけ取り付けさせるつもりだったのかしら? 許せない、腹と背中にトンネル開通させるわ」


 物騒な宣言をして投げるモノを探すノーション。万が一、開通式が行われた時リオンは死ぬ、絶対に死ぬ。

 あれだけあの機体にこだわるセレネの様子から、長年愛用してきた愛機であると思っていたノーションが、当然彼らが戦闘も難なくこなすメタルフレーム乗りだと思っても無理はない。

「もう一人の私だ」という発言とセレネの無駄に自信のある物言いは……なるほど傭兵とまではいかないにしても、そこそこの賞金稼ぎか手練の旅人には見えていたのだろう。

 肢体に備わった四本のパイルバンカーに重厚な蒼い甲冑、そして六つの大型ブースター、月花は外見からしても殺戮兵器を体現した風貌。加えて、月花を乗り回しても生きているという人外魔力の持ち主セレネ。

 この条件から叩き出されるセレネとあの蒼い機体の戦闘力は、計り知れないと踏まれる。

 確かに少年少女の戦闘力は計り知れなかった。

 戦闘ド素人なのだから計りにも乗っていない。間違いなく計り知れないだろう。

 周りの光を全て眼鏡のレンズに吸いこませ、ノーションが不気味に笑っている。

 室内も外同様の暗い雰囲気が漂った。眼鏡が輝いている、月が嫉妬する程の輝きである。


「や、止めて下さい! 今、羽の生えた人が俺の手を引っ張り上げている幻覚が見えました! 次、食らったら、なんか持って行かれますよぉ!!」

「逝くのが早過ぎるないかしら? これから私の気が済むまで色々なモノをあなたにブチ込む予定なんだけど……付き合ってくれるわよね?」


 蜂蜜のような甘ったるい声で金髪の悪魔が少年を誘惑する。

 頭の可愛らしいポニーテールも、今はただ怖いだけの悪魔の角だ。

 悪魔の可憐な右腕には、次弾が装填されていた。本のタイトルは“タワシとMFと資本主義”

 関連性が想像を絶するタイトルだが、弾としての性能は想像できる。当たれば今度こそ首の骨が折れるであろう。


「いい? 魔力を使えばこゆうふうに、魔力放出で辞典を弾丸のように扱うことも可能なのよ? 邪道で野蛮だからプライドの高い魔術師は使わないけど、私がそんなプライド持っているようにみえるかしら?」


 ノーションを起爆させたセレネは、ボーっと枕を抱きしめ、ベッドの上から事態を見守っている。

 リオンは、冷や汗を流しゆっくり相手の出方を見ながら後ずさる。残念ながらガラス張りの窓があってそれ以上、逃げることができない。

 魔術とは魔力を術として扱うことの総称なのだから、ノーションの使う“弾丸飛ばし”は正確には魔“術”ではない。ただの“魔力放出”だ。

 普通の魔術師からすれば、魔力を魔法陣や術式に送り込む時に使う魔術の基本だが、彼女はそれを武器へと昇華させてしまった。

 魔力放出を極めた彼女が行う放出は、あらゆるものを吹き飛ばすスイッチ、銃のトリガーを意味する。


「土下座……」

「――え」


 振り返るノーションの声に我を失うリオン。

 怒るノーションも怖いのは怖いのだが、スイッチが入ったかのように“恐い”に切り替わった。

 

「いいから早く! 土下座しなさい!」

「はは、はい!! すみません――」


 轟音と共に凶器を発射するノーション。ガラスを突き破り、何かに衝突してバタンと外に本が落ちた。

 破れた窓から夜風が吹き込みカーテンを揺らしている。


「――でした!!」


 恐怖から土下座をすぐさましたリオンは何が起きたか理解していない。

 少年の後頭部を“タワシとMFと資本主義”が通過して行き、何かに当たったことも知らない。ただ、ガラスの破片が周辺に飛び散っていることだけ理解できた。

 ノーションの勘違いが無力な少年少女を裏の世界へと導こうとしている。

 戦闘ド素人がノーション達と関わりを持つべきではなかったのだ。昼間現れた襲撃者が個人で高性能のサウザンドを何機も保有できるはずがない。

 彼女達を追っているものは強力なバックボーンがあると推測することは簡単であったはず。

 そしてその人物とコンタクトを取り続ければ、牙がリオン達に向かう可能性だって考慮できたはずだ。

 研究者達の興味本位でとった軽率な行動から全てが始まっていた。力の無い少年と少女は身に覚えのない敵から殺されかねない事態に首を突っ込んでいたのだ。

 

「チッ……」


 窓の外を見つめて、憎たらしさを込めた舌打ちをしたノーション。せめて一時間前に彼女がリオン達を戦闘ド素人と知っていれば引き返させることも可能だった。だが、もう遅い。

 敵はすぐそこ……窓の外にいる。


「やばいわね。戦える戦えない関係なく、もうあなた達を巻き込んじゃってるわ。たぶん今回は洒落にならないわよ。チッ、まだ動くな! しばらく土下座してなさい! 鉛玉ブチ込まれて本当に死ぬわよ!」


 顔を上げようとするリオンに怒鳴りつけるノーション。言うや否や、部屋の電灯が消えた。


「うわぁ! 電灯が……ノーションさん。な、何が起こっているんですか?」


 床に顔を付けたまま慌てるリオンに食べ物の名前を教えるお姉さんのような口調でノーションが言った。


「何って――」


 シガレットケースから取り出したタバコを咥える。

 入れ違うように鏡のようなメッキをしたライターを取り出し、ヘッドを片手で器用に空けて、瞬きする間にタバコに火を付けた。

 眼鏡を外す金髪の女性。そのポニーテールは金糸を思わせる。

 タバコを吸うのは仕事の合図、眼鏡を外すのは殺しの合図

 それが彼女の癖でありスイッチだ。

 非常事態だと言うのに長身を曲げず堂々と窓の外を見ている軍服姿の女性。しかし、軍人と呼ぶにはあまりにも……そう、あまりにも道を違えていた。

 腕力が期待できない華奢な腕からは溢れんばかりの魔力が滲み出ており、眼鏡を外した瞳からは殺気に色が付いたような金色の眼光がほとばしる。

 いつもの工程を経て数秒で準備は整った。


「――殺し合いよ、殺し合い」


 モデルのようなシルエットからは背筋が凍るような影が伸びている。

 魔力を送りこんで視力を強化。視力を数倍上げての索敵を開始。

 しかし、ノーションは自身の癖から徹底的なミスを犯していた。

 暗闇の室内に浮かぶタバコの火――赤い点が丸見えなのだった。タバコの火がノーションの頭部の位置を教えてしまっている。

 外で獲物の動きを観察している集団がそれを見逃すわけがない。

 向かいの屋根で待機していた狩人が必殺の一撃を発射する。

 ――それが彼女の狙いであったとも知らずに――

 赤い点を目掛けて放たれた一発の銃弾。まさにこの時を待っていたと言わんばかりの的確な一発がノーションの頭部を目掛けて突入してくる。

 ガラス窓の骨子を通り抜け、金髪の女性の顔を抉ろうと風を削り勢いを増す螺旋。


「魔力開放――魔力放出……ブチまける!!」


 予測していたとしか思えない程素早く、華麗なる詠唱……もとい、ただの品の無い台詞をブチまけたノーションが、右腕から膨大な魔力を放出させ、銃弾を部屋の窓ごと弾き飛ばす。


「……軍に勘付かれる前に始末しないとね」


 軍服姿の女性は自分が囮になることで、少年を狙われる最悪のケースはクリアした。

 後はストーカー共にお灸を据えればいい。今の一撃で、少し相手も出方を考え直すだろう。

 MFならば遅れをとるが、生身の戦闘なら周回差をつける自信がノーションにはあった。

 対魔術(アンチ・マジック)装甲さえなければ、MFが相手でも負ける気はしないというのがノーションの持論である。

 ノーションは金の髪を豪快に掻き上げて、土下座したまま動かない少年をフミッと踏み台にし、綺麗さっぱり無くなった窓をまたいで外に出る。

 先ほど射出した本に直撃して、サングラスが砕けた短髪、民族衣装の男が道で倒れていた。

 一般人を装いこの部屋の人間を強盗でも押し入ったかのように殺す気だったのだろうか。

 更なる魔力放出で大の男を路地裏へと吹き飛ばす。

 土まみれになった男を足の先から頭の上まで眺めて由々しげに踏みつけるノーション。


「ぐっ、……人形……めぇ」


 憎しみを込めた眼差は灰色の軍服を着て気だるそうにタバコを吸う金髪の女性を写していた。

 大人の男性の低い声、恐らく過酷な試練を突破した優秀な兵士だろう。声に重みを感じる。

 ノーションは敵である男が生きていることを喜んだ。彼の仲間が彼を見捨てて逃げれば、楽しいパーティーに招待してあげるつもりだからだ。

 楽しくて、嬉しくて、涙と(よだれ)と叫び声が絶え間なく人体から垂れ流し状態になるパーティーを。

 手厚く歓迎すれば、勢い余って仲間の居所を教えてしまうかもしれない。この屈強な男が。この頑丈そうな男が。この頑固そうな男が。想像するだけで胸が高鳴るではないか。

 それにこの強情そうな軍人顔……上からの意見をそのまま鵜呑みにして何人もの人間を殺して来た人間の顔だ。

 ペンダントの“彼”に死ねと命令をした上層部、それを疑い無く実行し、実行させる軍人。

 吐き気がする。 

 自分も何十という人間を殺して来たがいつ見ても軍人というものは、胸焼けを誘う。

 一時間でも一日でも一週間でも、いたぶり首謀者の元へ生首を届けてやろう。そんな盛大な計画を考えていたノーションは辺りの視線を感じた。

 舌打ちを更にする。

 今日は舌打ちを何回しただろうと冷静に考える一方で、この状況を打開する手法を考え付くだけ頭に並べる。

 一般人の波に紛れこんで、襲撃者がこちらを見ているのだ。

 まだ、夜の十時である。小さな村とはいえ、それなりに栄えているこの村は近々、街へと名前を変える予定だ。

 夜更かしをする若者、飲み倒れている大人、夕食を楽しむカップルなど人は今でも多い。

 窓を吹き飛ばして路地裏に男を連れ込めば野次馬が湧かないわけがない。


「不味ったわ」


 敵のターゲットは自分。

 自分のターゲットは何人いるかわからない。昼間の襲撃から最低五人以上。

 通りに敵が潜んでいる。この何十人という単位で行き来するこの大通りにまんまと誘き出されたというわけだ。

 いくら魔術師でも背後から斬られたり、頭を撃ち抜かれれば死ぬ。

 かといって防御魔術を展開し続ければ、魔力を消費し過ぎ必要な時に魔術が使えなくなる。


「……さすが“帝国の隠密部隊”さん。舐めるんじゃなかった」


 ここにいる無関係の数十人と紛れこんでいる標的数人を殺すのは容易いが、虐殺が共和国軍に見つかるとマズイ。

 共和国軍はかなりいい加減な組織だ。

 首都圏ならばまともな軍人もがいるだろうが、この辺境の地に追いやられている軍人は人間的にも社会的にもカスだ。公の力がなければ何もできない、二の次には「軍に刃向かうのか!」と吠える犬共である。

 ウジ虫から進化した犬は考えることが汚い。

 それがこの国の軍であり、戦争から得た平和の果てだ。

 平和は人を腐らせる

 戦争は人を狂わせる

 万が一、そんなロクでもないウジ虫に捕まれば、何もしていなくとも永遠の奴隷犯罪者としての烙印を押されるだろう。

 ただでさえ、この近辺を統括している軍人の質は悪いことで有名だ。

 指一本触れる前に軍人はこの女性に殺されるだろうが、軍人をこんな公の場所で殺せばそれこそ彼女は国に追われる犯罪者となる。

 敵は一匹ずつ丁寧に殺さないといけない。

 誰の目にも付かず、誰の助けを呼べない状態にして存在を抹消する必要がある。 

 人ごみを三六〇度見回し、怪しい人間がいないかチェックする。

 相手はプロだ。そんな目立つ人間に化けているわけがない。疑えば疑う程、周りが全員敵だと思い込んでしまう。

 疑心暗鬼、被害妄想。

 周りの人間全員から見られている気がする。周囲の人間全員が自分を殺そうとしている。そんな心理状況に陥りそうになる。

 だが、実際はただ、「これからどう彼女を落とすか」、「今日もいい一日だった」、「居酒屋のやつが気にいらねぇ」など、何気ないことを考えて道を歩く無力な人間ばかりである。

 いくら訓練を重ねた帝国軍の隠密部隊でも生身で彼女には勝てない。彼女もまたセレネと同じく人間ではないからだ。

 一般人四人分の魔力タンクを持つ人工的に作られた特別な存在である。しかし、直接戦うから負けるのだ。

 隠密らしく、寝首を狩ればただの女――ただの人形――

 ただ、魔術師の寝首を狩るのはほぼ不可能だ。魔術による探知やトラップが寝床にまかれているため、暗殺成功率はかなり低い。

 ならば、トラップにはめて背後から殺す。遠方から狙い撃つ。

 敵が逃げ失せると踏んで外に現れたノーションだったが、殺意のある視線は、人影や屋根、小屋の影からこちらを突き刺す。

 逃げる気など更々ないと言った様子だ。どうやら、ここで寝ている彼は部隊にとってもう用済みらしい。

 本で顔面を打ち抜いた男の腹には爆薬が巻き付けられていた。


「ねぇ、カミカゼ……だったかしら。たかが人造人間(ホムンクルス)一体に必死過ぎるわね」

「っく、はぁ……はぁ、があぁ!」


 ノーションは野次馬に聞こえるよう甲高い声をあげた。


「あなた! これで何回目だと思ってるの!? あの女は誰ッ!! もう、私たちは終わりよ!!」


 勝手に納得した野次馬が散り散りに去って行く。

 そんな中、激痛で息すらまともに出来ていない隠密の男を見下ろしながら悪魔が笑っていた。

 身動きが取れないよう鳩尾(きゅうび)に魔力放出による圧力を掛けているのだ。

 声なんて出せるわけがない。

 緩急を付けて魔力を込めているとバッキと醜い音と共に地面ごと陥没する男。

 胸板がペラペラになった男は路地裏で永眠に入った。

 口に咥えた煙を肺いっぱいに吸いこんで、吐き出し、ついでに一言吐き出す。


「で、次は誰が――浮気してくれるのかしら――」


 魔力放出を極めた例外的な魔術師がニタリと笑う。霧の様な白煙が舞う中、魔女と勘違いされても仕方がない程……残虐に。

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