第16章
焼け崩れた小屋を目の前にした。
振り返ると普段は見えない広場が一望できる。カーストの家が崩壊しているため、最初はここが自分の家だと気が付かなかった。こんな骨組みが剥き出しの我が家は今まで見たことが無かった。
村の地形は意外な程デコボコしている。知らない土地に足を踏み入れたのではないかとさえ思う。昨日まで、人が暮らしていたとは想像もつかない荒れた土地。どこからが村で、どこからが荒野なのかを判断するものは土の色だけだ。
「リオン……」
セレネがリオンの背中を眺めて悲しそうに呟いた。
リオンは今何も考えていない。考える余裕が無かった。
「……親父。あんたのガキも結局、同じことをしたよ」
魔女と呼ばれる少女と父の眠る山に逃げ込み、最後には村が焼けた。父親とは違うと言い聞かせていた自分は結局、何も守れなかった。
ただ一つだけ違うことがある。村を救ったのが帝国軍ではなく、側にある蒼い機体であったということだ。
これはとんでもない兵器だった。たくさんの人間を殺したが、村人が生き残るためには仕方がないことだったのかもしれない。それでも、それが正しいかなんて少年にはわからない。
殺さずに盗賊団を退けるだけの力が月花にはあったはずだ。それなのに月花は殺した。人間を“悪”と言い、星を守ると叫び。
「なぁ、セレネ。 お前は親父のことを知っているのか? あいつが何をしようとしていたのか知っているか?」
「すまん、私にはわからない。 お前の父親と私が関わっていたとしても、今の私にはそれが思い出せない。 カーストや神父が言っていたように十年前に私が村に来たということも思い出せない。 私は私のことがわからないんだ」
すまんと謝るセレネ。それに対して謝るリオン。
リオンは月花を見上げた。
「生きるって大変なんだぜ? 人間恨んでるなら殺すよりも生かす方がよかったと思うけどな? 機械のお前にはわからないよな! おい!答えろよ!」
物言わぬ機体に嫌味を言う。あれっきり月花はセレネに乗り移らない。
月花は召喚と言っていた。喚起ではなく召喚。
召喚とは超越的存在(神や天使など)に呼びかけ、来臨を願うことだ。
喚起とは下位の存在(四精霊や悪魔など)に命令して、呼びつけること。
月花は超越的存在であるということが、ここからわかる。しかし、超越的存在があれだけの虐殺をするだろうか。あれでは悪魔だ。とても神や天使の類ではない。呼び寄せたセレネ自身も何故、月花が呼びだせたのか原因がわからないままだ。
そもそも、召喚陣が無いのに召喚魔術が行える時点で異常なのだ。いくらセレネが魔女といっても術式がわからない魔術が使用できるだろうか。
あいにく魔女の知り合いはセレネしかいないためその点は不明だ。
魔術に対して無知の自分が恨めしい。
「謎ばっかり残しやがって!」
やり場のない感情を地にぶつける。
言うまでもないが、生きる方が大変なのだ。魔女狩りのために村に残っていた男達のおかげで、奇跡的に救出されたカーストとトングだったが、メタルフレームによる激戦が繰り広げられる中、安静にする場所が見つからず西の洞窟に運び込んだ頃にはトングが息絶えていた。
トングの妻はこれから生まれてくる女の子を一人で育てていかねばならない。住む家も財産も何も無い状態で、子育てをしていくことになったのだ。一瞬で殺してもらえた盗賊よりも、明日死ぬかもしれない状態で生き続ける村人の方がどう考えても辛い。
生きていれば何とかなる。それは身の安全が保障されている状態で初めて効力を持つ言葉。どれだけ懸命に生きていても明日死ぬかもしれないし、一時間後に死ぬかもしれないという不安の中では何を言っても偽善にしか聞こえないだろう。
昨夜は酷かった。
脅える者、家族を探す者、死のうとする者さえ現れた。その中で、命からがら生き延びた者もいたが治療する術がなく息絶えた。トングはその一人にしか過ぎない。
盗賊達から取り戻した食料でしばらくは過ごせるかもしれないが、夜の寒さを防ぐ家がない。洞窟で風は防げているが、5日間も暮らせば体の弱い人から倒れていくことだろう。
共和国軍へ救援要請を出したため、後数日すれば軍がこちらに到着するだろう。
領土という建前上、何かしらの援助はあると思うがどこまでしてくれるかわからない。
「戻ろう。 ここには何もない。 これだけ見回って誰も見つからないんだ……」
セレネが少年の肩にそっと手をやる。セレネとてここに長く居たくなかった。
自分には力がある。しかし、使い方がわからない。さらに、守る力ではなく、侵す力しかない。使えば使う程、人々から笑顔を奪う力。
記憶が戻ればこれらの悲劇を打破する奇跡の魔術を使用できるかもしれないが、相変わらずメモリーは空だ。悪魔と契約した魔女とはよく言ったものだ。
魔術が使えない魔女に存在価値はあるのだろうか。
自分が魔女であるということはもう理解した。しかし、何をするべきなのかわからない。
セレネはリオンを月花に乗せて、西の洞窟まで戻った。
月花が体を使用してから、セレネは自然とこの機体の操作がわかるようになっていた。と言っても、昨夜のように一機で盗賊団を仕留める程の操縦技術はない。せいぜい移動させるぐらいの理解である。
洞窟に戻ると赤ん坊が泣く声や、子どもたちが喧嘩する声が鳴り響いていた。疲弊した心にこのノイズは好ましくない。
大人達も徐々に余裕が無くなってきている様子がヒシヒシと伝わってくる。
「また泣いているのか? いい子だから静かにするんだ。 あ……」
セレネが頭を撫でようと一歩赤ん坊に踏み寄ると、母親が一歩下がる。足を震わせ、今にも赤ん坊を持ったまま崩れ落ちそうである。彼女は生で見ていたのだ、月花が盗賊を串刺しにする瞬間を。
「また泣いているのかい? 私に貸してごらん。 ほら、どうしたのさ? お母さんがそんな顔してたら、この子だって不安になるだろ」
ナタリが間に割って入り、何事もなかったかのように赤ん坊をあやし始めた。
「セレネ、そんな怖い顔してちゃ子どもはあやせないよ。 笑いな。 アンタは可愛いんだから笑っている方がいいんだよ。 そうだセレネ、お腹減っただろ? ご飯あるから食べておいで。 あ、食べ過ぎちゃだめだよ?」
赤ん坊を抱き抱えながら笑顔を向けるナタリ。セレネはこくんと頷いてその場を去った。
パンと牛乳そして、握り飯が皿に置かれていた。恐らく、握り飯はナタリがセレネのために余分に付けてくれた貴重な食べ物だ。
月花を使って救助作業をしたり、怪我人を何度もこの洞窟まで搬送したため、セレネは疲労が溜まっていた。物を食べる時間すら無かったので、食べ物を見ただけでよだれが垂れそうになっている。
ふと目をやると、隣から物欲しそうに女の子が食べ物を見つめていた。
「く、く、食うか?」
今度はできるだけ笑顔を心掛けて声をかけるセレネ。四~六才と思われる女の子は首を何度も縦に振り、きらきらした目でぎこちない笑みのセレネを見た。
「食べていいぞ……私は腹が減らないんだ」
「“まじょ”だから?」
ボロボロの服を着た短髪の女の子が強張った顔のセレネをまじまじと見て聞く。
「そうだ、私は魔女だからな!」
「なら、わたしも“まじょ”になりたい。 もう、お腹減るのいやだもん」
手に腰を当ててセレネが威張る。
女の子は無邪気に笑ってセレネの側に座り込み、パンを小さくちぎって食べる。セレネは、懸命にパンを食べている女の子の姿を見ながら頬が緩ませた。
が、気を抜いた瞬間、きゅるるとお腹が鳴る音が漏れる。
「あぁ! うそつきだ! お腹減ってるぅ!」
「あぁ、嘘だ。 本当は死にそうなぐらい腹ペコだ、半分くれ」
女の子は首を横に振って、パンをセレネの口に突っ込む。
「んが、たべぇないのかぁ?」
ふごふごとパンを口にくわえたまま女の子を見る。
「だってぇ、お姉ちゃんがお腹減ってないって言うから食べてあげようとおもっただけだもぉん。 お腹減ってるなら私はいらないもぉん」
セレネのように口を膨らませてふて腐れる女の子へ、握り飯をお返しとばかりに口へ突っ込む。
「おぁん!? んがんが」
「んが、んぅんが」
「お前ら、何やってんだよ?」
呆れた口調でリオンが間に入る。手にパンと牛乳を持っている様子から、食事を取りに来たということだろう。
「「んがんがぁがぁ、あっ」」
「物を飲み込んでから喋れ、窒息すんぞ?」
少女二人の頭に弱めのアイアンクローをかまし、リオンは笑う。
まだ、村の平和だった頃の気持ちはここにある。この気持ちがある限りウインド村は無くならない。リオンはこの少女達を見ていると少し希望が持てた。
「こぉら、女の子を苛めちゃダメでしょ?」
リオンの頭が本家本元のアイアンクローに捕まれる。両手で。
「いだぃいだぃいだぃ! 姉ちゃん、なんで両手なんだよ!?」
「割れるかなぁと思って……」
「俺の頭をリンゴか何かと思ってるだろ!? 弟にする仕打ちじゃねぇよ」
照れ笑いをするマリアが頬に指をついて首を傾げる。
弟の影で顔がよく見えていなかった女の子に目がいき、マリアは溜息を吐いた。
「サキちゃん、神父さんが言ってたことちゃんと覚えているかな?」
マリアは女の子の名前を呼んで同じ目線まで腰を降ろし、今は亡き神父のように聞いた。
「おほしさまになるために人は生きるんだよ」
「そう、そうだね。 サキちゃんのお母さんね……お星様にね、なったんだよ。 だからね、褒めてあげ……ようね」
マリアはサキを抱きしめて泣くのを堪えた。「えらいえらい」と楽しげに口ずさむこの子の家族は、もう誰も残っていない。さっき程、看とった母親が唯一の家族だった。この洞窟では大きい怪我の治療はまず不可能だ。痛み止めがないまま、壊死した足を切るわけにもいかないし、誰もそんなことできない。神父が生きていれば、少しは死者が減らせたかもしれないが後の祭りである。
リオンは、マリアが泣いているのが見てとれた。泣き顔を見せまいと洞窟の壁側を向いてサキを抱きしめているのだ。
しかし、肩の震えや鼻をすする音はマリアは隠し通せなかったらしい。
「姉ちゃん、ちょっと相談があるんだけど……」
深刻そうな顔をしたリオンが首を洞窟の外に向けて合図を送る。
振り返った姉はいつも通りの笑顔だった。
◇
「ん? どうしたの? 改まって」
外は相変わらずの青い空と強い日差しだった。村は無くなってもこの風景だけはそのままである。
マリアはある予感をしていた。リオンが左上に視線を泳がせているからだ。
「あのさ……俺さ――村、出るよ」
この言葉はマリアが望んでいなかったことなのだろう。笑顔が一瞬で凍りついたのだ。しかし、受け入れさせるべきなのだろう。リオンはもう一七歳だ。旅に出るには遅すぎるという人もいるであろう。
「いいんじゃない? リオンの人生はリオンのものだよ。 お姉ちゃんのことは気にしないで大丈夫だから」
凍りついた笑顔をどうにか解かして、突き放すように言葉を発する姉。
今では背伸びをしないと手が届かなくなってしまった弟の頭を見ながら遠い目をするマリア。父親が生きていた頃、姉の後ろに隠れていて頼りなかった弟は、母親が死んで以来変わった。
何かを守ろうと、守りたいと頑なに英雄というモノを追いかけるようになったのだ。姉を追いかけていた男の子は、自分の夢を追いかける男になったのだ。
姉は追いつけなくなれば手を貸してくれる。しかし、夢は手など貸してはくれない。
姉を追いかけることから卒業できた弟と姉の距離はちょうど頭一つ分程度だ。弟が少し大きくなり姉がぬかされた。これからもそれは変わることが無い。
「リオン、大きくなったよね。 昔は、私の背中に隠れれるぐらいだったのに……今は私が隠れちゃう」
「姉ちゃんのおかげだ」
旅立つ彼には向かう場所がある。だが、帰ってこれる場所は無い。
「帰ってこれる場所がなくなっちゃったね」
「ウインド村は、ずっとここにある。 人が生きている限り村は無くならない」
泣きそうな声でリオンが声を上げた。
その言葉を聞いてマリアは何かを決心したように優しく微笑む。
家も金も何も無くなってしまったが、彼が帰ってくる場所をここに作り直すことはできるのだ。また、十年かかるかもしれない、また盗賊が来るかもしれない。しかし、ウインド村の人間がいる限りこの場所はウインド村なのだ。
軍が整備してくれれば、また住めるようになる。仮にも今は共和国領土なのだから、何もしないということはないだろう。それに盗賊に襲われたことは紛れもない事実。盗賊が野放しにされていて、村に何の援助も無かったこと今までの扱いを本部から送られてくる軍人へ指摘すれば、今より待遇はマシになるかもしれない。
「姉ちゃんも旅に連れて行きたい。 でも、また……危険な目に合うかもしれない。 姉ちゃんにはもう危険な目に合って欲しくない。 それにあの騒動を起こした張本人達がここに残るとまた危険な目に合う……皆も俺たちを怖がってるし」
「セレネには話したの?」
「いや、姉ちゃんが最初だ。 たぶん、あいつは賛成するだろうし、あのメタルフレームのこともあるからどっちにしろって感じかな。 カーストのおっちゃん達には後で言いにいくよ」
「……そう。 確認していないのにセレネが賛成ってわかるのかぁ。 お姉ちゃんがリオンの考えていることがわかるのと同じなのかなぁ」
拗ねたように頬を膨らませ、片眼でリオンの様子を盗み見るマリア。明るい声を出してはいるが心の中は決してそうであるとは限らないのだろう。下手をすれば二度と会えなくなるかもしれないのだから。
そんなマリアへ、リオンは後数日すれば軍は到着すると教えた。
つまり、セレネと蒼いメタルフレームが連れていかれる。恐らく、都心でもセレネのような魔女という存在はあまり知られていない。事実を知られれば軍人に何をされるかわからない。そして、リオンがそんなことを見過ごせるはずがない。そういう教育をマリアはカーストや村の人々としてきた。
用件を理解したマリアは用事を思い出したと言って、この場から逃げるように振り向く。
「姉ちゃん……」
「ん? なぁに?」
「今まで育ててくれて……ありがとう」
突き抜けるような青い空、雲もなくカラッとした空気が漂う。
この空模様ならば当分、晴れが続くであろう。
しかし今日だけは、二粒の雨が降った。




