74 サラ、皮肉を込める
抑揚のない冷たい声色が部屋に響く。
発した本人であるサラの瞳は、アンジェラだけを射抜いていた。
「マイアー、だったわね。大丈夫だからティーポットはテーブルに置きなさい」
「は、はい……っ」
主人の命令に背いたらどんな目にあわされるのかという恐怖があったはずなのに、サラの言葉にマイアーは逆らえなかった。アンジェラの脅しのような言動よりも、サラの言葉は胸の奥にぐっと入り込む。
コトン、とマイアーがティーポットを置いた瞬間、アンジェラはテーブルを叩くようにして立ち上がった。
「マイアー!! 私の命令が聞けないのかしらぁ?」
「もっ、申し訳ありません……っ、けれど私は……」
「アンジェラ様、少し口を閉じてくださいます? …………セミナ」
「はい。かしこまりました」
サラに名前を呼ばれただけで意図を理解したらしいセミナは、すぐさまマイアーの元へ駆け寄る。
セミナは優しくマイアーの背中当りをぽんぽんと叩くと、アンジェラから距離をとった。
アンジェラが「はぁ……?」と言いながら顔を歪める中、サラは次に手を出したまま立ち尽くしているティアを見つめる。
「カツィル」
「はい! かしこまりました」
続いてはカツィルもサラの意図を理解できたらしい。カツィルはティアのもとへ駆け寄ると、自身が持っているハンカチを彼女の手にそっと渡した。
「だ、だめです……アンジェラ様に逆らっては……っ」
「ティア、今はそんなこと心配しなくても良いの」
「ちょっとぉ!! そんなこととは何よぉ!」
「火傷にはなっていないと思うけれど、一応救護室へ連れて行ってもらいなさい。カツィルは場所分かるかしら?」
「申し訳ありませんサラ様……まだ把握できていなくて」
「まだ来たばかりだもの。仕方がないわ。それなら──ラント」
「は、はい……!」とどぎまぎした様子のラントは、慌ててサラの元へ駆け寄る。
「貴方なら救護室の場所分かるわよね? 悪いけれどティアを連れて行ってあげて。カツィルも付き添い頼むわね」
「かしこまりました!!」
そこからはまさに怒涛の速さだった。
カツィルはティアの手首を引っ張って部屋を飛び出すと、慌てた様子でラントもそれに続いていく。
迷子の子供のように涙目になっているマイアーも、セミナが空気を読んで部屋の外に連れ出してくれた。
パタンと扉が閉まりふたりきりになった部屋で、目をつり上げて怒りを表したのはアンジェラだった。
「私の物に勝手な真似はやめてくれなぁい?」
額に青筋を浮かべ、頬がぴくぴくとひくついている。
怒りの感情に笑顔をまとえていないということは、サラには声色で何となく理解できた。
「申し訳ありませんアンジェラ様。出過ぎた真似をしましたね」
サラは軽く頭を下げて、形ばかりの謝罪を行う。
サラの本心は何一つ悪いとは思っていない。どころか、こうなるのならばもっと早く助けてあげれば良かったとさえ後悔していた。
しかしアンジェラの言うように使用人を物として考える貴族は決して少なくはなかった。
再三になるが、エーデルガント侯爵家の使用人をエーデルガント侯爵の娘──アンジェラが何をしようと、マグダット子爵の養女のサラには口を出すことはできないのである。
だから一度は見てみぬふりをしようと思った。波風を立てない方がティアたちの為になると思ったからだ。
しかし、いくらなんでもアンジェラの行為は目に余った。あのまま止めなければ、サラは一生後悔していただろう。
「分かっているのだったらそれ相応の態度で示してちょうだぁい」
「と、言いますと」
ニヤリ、とアンジェラが口角をあげる。
「まだ床に紅茶が溢れているわぁ。きちんと丁寧に拭いてくれるぅ? そうしたら今回の件はチャラにしてあげるわぁ。ふふ、で、き、た、ら、の話だけどぉ」
出来るはずがないという口ぶりだ。それも当然である。普通の貴族令嬢がお茶会の最中に床を拭くことなんて有りえないのだから。
行動もその時の姿勢も、淑女としての矜持が疑われても致し方ないくらいだ。
しかし、出来るはずがないという高を括るアンジェラを前に、サラは迷うことなくコクリと頷いたのだった。
「承知いたしました。ならば、ティアとマイアーに今回の件でより虐めることもないのですよね?」
「……ええ、もちろんよぉ」
敢えて躾ではなく虐めるという表現を使ったのだが、一切指摘をしないアンジェラ。彼女にとっては大きな違いはないのかもしれない。
とはいえ、これでティアたちには今回の件で制裁を与えないと約束を取り付けられたことにサラは安堵する。
そして同時にサラは強く思ったのだ。絶対にアンジェラを未来の王妃にしてはいけないと。
人を玩具のように扱う人間は、人の上に立つべきではないと。
「アンジェラ様、布巾お借りしますね」
「どうぞぉ? ふふふっ」
サラはティアたちが使っていたワゴンの下から布巾を一枚取ると、紅茶で濡れている床の近くでしゃがみ込んだ。
そのまま膝をつき、左手は床について右手に持った布巾で紅茶を拭っていく。
紅茶を吸って布巾の色が少しずつ変わる。
使用人のように床を拭くサラに、アンジェラは堪えきれずにぷっ、と笑い声をあげた。
「ちょっとサラ様手慣れてるのねぇ! ふふっ、掃除の才能があるなんて素晴らしいことだわぁ!!」
テキパキと拭くサラの姿はまるで使用人のようだ。
揶揄するようにべらべらと喋るアンジェラの言葉は一切無視し、サラは全て拭き終わると布巾を直した。
自身のドレスの膝あたりをパンパン叩いてホコリがついていないかを確認し、サラはふぅ、と一息ついた。
「では、私はこれで失礼いたしますわ。──気分が悪いので」
サラはそう言ってカーテシーを行う。
気分が悪い、といったサラにアンジェラはお腹を抱えて下品に笑った。
「そりゃそうでしょうぉ!! 貴族の女性が使用人の真似事をするだなんてぇ……ぶふふっ!! 気分が悪くもなるわよねぇ?」
「──いえ、そうではなく」
「はぁ……?」
ならば何だと言うのだろう。笑いがおさまったアンジェラは、カーテシーを終えたサラの顔をじっと見やるとその瞳の氷のような冷たい温度に背筋がぞわりと粟立った。
スッとサラの瞳が細められる。
「分かりませんか? 案外お馬鹿さんなのですね?」
──そう、サラが挑発するように言い放った言葉は。
「案外お馬鹿さんじゃないんですねぇ?」と10分ほど前にアンジェラがサラに言った言葉を少し変えたものだ。
アンジェラは自身の発言を覚えているようで、カァっと顔を赤くすると凄まじい怒りが眉の辺りに這った。
「何様のつもりよぉ……!! 子爵家の人間のくせにぃ!!」
「貴族と平民、身分制度、爵位。確かに全て必要で大事なことですが──それらを好き勝手に使って人を傷付けることを何とも思わないような貴方と、同じ空間に居るのが気分が悪いのです。これだけ言えばお分かりいただけましたか?」
懇切丁寧に伝えればアンジェラのおつむの弱さでも分かったようだ。返事の代わりにアンジェラの拳はワナワナと震える。
そんなアンジェラからパッと視線を外したサラは、先程まで座っていた隣のイスに置いてある小さな箱を手に取った。
セミナに預けておいたもので、マイアーを部屋から連れ出す前にここに置いていったのだろう。
サラは手にした小さい箱を、テーブルの上に丁寧に置いた。
「細やかではありますが、これは今日お茶会に招いていただいた御礼の品ですわ。お納めください」
「何よ今更ぁ!! そんなもの渡されたってもう今後は呼んで──」
「寧ろ、今後は一切お茶会に呼ばないで頂いて結構ですわ」
「なっ、なんですってぇ〜〜!?」
まるで頭から湯気が出そうなほどに怒っているアンジェラに一瞥をくれてから、サラは扉近くまで歩くとドアノブを手に取った。
そうしてサラは最後にとあることを言い放つのだった。
◆◆◆
「ふ、それで? サラは何て言ったんだ?」
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