12 ヴァッシュ、有能過ぎる
ダグラム・キシュタリアとは、キシュタリア王国の第3王子である。
二人の兄と二人の姉を持つダグラムは、末っ子ということもあって放任されて育った。
二人も兄がいること、その兄たちが極めて優秀なことで無条件に王位継承権の可能性を絶たれたダグラムは、無害ということで命を狙われたり嫌がらせをされたりすることはなかった。
その反面、誰からも期待されずに育ったダグラムは誰よりも承認欲求に飢え、自分を見てほしいがために王族らしからぬ振る舞いをするようになる。
王族とはいえ度が過ぎる横柄な態度、仕事に対して無責任であり、身勝手、非常識。
そんなダグラムのことを、貴族たちは隠れてこういうのだ。
「──あの自己中王子が」
「え? カリクス様今なんて……?」
「独り言だ。気にするな」
あれからダグラムの従者がやってきたことで事なきを得たサラは、帰りの馬車で何があったのかを尋ねてくるカリクスに説明をした。
過去のお茶会で顔の見分けがつかず、第三王子と第二王子を間違えるという失態にカリクスは「そういうことか」と納得する素振りを見せる。
「……あの、怒らないのですか?」
「怒る? どうして」
「その、もしかしたら私が昔失態を犯したせいでカリクス様に迷惑がかかるかもしれないですし……」
「ああ、そんなこと」
さらり、とそう言って向き合うサラの頭にぽんと手を置くカリクス。
真剣な話をしているのに、と思いながらも激しく心臓が鼓動し始めたサラは、カリクスから視線をそらした。
顔が見えていないとはいえ、そんなことは関係無い。今はカリクスの顔を、まともに見れなかった。
「寧ろ今日は私の配慮が足りなかった。殿下に聞こえないように君に名前を伝えれば良かったのだが。……そんな事情があるとは知らず完全に気を抜いていた。以後気をつけるよ」
「いえっ、そんな……カリクス様は、その、本当にお優しい方ですね」
「そんなことはない」
カリクスはサラの頭に置いていた手を、またもやつぅ……と頬へと下ろしていく。
すりすりと撫でてから、ぷに、と食べてしまいたくなるくらいに柔らかな頬を摘む。
「私はただ、大切な人を大事にしたいから、当たり前のことをしているだけだ」
(だからそれが……当たり前なんかじゃないんだってば…………!)
サラはカリクスの手を優しく退けてから、バッと両手で顔を隠す。屋敷に着くまで頑なにこの手を退かすことはなかった。
ダグラムのことなどどこへやら。カリクスの慈愛に満ちた愉快そうな声だけが鼓膜を揺らし、サラの心もまた揺れ動くのだった。
◆◆◆
──コンコン。
「入れ」
「失礼いたします」
視察から帰ってきたカリクスは、第一に仕事終わりの家臣たちを集めてサラの給与に対する議論、否、決定報告を行った。
「サラに仕事に見合った対価を払おうと思うんだが」と伝えたら、満場一致だった。カリクスはこうなることは既に予想済みだった。
まだ渡していなかったのか、なんて驚く声もちらほら聞こえたことからそれは当然のことだったらしい。カリクスは過去の自分を嘆いた。
それからは視察に行っていた分の仕事を取り戻すべく、カリクスはサラとの夕食の時間を泣く泣く諦めて執務室で仕事に取り掛かる。
その時ノックをしてやって来たのが、執事のヴァッシュだった。
ヴァッシュは手に資料のようなものを抱えて、机を挟んで座っているカリクスの前で立ち止まる。
「旦那様、頼まれていたものが出来ましたのでお持ちしました」
「……! そうか。手間を掛けさせて悪かった」
「とんでもございません。旦那様の愛してやまない婚約者様のことですから」
「一言余計だ。もういい、下がれ」
「かしこまりました。あ、旦那様、一つ忠告がございます。テーブルに置いてある紅茶ですが、飲み干して──いえ、他の場所に移しておいた方が宜しいかと」
「? ああ、分かった」
──飲み干す? ──移す?
忠告の意味を即座には理解できなかったカリクスは、紅茶をそのままにしておく。ヴァッシュが部屋から出て行ってから、机に置かれた資料を手に取った。
「……サラ・ファンデッドの生い立ちについて」
ぼそりとタイトルだけを読み上げる。それからゆっくりと文字を辿り始めた。
「………………」
パラパラと、何枚もの資料を読む間、カリクスは無言を貫く。
そうして最後の一枚を読み終えると、カリクスは机に顔を伏せた。資料を持つ左手にぐぐっと力が込められ、グシャリと音を立てる。
その瞬間、カリクスは資料を持っていない方の右手を高く振り上げる。
「くそっ……!!」
──ダンッ! ──ガシャンッ!
振り上げられた手は風を切るような速さで振り下ろされる。机と拳がぶつかり合う音が痛々しく、机から落ちたティーカップは無惨な姿となる。
しかしカリクスは拳の痛みなんてちっとも感じることはなかった。それよりも傷んだのは胸辺り──心臓がドクンドクンと激しく波打つ。
「予想はしていたが……まさかここまでとは……!」
サラが家族に虐げられているのかもしれないと、カリクスは薄々感じてはいた。初日からヴァッシュに調べさせ、セミナにも逐一報告させたのもそのためだ。
とはいえどんな家族にだって事情はある。教育方針が厳しいだとか、放任主義の家庭だとか。
しかし資料によると、ファンデッド伯爵家はそれらとは異なる。
サラは家族から使用人以下の扱いをされ、顔が見分けられないという症状を嘘つき扱いされ、妹のミナリーの代わりに『悪人公爵』の異名を持つカリクスへと嫁がされた。
「サラ…………」
それでもサラは家族のために、家族の役に立つために、伯爵家での扱いを言わなかった。あんなに下手くそな嘘をついて、誤魔化して──そのときサラは、どんな気持ちだったのだろう。
サラのことを考えれば考えるほど、カリクスは会いたいという気持ちが募っていく。
しかし時計を見て、踏み出そうとした足を止める。もう夕食を終えて湯浴みも終え、自室でゆっくりと過ごしている頃だろう。いくら婚約者だとはいえ、今までカリクスはこんな時間に会いに行ったことはなかった。
──コンコン。
頭を悩ませていると、扉がノックされる音が聞こえてカリクスは小さく苛立つ。今は誰かの相手をしている余裕なんてなかった。
だが立場上無視をするわけにもいかず「入れ」と小さく呟いた。
「失礼致します。おやおや旦那様、私はきちんと忠告しましたのに。……これでは掃除が必要ですな」
貼り付けたような揺らぎのない笑み。まるで深海のように何を考えているか分からないヴァッシュに、カリクスは今ばかりは苛立ちを隠せない。
「何のためにここへ来た。ヴァッシュ……今はお前の話に付き合っ」
「旦那様、年寄りの戯言ではありますが聞いてくだされ」
やや低めに発せられたヴァッシュの声。その表情はいまいち読めない。カリクスは少しの不気味さと何故か懐かしさを感じて、耳を傾ける。
「サラ様は今まで必要以上に苦しみ、悲しんでこられたと思います。旦那様と出逢ってからは幸せそうにしておられますが、心の奥底にはまだ抱えているものが多いでしょう。──夫婦とは、そういうものを、お互いに分け与えるものです。つまり何が言いたいかと言いますと」
「…………回りくどい。……だが許す。──済まないが掃除は頼むぞ」
「かしこまりました坊っちゃん」
「坊っちゃんと呼ぶな」
一度踏みとどまった足は、今度は重りが外れたように軽く感じた。
カリクスは今夜、サラの心に触れに行く。
◆◆◆
一方その頃ファンデッド伯爵家では、夕食を終え、一人執務室に戻った父親が頭を抱えていた。
今月の領地の利益が―アーデナー家からの援助金よりも下回り、今までの半分以下になってしまったからである。
「何故だ……! どうして売上が落ちる!!」
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




