第1話
あるところに、内気で純粋で心優しい、自称・とても可愛い少女がいました。
自称・とても可愛い少女は、幼少の頃から両親の愛情を一切受ける事なく、独りぽっちで寂しく毎日を過ごしていました。
あまりにも可哀想だから、見かねた神様はある日、少女に1人の友達を与えてくれました。
「沙耶……沙耶」
呼ばれた声に、夢うつつのままぼんやり目を開けると、目に映る見目麗しき王子の顔。
キレイな顔……。
学校で生徒会長の次に人気のあるモテ男。
朝からこの秀麗を見れるのは自分の特権。
神様が寂しがり屋の少女に与えてくれた王子様。そして王子は眠る我が姫を起こすべく、優しい声音でこう言うの。
「さっさと起きろ! しばくぞ」
「…………なんか違う」
大いに違う。
淡い夢の世界から徐々に現実世界へ戻る。
高校の制服の上にエプロンを着た王子が、畳みかけるように言う。
「30秒以内に起きなかったら、朝食に作った沙耶の大好きなポーチドエッグを没収する」
「!!!」
ポーチドエッグの単語に、寝ぼけモードから一気に覚醒。
慌てて起き上がり勢い余って、ベッドから床のカーペットの上に顔から落下。
「……コントみたいだな」
呆れた声でひと言そう言い、くるりと回れ右して、王子様は部屋を出て行った。
* * *
「ホントにお前いい加減にしろよっ、学校から徒歩10分の距離に住んでて、なんで毎朝ダッシュ登校なんだよっ!?」
八月のよく晴れた日。
時間ぎりぎり。
学校へと走りながら、毎朝恒例の同じセリフを今日も駿が言う。
朝が苦手な沙耶は、寄越されるその言葉を右から左へ聞き流す。
「目覚まし時計を5分早めて置けば5分後に起きる、10分早めて置けば10分後に起きる、結局ギリの時間しかお前は起きない!」
「私に姑息な手は通用しないっ」
「なんだと!?」
たまには言い返したりもするが、相手をホンキで怒らせると後が怖いから、程々の抵抗。
なんせゴハンを作ってもらえなくなる可能性がある。
料理が作れない沙耶にとってそれは死活問題なのだ。
水埼沙耶が8才の冬に、橘駿が沙耶の隣の家に引っ越して来た。
初めはあいさつ程度だけだっだ2人は、今では沙耶の家で毎日一緒に食事をする関係。
8才の頃は身長差もあまりなかったが、高校1年生になった2人の現在は、
駿の身長は175cm。程よく筋肉の付いたスラリとした身体と、成績優秀、スポーツ万能、料理上手、顔はモデル以上に整う華麗なイケメン王子へと成長。
一方、沙耶の身長は155cm。筋肉乏しい普通体系、成績下の下、スポーツ全部苦手、料理無理、顔は……想像にお任せというレベル成長。駿と同じ高校に入れたのが今思えば奇跡。
「駿っ駿、待って、見てあそこっ」
沙耶の突然のそんな声に、何事かと立ち止まり振り向いた駿に、沙耶が指を指して言う。
「あそこにチョウがいる、アゲハ蝶~」
道端の花にキレイなアゲハ蝶がいるのを見つけて、にっこり笑顔で報告したのが、そもそも大間違い。
頭上に無数の『怒』の文字を並べ、地を這うような低い声で、沙耶を見ながら駿が言う。
「あの予鈴が鳴ってるのが聞こえて立ち止まって言ってるのか? ああ?」
「…………モノスゴクゴメンナサイ」
そして再び2人は走り出す。
これが水埼沙耶と橘駿の毎朝の光景。
少し先に見える高校から、爽やかなオルゴールの予鈴が聞こえてる。
沙耶の母親は日本を代表する製薬会社リトマの研究職社員。
日々、研究研究研究。家に帰ってくるのは年に数日だけ。
沙耶が5才の時、父親はそんな母親に愛想を尽かして家を出て行った。
沙耶は駿と出会う8才のあの冬まで、独りで寂しく毎日を過ごしていた。
年に数日帰っていた母親は、年を追うごとに家に戻らなくなり、今では1日も帰らなくなった。
沙耶が体調を崩しても高熱を出して寝込んでも、無関心で関与しない。
そんな時にいつも傍にいてくれたのは駿だった。沙耶にとって家族以上に一番頼れる大切な存在。
そしてふと考える。
自分の大切な人は、なぜか自分から離れて行ってしまう。
父親も、母親も、駿もいつかそうして、ある日離れて行ってしまう……?
2人分のカバンを背負い、自分の前を走る大きな背中を見ながら、沙耶は初めて漠然とした不安を抱いた。
* * *
学校に着いて教室に入るなり、級友達から寄越されるのはこんな言葉の洗礼。
「駿、今日もギリかよ、スゲーな」
「橘達はギリの皆勤賞狙ってるってホントか?」
「駿は足を鍛えてるんだよ。陸上枠で大学推薦狙ってるんだろ?」
そして沙耶にはこうだ。
「いいなー沙耶、毎朝駿君と一緒に登校できて。私も駿君の隣に住みたいー」
「ねぇ、駿君となに話しながら走ってるの?」
「私も毎朝王子と一緒に走りたいよ~」
寄越される悲痛な女子の嘆き。
隣人同士が毎朝一緒に登校しているだけ、皆そんな感覚で見ているらしい。
実際に朝は一緒に登校する沙耶と駿だが、昼食や下校は別々、校内で特に親しく接することもない。
クール&ドライな関係。
神様が寂しがり屋の少女に与えてくれた王子様は、女子皆の憧れの王子様でもあった。
そんなフクザツ。




