第8話 祝福の子
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帝都神殿に光の柱が立ち上ったその日――
大理石の床に残された魔素の余韻は、儀式が終わってからも長く消えなかった。
祭壇にいた若い神官のひとりが、呆然と呟いた。
「……神の名のもとに、あれが“祝福”だというのなら、
かつて祝福された者たちは……何を受けてきたのだ……?」
光と魔素が交錯した奇跡の瞬間は、神殿という閉じられた空間を超え、帝都そのものに波紋のように広がっていった。
その中心にいたのは、まだ言葉も話さぬ幼子――アルヴィス・エルンスト。
かの神童がもたらした奇跡は、若い神官の人生に鮮明に刻まれた。
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翌朝。帝都の空は晴れ渡っていた。
中央通りの市では、早くも噂が飛び交っていた。
「昨日の祝福の儀……見たのか?」
「いや、貴族でもなけりゃ神殿に入れないだろ。だがな――」
「空に、見えたんだ。光がさ。まるで……昼間に星が立ったような……」
「まさか、神の子が生まれたってのか?」
「違う、“公爵の子”だ。エルンスト家の……あの家の嫡男だよ」
「……あの家か……」
帝都の民であれば、エルンスト家の名を知らぬ者などいない。
中庸を掲げ、政治の最奥に静かに君臨する“均衡の要”。
その家から、すべての魔法属性に共鳴する子が生まれたとあれば、民の心はざわめかずにはいられない。
神殿の奥、控えの間。
リシェルティアは、祭壇で起きたあの光景を見つめていた。
彼女は第三皇女として、父である皇帝に連れられて参列していた。
その隣には、帝国を支える聖女・クラウディア。
だが幼きリシェルティアの視線は、儀式の終盤、じっと――アルヴィスへと向けられていた。
彼女の小さな胸の奥に、ふわりと灯るものがあった。
恐れではない。
けれど、まだ名のつけられぬ“なにか”が、確かに心に残っていた。
アルヴィスが放った魔素が、まるで春の陽だまりのように優しくて、
その瞬間、彼の目が自分を捉えた気がした。
そして――笑った。
リシェルティアは、小さな指先で自分の胸元をきゅっと握る。
柔らかく、でも強く。
(……この気持ちは、なんだろう?)
言葉はなかった。
けれどその感情だけは、確かに彼女の中で形になり始めていた。
それは、いつか“想い”と呼ばれるものになる、小さな光だった。
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一方、邸へ戻ったエルンスト家では、静かな昼食の席が設けられていた。
父・ジークフリートは神殿での出来事について一言も語らなかった。
だがその横顔には、わずかな緊張と覚悟の影があった。
母・セシリアもまた、いつものように穏やかな笑みを浮かべてはいたが、
ふとした拍子に、遠くを見るような目をしていた。
私は、テーブルの上に置かれたスープ皿の縁を指でなぞっていた。
言葉はまだ発せられない。
だが、胸の中にはなにか、くすぶるような感情が残っていた。
――私は、祝福された。
けれど、それは喜びだけではない。
誰かの期待と視線が、これからずっと自分を追い続ける。
私は魔素をそっと揺らした。
“私は、ここにいる”――
そう伝えたかったのかもしれない。
その瞬間、母セシリアがふっと笑った。
「大丈夫よ、アルヴィス。誰よりもあなた自身が、自分の力をわかっているのだから」
夕方、邸の中庭。
騎士団の訓練場の片隅に、団長レオナールが一人立っていた。
彼は天を仰ぎ、小さく息を吐いた。
「……坊ちゃまの祝福の儀、見たか?」
隣にいた副団長が苦笑する。
「ええ、見ましたとも。魔素の奔流で一瞬耳が聞こえなくなったくらいです。
あれは……もはや魔法というより、“存在”ですね」
レオナールは頷く。
「剣で守れるものではない、という実感があった。
けれど、我々は剣を抜かなければならない。
――“帝国そのもの”を背負う坊ちゃまの盾として」
その言葉に、騎士たちが静かに剣を振るう音だけが響いた。
その夜、帝国議会の一角では、すでに“会合”が始まっていた。
「すべての属性に加え、高位四属性との共鳴……」
「神殿は“奇跡”と評していたそうだ」
「第三皇女殿下と目を交わしたと……噂に過ぎぬが、民は“啓示”とすら呼んでいる」
ジークフリートが黙して語らぬことを逆手に取り、各派閥は動き始めていた。
だが、その動きを読みながら、静かに杯を傾ける老貴族がいた。
「焦るな。あの家は沈黙をもって国を動かす。
そしてあの子は――その名を持って、“未来”を変える者だ」
__________
夜。
私は、書斎の窓辺に座っていた。
言葉を知らず、外の世界もわからない。
けれど、この胸の奥で、確かに何かが生まれていた。
まだ形のない意志。
けれど確かに、心の奥底で燻る熱。
(私は、祝福された。
ならば――その意味を、証明してみせる)
手を空に掲げる。
魔素がふわりと灯り、空間に小さな渦を生む。
母が「灯火の精」と呼ぶ、私の小さな感情の結晶。
私はまだ言葉を持たない。
けれど、想いを伝えることはできる。
この魔法と、この存在で――
祝福の儀から一日が経ち、
帝都には“祝福の子”の名が広がっていた。
けれど、それはただの始まりにすぎない。
彼の周囲で、いくつもの歯車が音を立て始めていた。
その音は、帝都の石畳の下から、
世界の境界を揺らすほどに静かに、確かに――鳴り響いていた。
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